たまたま目にした2019年という若干古い記事を解説したいと思う。

では皆さまもご一読ください。





「靖国」への昭和天皇の「うれひ」を素通りした朝日新聞の元日スクープ


[ロンドン発]昭和天皇が晩年の1985(昭和60)年ごろから病に伏す88(昭和63)年秋までに、御製(ぎょせい、和歌)を推敲される際に使ったとみられる原稿29枚が見つかったと朝日新聞が元日の1面トップでスクープしました。

宮内庁侍従職編の歌集や宮内庁の「昭和天皇実録」に掲載済みの計870首のうち推敲段階とみられる41首、そのほか未掲載の211首が含まれています。「まとまった状態で直筆の文書が公になるのは初めて」(朝日新聞)で、興味深く記事を読みました。

鉛筆を短くなるまで使われた昭和天皇直筆のご推敲には人間味があふれ、深い親しみを覚えました。英国王ジョージ6世(1895~1952年)と吃音の治療にあたった言語療法士の友情を描いた英映画『英国王のスピーチ』を思い浮かべました。

この年のこの日にもまた靖国の みやしろのことにうれひはふかし

しかし、首相の靖国神社参拝に反対してきた朝日新聞が「この年のこの日にもまた靖国の みやしろのことにうれひはふかし」という一首を素通りしたことに首をひねりました。

デジタル版の写真には掲載されているのですが、検索しても該当する記事が出てきません。筆者の見落としでしょうか。

平成最後の元日に靖国論争を再燃させるのを避けたかったのか。それとも、この一首については論じ尽くされていて、新しみがないという判断だったのか――。

「靖国」の御製は2014年9月に公開された『昭和天皇実録』の中で86(昭和61)年8月15日の終戦記念日にも収められています。

前年の85(昭和60)年8月15日、「戦後政治の総決算」を掲げる中曽根康弘首相が靖国神社を公式参拝します。しかし、中国に配慮して翌年から参拝を取りやめます。御製は首相の靖国神社参拝を巡る喧騒の中で、歌われたものです。

昭和天皇は戦後、75(昭和50)年11月まで計8回靖国神社に参られていますが、78(昭和53)年に靖国神社独自の判断でA級戦犯が合祀されたあとは参拝を控えられるようになりました。


今年の此の日にも又靖国の やしろのことに(て)うれひはふかし(うれはしきかな)

今回見つかった原稿には次のように記されています。

今年も八月15日に靖国神社の問題起る。

今年の此の日にも又靖国の

やしろのことに(て)うれひはふかし(うれはしきかな)。

「今年の」が「この年の」に

「やしろのことに(て)」が「みやしろのことに」に

「うれひはふかし(うれはしきかな)」が「うれひはふかし」に改められていたことが分かります。

07年8月4日付の東京新聞に、昭和天皇の作歌指南役を務めた宮内庁御用掛の岡野弘彦氏が86(昭和61)年秋ごろ、故徳川義寛元侍従長から聞いた話として次のようなエピソードが紹介されています。

岡野氏が「うれひ」の内容を尋ねると、徳川元侍従長がA級戦犯合祀に言及。「お上(昭和天皇)はA級戦犯合祀に反対の考えを持っておられた。理由は二つある」と切り出した。

その上で「一つは(靖国神社は)国のために戦に臨んで戦死した人々のみ霊を鎮める社であるのにそのご祭神の性格が変わるとお思いになっておられる」と説明。さらに「戦争に関係した国と将来、深い禍根を残すことになるとのお考え」と明言したという。

元侍従長は「こうした『うれひ』をはっきりお歌になさっては差し障りがあるので少し婉曲(えんきょく)にしていただいた」と話したという。

14年9月9日付の北海道新聞にも岡野氏はこう語っています。

86(昭和60)年秋、徳川氏が持参した中にこの歌を見つけた岡野氏は、その内容にはっとした。聞くと、A級戦犯合祀への憂いという。そうであるとして、上の2句がどうもこなれていない。

「そのことを言うと、徳川さんは『当初の陛下の歌では、合祀への不快感の表現が直接的にすぎていたので、入江さん(故入江相政侍従長)と私が陛下に申し上げて、このようになったのです』と言われ、私は納得した。昭和天皇は『合祀は将来に禍根を残す』と言われたという。それが記憶に残っている」

昭和天皇実録は、88(昭和63)年4月28日に、昭和天皇が吹上御所で富田朝彦宮内庁長官(故人)にお会いになられた際に「靖国神社におけるいわゆるA 級戦犯の合祀(天皇自身の)ご参拝について述べられた」と、「富田メモ」に触れています。

富田メモには「或(あ)る時に、A級が合祀され(略)私あれ以来参拝していない それが私の心だ」と記されていました。

筆者は「みやしろ」というお言葉に天皇と靖国神社のつながりと、「うれはしきかな」ではなく「うれひはふかし」という表現を選ばれたところに、平和を思う昭和天皇のお気持ちを感じました。

平成の30年余が間もなく幕を下ろしますが、新しい時代も平和が続くことを祈らずにはいられませんでした。

(おわり)