天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

近隣諸国条項

2017-10-14 12:14:07 | 歴史
日本国の教科用図書検定基準に定められている「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること。」という規定のことであるが、若者には特に興味が無いかもしれない。

ここは是非近現代史を理解する上で、年寄の戯言として読んで貰えれば幸いである。

簡単に言うと先の大戦で近隣諸国には迷惑をかけたので我が日本国がお隣さんづき合いを円滑にし、もう迷惑は掛けないと理解してもらうためと、軍国主義を否定する証としても、多少の誇張、捏造は大目に見るという決まりを教科書の検定に加味しますよとの条項だ。

ことの発端は昭和56年度の教科用図書検定について、「高等学校用の日本史教科書に、中国・華北への『侵略』という表記を『進出』という表記に文部省の検定で書き直させられた」という日本テレビ記者の取材をもとにした記者クラブ加盟各社の誤報だ。



これを受け、昭和57年8月26日に、日本政府は、『「歴史教科書」に関する宮沢喜一内閣官房長官談話』をだし、検定基準を甘めに改定した。

これが近隣諸国条項だ。

中国・韓国・北朝鮮の三国の主観に基づく歴史観に迎合するような制度が、果たして国際的な客観性を担保できるような基準を設けることになるのか大いに疑問である。

また、近隣諸国である中国・韓国・北朝鮮の教科書作成に関しこんな規定がない上に反日教育を行っていた。

平成25 改正教育基本法には『他国に敬意を払う』という趣旨の記述がされ、見直すことを決めた。

これは甚だ遅きに失したようであり、すでに進出から侵略への移行は完了済みの感がある。

つまり近隣諸国条項は利用され尽くされたのだ。
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女性宮家を創設すると戦争になる訳

2017-10-06 08:10:28 | 歴史
「風が吹けば桶屋が儲かる」ということわざがある。

「風が吹くと土ぼこりがたって目に入り盲人が増える。 盲人は三味線で生計を立てようとするから、三味線の胴を張る猫の皮の需要が増える。 猫が減るとねずみが増え、ねずみが桶をかじるから桶屋がもうかって喜ぶということ。」

この場合は何でもないことが思いもよらぬ現象を招くのであって、女性宮家の例えには不適切である。しかし、米国で似たような言葉にバタフライ効果という、
「力学系の状態にわずかな変化を与えると、そのわずかな変化が無かった場合とは、その後の系の状態が大きく異なってしまうという現象」

があるが、これを元にバタフライエフェクトという映画が作られた。

この映画のあらすじは

『エヴァンは幼少期に記憶の欠落が複数あった。大学で記憶の研究を始めたエヴァンは、日記を読んで過去に戻る能力を持つことを知る。初恋の女性・ケイリーを自殺に追いやったエヴァンは、幼馴染み全員が幸福になれる道を選ぼうと、過去にワープして介入する。
しかし過去の改変を行なえば行なうほど、事態は悪い方へ転がってしまう。最終的にエヴァンは、ケイリーと親しくならない道を選び、これにより全員が幸福になった。』

というものだが、この過去に戻って変化を加えるという考え方で女性宮家を創設すると戦争になることを証明してみたい。

とはいえ、映画のように過去に戻ることは出来ないので、近現代史の太平洋戦争を振り返ってみたい。

そこで女性宮家がなくても戦争になったではないか、と大半の方が思ったことであろう。あくまでも私の主張は今後女性宮家を創設することでの未来予測であり、起こさない為の警鐘と思って貰いたい。

ポツダム宣言を受け入れた、とだけ教科書にはあり未だに議論され決着しない無条件降伏だったのか否かだが、国体護持がなされているなら明らかな有条件であったと考えるのは普通である。

たとえ宮城事件で録音盤が盗まれようが私は受け入れて終戦していたと想像する。つまり、マッカーサーとの対談でご自身の身は顧みず引き換えに国民の救済を望まれたからである。

つまり、日本軍は国体護持を条件に本土決戦を諦め、陛下は本土決戦を避けるべくポツダム宣言を受諾したのである。

これは仮に天皇陛下が不在の国であったならば、日本軍と日本人は絶滅するまで本土決戦を戦っていたことになる。

そして、絶滅は逃れたとしても日本列島はいくつかに分割統治されていたと考えることは容易である。

従って現在の國體護持された日本が存在しているのは紛れもなく日本軍と昭和天皇のいちばん長い日があったからに他ならない。

さて女性宮家が創設されれば、これまで一系で紡いでこられた男系継承に他の血が入ることになる。女性天皇が誕生すれば、早くて愛子内親王殿下の御子息で父系は途断える。

不適切な例かもしれないが、小室氏と眞子内親王殿下のお子様が宮家となれば小室王朝の誕生である。果たしてこの天皇が天皇陛下となり得るであろうか。国民統合の象徴といえるのだろうか。

