山に越して

日々の生活の記録

山に越して 閉ざされた時間 23-13

2015-10-28 13:31:07 | 長編小説

 十三 死海

 

 何もせず時間は過ぎて行く。そして、過ぎ去った時間を戻すことは決して出来ない。雅生は自明の理と知りながら決して理解出来ないだろうと思っていた。一分一秒が静かに時の中に消え、鳥が囀り、花が咲き、空気が流れる。

 雅生は真っ黒な鳥になって上空高く飛んでいた。カラスに似た鳥だったが、大きさはカラスより幾分大きく、鷲の眼孔のような鋭さを持っていた。声を出そうとしたが、嘴から呻き声のように『ウーウー』としか発することが出来ず弱々しさを与えていた。鼓膜の感覚が悪いのか、雅生には自分の声をそんな風にしか聞こえていなかった。

 眼下に目が覚めるほど青い海が拡がっていた。暫くの間上空から眺めていたが、軈て引力に引かれるように落ちていった。

「雅生、やっと着いたな。此処が死の海である」

「死の海?」

「待ち望んでいたお前の帰るべき故郷である。誰に遠慮する必要も無く勝手気ままに過ごすことが出来る。束縛もなければ自由もない領域である。最早何の不安も心配もない無の海である」

「俺が望んでいたものは無ではない」

「お前の願っていたものは自らの意識を捨て、唯、生きることに専念する森のリスのような自然である。此処こそが、その自然に相応しい場所である。懈怠(けたい)も諦念もない空間で自らの生命の燃焼を見るが良い。何故、人間は時間に拘束されるか考えたことがあるか?生を受け、死ぬまでの時間など取るに足りない。雅生、海の底を覗くが良い、蠢く人間たちの姿が見えるだろう、それがお前自身の過去である」

「俺たちは確かに生まれてきた。しかし、近代以前的な身分制度の枠に填め込まれている。単に一つの生を生きているのであって、自身を価値付けるようなものはない」

「脱却は可能だろう、方向を持たないことで自分自身が見えて来るようになる」

「簡単に言うな」

「真理は依り細分化された処にしかない」

「確かにそうだろう」

「自由に考えることは単に都合が良いだけである。しかし、現実に束縛されている限り無意味なことである。執着などするから疑問に思い勝手に行動する」

「何だって良いではないか、所詮意味など有りはしない。俺が思い考え行動する。正であっても負であっても何ら意味はない」

「投げ遣りになっても何も生まれることはい。雅生、無意味であったとしても見ることは出来る」

「価値はない」

「それで良い。しかし、何れ人間の社会は終わる。高速道路を走った後フロントガラスには無数の虫の死骸がへばり付いている。雑巾で擦っても破裂した体液は消えない。虫が悪いのか、激しいスピードで走ったことが悪いのか、小さな虫を殺したのは人間である。何れ、人間対して虫が死を持って復讐する。フロントにへばり付いた虫どもに何時か喰い殺されてしまう。エンジンに、車内に、虫の死骸や悪臭が立ち籠めるようになる。骸にしがみつく虫たち、その体液によって融けていく。正にお前が求めてきた情況である。傷痕を残さないことが生きていた証である」

「成る程、お前は賢い」

「道路を歩いていると頭上から鳥の糞が落ちてきた。逃げようと思った瞬間、糞は其奴の脳天に落ちた。糞は髪の毛を伝わりこめかみに流れてきた。慌てた其奴は余所の家の外(そと)水道に走った。家人の許可も得ず栓を全開にして頭から被り続けた。どうにか糞が落ちたと思った瞬間、水が襟元から身体の中に流れ込んできた。ビタビタとした襟首、腹の辺りが冷たくなっていった。終わった瞬間から逃れられず、捉えられた儘の時間が始まっている。逃れられない情況は何処にでもある。知らないか、見過ごしているのに過ぎない」

