天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

靖國本質論

2015-10-29 17:19:52 | 政治
【1】はじめに
【2】正義とは
【3】靖國の敵
【4】靖國の本質
【5】終わりに





【1】はじめに

(太平洋戦争)大東亜戦争終戦後の東京裁判についてです。所謂A級戦犯と呼ばれる方々がこの戦争を始めた「平和(人道)に対する罪?」で犯罪者となり7人が有罪となり処刑されました。

「事後法」とは適法であった行為に対して、のちになって刑事責任を問うことを定める法令を作り裁くことで世界的に禁止されています。

この禁止行為が公然と無視された裁判がニュールンベルクと東京裁判です。

ドイツに対してヒトラーからの解放とユダヤ人虐殺を止めたいうたてまえが「事後法」やむなしの判断を正当化したのです。

米国はドイツのようにヒトラーと上層部を裁き独裁体制から国民を救った英雄となり日本に対しても同じ様に裁けると高を括っていたのです。

西と東に分断されたものの独裁体制から解放された国民となり、ユダヤ人に対する偏見を徹底して排除する国となりました。

かたや、日本も東條英機等ヒトラー級戦犯を決め裁いたのです。ご存知のように決して日本は独裁体制ではありませんし、ユダヤ人を迫害した訳でもありません。

国民全体で一丸となって戦争に敗れた日本は國體を保つ条件でポツダム宣言を受け入れ降伏したのです。

つまりこの東京裁判は敗戦直後の形だけの儀式化した復讐劇だったのです。戦犯全員が無罪を主張しても正当に裁かれることなく、認めらず日本国民からすれば、負けた責任を押し付けた生贄となったのです。

こんな東京裁判を受け入れるかたちで講和をして安保体制を確立し、主権を回復し、そして日本は後ろを振り返る事なく昭和史の後半を懸命に歩んできたのです。

70年の月日は日本がかつてアメリカと戦争したことなどすら霞んで見えなくなる程に日本は発展しました。

しかしながら米軍の基地はマンション、戸建の住宅の手狭さをよそに広々と広大な敷地を以前として確保しています。明らかにその駐屯は平和維持の為の抑止力として未だに機能しているのです。

70年間戦争という言葉にあまりに無頓着になった日本人は国防、自衛隊を無用の長物としてあまりに鈍感となり、利己的になってしまったのでしょう。

北方領土や竹島を取られている事、尖閣に中国船が入ってきてもまだその問題性に気付くことなく、気付いていても見ないようにしてきました。

これも全て戦後の占領政策による必要以上の反省と自虐史観の教育の賜物なのでしょう。

言って見れば現在の日本は東京裁判史観を後ろ盾に戦争した戦犯だけがヒトラーでそれに口を噤んで講話条約を守って米国の安全保障に依存する属国状態にも何も感じないように装った社会であるとも言えるのです。

今更ながら何故東京裁判なのか?
米軍を追い出し、自国の軍隊を強化してアメリカ相手に再戦でもするのか?
そんなはずはありません。

安倍政権も右傾化や戦争法案などとレッテルを貼られ米中韓の靖国に対する反応を利用して安倍おろしに枚挙に暇がありません。

安倍総理だけではなく靖國神社も同じ勢力から攻撃されています。

その貶めは様々な種類に細分化されセットでも批判されるのです。

今回の靖國論はこの靖國と安倍政権の敵を明確化する事で日本における外圧と内圧を理解し、東京裁判と靖國神社の関係性、重要性を再認識し、

日本人がどんなに時が経ち変質しようとも靖國神社だけは変わらず大切に護持せねばならない事を再確認して頂くために書きました。




【2】正義とは

正義という言葉の意味は社会における物および人に関する固有の秩序です。

ジョン・ロールズは次のように述べています。

「正義とは、思想体系が真であることとしての、社会制度の根本的な徳である」。

徳とは均整のとれた精神の在り方を指すものであり、天分、社会的経験や道徳的訓練によって獲得し、善き人間の特質となるものです。

つまり、日本の伝統、神道、神国日本の思想体系を真と定めればそれによって構築された明治政府からの天皇陛下を国家元首とする社会制度の根本的な道徳観念こそが正義であると言えるのです。

