わたしは、そもそもは
王仁三郎ファンだった。
出口王仁三郎は、
明治期生まれで、大正~昭和初期に活躍した
霊能者であり、宗教家である。
ファシズムの高まりと共に、官権による大弾圧を受けたため、
現在でも毀誉褒貶の激しい人ではある。
要するに、
どんな情報と出会い、何を受け入れるかによると思う。
わたしは、出口京太郎氏の
『巨人 出口王仁三郎』という本が好きだった。
後は、王仁三郎自身の著作。
天皇家の転覆を企んでいるとか、
宗教と称して淫らな行為を行っている、とか、
そんな官権側の主張は真っ赤な濡れ衣、と
わたしは思って、
彼のスケールの大きさに、ただ痛快さを感じていた。
良くも悪くも、とにかく、
大きい人なのだ。
三千世界の大化物、と言われる位で、
宗教家的な、取り澄ました感じはカケラもない。
とんでもない実力とスケールを備えた、
夢見るやんちゃ坊主、という感じ。
***
大本教、という、
明治時代に生まれた新宗教がある。
現在は、大本、という名称になっていると思う。
大正時代には未曾有の勢力を誇っていたが、
現在は分裂を繰り返し、衰退の一途をたどっている。
…と思う。
開祖、出口ナオは、
京都綾部に住む、極貧の半農家の養女だった。
屑物を集めて売り、なんとか生計を立てていた。
若いときには孝行娘として近隣に知られた、
生真面目で真摯な人柄。
教育はないながら、ひたすらで素朴な信仰心を持っていた。
そんなナオの老年期に、突然、神がかりが起こった。
腹の底から勝手に、
自分の物とは思われない太い力強い声が湧いてきて、
思いもしない神意を語る。
抑えは効かない。
気が違ったと思われるのも、当然だろう。
治まる気配のないその異常に、とうとう、
強引に座敷牢へと押し込められてしまった。
だが
そこで、落ちていた釘を使って、神示をしるし始める。
教育のないなおが書くのは、金釘流のひらがなばかり。
その音で、なんとか文意を表した、
『おふでさき』
この婆さんにこんなものが書けるとは、と
次第に信じるものが現れた。
そうして始まったのが、
大本教である。
***
王仁三郎は、京都亀岡に生まれた。
祖母の兄は言霊学の権威で、
自然に神道的な教養が身に付く環境だった。
あたらしもの好きで好奇心旺盛、
神童と呼ばれる程の聡明さ。
任侠精神にも富んでいて、親分肌。
若い頃は起業してみたり、連歌にのめり込んだり、
弱いものの味方を気取って喧嘩に明け暮れたり、
していたらしい。
あるとき、仕返しの闇討ちにあい、
半死半生の状態を経験する。
この時、神も仏も軽んじて鼻高々で生きていたことを、
改めて悔いた。
こうした環境に生まれながら、
命を、こんな風に使っていていいのか?