間違いなく皇室は終焉を迎える。

そこで日本から戦争を仕掛けることはないだろうが侵略されないまでもミサイルや核攻撃されたら防衛の為の戦争に否が応でも突入し、勝つまで止めることが出来ないのである。

女性宮家創設は日本の滅亡のフラグとなるのだ。


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韓国併合再検討国際会議

2017-09-23 11:19:03 | 歴史
韓国併合再検討国際会議をご存知であろうか。

2001年の1月ハワイ、4月東京都多摩市、11月ハーバード大で開催された、韓国併合(日韓併合)の合法性・違法性を巡る議論を扱った一連の国際学術会議である。

つまり、あの時のあの期間は違法であるから無効だと国際的に認めて貰う会議を開催したのだ。

結局は違法であるとする国際的なコンセンサスは得られなかったとして終了している。

日本から見れば、やる以前に結果はわかっている。何の為にやるのか。馬鹿馬鹿しい。との感想が大半であろう。

日本人の感覚では理解しがたくとも、現在の慰安婦問題、徴用工問題を見れば、自分達の歴史観を世界に認めさせたいとの逆怨みのような執念を感じ、この会議が歴史認識として慰安婦、徴用工の絵空事をひょっとすると真実なのか、と思わせるだけの布石となれば、この会議が非常に重大な意味を持つのである。

しかも第2回は日本で開催されており、そのロビー活動の対象地にもなっている。

韓国側の目的は日本が我が国を「植民地侵略」、「植民地支配」した。つまり、村山談話の《『植民地支配と侵略』によって多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました》の部分があるだけで、韓国のロビー活動はどんなにファンタジーであろうが意味を持ち始めるわけである。

前々回の歴史修正でも日本人の多くが協力者となり事前の70年代に修正が完了していることを紹介した。

日本も国家として本腰を入れなければならない時期は過ぎてしまっている。またそれを邪魔するかのように北がミサイルを撃ち込んできているのが現状であり、国連に手弁当で抗議する杉田水脈氏を似非保守呼ばわりする自虐は未だに戦後レジウムを抜け出せない変質した日本のままなのである。







李氏朝鮮は国家ではなく魚、冊封体制下の属邦であると清国は主張し、ロシアも朝鮮を狙う中、大日本帝国は自国主導で半島の政治改革をさせようとしていた。日本が朝鮮を侵略する意味は?
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歴史修正と誇張

2017-09-22 10:59:33 | 歴史





Yahoo知恵袋に以下の様な質問と回答を見つけた。


歴史の質問です。

韓国統監府と朝鮮総督府の意味を分かりやすく、できれば何かに例えて説明お願いします。





回答

【韓国統監府】は、1905年、「第二次日韓協約」で日本が韓国の植民地化を段階的に進める為、【外交権】を剥奪。韓国の外交を日本が代行とする意味。伊藤博文が初代。

1907年、高宗が韓国の窮状を世界に訴えようと「ハーグ密使事件」で、伊藤博文に皇帝を退位させられ、第三次日韓協約で【内政権】まで剥奪された。

1910年8月22日、日本が強引に「日韓併合」して、韓国は植民地となり、日本は韓国を、国名を「朝鮮」に戻して、【朝鮮総督府】を置いて、朝鮮を直接統治した事を意味します。以後、朝鮮は日本の【朝鮮総督府】を通して「皇民化政策」で言葉も文化も否定・破壊され、強制連行で殺害されたり、従軍慰安婦で女性は凌辱されで、35年間の植民地時代は悲惨でした。1995年、【朝鮮総督府】の建物を爆破撤去したのも、歴史問題の一環なのです。


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問題はこの回答だ。ひょっとすると自分で質問して自分で答えるマッチポンプの可能性もある。
歴史的推移は正しいのだが、すべて韓国側の視点(被害者的視点)からの歴史観で書かれていることだ。

接収を「剥奪」に、強制を強調し「強引に」などがあげられるが、もっとも酷いのが後半の
『文化も否定・破壊され、強制連行で殺害されたり、従軍慰安婦で女性は凌辱されで、35年間の植民地時代は悲惨でした。』であり、捏造、誇張された表現で全く事実にそぐわない一方的で被害的な歴史観となる。

日韓協約は日韓保護条約とも呼ばれる。




金泳三政府の「歴史の立て直し」政策と「景福宮復元」の一環として撤去された中央庁舎(旧朝鮮総督府)
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歴史修正とポリコレ