しかしながらこれは日本の正義であって、全世界の国と国共有の、或いは一国の中に多数の正義が
存在することもあるでしょう。

要するに戦争は正義と正義のぶつかり合いであって、敗者の正義が潰されるものでも間違っていたものでもないのです。

果たして米国に正義があったのでしょうか、ドイツとの比較、東京裁判を検証することで戦争を正義で論ずることがあまりに無力、空虚であるのです。

つまり正義と正義がぶつかり負けた時点で正義によって多大なる損害と戦没者が発生します。

敗戦国はその正義が間違っていたので新たな正義の構築を余儀なくされるのです。

ドイツはその正義がヒトラーであったので残された国民は新たな正義、ユダヤ人への迫害とホロコーストを否定することが罪であるとする正義を構築したのです。

日本が選択した正義は戦力を保持せず諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意したのです。

その結果どうでしょう世界の独立国が保持する軍隊をもたず、国防を米国に丸投げです。軍国主義をヒトラーとしたために未だに、憲法さえ変えられず、自衛隊は違憲状態、米軍基地だらけ、郵政民営化、TPPは断れず、農協は解体寸前です。

中韓の歴史認識問題、北の拉致被害者は未解決、領土は奪われ、国防さえ自国では不完全なのです。

これら全ては東京裁判史観の後ろ盾で米国の属国状態のような半独立国に起因するのです。


【3】靖國の敵

靖国問題とはまるで靖國に何か問題があるかのような言い回しですが、その最たるものはやはり所謂戦犯合祀となるでしょう。

靖國の敵はこの合祀に問題があるとする者達、分祀論者ということになります。

ここで注意しなければならないことがあります。

靖國と聞くと右翼をイメージするように左派は70年かけて造り上げてきました。

つまり、靖國神社は戦争神社と危険思想の代名詞として貶められるのと同時にそれがレッテルであると認識されるやいなや戦犯合祀に問題があるという二段階の貶めまで周到に準備されているのです。

更に合祀が問題ならば分祀すれば良い、別の慰霊施設を作れば良いなど三段階の間接的に靖國を貶め、最終的には靖國を擁護する右翼までもが戦犯分祀を主張するのです。

ここで戦犯合祀の何が問題なのかをもう一度振り返ってみたいと思います。

良く言われる事が戦犯は国会決議で赦免されこの戦争にはもはや昭和殉難者はいるが戦犯は存在しないので問題にするのはおかしいとの正論があります。

ところが日本において先の大戦の総括などしていない、未だに東京裁判の判決を守り続けている、
一旦は戦犯から解き放たれたが、遺族に対する冷遇が改善されたのだから戦犯は日本の敗戦責任者だという論も未だに存在するのです。

安倍政権以外の野党や自民党内部にも分祀論者はいるのです。

安倍政権に対しての攻撃はナショナリスト、右傾化、独裁体制、戦争法案などから日本会議、靖國を絡めて宗教的な陰謀論まで発展しています。

国際的観点からも中韓の歴史認識と靖國攻撃、米国の安倍参拝失望発言まで引用し、内政干渉とも言える靖國への視線はしばしば天皇陛下の御親拝中断とセットで引用され、敵の原動力にもなっているのです。

【4】靖國の本質

ようやく本論の結論とも言うべき靖國の本質ですが、最近になって政治学者・白井聡が国際問題や政治的問題としてのみ語られている靖国論争を、

「日本人にとって、日本の歴史において、靖国神社とは何であるのか」という問いを完全に欠いているとして、こんな本質論の書籍を出版したようです。

「靖国神社に世界普遍的な大義が仮に存在するのであれば、どれほど強い非難があろうとも、私人であれ公人であれ、堂々と参拝すればよい。」

「歴史的事実を冷静に追っていけば、靖国神社には世界的な普遍性を主張しうるような大義を見出すことはできない。」

としていささか本論からずれるのですが、靖国問題の本質と靖国の本質を同時に論ずる全く的外れで乱暴なものなのです。

要するに靖国には大義がないので堂々と参拝出来ないと言いたいのでしょう。

では白井氏の言う世界普遍的な大義とはなんでしょう。無いと言うからには「世界平和の為の行い」とでも言いたいのでしょうか。

彼の意図することはこうでしょう。《日本が過去の一時期軍国主義に傾倒し天皇陛下が統帥する軍隊が近隣諸国を侵略、一部植民地支配し多大なる被害をもたらした非道な軍国主義その戦争遂行の為国民までも巻き込み殆どの兵士が無残にも飢え、玉砕を強いられたその精神的支柱である靖国などに何の大義があるというのか?
日本は敗戦の武装解除と同時に軍国主義と決別したのであって世界平和を願う現日本、9条を守る日本こそ当然大義がある。》

