山に越して

日々の生活の記録

鷺草(さぎそう) 16-13

2017-11-06 08:28:24 | 中編小説

 十三

 

 毎日が淡々と過ぎていた。無為な時間は生きることを放擲して惰性に身を委ねる。少年院の生活は若者たちに生きる力を、希望を与えるものではなく、心を、人間性を蝕んでいた。しかし裕二や齊藤光男にとって自問することで微かに保っている。

「一日が意味を持っていない」

 と、図書室の片隅で齊藤光男が言った。

「そう思う」

「独房の壁に触れていると過ぎ去った俺の日常が見えてくる。社会的な生活をする為には共通する知識、認識を必要とする。誰も彼もが共有する主観を持っていなくてはならない。そして、価値が同一の時、始めて生きることを許される。しかし生活することと内的な意識を持つことは違っている。意識は個のなかで生成され発展する。そのことを知りながら日常は意識を空洞化するところから始まる。少年院がそうだ。此処では共通の規律、規則、法的概念の許で平等である。しかし一旦自己主張して、共有の主観から逸脱したとき制裁が待っている。俺が生きることを主張できるのは、自己意識を捨てるか、南極の氷に囲まれて一人で生きる以外にない。社会が社会としてある所以は法を犯さないことである。擦っても、擦っても垢に塗れている俺は、人間であることにおぞましさを感じていた。何故、二度も少年院送りになったのか分からない。此処にいる多くの連中と同じように気が付いたとき鉄格子の中にいた。しかし俺は自分を恥じていない。俺には好きな女がいた。十五、六歳で好きだ、嫌いだと言っても始まらないが、気が付いたときその女を刺していた。そして、ナイフを持って町中をふらふら歩いているところを逮捕された。興奮していたのだろう、取調中も審判の時も何を言ったのか覚えていない。初犯でお前と同じように六ヶ月の刑だった。しかし膠着した意識のまま六ヶ月が過ぎていた。退院した俺は何時も奇異な目で見られた。家に寄り付くことも出来なく巷を彷徨いていた。そして、知らぬ間に一年が過ぎていた。友達もいなければ相談相手もいない。このままでは自滅するだろうと思ったが何をして良いのか分からない。家を出ていた俺は、夜はアルバイトをして、昼間は狭いアパートで手当たり次第に本を読み始めた。そして、二年が過ぎた。意識の持続性は本を読むことで覚えた。持続する意識を持つとき自分が変わることを知った。俺は自分という者が分かりかけてきたのだろう、刺した女の所に行こうとしたときだった。偶然から喧嘩に巻き込まれた。ついていなかったと言うより、そんな風にしか生きられなかったのかも知れない。ちんぴら相手に立ち回りをしていた。挙げ句の果て此処に舞い戻ってきた。何故、俺は女の許に行こうとしたのだろう、謝罪する為か、寄りを戻そうとしたのか、関係のない女だと思いたかったのか、しかし会うことは無かった。現実を即物的に見るとき、始めて俺と言う主観が分かってきた。しかし、現実を否定も肯定もせず逃れることに精を出す。社会は曖昧で順応することを求めている。しかし俺は逃げも隠れもしない。手錠を掛けられ、鎖で繋がれても俺を拘束できない。瞑想は逃避では無く現実に還ることである。裕二、此処は生きる場所ではない。俺達は俺達の新しい地平を切り開き、取り残されたまま自滅してはならない。諦念は須く全てのことを放擲する」

 と、光男は結んだ。

「俺達に未来はあるのだろうか?」

「多分あるだろう。自己意識を持ち、現実を内在化させ、社会を対象化する。そうする限り乗り越えられる。そして、傀儡ではない自分を発見する。裕二、一日を捨てるな!一分一秒を捨てるな!いつでも残されている時間だと思え!」

「勉強する。そして自分の方向を見極める」

「裕二、俺達は生涯の友達になれるかも知れないな!」

「有り難う」

 独房に帰る時間が来ていた。それが少年院の掟だった。

 

