山に越して

日々の生活の記録

鷺草(さぎそう) 16-15

2018-01-11 09:57:09 | 中編小説

 十五

 

 学期末試験も終わり冬休みも間近に迫っていた。一日が長く、そして短く過ぎていった。

「正美、毎週行っているの?」

 と、夏江が言った。

「うん」

「正美の恋って辛過ぎる」

「今は待つことしか出来ない。でも、苦しみではない」

「子供だった正美が、いつの間にか大人に変わっていた。何が正美を変えたのか考えていた」

「私・・・」

「私達って一人の人間として見られることがない。本当は精神的に自立しているかいないかであって他のことは必要がない。高校生だもの経済的に自立など出来ないことは承知している。でも、意識的な行動が出来るとき自立していると言える。何も思わず終日送るのではなく今日一日が終わったことを考え感じたい。意識しなければ全てが通り過ぎ、意識することで色々なものが見えてくる。正美は苦しんでいた。でも、その苦しみは意識された苦しみであり誰にも触れることは出来ない。恋することって傷付きながら成長することだと思っていた。でも、成長するにはそれなりの理由が必要だと思う。始めも終わりも中途半端では何も残らない」

「夏休みのことは?」

「自分の事としてしっかりと受け止めていれば彼と旅行に行ったと思う。でも、出来なかった。卑怯だったのではなく、それだけの私だった。その後彼とは会う事も電話を掛けることもなくなっていた」

「私に出来ることは何もない」

 と、正美は呟いた。

「自己を意識下出来るとき青春が始まり、自己を意識下出来なくなったとき青春が終わる。屹度、感性的であることが一番大切だと思う。私も正美も高校生であることに間違いない。でも、一般的に言う高校生のように感じるのではなく、普遍的に意識の底から感じなくてはならない。詰まらないことに何時までも関わり、為体な日常を送っているようでは、高校生であっても日常に埋没してしまう。正美を変えたものは正美であり裕二さんだと思う。二人の意識の重なり合いが複合しながら新しい自己を作り上げたと思う。正美は十七歳で掛け替えのない青春を知った。嫉妬したくなるような素晴らしいものだと思う。でも、青春なんて直ぐに過ぎてしまう。そして、毎日毎日代わり映えのない生活が待っている。十七歳の時が、十八歳の時が、十九歳の時があったと思えるようになりたい。一日一日を、一年一年を大切に、そして、しっかりと地に着いた足で歩いていきたい」

「夏江、有り難う」

「波瀾万丈の人生を送りたい。でも投げ遣り的に生きるのでは無く、ふと気付いた時これで良かったと思えるような生き方で有りたい。苦しくなれば楽な方に逃げたくなる。でも、叱咤激励して自分に負けないようにしたい。畑だって、田圃だって、手を抜くと直ぐ雑草が生える。雑草が多くなると抜き取ることが面倒になる。でも、汗を拭き拭き一本ずつ抜かなくてはならない。そう言う努力が自分を鍛え上げて行く。機械で根こそぎなんて器用なことは出来ないし、する必要がない。自分の中にある力を信じて今日を生き抜いて行く。そう、気付かないまま苦しみから逃れようとするとき自己を捨象する。そして、その繰り返しは人間としての感性を失い自己を傀儡とする。懸命に生きるには、依り強靱な意識を持たなくてはならない。でも現実は、制度や慣習、決められた形式のなかでしか考えられない。それらが価値観を決めている。固定観念に縛られ短絡的に結論を出すとき、もっとも楽な方法だと思う。論理的な思考を忌み嫌い、枠のなかに全てを当て填め、仕方がないと誰もが諦める。技術や機械は進歩するけれど、人間の意識は後退している。私達の前途には問題が山積みされている。でも、負けないように頑張ろう!」

 夏江は正美のことを、友達と言うより保護すべき自分の仮の存在のように感じていた。これから過ぎて行くだろう青春に、何を為すべきなのか、自らに果たした課題の重さを知ろうとしていた。

 

 正美は日曜日毎に電車を乗り継ぎ、片道二時間掛けてN中等少年院に行っていた。窓外には蕭殺(しょうさつ)たる風景が拡がり、街並みは冬の気配を感じさせていたが耐えるしかなかった。何時も通り私鉄のS駅を降りると少年院への坂道を登って行った。門柱を暫くの間眺めた後、周囲を一周して児童公園のベンチに掛け塀の中にいる裕二に語り始めた。『・・・裕二にも子供たちの走り回る歓声が聞こえているのでしょうか・・・日曜日なので作業は無く、独り独居の中にいるのでしょうか・・・寒くなりました・・・裕二を連れ去った護送車が消えてから三ヶ月が過ぎました。何時になればこの高い塀の中から出てくるのでしょうか・・・裕二のことが知りたくて、一度お母さんに電話を掛けました。でも、もう掛ける訳にはいかない。お母さんは酷いショックを受けていた・・・』 