それから、自分なりの修行に入り、
やがて神示によってナオと出会って、
大本教に合流した。
ナオの取り巻きとのいさかいや、コミュニケーション不足、
決して順調ばかりだったとは言えないが、
王仁三郎は出口家の婿に入って大本教を育て、
布教の中心として八面六臂の活躍。
やがて日本に一大ムーブメントを起こしていくことになる。
***
聖地は綾部。
これは、日本の霊的な中心とされた。
布教の中心は、亀岡の亀山城趾。
信長の元で、近畿一帯を任されていた頃…
最盛期の明智光秀の居城である。
王仁三郎は、明智光秀にも言及している。
その居城が、本拠にふさわしい理由も。
でもだからこそ、反明智の霊流を受けた造反者を
たくさん出す事になったのでは、と思う。
“生長の家”の谷口雅春をはじめ、
“世界救世教”の岡田茂吉など
大本と袂を分かった人たちがはじめた新宗教は、
数え切れない。
“真光文明教団”の岡田光玉も、
世界救世教から出た人である。
新宗教の流れをつかむためには、
ぜひとも知っておくべき人たちなのだが
どうしても、食指が動かない。読む気になれなかった。
多分、反明智のにおいが、恐いのだと思う。
わたしは綾部には行ってみたことがあるけど、
亀岡には行った事がない。
自分が天海かもしれないなんて、考えたこともなかった頃
大本の本部に、なぜか郷愁を覚えながらも、
考える事が怖かった。
***
植松愛子さんは、真光系で学んだ人だと思う。
深見は、世界救世教から入って、大本に移り、
やがて袂を分かって紅卍会へ。
その縁で二人は出会ったのだと思う。
岡田光玉さんの流れと、大本の流れが、
ここで合流したのだと、深見は言っていた。
どうかなあ。
わたしは、王仁三郎にハマっていた頃、
深見が活発に“仕組み”(大本では経綸と書く)を
行っているのを知って、入り込んでしまった人間である。
でもどうしても、気風が合わなかった。
***
ナオさんの「おふでさき」は『大本神諭』として
平凡社の東洋文庫に入っている。
王仁三郎の著作は大本から出版されていて、
大手の書店で手に入ると思う。
わたしは、神保町の“書泉グランデ”で買っていた。
『水鏡』などの、教えのものをメインに読んでいた。
鵜呑みにする、というよりは、読み物として。
『霊界物語』は途中まで買ったが、
お金に困ったときに売ってしまった。
もっともあれは、余程の霊覚がないと読みこなせないと思う。
変な解釈にハマってしまったら、教祖になりかねない(笑)
深見は、大本神諭は勧めていたが、
王仁三郎は読まないほうがいい、といっていた。
雑狐がついてる、と(笑)
どうも、狐の解釈が、わたしとは反対らしい。
わたしはナオさんも王仁三郎も好きなので、
両方読んでいたい。
出口和明さんは、大本神諭は勧めていないらしい。
***
大本では、
日本の霊的な中心を綾部とし、
世界の霊的な中心を、長野市松代の皆神山としている。
ここで放つ言霊には、特別な力が宿ると。
本当かどうか、今のわたしには分からないけど、
面白いなあ、と思う。
機会があったら、いつか
亀山城址にも行ってみたいと思っている。
王仁三郎ファンだった。
出口王仁三郎は、
明治期生まれで、大正~昭和初期に活躍した
霊能者であり、宗教家である。
ファシズムの高まりと共に、官権による大弾圧を受けたため、
現在でも毀誉褒貶の激しい人ではある。
要するに、
どんな情報と出会い、何を受け入れるかによると思う。
わたしは、出口京太郎氏の
『巨人 出口王仁三郎』という本が好きだった。
後は、王仁三郎自身の著作。
天皇家の転覆を企んでいるとか、
宗教と称して淫らな行為を行っている、とか、
そんな官権側の主張は真っ赤な濡れ衣、と
わたしは思って、
彼のスケールの大きさに、ただ痛快さを感じていた。
良くも悪くも、とにかく、
大きい人なのだ。
三千世界の大化物、と言われる位で、
宗教家的な、取り澄ました感じはカケラもない。
とんでもない実力とスケールを備えた、
夢見るやんちゃ坊主、という感じ。
***
大本教、という、
明治時代に生まれた新宗教がある。
現在は、大本、という名称になっていると思う。
大正時代には未曾有の勢力を誇っていたが、
現在は分裂を繰り返し、衰退の一途をたどっている。
…と思う。
開祖、出口ナオは、
京都綾部に住む、極貧の半農家の養女だった。
屑物を集めて売り、なんとか生計を立てていた。
若いときには孝行娘として近隣に知られた、
生真面目で真摯な人柄。
教育はないながら、ひたすらで素朴な信仰心を持っていた。
そんなナオの老年期に、突然、神がかりが起こった。
腹の底から勝手に、
自分の物とは思われない太い力強い声が湧いてきて、
思いもしない神意を語る。
抑えは効かない。
気が違ったと思われるのも、当然だろう。
治まる気配のないその異常に、とうとう、
強引に座敷牢へと押し込められてしまった。
だが
そこで、落ちていた釘を使って、神示をしるし始める。
教育のないなおが書くのは、金釘流のひらがなばかり。
その音で、なんとか文意を表した、
『おふでさき』
この婆さんにこんなものが書けるとは、と
次第に信じるものが現れた。
そうして始まったのが、
大本教である。
***
王仁三郎は、京都亀岡に生まれた。
祖母の兄は言霊学の権威で、
自然に神道的な教養が身に付く環境だった。
あたらしもの好きで好奇心旺盛、
神童と呼ばれる程の聡明さ。
任侠精神にも富んでいて、親分肌。
若い頃は起業してみたり、連歌にのめり込んだり、
弱いものの味方を気取って喧嘩に明け暮れたり、
していたらしい。
あるとき、仕返しの闇討ちにあい、
半死半生の状態を経験する。
この時、神も仏も軽んじて鼻高々で生きていたことを、
改めて悔いた。
こうした環境に生まれながら、
命を、こんな風に使っていていいのか?
