山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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日向城

2018-09-27 22:07:22 | 山城ー信州
佐久市の山城で最近の注目は雁峰城と日向城です。日向城は佐久市根岸にあります。

日向城地図

国道142号線の信号小学校入口から南に市道を進み県道145号線にぶつかり、バス停糖尾を南西に進み薬師寺の看板に突き当たって、右手に進みます。火の見櫓が見えて、その火の見櫓から右折すると50mくらいに神社があります。ここに駐車し、反対側の登り道から登ります。

糖尾のバス停をまっすぐ来ると二股になります。(薬師寺の看板有)

北から見て、右手に登り、火の見櫓が左手下に見言えます。

櫓から西に入り

150mくらいに、土手沿いに山道があります。

登ってすぐに虎口

虎口をを守る北1曲輪

虎口を見下ろし、それを守る北2曲輪

右手上に登って来て、虎口から一段登り、北3曲輪を配しています。

第二虎口

大きな岩がある三の丸

三の丸から東に廻ると段曲輪

縄張り図は「信濃の山城と館」佐久編より

次回 二の丸から本丸へ

日向氏
日向氏の出自[編集]
日向氏に関する初見史料は『遊行二十四祖御修行記』で、永正17年(1520年)8月29日に、日向図書助が兄弟とともに、時宗の24代遊行上人の不外を信濃国まで迎えたと言われ、不外は8月15日時点で信濃伴野荘野沢(長野県佐久市)に居ることから、日向図書助は同地まで迎えたと考えられている[1]。伴野から甲斐国へ至る佐久往還は永仁3年(1295年)に二代真教が、文和3年(1354年)には8代渡船が利用しており、日向図書助もこの道筋を利用していたと考えられている[2]。
幕臣日向氏の系譜史料によれば、上杉氏に仕えていた信濃佐久郡の新津氏の子孫が姻戚関係にあったと想定される甲斐の日向氏を頼り、日向姓に改姓したという。
日向図書助との関係は不明だが、戦国期には武田家中において大和守を称する日向一族が確認されている。『甲斐国志』巻九六に拠れば、信虎期から信玄期、勝頼期の武田氏滅亡まで活動が確認される「日向大和守」の存在を記載しているが、現在では『国志』において同一人物とされている信虎期の大和守是吉と信玄・勝頼期の大和守虎頭を別人に比定する見解が一般的となっている。 ウィキペディアより






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