私は当然読んでおりませんが想像はつきます。もしお読みになられた方で違うじゃないか!と御立腹の場合はご一報下さい。

ここで靖国神社と私の基本的見解を述べますと、靖國の本質は戦没者を慰霊、鎮魂、顕彰する場。
これ以上でもこれ以下でもない単純で簡単なことです。

もう少し言えば明治からの戦いで戦没した兵士を天皇陛下の名の下に英霊として慰霊、鎮魂、顕彰する神道に基づく施設であります。

明治からの戦で大東亜戦争の戦没者が格段に多くこの後70年間戦争は起きていません。顕彰に関する解釈で、後に問題であるとの声も囁かれますが
なにもこれから戦争をしたり、軍国主義に後戻りしようと考えている訳ではありませし、文民統制において戦争になるなど極めてありえない稚拙な論理です。

それを念頭に置けば参拝者が感謝の気持ちを246万余柱に捧げることは至極当然な行為であり何もカルト的な信者的な発想などそこには皆無なのです。

この戦争遂行の為の神社が現在は死者を悼み平和を願う施設にあくまで参拝者側の意識として機能していると見ればその本質は変化しているでしょう。

戦没者遺族にとっても身内の死を誇りに思うことで悼みが薄らぎ、亡骸亡き者も分け隔て無く祀ることに最大の意味が込められているのです。

ですから靖國としての本質は時代の流れに合わせて変化するものではありませんし、あってはならないのです。

靖國が貶められるのは他に原因があります。靖國だけが変わらずにあること、それは先の大戦は自存自衛の為の正義に基づいた戦いであったという当たり前の事です。

つまり東京裁判を否定していると見られていることです。ここで考えてもらいたいことがあくまでそう見ているのは敗戦した後の一部の日本人であって当然東京裁判を受け入れ軍国主義をヒトラーとしてきた日本人なのです。

中韓米と戦勝国側に立つ日本人にとっては真実を知る靖國が敵という訳です。これらは全て東京裁判史観と呼ばれ勝者の側に有利に修正した歴史観を主張するものにとって靖國が目の上のたんこぶなのです。

この章の冒頭にもどりますが皆さんは靖國とこれら東京裁判史観どちらに大義があると思われますか?

白井氏は靖国だけを歴史的に捉え現日本の東京裁判史観に大義がある戦前戦中の大義は現日本とは真逆つまり、過去の日本と現日本を比較せず過去の靖国と現日本の比較なのです。

要約すれば東京裁判史観対靖國の構図が浮き彫りになり、日本人が靖國の本質を否定すればする程、自分の首を自らが絞めることになるのです。


【5】終わりに

日本人が戦後歩んできた反省という道が過去の否定と決別をすればする程、敗戦で決着した戦後補償をエンドレスで中韓米にし続ける不完全な従属国の状態が続き常に歴史認識問題に晒されるまさにATM国家となるのです。

安倍談話にある「これからの子供達に謝罪をさせない」はこの戦後レジーム体制の脱却を意味しているのです。

日本がこの体制から脱却するにはどうすればよいのか?所謂左派は靖國を守る右派をグランドセオリーが無いと戦後反省だけで創り上げてきた歴史学界こそが大義であるかのように靖國を攻撃します。

大義はどちらにも存在するのです。戦後レジーム体制の脱却とはこの両者の大義を歴史研究で中道に戻すことなのです。

残念な事に安倍談話はそこまでの歴史的言及を避け、歴史家の手に委ねるとしました。

あとは残された歴史家と国民の手で東京裁判史観をどこまで中道に戻すかが委ねられたのです。
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マボロシの南京大虐殺とは?

