山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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諏訪山城③

2018-01-05 20:11:16 | 山城ー野州
新発見の諏訪山北城の縄張り図、「栃木県の中世城郭」管理人さんの許可が出ましたので掲載します。


諏訪山城の同一尾根にあります。


縄張り図、諏訪山城に匹敵するほどの規模で、近日登って見るつもりです。ただし、山主さんらしき人がおられたら断るようにとの注意がありました。

諏訪山城③


二重堀を越えて

南尾根第一曲輪

第一曲輪の東虎口

南尾根第一堀切

南尾根第二曲輪、南に土塁

第二曲輪の東虎口

南尾根第二堀切

南尾根先端部の土塁

二重堀に引き返し

壕を東に進み、

壕を進んで行くと

Dの虎口を登ると

曲輪10になります。

曲輪10の北に曲輪11
この辺は西方城を想起します。

次回 南尾根をもどり曲輪2へ 
西方城について
 西方城は、宇都宮氏の支城であった。宇都宮景綱の三男泰宗の次男景泰が築いたという。その子孫が西方氏を名乗るようになる。もっとも、その頃の城はもっと簡素なものであったろう。
 西方城のわずか3kmほど南西には皆川氏の本城であった皆川城が存在している。つまり西方城は皆川氏の領域と接する「境目の城」であった。宇都宮氏と皆川氏は幾度となく抗争を繰り返しており、西方城も一時は皆川氏の手に落ちたこともあった。しかし、天正年間、宇都宮氏は佐竹義重の援助を受けて、再び城の奪回に成功する。宇都宮氏の対皆川防衛のために、この城はきわめて重要な意味を持っており、それゆえ戦国期にはかなりの手を入れられることになったのであろう。「余湖くんのお城のページ」記事より


大きな曲輪が並び、それを壕が守る縄張りが似ています。








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