2017-09-22 07:39:06 | 歴史
両陛下 プライベートで埼玉県の深谷市にある渋沢栄一ゆかりの文化財などをご訪問されご視察なされた。

日高市にある高麗神社にも訪れたのだが韓国側の記事の内容に違和感を覚えた。

【ソウル時事】21日付の韓国主要各紙は、天皇、皇后両陛下が20日、古代朝鮮半島にあった高句麗からの《渡来人》を祭った埼玉県日高市の高麗神社を参拝されたことについて、「私的な旅行の一環だが、歴代《日王》(天皇)で初めて」と写真付きで詳しく報じた。


歴史的に見れば1300年も前の話だが、668年に唐・新羅に滅ぼされ亡命して日本に居住していた高句麗からの《帰化人》を朝廷は現在の日高市ととその周辺に移住させた歴史がある。

この高麗神社は高麗王若光を主祭神として祀っており、プライベートであるが、天皇皇后両陛下が
訪問された。

本来であれば帰化人とするところが渡来人となって報道されており、日王や初めてなどの捉え方に違和感を感じる。

ネットとはいえ韓国の報道をそのまま引用する手抜きに日本人として慙愧の念に耐えない。

そんな時、みつうろこ@東京都督府さんのツイートを見つけ、リツイートしたところ、経緯を教えて頂いたのでご紹介する。






『【古代史研究と現代性―古代の「帰化人」「渡来人」問題を中心に】 李成市(早稲田大学文学学術院)より抜粋
古代日本の「帰化人」「渡来人」問題は、とりわけ1980年頃までの日本歴史学界において大いに問題とされた。そこには、戦後から1970年代までの日本の現実が深く関わっている。

1970年代の議論において注目すべきは、日本の歴史教科書において、従来「帰化人」と記されていた呼称が「渡来人」と書き換えられるようになったという事実である。作家や市民による学術の世界に対する異議申し立てが古代日本の外来人に対する認識について大きな変更をせまったのである。

かつて日本の古代史学界で用いる古代の「帰化」概念とは、『日本書紀』に基づくものであった。それによれば、「帰化」とは、(一)化外の国々から、その国の王の徳治を慕い、自ら王法の圏内に投じ、王化に帰附することであって...

(二)その国の王は一定の政治意志に基づいて、これを受け入れ、衣粮供給・国郡安置・編貫戸籍という内民化の手続きを経て、その国の礼・法秩序に帰属させるという一連の行為ないしは現象をいうと規定されている。

また、重要な点は、『日本書紀』の記事の用例(17例)は、「帰化」「来帰」「投化」「化来」の語を用いながら、「オノヅカラマウク」(自ずから参る)、「マウク」(参る)と訓ませて、それらの漢字語の概念の差はない。(続)』



とある。特筆すべきは80年代の近隣諸国条項までの70年代に歴史学界では古事記、日本書紀が否定され、すでに「帰化人」から「渡来人」へと修正されていることだ。

「帰化人」という語には、日本中心的な意味合いを含むなどとされてから不適切な用語であるとされ、金達寿や上田正昭らにより「渡来人」の呼称が提唱され、学界の主流となってしまった。

つまり、日本の歴史でありながら日本中心で表現してはならないという行きすぎた反省が過度に自虐的歴史修正を事前準備していた訳だ。

そこへ来ての教科書誤報事件、近隣諸国条項は綿密に計画された一連の流れであることと認識せずにはいられない。

しかも、日本側での修正の歴史観をオウム返しして日本へ諭すように発信しているのである。

ここでの修正の経緯と効果をもう一度簡略化して説明する。


東アジアで強い影響力を持つ帝国であり軍国主義国であった高句麗が668年唐と新羅の連合軍によって滅ぼされた。今でいう難民であり、自分の意思で渡航したとはとても思えない。帰化人の意味として、自国中心だとか、現在の在日朝鮮人の帰化のイメージと干渉する意見から渡来人を使う方向にある。

敗戦と家永三郎の影響がこのような歴史修正に色濃く反映しているのだ。

今回の違和感はこれだけではない、天皇陛下を日王と表現し、歴代初などと騒ぎ立てているが、祭祀の一環として伊勢神宮に参拝するのとは訳が違い、あくまでもプライベートであることを忘れてはならない。

以上のように、歴史修正は用いられる歴史用語や言葉にまでポリコレが進行し、現代の価値基準や判断で自国の歴史であるにもかかわらず自国中心であってはならないとのハンデを背負い歴史戦を戦わねばならないのである。

相手側は、それも日本人によつて周到に準備された歴史のトラップをいくつも保持しつつ慰安婦や徴用工、震災デマ虐殺等の歴史戦で迫ってくるのである。

知らないでは済まされないところまで来ている。





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