 日溜まりには子供たちが遊んでいた。正美は目を凝らして塀を見つめていた。『・・・裕二が私宛に手紙を書かないのは、それが検閲されることを許せないからでしょう。でも、裕二は何時も私に語り掛けている。高い塀が邪魔をしているけれど直ぐ近くに感じている。二人にとって距離や塀は関係がない。私の思いは裕二の心に、裕二の思いは私の心に届いている。そして、この冬さえ乗り切れば私の許に返ってくる。そう信じています・・・』

 

 既に十二月も終わりに近付いていた。賑やかな街並みを通り過ぎると丘陵に差し掛かり正面から北風を受け寒さが身に凍みた。広葉樹は葉を落とし、所々積み重なっては風に飛ばされ正美の足下に絡み付いていた。

 正美は建物を正面から見ていた。『・・・今日はクリスマス、一緒に過ごすことは出来ないけれど、少年院の中にもクリスマスはあるのでしょうか・・・塀の中からは何も聞こえて来ません。商店街の賑やかさに比べて、此処は北風が吹き抜けている。裕二、私の直ぐ前にいるのに、この高い塀がまた邪魔をしている。何時になれば会えるのでしょう・・・会いたい・・・裕二の苦しみを考えると何も出来ない私が虚しくなる。待つことしか出来ない私・・・裕二、貴方のことを何も分からないことが辛い・・・寒い日が続いています。裕二、元気でいて下さい・・・』

 公園に子供たちの遊んでいる姿はなかった。時折雲間から風花が舞っていた。正美はもう一度少年院の正面に行った。≪N中等少年院≫静まり返った門柱に誰も寄せ付けない悲しみがあった。

 

 その日、N中等少年院では年度末を迎え今月二度目の処遇審査会か開かれていた。正月前に仮退院させることに依って家族と共に過ごさせることへの配慮だった。

 裕二は十一月末の処遇審査会で一級の下に進級していた。そして、この処遇審査会で一級の上に進級したことによって、仮退院申請書を地方更生保護委員会に送られていた。仮退院決定書の謄本がN中等少年院に送られてきたのが、その年も押し迫った十二月二十八日だった。そして、裕二の出院は翌年の一月五日と決定された。その日の午後、家族に退院日と時間が知らされた。

 母親は正美に退院の決定を知らせようか迷っていた。しかし正美に知らせることは、裕二にとって、そして正美にとって大切なことだろうと思った。正美からの電話を罵り切ったことを大人気無いことだと悔いていた。

 

 正美が少年院に行った日から四日後のことだった。両親とも未だ帰宅せず、兄弟三人の夕飯が終わったとき電話が鳴った。

「田中さんのお宅ですか?」

「はい」

「正美さんはいらっしゃいますか?」

「私です」

「裕二の母です」

「はい」

「裕二、一月五日の一〇時に退院が決まりました」

「本当ですか・・・嬉しい」

「正美さん、裕二のことこれからも宜しく」

「お母さん」

「正美さん御免なさい。あの時は私も興奮していて余計なことを言ってしまいました・・・」

「本当に良かった」

「ええ、こんなに早く出院出来るとは思ってもいなかった。正美さんもお元気で」

「電話を頂き有り難うございました」

 短い電話だった。暫くの間受話器を握ったまま、その場に蹲っていた。正美の心は激しく波打っていた。自然と涙が零れ、裕二が無事だったことの喜びが溢れてきた。

 時間が経つに連れ、これからのことが鮮明に見えてきた。ともすれば挫けそうになっていた生きることへの不安が消えていった。待っているのではなく前に向かって、北風に縮こまるのではなく、全身に受け止めて行ける力強さが戻ってきた。

 

 一週間が過ぎていた。待つことの最後の夜だった。裕二との出会いから今日までの苦しかったことが蘇ってきた。『・・・私は、いつの間にか十七歳になっていた。忘れることの出来ない十七歳・・・私鉄のS駅から真っ直ぐ北に延びて行く坂道、商店街が切れると未だ農耕地が拡がっている坂道、単調な道をひたすら歩いて行く。十字路を左に曲がると鬱蒼とした一角が眼前に拡がる。あの道を登って行くのも明日で最後になる。そして、下ってくるときの言い知れぬ悲しみを二度と感じることはないだろう・・・この四ヶ月間、一つの思いを共有していた。会うことも、声を聞くことも出来なかったけれど、裕二と私の思いは共有する意識のなかで染み入るように感じていた・・・コンクリートの塀に閉ざされている荒涼とした建物と、N中等少年院と書かれた文字を決して忘れることはないだろう・・・』

一日が終わり黎明が近付いていた。十七歳になった正美にとって過酷な日々は過ぎようとしていた。



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