天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

自民党二階氏の靖国

2015-09-16 23:54:05 | 時事
2014年10月22日朝日新聞


自民党の二階俊博総務会長は22日、閣僚の靖国神社参拝が日中、日韓関係の悪化につながっていることについて「もっと解決策を考えないといけない」 と述べ、

A級戦犯の分祀(ぶんし)や国立追悼施設など幅広く検討を進めるべきだとの考えを示した。東京都内で講演した。

二階氏は「天皇陛下がご存命のうちに方向づけする知恵が必要だ。

(戦死者の)ご遺族もだんだん年をとっている」とも語り、関係者に検討を急ぐことも求めた。

これまで、安倍内閣は国立追悼施設構想について「国民世論の動向を見極めながら、慎重に検討することが大事だ」(菅義偉官房長官)として、慎重な姿勢を示している。

また、二階氏は日中、日韓関係について「(日本側も)中国や韓国と手を結んでいこうという努力をしないといけない」と述べた。(明楽麻子)

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中韓の国交が戦後初めて正常化したのは
昭和40年6月に、日本(佐藤栄作政権)と韓国(朴正煕政権)との間で調印された条約と、

日中平和友好条約は、昭和53年8月12日、北京で日本国と中華人民共和国との間で締結された条約である。

この条約で再開された友好で日本側が不利になるハンデキャップ外交を誇示し国民に深く常識化させる為だけの事件が発生する。

教科書誤報事件だ。

昭和56年、自民党の教科書制度改革案に危機感を抱いた左翼は、

「日本が再び軍国主義の道を歩む」などと政治問題化させ、その上、ばかげたことに韓国や中国にご注進した。

さらに翌57年6月26日、日本の大新聞がいっせいに驚くべきことを報じた。

日本の教科書検定で、中国華北への「侵略」が「進出」に書き換えられたというのだ。これに対して、中国・韓国は日本政府に抗議を申し入れた。ところが、これは誤報であった。

にもかかわらず、何を血迷ったか当時の宮澤喜一官房長官が、「近隣の諸国民の感情に配慮した教科書にする」という主旨の発言をし、

悪質な「近隣諸国条項」が教科書検定に設けられる。これは100%日本国内の問題である日本の教科書について、韓国や中国の検閲権を認めたようなものだ。

日本政府の腰抜け謝罪外交が始まったのは、この「第一次教科書問題」が生じたあとである。


宮澤喜一は首相に就任後、さらに国賊的行為をした。

平成元年に起きた天安門事件で、中国は世界中のマスコミが見ている前で民主化を求める一般市民を大量に殺害し、国際的に孤立した。

そこで中国は、日本の天皇を招いて自分たちの存在を世界にアピールし、外交上の挽回をはかろうとした。

そして、その中国の要請にしたがって、日本政府は天皇陛下に訪中していただくことを決めてしまったのである(平成4年=1992訪中)。


中国の思惑どおり、世界中から締め出されかけていた中国は国際社会に堂々と戻ることができた。

明らかに天皇陛下の政治利用である。このようにして自民党の親中派は友好を最大目標として媚中へと変質していく。

戦後レジームは敗戦による必要以上の反省(自ら手足を切り落としての)ハンデキャップ外交が日本の歩んでしまった道であり、それを主導した自民党の失政であったとも言える。

遅まきながら安倍政権はこの悪しき態勢から脱却することを旗頭とし、小泉政権がぶっ壊した?自民党で再選した。

その中において二階氏の靖国論を検証すれば、安倍政権を脅かすどころかたんなるバランサーの役割と見るのが妥当である。

動き始めた脱却は止めようがない。