山に越して

日々の生活の記録

山に越して 閉ざされた時間 23-22

2016-05-07 10:22:15 | 長編小説

二十二 境界

  布団の中で目を閉じていた雅生の耳朶にタラタラと水の流れる音がしていた。配管パイプから漏れが生じているのか、確かに壁の中を流れているように聞こえる。水はジワジワと壁の中を伝わりながら鉄骨やコンクリートを腐食させている。雅生は壁紙が剥がれたところをあちこち押してみた。凝固しない壁はフニフニしていて、人差し指はジンワリと壁の中に吸い込まれた。

「こっちにおいで」

 と、壁の中から手が伸びてきた。

「俺に何の用がある」

「平面を歩くことを教えてやる」

「蟹じゃあるまいに横に歩く必要はない」

「平面を垂直に歩くことは誰にでも出来る。しかし、垂直面を垂直に歩くことは出来ない。四次元の世界から離れて三次元の世界を知ることになる。時間のない世界は雅生の想像外だろう」

「有る筈がない」

「理解出来ない世界を、総て有る筈が無いと片付けることは人間の単純な反抗でしかない。雅生、お前もそう言う馬鹿者と同じ種類の人間か?持っている知識そのものは過去の遺物でしかなく、過去に固執することで永遠を得ることもない。進歩、進化、未来、先進、そう言う類の言葉が好きなくせに、いざとなると後込みする」

「個としての知識も、集団としての知識も必要でない。俺が求めているものは何も無い」

「逃げ口上を言うでない」

「空間に存在した水分八十㌫の炭水化物に過ぎない。そして、死は単体としての物質に戻るだけである」

「世界は単一的な平面上のことではない。壁の中にも、地下の中にも、空間の中にも世界がある。お前は単に理解しようとしない」

「壁の中で生きたとして何になる」

「この建物は何れ崩壊するだろう。しかし、一つの歴史を作ることになる。一つの時代を超えたことで、時間の無い世界、継続した時を持たない世界は、架空の出来事では無いことを証明してやる。そもそも瞬時的な時間が繋がっているなどと嘯くのは、過去と未来が同一線上に存在することを否定しているのに過ぎない。何時でも前向きに、何時でも前進している状態でしかない。時を捉えることは日々生きている証明であり、生きることへの願望である。繋がった時間は無く、単に平面上のことである限り、生きることなど何にも問題はない。己の存在の証明も必要としない」

「俺の間違いは、生きる証明を必要とする」

「そう言うことだ。いちいち御託を並べ、一つの地平を切り開いたかのような錯覚に陥るのは自分勝手であるが披瀝する必要はない」

「時間の、その向こうに何が有るのか知らない。ただ、分かることは加齢の姿である。闇の向こう側、空の向こう側、内面の向こう側、生きていることが、平面の上をグルグルと回っているだけなら矢張り得る物は何もない」

「所詮抽象的な思考しか出来ないお前は、結果論的に壁の中に入ろうとしない。恐れか?甘受か?自己への肯定か?何れにせよ、時を越えることは出来ない。世界などと言うものや、政治、社会などは存在せず、行動事態が単純に出来ているのだ。人間は存在しない物の為に日々悩み苦しんでいるのに過ぎず、感動したなどと言う馬鹿者が多いことに何故気付かない。もし時間を超えたように感じるなら、その個人だけであって、追随している馬鹿者が多過ぎるのだ。雅生、時はもう無い」

「分かっている」

「究極の時間、二十四時は決して来ることはない。与えられた人間のみ知ることが出来、二十四時を過ぎてしまえば取り戻すことの出来ない時間、不必要な時間、失われた時間が待っている」

「論理の摩り替えだ」

「違うな、過去は日々の中で精算し、終わった時間は存在しない。自明の理ではないか?何故、そう言うことが分からない。悶々と生きているとは巫山戯た話だ」

「壁の中に自由が有り、存在の原点があると言うことか?」

「境界は元々存在せず、越えたと思うのは、日常や、生活の接点としたいだけである」

「最早、自分自身を証明することなど出来ない訳だ」

「壁の中には自由がある。お前が望んでいる自由がある」

 乗り越えられるか、それともこのまま踏み留まるのか、こちら側に居ることは安堵の証明であり、境界を越えることは新しい地平を切り開くことになる。死と生の境界、地と天の境界、マイナスとプラスの境界、零と一の境界、三次元と四次元の境界、日常的には、地図に引かれた線一本の違いで住む地名さえ違う。しかし、確定された一つの普遍を越えることで世界は一変する。雅生は静かに壁の中に入った。自由を望んでか、それとも自由など無いことを知ってか、何れにせよ自身の問いに対する答えなど有る筈がない。

 知っている駅の改札口を出て駅前の路地を南に向かう。雑多な路地で人通りが絶えることはない。目的を持ち、町名も番地も分かっていながら見つけ出すことが出来ない。途方に暮れても、その人に会いたい一心で探し回る。しかし、結局訳が分からないまま場面が終わる。何度も何度も白昼夢のように同じ夢を見続ける。何処を越えれば良いのか、始めから越えることなど出来ないのか、その場所は壁の中に在るのか、現実の社会や、生活の中に在るのか、皆目見当が付かないまま置き去りにされる。