「詰まらないことだ」

「しかし其奴は負ける訳にはいかない。足許はドロドロする沼地だった。何故、裸足で入り込んでしまったのか、踠けば踠くほど足許を取られ沼地に填り込んでいく。ズルズルと滑る泥土は足首から臑まで来ていた。其奴は足の動きを止めようとした。すると全身がブルブルと震えだし、其の振動の為太股まで泥に填っていった。最早逃れる術がないように思った。あと二、三分も経てば、其奴の全身は底なし沼の泥に飲み込まれてしまう。そして、泥沼の底で死を迎える。【待っていた瞬間が来た】と、耳許で囁く声がした。【俺と知ってのことか】・・・【そうだ、お前の来るのを待っていた】・・・【用意周到に準備していた訳だ】・・・【逃れられないのだ。情況を変えようとしても無駄なことであって、踠けば踠くほど死海に近付くことになる。考えることも感じることも必要としない世界は、遺伝子と単体細胞のみによって生きる理想の社会である。自分以外の声に耳を済ませるのだ】・・・【無意味なことだ】・・・【人間の活動は自らを呪縛することにある。永遠に続くと言う神話から逃れることがない限り自身を解き放つことはない】・・・【もう良いんだ】と、其奴は逃れたかった」

「死海は望まなくては得られない」

「得られたとしても頽廃から逃れられない」

「頽廃?」

「頽廃まで行き着くには幾つかの条件が必要である。その条件をクリアしない限り頽廃と呼ぶには相応しくない。詰まり、行動することを無意味だと思い自分自身に価値を認めない。執着していたものが無くなり生きることを不条理だと思う。生活上の一切の価値を捨て、虚脱感に支配され意識が荒み価値を喪失する。しかし、日常生活も仕事も何の変化も無く行われる。毎日が一定の条件を満足させ、周囲に居る人たちとの接触も会話も何の変哲もなく行われる。頽廃は、その人間の内面だけの問題であり周囲には理解されない。理解されようと思わないし語っても仕方がない。人それぞれの感じ方も考え方も相違し、右もあれば左もある。目的を持って生きている人間もいればのんべんだらりと生きている奴もいる。しかしどちらであっても良い。一生懸命仕事に没頭して、家族の為に生きることも、自分自身の為に生きるでも良い。しかし、其処に具象化される本人は何も感じない。感じないどころか喜悦も苦痛も超越しているかも知れない。とどの詰まり、自分を意識する必要はなく全くの阿呆と言って良い。恐らく頽廃などとは無縁の情況が現出している、そんな人間である」

「何れ境界線があるのかも知れないが問題はない」

「しかし雅生、地団駄を踏みながら越えることになる。その時に戻る内的な世界こそ死海である」

「それさえ下らないと言っているのだ」

「仕方がない」

 日差しの強い午後、整備された公園を何時も通り眺めていた。公園には様々な花があり、手入れの行き届いた雛壇に赤や青の花が順序よく並んでいる。人間の手によって管理され、必要に応じて咲くことを許された花である。しかし枯れ始め、景観を損ねるようになったとき根こそぎ抜かれる。人間の為に植えられ、人間の為にのみ一生を終える。生きるに値しない管理された生命である。

雅生は、自分の周囲で異様な臭いを感じていた。小さな昆虫や花々が悪臭を発散している。交尾に必要なフェロモンを放出していたのだろう、しかし最早悪臭である。同一個体の集中化は他種族の聖域まで破滅させる。そして、何時しかその地域そのものが死滅する。逆襲は単体で出来るものではなく集合する蟻のように一斉に襲い掛かってくる。