それから、自分なりの修行に入り、
やがて神示によってナオと出会って、
大本教に合流した。
ナオの取り巻きとのいさかいや、コミュニケーション不足、
決して順調ばかりだったとは言えないが、
王仁三郎は出口家の婿に入って大本教を育て、
布教の中心として八面六臂の活躍。
やがて日本に一大ムーブメントを起こしていくことになる。
***
聖地は綾部。
これは、日本の霊的な中心とされた。
布教の中心は、亀岡の亀山城趾。
信長の元で、近畿一帯を任されていた頃…
最盛期の明智光秀の居城である。
王仁三郎は、明智光秀にも言及している。
その居城が、本拠にふさわしい理由も。
でもだからこそ、反明智の霊流を受けた造反者を
たくさん出す事になったのでは、と思う。
“生長の家”の谷口雅春をはじめ、
“世界救世教”の岡田茂吉など
大本と袂を分かった人たちがはじめた新宗教は、
数え切れない。
“真光文明教団”の岡田光玉も、
世界救世教から出た人である。
新宗教の流れをつかむためには、
ぜひとも知っておくべき人たちなのだが
どうしても、食指が動かない。読む気になれなかった。
多分、反明智のにおいが、恐いのだと思う。
わたしは綾部には行ってみたことがあるけど、
亀岡には行った事がない。
自分が天海かもしれないなんて、考えたこともなかった頃
大本の本部に、なぜか郷愁を覚えながらも、
考える事が怖かった。
***
植松愛子さんは、真光系で学んだ人だと思う。
深見は、世界救世教から入って、大本に移り、
やがて袂を分かって紅卍会へ。
その縁で二人は出会ったのだと思う。
岡田光玉さんの流れと、大本の流れが、
ここで合流したのだと、深見は言っていた。
どうかなあ。
わたしは、王仁三郎にハマっていた頃、
深見が活発に“仕組み”(大本では経綸と書く)を
行っているのを知って、入り込んでしまった人間である。
でもどうしても、気風が合わなかった。
***
ナオさんの「おふでさき」は『大本神諭』として
平凡社の東洋文庫に入っている。
王仁三郎の著作は大本から出版されていて、
大手の書店で手に入ると思う。
わたしは、神保町の“書泉グランデ”で買っていた。
『水鏡』などの、教えのものをメインに読んでいた。
鵜呑みにする、というよりは、読み物として。
『霊界物語』は途中まで買ったが、
お金に困ったときに売ってしまった。
もっともあれは、余程の霊覚がないと読みこなせないと思う。
変な解釈にハマってしまったら、教祖になりかねない(笑)
深見は、大本神諭は勧めていたが、
王仁三郎は読まないほうがいい、といっていた。
雑狐がついてる、と(笑)
どうも、狐の解釈が、わたしとは反対らしい。
わたしはナオさんも王仁三郎も好きなので、
両方読んでいたい。
出口和明さんは、大本神諭は勧めていないらしい。
***
大本では、
日本の霊的な中心を綾部とし、
世界の霊的な中心を、長野市松代の皆神山としている。
ここで放つ言霊には、特別な力が宿ると。
本当かどうか、今のわたしには分からないけど、
面白いなあ、と思う。
機会があったら、いつか
亀山城址にも行ってみたいと思っている。