花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

時の流れに紡がれて

2021-10-30 10:49:00 | Weblog
 次は川端康成、後期の小説、「美しさと哀しみと」(中公文庫)から抜き出したものです。

 「ただ、時は流れた。しかし、一人の人間にとって、時の流れというものは、必ずしも一つの流れではないのではなかろうか。一人の人間のなかで、時は幾筋もに流れてはいないか。川にたとえて、時の流れは人のなかで、あるところは早く流れ、あるところはゆるく流れ、あるところは流れないでとどまっている。また、時は万人に同じ早さで流れているのが天だが、その人その人によって同じ早さに流れていないのが人間である。時間はすべての人間に同じく流れ、人間はそれぞれちがう時間に流れている。」

 17歳の時に付き合っていた中年男に捨てられた女性が、40歳になってその男と再開します。彼女は男と別れた後、母と京都に移り住みます。その頃の母親とのやり取りを回想する場面で、先の言葉が出てきます。私はこの文章を目にした時、小説の筋から全く離れて、友人関係を成り立たせるもの、人と人とを結びつける2本の糸へ思いが飛びました。

 人に流れる時間の速さが一様ではなく、いくつか速さの異なる流れがあるとします。しばらくぶりに友人と会った時、時の隔たりを感じることなく話し合える友人がいるかと思えば、何となく前にはなかったよそよそしさを覚える場合もあります。思うに、時が流れないでとどまっている部分と、別々の速さで流れる部分のバランスによって、時間の経過が友人関係に与える影響は変わってくるのかもしれません。

 流れないでとどまっている部分からは、お互いの安心感や一体感が生まれ、一方、それぞれ違う流れをもって暮らしてきことからは、自分とは違う生き様が想像出来、新鮮さや前向きな感情が誘い出されます。この二つの流れが上手く撚り合えば、友人関係は長続きし、そうでない場合は、自然消滅してしまうような気がします。

 緊急事態宣言が明け、久しぶりに友人と会う機会が少しずつ出てくるでしょう。そういった時に、先の川端先生の言葉を思い出し、共に親しんだ流れが作るつながってる感、そして自分が知らなかった流れによる刺激、それらをまたひと撚りふた撚り伸ばしていくことが出来れば、心の換気になりそうな気がします。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