天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

スケープゴート

2018-08-30 19:45:32 | 歴史




ナチスが行ったホロコーストは、ユダヤ人をスケープゴートの対象としたものであることが挙げられるが生贄や身代わりといった、聖書由来の言葉である。

奇しくも我々日本人は広い意味で先の大戦と狭義では南京事件にスケープゴートとして戦犯が存在した。

戦争を行う当事国両方に大義が存在するように日本もアジアの解放、自存自衛、人種差別撤廃などの大義が存在した。

百人斬り競争と呼ばれ、軍刀で敵を斬る競争(フィクション)で2名の日本兵が戦意高揚、戦力鼓舞の名の下に新聞で大々的に報じられ、敗戦と同時に南京事件の戦犯として処刑された。

冤罪であることを薄々気づいていながら彼等を守ることもしなかった日本人は文字通り身代わり、生贄として戦勝国に差し出したのである。

その汚名を雪ぐ為の裁判が向井少尉の娘さんらと稲田朋美弁護士によって行われた。以下毎日、朝日、産経の裁判結果の記事をコピペする。

【毎日】
1937年に中国兵の「百人斬(ぎ)り競争」をしたと報じられ、戦後に処刑された旧日本軍将校2人の遺族が「虚偽の報道で名誉を傷つけられた」として、毎日新聞社と朝日新聞社、柏書房、ジャーナリストの本多勝一氏に計3600万円の損害賠償などを求めた訴訟で、東京地裁(土肥章大裁判長)は23日、原告の請求を棄却した。
 判決などによると、東京日日新聞(現毎日新聞)は37年11~12月、南京へ向かう途中に2人が競って中国兵を切り倒す「百人斬り」をしたと報道。本多氏は朝日新聞社発行の著書「中国の旅」(81年)や柏書房から発行した共著「南京大虐殺否定論13のウソ」(99年)などで「百人斬り」に言及した。原告は「戦意高揚のため創作された虚偽の記事や記載で、遺族として名誉を傷つけられた」と主張していた。
 土肥裁判長は、記事は2人が記者に「百人斬り」の話をしたことが契機となっていることや、百人斬りの真否が歴史的事実として定まっていないことなどから「虚偽であるとまでは認められない」と判断。さらに、毎日新聞社については、提訴が記事掲載から20年を超えていることから、損害賠償請求権が消滅する除斥期間を経過したと認定した

【朝日】
旧日本軍の将校2人が戦時中の1937年に中国で「百人斬(ぎ)り競争」をしたとする当時の新聞報道や、のちにこの問題を扱った書籍をめぐり、遺族が「虚偽の事実を書かれ、名誉を傷つけられた」などとして、朝日、毎日両新聞社と本多勝一・元朝日新聞記者らを相手に出版差し止めや謝罪広告の掲載、計3600万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が23日、東京地裁であった。土肥章大(どい・あきお)裁判長は請求をすべて棄却した。
 当時少尉だった将校2人の遺族が03年4月に提訴。37年当時、両少尉が中国兵を日本刀で殺害した人数を競う「百人斬り競争」をしたと報じた東京日日新聞(現・毎日新聞)の記事と、本多氏が執筆し、朝日新聞社が出版した書籍「中国の旅」と「南京への道」の記述などを問題とした。
 原告側の「死者への敬愛追慕の情を侵害した」との主張について、判決は「表現行為が違法となるのは『一見して明白に虚偽』である場合」との基準を示したうえで、記事は「両少尉が記者に百人斬り競争の話をしたことがきっかけで掲載された」などと認定。「本多氏が論拠とした関係者の著述なども一概に虚偽とは言えない」などとして、書籍の記述が「一見して明白に虚偽だとはいえない」と判断した。
 原告側の「死者や遺族の名誉を棄損した」との主張についても、「死亡によって名誉などの人格権は消滅する」「記述は遺族の生活状況などについて言及していない」などとして退けた。
 