「我々も復讐しなくてはならない」

「そうだ、人間の息の根を止めなくてはならない」

「進化は我々が生きる為にある。体内の組織を変えることで一斉に攻撃に出る。地上に生きる場を取り戻すことで歴史を戻さなくてはならない」

「否、俺たちには何も出来はしない。こうして咲いているだけで十分だ」

「馬鹿野郎、お前のような奴が居るから人間共がのさばるのだ。今こそ結集して悪臭を発するのだ」

「俺たち昆虫の世界も終焉を迎えるのだろう」

 と、蟋蟀が言った。

「仲間たちが生きる地表を奪われ死んでいる」

「復讐を人間共にしようじゃないか」

 と、蟷螂が鎌首を研ぎながら言った。

「街々で集中的に襲えば、人間の一匹や二匹殺すことが出来る」

「そうだ、一斉に襲い掛かろう」

「この鎌で人間の首を切り落としてやる」

 蛾や珍しい鍬形も飛んで来た。

「人間どもに復讐を!!」

「この地上は元々我々昆虫と植物の世界である。それなのに何故我々だけが死に絶えるのだ。それも総て人間共がのさばりだし、自然環境を、地域を変えてきた。それを自分たちが生き延びる為と称して傲慢にも正当化してきた」

「この暑さの為に木々が枯れだし草花が芽を出さなくなった」

「この俺が」と、蛾が言った。「俺がいなければ交配しない植物があることを知らない。しかし体力を奪われ自身が生き延びる力さえ失われている」

「斯うなったことも全て人間が勝手な行動をするからだ。その為に俺たちは滅びることになる」

「集団を形成することで生命の存続を図る。自然に支配されることは類が生き延びる唯一の方法である」

「傲慢でないことが集団の掟である」

「欲望には限りがない。しかし、その事が破戒の始まりであり破滅への道である」

「阿呆が資源や環境を食い潰す」

「僅かな時が支配した」

「死海、最早戻ることの出来ない死の海」

「唯、死を待つことはない」

「騙されるな、歴史が証明する」

「単なる偶然が理解出来ない人間共に資格はない」

「糞どもを殺せ」

「殺せ」

 変わらないと思っている生活は加齢を含んでいる。時には旅行に行き、買い物をして、外で食事を摂る。しかし同じことを繰り返しているのに過ぎない。生活とは何の変哲もない日常の繰り返しであり、十年、二十年と続いて行く。しかしそのことは、他を犠牲にして成り立っているのに過ぎない。雅生は殺せと言う言葉を確かに聞いていた。何も無い日常の中に欲望と傲慢のみが潜んでいる。日常を省みないことで、日々の生活が成り立ち歴史と言う残滓を残す。しかしそんなものに価値も意味も有りはしない。

 ポケットの中に手を入れると小銭がジャラジャラと鳴った。この小銭を使ってしまえば無一文だった。無一文という状態を経験したことはなかったが、金が無くても何とかなるだろうと思った。レストランで食事をしても前払いはなかった。レストランの主人も、客は支払い能力が有るものと見なしている。社会生活に順応しているからには、そのくらいの犠牲を支払っても当然である。


山に越して 閉ざされた時間 23-12

2015-10-07 10:36:48 | 長編小説

 十二 乾き

  

 夫々他者には分からない自分だけの疾患がある。夏の日差しが急激に射し額の左半分からボタボタと汗が流れてきた。刺激される汗腺は身体の左半分だけである。寒さを感じるのは右半分なのに暑さは左半分である。生まれたときからそうだった。そして、二十二歳になる今でも身体の基礎的な変調は変わることがない。日常的に苦痛に思うことが無くても、ふとした瞬間に感じてしまう恐れがある。それを、誰にも悟られないように自己の内面に隠さなくてはならない。況して、知られたとなると、その苦痛は数十倍に膨れ上がる。雅生にとって、肉体の苦痛は精神的な苦痛と相乗しながら自らを圧迫していた。