2015-10-26 11:12:35 | 歴史


【南京大虐殺】
と呼ばれる大捏造事件日本国内でも

・マボロシ派

・1938年12月、南京に侵攻した日本軍は、略奪・暴行・虐殺などの蛮行を繰り広げ、30万人に及ぶ捕虜や民間人を殺戮した。

・1938年12月、南京に侵攻した日本軍は、南京市とその周辺で、国際法に違反した捕虜の大量虐殺を行なった。犠牲になった中国兵は数万人。殺された中には便衣兵(ゲリラ)と間違えられて連行された民間人も多数含まれていた。また、日本兵による略奪・強姦も頻発しており、その際に殺された人も少なからずいた。

あくまでもこの分類は虐殺肯定派のものであり、
マボロシ派は虐殺や犯罪行為が全くなかったと主張している訳ではありません。

ひとつの都市を戦闘行為で陥落したのですから、両者に犠牲者はいるのです。

米国在住の元日本兵の証言を有力な説としたり、数人の証言で事件を確定してしまうのは余りに乱暴で極めて印象操作される危険を含むのです。

否定派の南京市民20万をどう考えても30万は無理
という単純な説は数の論争になってしまいますのであくまでも事件自体があったか、なかったのかで論じなければなりません。

上記の様な否定派をマボロシなどと呼び通常の戦闘行為を便衣兵、証明し辛い強姦、略奪など細かな犯罪行為を一緒に論じることとなり劣勢に陥るのです。

下記にある南京市の当時の人口ですら確定出来ないのです。



陥落直前の南京の人口に関する資料
―――――――――――――――――――
安全委員会公文書【20万人の市民】
ステール【10万人の市民】
アベンド【10万人以上】
ダーディン【10万を越す非戦闘員たち+民間人は5万以上】
ラーベ【20万人】
リリー・アベック【15万人】
米ライフ紙【15万人の南京市民】
張群思少佐【非戦闘員10万】
劉啓雄少将【20万】
松井大将【12万余】
―――――――――――――――――――


やはりこの事件は俯瞰で見ることによってはっきりわかると思います。

当時同盟国であったドイツそのジョン・ラーべが証言者になっている点はとても興味深いところです。ラーべは日本に不利な証言をしていますが、当時中国へ武器を密売していた武器商人です。

米国で出版されたレイプオブ南京などからも、この南京大虐殺は広島、長崎、東京の30万人の民間人大虐殺の言い訳、バランスをとるための米中のプロパガンダであったことが見えてくるのです。
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226事件北一輝が書いた決起趣意書

2015-10-23 13:23:43 | 歴史
北一輝が書いたとされる決起趣意書です。
この事件についての昭和天皇の発言も集めました
不思議とこれを読めば事件の真相が理解出来ると思います。

226事件とは陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが1,483名の下士官兵を率いて起こしたクーデター未遂事件ですが、自分達は天皇の軍隊であり
天皇が頂点に政治をすべきであるとの主張です。

一見この時代においては正統な論理ですが、北一輝が関与している時点で皇室否定の共産主義思想
を皇室と皇軍を利用した国家転覆であるといえます。

つまり陸軍内部にもっともらしい思想を持ち込み疲弊する青年将校の意識をマインドコントロールし、クーデターへと導いた事件であったと言えます。

日本人は情報戦に弱い、その原因は日本だけが万世一系の皇室をいただく純粋な国民であるという
美徳は国外の不安定で極めて緻密な企みや謀略性には弱点と成り得るということでしょう。

それを見抜いておられた昭和天皇がここまで強硬な政治判断をなさったのも今思えば自然であり、
まさに自然の猛威の様な国體を守ろうとする底知れぬ力をだされたと考えるのが極めて当然であり、

三島由紀夫が神格であるべき天皇が個人の意志を語ってしまっている事を批判していますが、混沌とした時代であるが故の共産主義にほんの僅か傾倒してしまったといえる批判であるのです。

青年将校に同情的な意見も当時から見られますが明らかに騙され操られていたことを考えますと、憎むべきは共産主義思想であることが殊更に肝に銘じることと、皇室、皇統を利用してはならないと言うことでしょう。



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蹶起趣意書(二・二六事件)

(昭和十一年二月二六日)