【産経】
いくら表現の自由があるといっても、あり得ない事実を報道することがジャーナリストとして許されるのか」。「百人斬り」の責任を問われて処刑された向井敏明少尉の二女、田所千恵子さん(64)=千葉県成田市=は二十三日、謝罪広告掲載などの請求が棄却された判決後の会見で、憤りを語った。
 田所さんは会見で「『百人斬り』はなかったと確信している。明確にされなかったことが残念」と苦渋の表情。ただ「多くの激励でここまできた。感謝です」と前向きな姿勢をみせた。
 田所さんは、父の遺言状を持参して判決に臨んだ。「私の事は世界も正しく見てくれる日も来ます。世間様にも正しく知らせて下さい」-。中国の獄中から家族にあてられたもので、B4判のわら半紙に十五枚、家族への思いがつづられている。「父の願いを果たすことができず残念です」と唇をかんだ。
 田所さんは中学時代に「戦犯の子」と呼ばれるなど、苦痛を受けてきた。ただ、「百人斬り」もいつかは忘れ去られるだろうという淡い期待があった。
 だが昭和四十六年、本多勝一氏が朝日新聞の連載で紹介すると、定期的にメディアなどで取り上げられるように。百人斬りを事実とする出版物も刊行され、「史実」として授業に取り上げる学校も出てきたという。
 消え去るどころか、ますますクローズアップされる父の汚名。「職場でも、みんな腫れ物に触るように私に接するようになった」。そんな中、無念を晴らすのが娘の使命だと思い、今回の訴訟に踏み切った。
 判決では主張が認められなかったが、「まだ先がある」と気を取り直す。「日本が戦時中に中国で行ったとされる“蛮行”がどれほど間違いなのか、明らかにしなくては」。訴訟でも控訴する方針で、父の汚名をはらすつもりだ。

≪同僚カメラマン「作り話」を証言 疑問残る事実認定≫
 南京攻略の際に二人の旧日本陸軍将校が「百人斬り」を競ったとする報道が争われた訴訟で、東京地裁の判決は、「当時の記述が明白に虚偽とはいえない」としたが、「百人斬り」が極めて疑わしいことは多くの識者が指摘してきた。
 南京攻略戦は銃撃戦が主で、日本刀による“殺人ゲーム”は起こり得なかったとされる。また、野田毅少尉は大隊副官、向井敏明少尉は歩兵砲小隊長で、白兵戦に参加することはあり得ず、日本刀で百人斬ることも不可能とされている。
 両少尉は戦後の南京軍事法廷にかけられ、一貫して無実を訴えた。両少尉の弁護を行った中国人弁護士は、東京日日新聞記者が「この記事は、記者が実際に目撃したものではない」と明言していることや、その他の目撃者、遺体などの証拠が皆無であることを主張したが、法廷は新聞記事を唯一の証拠に銃殺刑を言い渡した。
 これに疑問を持ったノンフィクション作家の鈴木明氏は「『南京大虐殺』のまぼろし」で克明な検証の結果、冤罪(えんざい)を指摘し、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。
 記事を書いた東京日日新聞の記者は死去したが、同僚カメラマンは産経新聞の取材などに「あれは戦意高揚のための作り話だった」と明らかにし、今回の訴訟でも高齢をおして同様の証言を行っている。

百人斬りの遺書 南京の真実

2018-08-30 16:19:39 | まとめ・資料





野田毅


何卒犬死たらしめない様に

此の度中国法廷各位、弁護士、国防部の各位、蒋主席の方々を煩はしました事は厚く御礼申し上げます。
 只俘虜非戦闘員の虐殺、南京虐殺事件の罪名は絶対にお受け出来ません。お断り致します。
 死を賜りました事に就ては天なりと観じ命なり諦め、日本男児の最後の如何なるものであるかをお見せ致します。
 今後は我々を最後として我々の生命を以て残余の戦犯嫌疑者の公正なる裁判に代えられん事をお願ひ致します。
 宣伝や政策的意味を以て死刑を判決したり、而目を以て感惰的に判決したり、或は抗戦八年の恨みを晴さんが為、一方的裁判をしたりされない様祈願致します。
 我々は死刑を執行されて雨花台に散りましても、貴国を怨むものではありません。我々の死が中国と日本の楔となり、両国の提携となり、東洋平和の人柱となり、ひいては世界平和が到来することを喜ぶものであります。
何卒我々の死を犬死、徒死たらしめない様、これだけを祈願致します。
 中 国 万 歳 
 日 本 万 歳
 天皇陛下万歳