「綾、お前の乳首を吸っていると懐かしい時間が蘇ってくる。脳の片隅に忘れられた遠い、遠い過去のような感じがする」

「子供の頃?」

「もっともっと前、数億年前の味がする」

「馬鹿ね、生きていない」

「そんなことはない」

「貴方に必要な時間が過ぎたことは知っている」

「綾の乳首をこのまま吸い続けていたい」

 と、雅生は吸い続けた。しかし既に一瞬の時は終わっていた。綾は雅生にとって、雅生は綾にとって、一時の生きた証に過ぎなかった。男と女の瞬時の出会い、しかし築かれる物は何も無かった。

「綾、お前との関係を終わりにしたい」

「始めから何の関係も無いのに、終わりにしたいなどと、雅生変よ」

「俺は、綾を懸命に愛そうとした」

「雅生の戯言など信じていなかった」

「空間を構成しているのは水袋である。その水袋の上を歩いて人間は生きている」

「意味が分からない」

「何時の時代も同じ様な人間がいて同じ様な生活をしていた。しかし個の意識にとって無関係でしかない。恰も関係があるように感じるのは勝手であるが、境界を越えることは出来ない。人々は同じ地域に住み、偶然顔を合わせることや、職場なら毎日のように顔を合わせることになる。しかし物理的に同じ時間、同じ場所ですれ違っただけで、共有する意識や論理的な問題がある訳ではない。微妙な心の動きはあるかも知れないがそんなものは取るに足らない。一秒後、心の内を整理することで決着が付く」

「そうね、決着さえ付けば耐えられ、時間が経過することで忘れられ、意識の中から霧散する」

「肉体的な別離はあっても確かに精神的にはなかなか難しい。しかし次第にその人の語り口から消え別離を意識する。混じり合った情念や悶えるような熱情は脳の片隅からも消失している。全く人間は自分自身に都合良く出来ている。防御本能が、こんな場合にも働くことを実に虚しく感じる」

「脳も、肉体も終わっている。過去は過ぎ去ったもの、でも、その人の歴史は生きてきた過程だと思う」

「しかし、そんな物は必要としない」

「体力を失って行くとき、激しい絶望感を感じる。老いは絶望感との闘いであり、私も雅生もそのことを感じるときが来る。諦念だけが生きている証となり、日常を他者に転嫁しながら生き延びようとする。人は生まれ成長し、そして老いて行く。老いることを免れる人間はいない。でも若いときには老いを感じることはない。意識の外側にあり、対象として捉え、自分の問題ではなく老人の問題であると考える」

「俺には最早何も越えられない」

「昔、昔、遠い昔、婆さんが言っていた。二十一歳で結婚して二人の子供を儲け、二人とも小学生の頃に離婚した。それからと言うもの必死で働き育ててきた。自分が老いて老人になるなど思ってもみなかった。二人の娘が結婚して孫が生まれても未だ未だ若いと思っていた。でも気付いた時には六十歳を越え、視力が急激に落ち一人の生活にも不安があった。そして、いつの間にか六十五歳になっていた」

「綾、未来を展望しても始まらない」

「雅生、貴方との未来を感じることは無かった。でも、私は生きている自分が見える」

「老いは絶望感との闘いになる」

「そうね、目に見えない時間の継続の中に老いを孕んでいる。もう一度若返ってみたいと誰もが思う。あの時こうしていれば、また違った人生が有ったかも知れないと回想する」

「与えられた時間はもう無い」

「神が?壁が?あの女を殺したことが、雅生の新生生物が?」

「婆さんのように、語り出せば一時間ほどで人生を話し終えることが出来る。その時に懊悩したことも、悲しみも、恋愛も、俺の時間の全てが無駄であったと感じる」

「それが相応しい」

「綾、俺は綾を愛していた。しかしそれは閉ざされた時間の中だったのかも知れない」

 暫く目を閉じていたがなかなか眠りに就くことが出来ず、自分の生まれ育った家のことが蘇ってきた。しかし、自分を何処に置き去りにしてきたのか、何を求め生きようとしたのか相変わらず分からなかった。二十四時が近付いていた。踏み越えることの出来ない境界、越えることの出来ない時間の中で踠いていた。

 具現化されない日常、具現化されない意識、表現は記録されない限り失われ、日々無駄な労力をせっせっと繰り返している。そして、人間の社会は生産物に依ってしか証明出来ないようになっている。生きることは、唯、唯、生産することでしかない。しかし記録に無い生き方もある筈である。何故なら、その多くの人間は個の歴史など残すことはなく死ぬ。雅生や綾も同じで、記録に残らない時間を生きているのに過ぎない。

 閉ざされた時間が迫っていた。それは、始めから何も無い空白の時間なのか、多少なりとも重みのある存在した時間なのか、工藤雅生は結論を出さなければならなかった。

 

次回、二十三 そして、閉ざされた時間(終章二十三時)