 謹んで惟るに我が神洲たる所以は万世一系たる天皇陛下御統帥の下に挙国一体生成化育を遂げ遂に八紘一宇を完うするの国体に存す。此の国体の尊厳秀絶は天祖肇国神武建国より明治維新を経て益々体制を整へ今や方に万邦に向つて開顕進展を遂ぐべきの秋なり。

 然るに頃来遂に不逞凶悪の徒簇出して私心我慾を恣にし至尊絶対の尊厳を藐視し僭上之れ働き万民の生成化育を阻碍して塗炭の痛苦を呻吟せしめ随つて外侮外患日を逐うて激化す。所謂元老、重臣、軍閥、財閥、官僚、政党等はこの国体破壊の元兇なり。倫敦軍縮条約、並に教育総監更迭に於ける統帥権干犯至尊兵馬大権の僭窃を図りたる三月事件、或は学匪共匪大逆教団等の利害相結んで陰謀至らざるなき等は最も著しき事例にして、その滔天の罪悪は流血憤怒真に譬へ難き所なり。中岡、佐郷屋、血盟団の先駆捨身、五・一五事件の憤騰、相沢中佐の閃発となる寔に故なきに非ず、而も幾度か頸血を濺ぎ来つて今尚些かも懺悔反省なく然も依然として私権自慾に居つて苟且偸安を事とせり。露、支、英、米との間一触即発して祖宗遺垂の此の神洲を一擲破滅に堕らしむる、火を見るより明かなり。内外真に重大危急今にして国体破壊の不義不臣を誅戮し稜威を遮り御維新を阻止し来れる奸賊を芟除するに非ずして皇謨を一空せん。

 恰も第一師団出動の大命渙発せられ年来御維新翼賛を誓ひ殉死捨身の奉公を期し来りし帝都衛戍の我等同志は、将に万里征途に登らんとして而も省みて内の亡状憂心転々禁ずる能はず。君側の奸臣軍賊を斬除して彼の中枢を粉砕するは我等の任として能くなすべし。

 臣子たり股肱たるの絶対道を今にして尽さずんば破滅沈淪を翻すに由なし、茲に同憂同志機を一にして蹶起し奸賊を誅滅して大義を正し国体の擁護開顕に肝脳を竭し以つて神州赤子の微衷を献ぜんとす。

 皇祖皇宗の神霊、冀くば照覧冥助を垂れ給はんことを。

昭和十一年二月二十六日

陸軍歩兵大尉 野中四郎
外 同志一同

《現代語訳》
決起趣意書
昭和11年2月26日

日本は、万世一系の天皇陛下の下に、挙国一体となって八紘一宇をまっとうするという国家です。
日本は、神武天皇の建国から明治維新を経由して、ますます体制を整え、今や日本の精神風土は、世界万民に開かれようとしています。

しかるに私利私欲にまみれた不逞のヤカラが政財界を牛耳り、私心や我欲によって陛下を軽んじ、民衆の生活をとたんの苦しみに追いつめているのみか、昨今では外国にまで侮られるという事態を招いています。
いわゆる元老、重臣、軍閥、財閥、官僚、政党等は、この国体破壊の元凶です。

ロンドン軍縮条約、ならびに教育総監更迭における統帥権干犯問題は、陛下の大権を奪い取ろうというたくらみでした。
三月事件、あるいは学匪共匪大逆教団等は、政財界と利害関係を結んでこの国を滅ぼそうとするものです。
最早、彼らの罪は万死に値する。

中岡、佐郷屋、血盟団の先駆者たちの捨身の戦い、五・一五事件、相沢中佐の閃発など、彼ら佞臣に反省を促す動きは、これまで幾度もありました。
けれど売国奴たちには、いささかの懺悔も反省もなく、依然として私利私欲をほしいままにしています。
このままでは、日本は完全に破滅に追い込まれてしまう。

いま、内外に重大な危急があるときです。
私たちは、日本破壊を阻止するために、日本国破壊の不義不臣を誅殺しました。
君側の奸を、斬りたおすのは、我等の任だからです。

