Oceangreenの思索

主に、古神道、チベット仏教、心理学等に基づく日本精神文化の分析…だったはずなんだけど!

都市国家連合としての古代日本

2010-03-06 | 思索のかけら
古代インダスは、おそらく統一国家ではなく、
都市国家のゆるやかな連合体だったと考えられる。

モヘンジョ・ダロ、ハラッパー、ドーラビーラ、他の、
他の古代都市文明に比べるとやや小規模な都市がいくつもあり、

それらが、根底に共通した文化を持ちながら、
微妙に異なる多彩な精神・物質文明を繰り広げていたと思う。

例えば、都市の作りにおいても、城塞と都市一体のものがあり、
別のものもあり、

信仰においても、火の祭祀を主とする都市と、
水の祭祀を主とする都市があったらしい。

文字も何種類かあったようで、これは、
日本の“神代文字”が数種類あることに
対応していると思う。

古代エジプトでは、都市ごとに、
守護神も、創造主にあてる神も異なったが、
古代インダスもそうだったのだろう。

また、東南アジアの考古学的な時代においては、
河川周辺の平地部に移住し、農地を拓いた農耕民族と、
山間地で生活を営む先住の狩猟採集民族が、

たがいに相互補完的な関係を作り上げていたと
考えられる。

先史時代の日本においての、インダス人と縄文人もまた、
そうだったのではないだろうか?

***

“偽書”と呼ばれる、諸宮司家に伝わる
古神道系の超古代文献には、
出雲王朝、富士王朝といった、いくつかの古代王朝の存在が記されているという。

また、考古学的な発掘調査により、
埼玉に“関東王国”とでも推測される遺跡が見つかっているらしい。
テレビの情報なので、アヤシイですけど(笑)

これらは、それぞれが、現在の国の概念のような、
領土と国民を有する“王朝”だった訳ではなく、

独自の文化と政治体制を持ち、周辺の狩猟採集民族と協力関係にある、
小規模な都市国家だったとは考えられないだろうか?

均一な文化と国民を有する統一国家は、おそらく、
大陸系の渡来人により、武力で作られたもので、

本来の日本は、もっと緩やかで多様性に富んだ、
文化の集合体だったと思うのだ。

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