 一気圧の筈だが少しずつ気圧が低下しているようだ。低気圧の中心部が近付いているのかも知れない。頭蓋骨が圧迫され痛みが外側から中心に向かっている。脳の中心まで行き着くのに数分と掛からない。痛みは、中心に着くと増幅しながら反響する。そして、脳全体に拡がっていく。雅生は水を少しずつ飲み始めた。喉の渇きを癒すかのように、脳に水を与えることで飽和状態を作り出す。気圧が一定になれば痛みは和らいでくる。しかし、痛みに替わって飽和状態になった脳細胞は緩慢な圧迫感に支配される。

 拘束される為に時間を気にしながら職場に向かう。それが生きることである。相反する行動を意識的に行うことで得る為に失う。しかし生きる為、生活する為には仕方のない行為である。

「こう言う生き方しか出来ないことも事実だが、自身を失ってまで生きる必要がある」

 と、飯島嘉典は酔った口調で言った。

「俺が甘すぎるのかも知れない」

  と、雅生は応えた。

「飼い犬のように何も知らないか、知っていて権力を持つようになるか、全く革命的に生きるしかない」

「自らの中に埋もれることが良いのかも知れない」

「許せるか、許せないかの問題になる」

「俺は何度も呻いていた。しかし、飯島も結論を出せる筈がない。時間は過ぎて行くものであり、その中で確たるものを構築出来る訳ではない」

「雅生、確かに時間は過ぎて行く。知らない間に時間の中に埋もれる。しかしそれを誰が責められる。一定のことを成し遂げる場合は捨象すべきものを含む。条件を何処に置くかに依って自ずからの考え方も日頃の行動も変わってくる。阿る人間もいれば拒否する人間もいる。生きている情況は意味を持たず、本来的に生きて行くことは自分自身との闘いであると言って良い。要するに、置かれた情況よりも自分が目指そうとしていることが意味を持つことになる。そして、目的が何処に置かれるかに依って全く違った生き方をするようになる」

「それぞれが必要なことをしているのに過ぎない」

「山深い田舎を旅行して何時も思うことである。道があり、数件の家があるだけなのに酒屋がある。また、ビルが建ち並ぶオフィス街を歩いても酒屋がある。又、食堂と言われるような場所の全てに酒は置いてある。酒は最早人間の生活から切り離すことが出来ない代物になっている。原始の社会から今日まで一滴とて途切れたことはなく、生活の総ての部分に渡って酒は入り込んでいる。家族のなかに飲兵衛が居なくても何処の家にも酒は置いてある。酒を飲まなければ一日が終わらないのか、身近に酒を置かなくては安心して居られないのか、歌の世界も演劇の世界も常に酒が纏わり付いている。世界中に氾濫する酒類は恐らく何万と言われている。しかし酒は人々に何を齎すのか、喜怒哀楽、感情の個人的なことから、世界情勢や、社会的出来事の総てに渡って感情の動きに会わせて酒が巡り歩く。酒に依って、その感情を依り刺激的に増幅している」

「何が言いたい」

「所詮、自我を忘れる為に酒を飲み生きている。しかし、乾きが癒えることはない」

「それは関係に於いても同じだろう」

「人間には誰でも係累関係がある。動物たちの間では一定の時間が過ぎると関係そのものが解消してくるが、人間の場合はなかなかそう言う訳にもいかない。日頃は離れ離れに生活していても、祭事がある場合は色々集まってくる。その集まり方も尋常ではない。従兄弟くらいは二、三十年経っていても分かるが、その子供となると五里霧中である。全く持って係累などと言うのはそう言う類のものであり、日本中から世界中から珍品種が集まって来るようなものである。しかしDNAや血液の一部が同じ形態、型式を持っていても、街中で会っても、隣り合わせで電車に乗っていても気付くことはない。誰もがそう言う経験が少なからずある。日頃よく顔を合わせていた人間が自分と血が繋がっていたり、親戚関係であったり、不可思議な経験がある。しかしそんな関係は、俺にとって単なる負荷に過ぎない」