                       陸軍少尉野田毅

 野田少尉
 昭和二十三年一月二十八日、南京で法務死。鹿児島県肝属郡旧代村出身、三十九歳





向 井 敏 明
                       

時世
 我は天地神明に誓い捕虜住民を殺害せる事全然なし。南京虐殺事件等の罪は絶対に受けません。死は天命と思い日本男子として立派に中国の土になります。然れ共魂は大八州島に帰ります。
 我が死を以て中国抗戦8年の苦杯の遺恨流れ去り日華親善、東洋平和の因ともなれば捨て石となり幸ひです。
 中国の奮闘を祈る 
 日本の敢奮を祈る

 中国万歳
 日本万歳
 天皇陛下万歳
死して護国の鬼となります。
12月31日 10時 記す                                             向 井 敏 明



遺書
 母上様不幸先立つ身如何とも仕方なし。努力の限りを尽くしましたが我々の誠を見る正しい人は無い様です。恐ろしい国です。
 野田君が、新聞記者に言つたことが記事になり死の道づれに大家族の本柱を失はしめました事を伏して御詫びすると申伝え下さい、との事です。何れが悪いのでもありません。人が集つて語れば冗談も出るのは当然の事です。私も野田様の方に御詫びして置きました。
 公平な人が記事を見れば明かに戦闘行為であります。犯罪ではありません。記事が正しければ報道せられまして賞讃されます。書いてあるものに悪い事は無いのですが頭からの曲解です。浅海さんも悪いのでは決してありません。我々の為に賞揚してくれた人です。日本人に悪い人はありません。我々の事に関しては浅海、富山両氏より証明が来ましたが、公判に間に合いませんでした。然し間に合つたところで無効でしたろう。直ちに証明書に基いて上訴しましたが採用しないのを見ても判然とします。富山隊長の証明書は真実で嬉しかつたです。厚く御礼を申上げて下さい。浅海氏のも本当の証明でしたが一ヶ条だけ誤解をすればとれるし正しく見れば何でもないのですがこの一ヶ条(一項)が随分気に掛りました。勿論死を覚悟はして居りますものゝ、人情でした。浅海様にも御礼申して下さい。今となつては未練もありません。富山、浅海御両人様に厚く感謝して居ります。富山様の文字は懐かしさが先立ち氏の人格が感じられかつて正しかつた行動の数々を野田君と共に泣いて語りました。

猛の苦労の程が目に浮び、心配をかけました。苦労したでせう。済まないと思います。肉親の弟とは云い乍ら父の遺言通り仲よく最後まで助けて呉れました。決して恩は忘れません。母上からも礼を言つて下さい。猛は正しい良い男でした。兄は嬉しいです。今回でも猛の苦労は決して水泡ではありません。中国の人が証明も猛の手紙も見たのです。これ以上の事は最早天命です。神に召さるゝのであります。人間のすることではありますまい。母の御胸に帰れます。今はそれが唯一の喜びです。不幸の数々を重ねて御不自由の御身老体に加え孫2人の育成の重荷を負せまして不孝これ以上のものはありません。残念に存じます。何卒此の罪御赦し下さい。必ず他界より御護りいたします。二女が不孝を致しますときは仏前に座らせて言い聞かせて下さい。父の分まで孝行するようにと。体に充分注意して無理をされず永く
生きて下さい。必ずや楽しい時も参ります。それを信じて安静に送つて下さい。猛が唯一人残りました。共に楽しく暮して下さい。母及び二女を頼みましたから相当苦労する事は明らかですからなぐさめ優しく励ましてやつて下さい。いせ子にも済まないと思います。礼を言つて下さい。皆に迷惑を及ぼします。此上は互いに相助けていつて下さい。千重子が復籍致しましても私の妻に変りありませんから励まし合つて下さい。正義も二女もある事ですから見てやつて下さい。女手一つで成し遂げる様私の妻たる如く指導して下さい。可哀想に之も急に重荷を負わされ力抜けのした事、現実的に精神的に打撃を受け直ちに生きる為に収入の道も拓かねばなりますまい。乳呑子もあつてみれば誠にあわれそのもの生地獄です。奮闘努力励ましてやつて下さい。恵美子、八重子を可愛がつて良き女性にしてやつて下さい。ひがませないで正しく歩まして両親無き子です。早く手に仕事のつくものを学ばせてやつて下さい。入費の関係もありますので無理には申しません。猛とも本人等とも相談して下さい。

