天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

山崎雅弘の侵略

2020-10-11 01:34:00 | 解説





以前の記事『「侵略」北原発言を捏造する新聞とデマ崎雅弘』で取り上げた山崎雅弘氏のツイートを今一度取り上げて以前より詳細な解説を加えたい。

『歴史を見る目歪める「北岡発言」 埼玉大学名誉教授・長谷川三千子(産経)首相とその周辺による「侵略の定義は定まっていない」という論法で、戦中の日本による周辺諸国への侵略行為を正当化するレトリックの典型。もっともらしい詭弁を展開している。
長谷川三千子氏は、侵略の定義として外交分野における「アグレッション」のみを取り上げ、戦勝国と敗戦国、つまり大国同士の関係性の中でのみ存在する概念であるかのように、受け手をミスリードしている。戦勝国にも侵略的行動があったのだから、敗戦国の侵略だけ問題視するのはおかしい、と誘導する。

しかし現実には、軍事力を用いて他国の主権を侵害し、相手国の領土や資源を自国のものとする社会的現象を指す言葉として「インベージョン(Invasion)」があり、一般的に「侵略」の意味としてはこちらの方が多く用いられる。「アグレッション」だけで侵略を定義するのは、詭弁術に他ならない。
「インベージョン」の使用例。英ガーディアン紙と英インデペンデント紙は、昨年3月の記事の見出しで、当時まだウクライナの支配下だった、クリミア半島に対するロシアの(「自警団」に擬装した)露骨な軍事的介入を「インベージョン」と表現していた。
外交分野における「アグレッション」の議論は、主に「他国を侵略する能力のある大国間の問題」として行われるが、「インベージョン」は他国に「侵略される側の視点」も含んでいる。首相周辺は巧妙に、先の戦争における日本軍の侵略についての議論で後者の視点を排し、前者だけに限定しようとしている。
侵略の定義として外交分野における「アグレッション」のみを取り上げ、「侵略」という概念の定義は実はあやふやで、戦中の日本にこれを適用するのは正しくない、という一見もっともらしい詭弁を展開する本は、書店にも多く並んでいる。そうした本はどれも「日本に侵略された側の視点」が欠落している。
長谷川三千子「なぜなら『侵略戦争』という概念そのものが極めていい加減に成り立ったものであって、今に至るまできちんとした定義づけがなされたためしはないからなのです」「つまり、『侵略』という言葉は、戦争の勝者が敗者に対して自らの要求を正当化するために負わせる罪のレッテルとして登場し
今もその本質は変わっていないというわけなのです」この論理展開が示す通り、長谷川三千子氏の「侵略の定義」についての論考には、「日本に侵略された側の視点」が完全に欠落している。それどころか、「侵略」という言葉を使うことは「国際社会において、『法の支配』ではなく『力の支配』を肯定し、国家の敵対関係をいつまでも継続させるような概念」であるから「決して使ってはならない」と論理をねじ曲げ、北岡伸一氏を「本来の学識者としての良識を発揮していただきたい」と侮辱している。詭弁に詭弁を重ねて日本の戦争責任回避を図る長谷川氏に「学識者としての良識」はあるのか。』