私たちは、同憂の同志たちと機を一にして決起し、奸賊を誅殺して大義を正し、日本を守ります。
皇祖皇宗の神霊、こい願わくば、照覧冥助を垂れ給わんことを。

昭和11年2月26日
陸軍歩兵大尉 野中四郎
外 同志一同


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《昭和天皇の御発言》



【甘露寺受長侍従に対し】

「差し支えない。ここで聞く」

「とうとうやったか。自分の不徳の致すところだ…」

「暴徒はどの方面に向かったか分からないのか? 他にも襲撃された者は居ないのか?」

「そうしてくれ。私はすぐ支度をして、表に出るから」



【侍従武官長の本庄繁大将に対し】

「早く事件を終息せしめ、禍を転じて福となすように」



【宮内大臣が「速やかに鎮圧することと、暫定内閣を設けないこと」を奏上に対し】

「私もそのように考えていた」


【川島陸軍大臣に対し】

「今回のことは、精神の如何を問わず、不本意である。速やかに事件を鎮定するように」


【後藤文夫首相臨時代理に対し】

「暴徒は全力を挙げて、これを鎮圧せよ。閣僚はよろしく協力一致して時局の安定を図るように。それまでは辞表を暫らく預かりおくことにする」


【杉山元中将に対し】

「徹底的に始末せよ。戒厳令を悪用するなかれ」


【本庄武官長に対し】

「(決起部隊は)私の股肱の老臣を殺戮したのである。このような凶暴な将校などは、その精神に於いても、どうして許すべきものがあろうか。私が最も信頼していた老臣をことごとく倒すのは、真綿にて私の首を絞めるに等しい行為である」


「それはただ私利私欲がないというだけのことではないのか」


「朕、自らが近衛師団を率いて、その鎮圧に当たらん」

「自殺するならば勝手にさせればいい。斯くの如きものに勅使などもってのほかの事である。また、師団長が積極的に出られていないと言っているのは、自分の責任が何であるか解せざるものだ。ただちに鎮定するよう厳達せよ」


【杉山参謀次長に対し】

「皇軍が相撃たざるを得なくなったことには、いかにも同情するが、経済界、外交界の不評は高まっている。とにかく、鎮定を速やかにせよ。また、軍が奉勅命令に服さないのは、残忍の行いなのである。それを直ちに第一師団が実行できないというのは、それ程、陸軍が一つにまとまることが困難だったという事なのか? 外国に笑われることではないのか」

【本庄武官長に対し】

「ともかく、速やかに事態を収拾すべく、取り計らえ」



「比較的早く事件が片付き、さしたる影響もなかった。本当によかった」





事件の翌年、1937年(昭和12年)の夏、昭和天皇は中島鉄蔵侍従武官に提灯を所望したという。中島侍従武官が幾つ、用意したら良いのかと尋ねると、「15個ほど用意するように」と仰せつかったという。そして、15個の提灯は御盆に人目の付かない軒先に吊るされていたと証言している。





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所謂A級戦犯

2015-10-20 10:03:50 | 時事
A級戦犯と表現した者を戒める為によく使われる言葉が"所謂"ですが、所謂(イワユル)とは世間一般が言うところの、俗に言う、の意味です。

例えば所謂マック、と言えばマクドナルドのことです。要するに皆が使っているから、それで通じるよね!という言い訳、弁解をわざわざ頭に付けてマックで通じない大阪民に謝らない、先に弁解するという少々偽善的なマナーなのです。

さてA級戦犯ですが私の考える所少しニュアンスが違って現在ではA級戦犯と言えば昭和27年のサンフランシスコ平和条約発効直後から数回に渡る国会決議で全ての戦犯はいなくなっているのです。

それを所謂を付ける事によっていつまでも戦犯として世間に罪悪感を伴わずに口にすることが出来る。といささか逆説的ですが分かる方だけ心のなかで賛同していただければ結構です。

戦犯とは戦争犯罪人です。東條英機ら14名は犯罪者なのでしょうか?"戦責"ならばまだ許せます。事後法という無効な裁判で犯罪人扱いされたものを後生大事に70年経過しても使い続ける日本人も
首を傾げたくなります。

この鈍感さが占領政策によるものかはわかりませんが、東京裁判史観、合祀問題に正常な思考で望めないようにする所謂奴隷国家のままなのかも知れません。
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(エンジョウトオル)明らかに仮名で靖国批判本のステマ?