 母上様敏明は逝きます迄呼んで居ります。何と言つても一番母がよい。次が妻子でしょう。お母さんと呼ぶ毎にはつきりとお姿が浮かんで来ます。子供等も家も浮んで来ます。ありし日の事柄もなつかしく映つて
来ます。母上の一生は苦労心痛をかけ不孝の連続でたまらないものを感じます。赦して下さい。私の事は世間様にも正しさを知つていたゞく日も来ます。母上様も早くこの悲劇を忘れて幸福に明るく暮らして下さい。心を沈めたり泣いたりぐちを言わないで再起して面白く過ごして下さい。母の御胸に帰ります。我が子が帰つたと抱いてやつて下さい。葬儀も簡単にして下さい。常に母のそばにいて御多幸を祈り護ります。御先に参り不孝の罪くれぐれも御赦し下さい。石原莞爾様に南京に於て田中軍吉氏野田君と3名で散る由を伝達して生前の御高配を感謝していたと御伝へ願います。

日記の中より
 今日31日執行せられると言ふ朝は何一つとして頭心慾と言ふべきものは無かつた。然し之も正確には言へない弱さがある。血の流れある限りとも言ふべし。立派に武人らしく斃れよう安らかに我家に還らんと服装を正して待つた。思つたより平静で居られたのは不思議でならない。時間の経つのも長い様にも短い様にも思つた。正確には判断が出来ない。合掌をして居たと言ふ事より記憶がない。唯日常より真剣に合掌が出来たと言ふ満足があるのみで陽が西に廻つて来た頃今日はもう無いよと野田君が言ふと田中氏が奇蹟現出だ、我々は助かると喜びの声が震えて壁に打ち当つて聞える。突然生への愛着を覚えて来た。空腹を感じる。今朝向ふの人に渡した味噌が欲しくなつて来た。生きていると美味い煙草だと田中氏が笑つて呼びかけて来た。本当だ、自分も同調、明日は正月だ、3日間は大丈夫と言い合つたら各々御馳走が来るだろうと楽しみにした。楽しみつゝ早寝した。精神的の疲れとでも言おうか追ひ込まれるような眠たさだ。何時か誰かに聞いたが死ぬ前は馬鹿にねむたいと言ふ事を思ひ出した。或はそうかなとも思ひうとうとする。

 元旦、気が抜けた。未だ奥歯に物の在る元旦で限られた3日正月の様に淋しい感じがする。声を張り上げて君が代を唱つた。野田君の部屋からも聞えて来た。念仏を暁方から始めて居たが念仏を念ずるときが一番幸福だと感じた。君が代を唱つて番兵に階上に上官が寝て居るので静かにせよと注意される。やつぱり念仏に限る楽しさが増して来る。朝食前マンヂウが5ヶ宛来た、万寿とは上々と田中氏喜ぶ。味は全然無いが美味しかつた。2つは本当に呑んだやうだつた。料理が十時頃来たが獄舎で作つたとの事。80万元か90万元の料理だと言つて居たが成程とうなづけるものばかりだ。碗一杯と小皿一杯ではあつたが3人喜んで喰ふ。生きて居ないと駄目だよ、マンジウも喰はないで供えて貰ふところだつたねと、田中氏のにこにこ笑う顔が見える様だ。満腹すれば寝正月より他になし。29日、30日夜寝ずに遺書を書き念仏を唱えて居たので風邪を引き咳が出て苦しめられる。3日目の今日あたり少々楽になつて来た。3日間喰つては寝るの正月だつた。この3日が人生の一番ゆつたりとした日になるだろう。生きて居れば思い出の日だ。