 裕二は処遇審査会において二級の上に昇進していた。この二ヶ月間、午前中は木工作業を、午後からは学習に取り組み、夜は独居で読書をしていた。既に決心が付いていた。学校は辞めざるを得なかったが、此処を退院した後は独学で勉強して、大検を受け、一年遅れで国立大の農工学部を受けようと思った。都会から離れ、自然を相手に生きる道を探そうとしていた。

「一二五号面会だ」

 名前で称呼されることはなかった。

「はい」

 看守に付き添われ裕二は面会室に入った。両親が待っていた。看守は事務机に座り、時間は二〇分と決められていた。

「裕二」

 と、母親が言った。

「元気か?」

 と、父親が言った。

「元気にしているから心配しなくても大丈夫」

「心配しない親がどこにいる」

 父親が声を荒だてた。

「お父さん、もっと優しく言って」

「しっかり食べて、夜も寝ている」

「風邪惹かなかった?」

「うん」

「この前来たとき言えば良かったけれど、正美さんから電話が有りました」

「それで」

「余計なことを言って、正美さんの心を傷付けてしまいました」

「正美って子は、家庭裁判所での審判の時に言っていた田中さんのことか?」

「ええ、裕二のお友達」

「お父さん、お母さん、兄さんに迷惑を掛けて済まないと思っています」

「そんなことは良い。裕二、これから先のことを相談しなくてはならない」

「急にそんなこと言っても」

「間もなく此処を出るだろう。学校は今のところ休学扱いになっている。しかしこの儘と言う訳にもいかない。この間、学校から呼び出しがあり相談してきた」

「高校は辞めようと思う」

「裕二、何を言うの」

「この儘では留年は確実だと思う。此処を出たあと大検を受けようと思っている。その為の勉強は既に始めている。何れ一年遅れになるけれど、大学に行く気持ちは変わらない。学部も教育学部から農工学部に変えたいと思う。それに、家に居ると迷惑を掛けることにもなるし、出来れば伯父さんのところに行きたい。伯父さん、子供がいないから引き受けてくれると思う。お父さんからも話しをしておいて欲しい。伯父さんにもこの間手紙を書いたけれど、お父さんとお母さんに相談してから出そうと思っていた。出来れば伯父さんにも会ってお願いしたいと思っている。そして、大学を卒業した後は北海道に行きたい。これまでレールの上を真っ直ぐ歩いてきた。目的はあったけれど経過がなかった。その単調さにも気付くことが出来ました。お父さんお母さんには、お金のことや生活のことで迷惑を掛けるけれど、俺は俺にしか出来ないことをしっかりと掴みたいと思う。その為にも負けないで頑張り通します」

 母親は裕二の話を聞きながら涙を流していた。裕二が哀れでならなかった。裕二の為に何もして上げられないことが苦しかった。家族のことを考え、自分で苦しみながら将来を決めていたことが辛かった。

「兄貴も随分心配していた。裕二のことは人一倍可愛がっていたので面倒を見てくれるだろう」

 学校のことを話す必要はなかった。裕二はそれ以上のことを考えていたと思った。

「裕二、ごめんね」

「早く退院出来るように頑張るよ」

 看守が面会時間の終了を告げていた。

「来てくれて有り難う」

「裕二元気でね、また来るから」

 裕二は看守に連れていかれた。二級の場合、N中等少年院では月二回の面会が許されていた。但し面会者は近親者、入院者から見て一等親、乃至は二等親に限られていた。【少年院処遇規則第五十四条】面会にあたっては、これを有益に指導するため、職員が立会わなければならない。また、【第五十五条】通信及び小包の発受は、矯正教育に害があると認める場合を除き許可しなければならない。となっていた。つまり、郵便物など発受の一切が検閲を受けなければならなかったし、面会は職員が必ず立ち会っていた。

 裕二は何度も正美に手紙を書こうと思った。しかし他人に読まれることが、それも検閲と言う事実が許せなかった。内面の問題である。裕二と正美の内面は二人だけのものであった。知られる必要のないことだった。