2015-10-18 04:26:58 | 時事



白井何某の靖国批判書籍をもとに靖国を貶めステマまでする。しかも小学館という今まで政治から距離を置いていた印象の出版社から靖国の批判本を安倍首相の真榊奉納に合わせて出版してます。
このことが何を意味するのか?
安保法案に伴う安倍おろしで左派言論界が共闘したためエンジョウトオルなどとカタカナの仮名を使って身元を特定されない形の書籍宣伝、所謂ステマではないか?というのが第一印象です。

《ここで白井聡氏のwikiをコピー》
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早稲田大学総長を務めた白井克彦の子として東京都に生まれる。浅野中学校・高等学校を経て、2001年早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。2003年一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。2006年一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位修得退学。2010年一橋大学博士(社会学)。論文の題は「レーニンの政治思想 比較思想の試み(The political thoughts of Lenin : toward comparative inquiries of ideas)」。

文化学園大学服装学部服装社会学科助教(民族文化論、哲学担当)を経て、2015年京都精華大学人文学部総合人文学科専任講師。

2013年『永続敗戦論――戦後日本の核心』で第4回いける本大賞、第35回石橋湛山賞、第12回角川財団学芸賞を受賞。それまでは主にロシア革命の指導者であるレーニンの政治思想をテーマとした研究を手掛けてきたが、近年は現代日本政治史の分野でも発言している。
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以上が白井聡氏の来歴ですが特筆すべきは論文であの靖国神社廃止論の石橋湛山賞を晴れて受賞されていることでしょう。
こんな分かりやすい方の書籍をしかも小学館から出版し安倍首相の間接的批判をすることで思い出しました。富田メモです、本来なら朝日新聞がやることを日経新聞から出した違和感です。「天皇陛下が不快感、天皇陛下が行かない」
全て靖国神社を貶めるロジックです。
今回の白井氏の書籍が全く新しい観点から靖国を捉えたなどと書かれておりますが、歴史的観点から靖国には大義ないなどとその本質を"売り"にされているようですが、これも昔からある本質論を単に言い方を変えただけで、書籍を読まずして内容と企みのわかるものであると言えます。
以上がツイートと紹介文の私の個人的な感想ですが皆さんも理解されていることでしょう。



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 《以下コピー》



【靖国神社の本質に気鋭の政治学者・白井聡が切り込む! 問題はA級戦犯合祀や中韓の反応ではない、靖国に歴史的大義がないことだ!】

今日から、靖国神社の秋の例大祭だが、予想通り、安倍首相は参拝を見送った上で、真榊を奉納した。メディアや識者の反応もいつもどおりで、右派からは「参拝できないのは中韓の内政干渉のせい」という反発の声があがり、リベラル派からはA級戦犯合祀問題や中韓への配慮がないというやや腰が引け気味の批判が聞こえてくる。

 だが、そんな状況を〈心底ウンザリする〉と切り捨てるのは、気鋭の政治学者・白井聡だ。国際問題や政治的問題としてのみ語られている靖国論争を、白井はまず、〈「日本人にとって、日本の歴史において、靖国神社とは何であるのか」という問いを完全に欠いている〉として、こんな本質論を突きつける。

〈靖国神社に世界普遍的な大義が仮に存在するのであれば、どれほど強い非難があろうとも、私人であれ公人であれ、堂々と参拝すればよい。極端に言えば、世界中の人々がそれを非難し、「靖国を愛する日本人など皆殺しにしてしまえ」と思われ、実行されるとしても、本当に大義があるのであれば、実行するべきなのである。〉

 そのうえで、白井はこう断じるのだ。

〈歴史的事実を冷静に追っていけば、靖国神社には世界的な普遍性を主張しうるような大義を見出すことはできない。〉

 白井の靖国論が掲載されているのは、『「靖国神社」問答』(小学館文庫)。同書は少国民シリーズで知られる児童文学作家の山中恒が、膨大な資料から靖国神社とは何かを一問一答形式で丹念に検証した一冊だが、その文庫化に際した解説文で、白井は山中の靖国批判が「自虐史観」とはまったくちがうものであり、むしろ伝統的な視点から靖国の文化的・宗教的欺瞞を暴いたと評価。山中の検証によって、上記のように、歴史的大義がないこと、〈近代的な国家カルトの施設にすぎない〉ことが明らかになった、と結論づけているのだ。