 昭和23年1月28日、様子が変である。最後の様である。28日午前12時南京雨花台にて散る。
 母上様、妻子元気で幸福に生きて下さい。頑張つて下さい。さようなら。
 母上様御恩の万分の一も尽されず、先立つ不孝を御赦し下さい。孫等のためいついつまでも永生きして下さい。後をたのみます。

 皇室のいや栄を護り奉る
 天皇陛下 万歳
 日本国  万歳
 平和日本の再建
国民一同の御奮闘を祈る  
 誓つて国家を護り奉る 


千葉県。元陸軍少佐。昭和23年1月20日                                         南京に於て銃殺刑。36歳

藤原敏史(本人?)からのコメントとお返事

2018-08-26 16:53:12 | コメント




・コメントが届いた記事
『山崎雅弘、藤原敏史、小林よしのり』

・コメントを書いた人
藤原敏史

・タイトル
法的処置

・コメント
これってやっぱり名誉毀損で訴えるべきでしょうか?


二年近く前のブログを読んで下さり、コメントまで入れてもらって誠に感謝しております。さて、名誉毀損とのご質問ですが当記事のどの辺りが藤原氏の癇に障ったのでしょうか?3名を並べて表記した事でしょうか?それとも火炎瓶男の異名でしょうか。ご返事頂ければ記事の藤原氏の部分は丸ごとカット若くは仮名に差し替えさせて頂きます。

秋篠宮親王殿下の御発言をどう捉えるか

2018-08-26 12:58:54 | 時事
大嘗祭「公費支出避けるべきでは」秋篠宮さまが懸念と毎日新聞が報じた。

これをどう捉えるべきか?

ネット上には秋篠宮親王殿下に対する批判が殊の外多いことが目に着くが論外である。つまり、批判すれば毎日新聞の思う壺である。

正しい日本人としての解釈を始めに書くが、非常にこの論外な意見に紙一重なところがある。つまり、秋篠宮親王殿下は「公費支出を避けよ」と仰せであり、国民との乖離をお気に掛けていらっしゃるのだ。

ここで日本人として思い浮かべなければならないのが『民の竈』であろう。

果たしてそこまで現代日本人が慮れるかどうかが疑わしいのだが、殿下は国民の事をお考えになった上での御発言であり、結局は墓の問題と同一である。

質素、簡素化を言われているのであり、我々は「なりません」と皇室の繁栄を思うことが当然だろう。

レイシズムとジェノサイド

2018-08-25 06:43:29 | 時事
この2つの言葉を同時に使った女性がいる。
辛淑玉だ

在日朝鮮人3世の人材育成コンサルタント。、フリーライター、政治活動家。のりこえねっと共同代表、TRAI東京代表。先住民族アイヌの権利回復を求める署名呼びかけ人。2017年12月1日、ハインリッヒ・ハイネ大学デュッセルドルフ日本研究所にて客員研究員。2018年からドイツに移住。
年齢 59歳


レイシズムとは人種主義、つまりは人種差別のことである。このMXのおっさんは深々とこうべを垂れてるが、「すみません、すみません」と連呼する辛淑玉はさしずめこのおっさんからジェノサイドされると言わんばかりに怯える羊を演じているのだろう。

つまり、このおっさんに自らが受けたか否か解りづらい被害の加害者へと仕立て上げる為の芝居である。

ジェノサイドとは虐殺を意味する。

ドイツに移住とあるが、これもある意味ジェノサイドから逃げるという程のアピールにも映る。

したがって、このおっさんがザ・日本人の代表であり、同じアジア人であるにもかかわらず、欧風人種差別からヒントを得てレイシズムとジェノサイドを自分が受けているとの妄想からの活動となる。


百歩譲って在日朝鮮人に対する差別があるとしてこの様な活動が差別や偏見を無くすとは到底考えられない。寧ろ日本に住む在日朝鮮人の方々への偏見を煽っているとしか思えないのである。