以前の論評】
恐らく長谷川三千子教授はこんなツイートなど見てもいないだろうし、目にしても反論したり、取り上げはしないだろう。しかしながらこのままデマ崎の暴論を捨て置くことは長谷川ファンとして収まりがつかないのでブログ化した。
デマ崎の文章には「詭弁」との言葉を多用している。
「詭弁」とは道理に合わない、言いくるめの議論、ごまかしの議論のことであり、論理学で相手の思考の混乱や感情につけ入って相手をだます、見掛け上は正しそうな、虚偽の推論のことであり、デマ崎氏は大分混乱が伺え感情につけ入られているようだ。
日本人の殆んどが英訳と聞いただけでたじろぐ中
アグレッションやインベージョンと聞いてもサッパリである。デマ崎氏はインベージョンも侵略の意味合いで使われるとするが、通常はアグレッションを「侵略」、インベージョンを「侵攻」と訳すだろう。
つまりデマ崎氏は「侵略の定義」が定まっていないの論法を単なる言葉遊びと解して混乱し感情的につけ入られた訳なのである。
長谷川教授は戦勝国史観、東京裁判史観は戦勝国、つまり米国の定義付けした「侵略」のままの歴史観は問題がある。と言いたいのだが、それをデマ崎氏は侵略を正当化するレトリックの典型と変換して貶めているのであり、詭弁であるとまで言っている。
要するに戦勝国の歴史観を正当化して、その例題にまた戦勝国の言葉の解釈を加えているのだ。
とどのつまり「侵略された側の視点」の欠落を言いたいのであるが、中国も戦勝国であり、侵略された側の視点で日本は戦後、戦争の反省として中韓にどれだけのことをしてきたか、がデマ崎氏には欠落しており、侵略された側の視点とはそのまま日本の視点に等しいことも言おうとはしない。
実は連発しているが、詭弁をたれているのはデマ崎氏であり、『日本が侵略した』という一文で思考が混乱し感情的に付け入る隙を戦後の日本は許してきたのである。
大日本帝國が侵略戦争をして、悪い戦争をして、たくさんの中国人を殺して、誠に申し訳ないということが米国が日本に言わせた詭弁だからである。つまり、長谷川教授の「侵略」という言葉を使うことは「国際社会において、『法の支配』ではなく『力の支配』を肯定し、国家の敵対関係をいつまでも継続させるような概念」であるから「決して使ってはならない」との正論を北岡氏に投げかけている行為を「学者としての良識」はあるのかと締めくくるが、デマ崎氏や共産党員に日本人としての良識は欠片も残っていないに違いない。

今回の解説】
今回はインベージョンとアグレッションの言葉の意味から解説したいと思う。

【invasion】
名詞不可算名詞 [具体的には 可算名詞]
1侵入、侵略
用例
  • make an invasion upon… …に侵入する, …を襲う

2権利などの侵害 〔of〕.
用例
  • invasion of privacy プライバシーの侵害


【aggression】
名詞不可算名詞 [具体的には 可算名詞]
用例
  • an act of aggression 侵略行為


インベージョンはインベーダーの『他国からの移民者』の意味合いが強く、アグレッションはアグレッシブの積極的、攻撃的な意味合いが強く侵略は通常『アグレッション』を使う。

山崎は『「侵略の定義は定まっていない」の論法で日本による周辺諸国への侵略行為を正当化するレトリックの典型とまで誇張しているが、現在では侵略の定義は定まっており、政府見解はこの定義付けに法的拘束力が欠落していることから「定まっていない」との表現を長谷川教授は敢えて使っているのであり、侵略行為を正当化するなど微塵も考えていない。

つまり、これが山崎の詭弁なのである。『日本に侵略された側の視点が完全に欠落』が言いたいが為にこじ付けのような『侵略の訳』を使いズレた視点で【日本が侵略した】と確定させたいだけなのだ。

『侵略という言葉は、戦争の勝者が敗者に対して自らの要求を正当化するために負わせる罪のレッテルとして登場し、今もその本質は変わっていない』という長谷川教授の力の支配である東京裁判史観こそが未だに日本の国益を毀損している、その本質が【日本が侵略戦争をした】
という中韓の日本に侵略されてもいない側の被害者的視点をこじ付け捏造したい『反日左翼共産主義的日本人山崎雅弘』の詭弁でしかない。


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
山崎氏の方がミスリードですわな。 (南京渋多(プロテスティア))
2020-10-14 14:48:59
国際連盟と国際連合とは、国際法の協定の違いもありますし、報道と国家とは「表現」がまた違うと考えますからな。
【法治主義】を理解されてないと考えますな。
おそらくは、【国際法】と【国内法】についての区別と理解ができていないのではないかと考えますな。

コメントを投稿