 たしかに、この『「靖国神社」問答』には、これまであまり指摘されることのなかった靖国神社の非歴史的な成り立ちが書かれている。

 同書によると、靖国神社はもともと、戊辰戦争での戦没者を弔うために建立された東京招魂社が起源となるのだが、この時に合祀されたのは官軍側の戦死者だけだったという。

〈当然のことながら彰義隊や会津・白虎隊は誰一人祀られていません。東京招魂社は幕末から明治維新にかけての勤王派や尊攘攘夷派の殉難者、戊辰戦争の官軍側戦没者のための招魂社です。つまり明治政府と朝廷のために死んだ人だけを選んで祀ったのです〉(本文より)

 しかも、賊軍の戦死者には極めて冷淡な扱いで、〈敗者の死者は、まさに犬死に同然で、なんの配慮もなされなかったばかりか、一時はその供養さえも許されませんでした〉(同)

 結果、戊辰戦争で英雄となったものの、のちの西南戦争で逆賊扱いとなった西郷隆盛も靖国には祀られていない。

 この「勝てば官軍」だけを祀る靖国原理を、白井は〈古くは菅原道真や平将門といった敗者を、その霊を慰撫するために「神」として祀った日本の伝統から、大きく逸脱するもの〉だと分析。敗者=賊軍を排除する靖国原理に倣えば、先の戦争で犠牲になった日本兵は、靖国に祀られる資格がないというパラドクスに陥ってしまうことを指摘。親米保守の自称愛国者たちに〈彼らが拝んでいるのは、あの戦争で亡くなった連合国の死者ではないのか〉という皮肉をつきつける。

 たしかに、この事実だけをとっても、靖国神社が、祖先信仰や死者の霊を敬うなどの日本の伝統にならった神社では全くなく、大日本帝国がひたすら戦意を煽るために恣意的に作り上げられていった、非常にいびつな存在だったということがよくわかるだろう。

 白井のいうように〈靖国によって象徴されるものは、日本の周辺諸国民にとって厄災であっただけでなく、大部分の日本国民自身にとっても厄災でしかなかった〉のだ。

 だが、参拝を肯定する政治家たちはこのパラドクスにまったく無自覚なまま、平気で「国のために尊い命を捧げた方々に追悼の意を表するもの」などといった、妄言を垂れ流す。

「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対して、哀悼の誠を捧げるとともに、尊崇の念を表し、御霊安らかなれとご冥福をお祈りしました」(安倍首相 参拝時の談話から)

 しかし、繰り返すが、靖国に祀られている英霊とは戦前の大日本帝国のご都合主義から選ばれたものであり、たとえば数十万人にも及ぶ空襲や原爆の死者などの戦災者は一切祀られていない。靖国神社を参拝するということは、先の大戦に対する反省や、多くの国民を犠牲にした贖罪を伴った行為とは真逆の行為なのだ。

 白井も、これについて次のようにその欺瞞を指摘している。

〈「政治家の靖国参拝は平和の誓いをするためなのだ」というレトリックは、神社の来歴からして到底通用し得ない。仮に、靖国神社を戦没者追悼のための公的な施設として使い続けるのであれば、靖国は過去の戦争神社としての在り方を公的に自己否定しなければならないし、政教分離の観点からして神道から切り離される、つまり神社であることをやめなければならない〉

 その上で、靖国の今後について、こう提言する。

〈してみれば、われわれが目指すべきは靖国の「自然死」である。多くの人が、靖国の原理を理解すること——すなわち、そこには普遍化できる大義がないことを知り、「勝てば官軍」の矮小な原理を負けた後にも放置しながら、あの戦争の犠牲者たちに真の意味で尊厳を与えるための施設としては致命的に出来損ないであり続けているという事実を知ること——がなされるならば、誰もがこの神社を見捨てるであろう〉

 白井の言うように、靖国はまさに自然死こそがふさわしい。だが、そのためには、国民が靖国問題へのリテラシーを上げていく必要があるだろう。
(エンジョウトオル)

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