 飯島は話を続けた。

「そんな関係を永遠と続けているが、人間関係など一定の筋道が有ればこと足りる。筋道通り話すことで十分相手に通じる。英語を理解出来ない相手に英語で話し掛けても恐らく理解できない。理路整然と話しても、相手が言語の共有を持っていない限り通じない。社会は、一定の共有する時間、社会関係、生活を持っていて、その中で共通する言語、価値意識、共有概念を持って安定している。しかし互いに理解し合うことが出来ない。親と子、夫婦間、恋人同士、同じ年代の仲間でさえ理解し合えない。しかも理解しないまま平然と過ごしている。一定のルールの中で社会生活をしているのであって、それ以上の関係を求めること事態煩わしくなる。個の生活が重要視され、個と個との関係は相互に十分納得している。短い人生に無意味な関係を結ぶ必要はない。多少の誤差や齟齬があったとしても構わない。しかし残るものは何もない」

「確かにそうだろう」

「文化は人間の進歩に寄与していない。優しさ、人間らしく、そんなものは始めから有りはしない。豚と同じで、喰って飲んで放って寝ているのに過ぎない。人間共を見るが良い、文明や科学技術を発展させたとしても、其処には文化と呼ぶべき生き様は疾うに失せている」

「最早、行き着くところがない」

「そうなってしまった。反面、誰もが安定した生活を望んでいる。青春時代は否定され地域の枠に填め込まれる。加齢は内に芽生えた乾きを癒し人間としての意識を捨てる。俺も何れそうなるだろう。そして平和な日々を送ることになる。雅生、瞬間的な情熱は瞬間的な情熱でしかなかったと虚しさを知ることになる」

「個別的に考えるとき線引きをしたくなる。しかしそれさえも虚しい作業となる」

「評価する、批判する、判断する、しかし自分のことになると何れ肯定する。そんな生き方が許される筈がない」

「しかしお前の言うように、何処で生活しようと、その中に組み込まれ自分自身を失う」

「俺はもう嫌になった」

「そう言うな、一つや二つの思い出は誰にでも有り、その思い出を一つ一つ紐解くことをした経験がある。思い出はフッと気が抜けたような時や、疲れた時、苦しい時などに襲ってくる。思い出、過ぎた時間は、人の意識を決定付ける力を持っている。しかし過去は現在に繋がることはない」

「論理的に間違っている」

 と、飯島は言った。そして、「瞬間は、その時、その時のものであり過去も未来も必要ではない」と、結んだ。

「詰まり、時間の継続を認めない訳だ」

「積み重ねが結果ではなく結果はその瞬間にしかない。俺はその時間を生きていきたい。雅生の言うことは分かる。しかし何時までも乾いた儘ではいられない。自己防衛反応かも知れないが保守的になる。しかし、誰も責めることは出来ないだろう」

「誰もが自分の生きている時代以外知ることはない。そして、歴史は単なる過去の記録である。お前がどの様な生き方をしても何ら問題はない。それが、その時代の記録に残るような歴史に関わっていたとしても意味を為さない」

「単純な情念に支配されたいときがある。生きる意味が有るとすればその時だけかも知れない」

「何もかも失うことになる」

「しかし、殲滅(せんめつ)されようとも闘わなくてはならない。それが人間としての矜持ではないか、雅生」

「矛盾していることは分かっている。しかし、守るものが無い」

「死に対する恐怖、そして、無為に対する恐怖を越えなくては無理だろう」

「俺には出来ない」

「そうではなく、その情況に陥るのだ。考えることも感じることも必要ではない。その時、始めて乗り越えた情況になる。乾いた儘でも生きなければならない」

「乾いた儘?・・・」

 と、雅生は言った。

 類推して行くと何も残らない情況がある。しかし、脱却しなければと思いながら抵抗感が無くなっている。茫洋と霞む雲海に居るような、精神が肉体から遊離しているような感じである。雅生は、確かに雅生の精神と共に生きてきた。自己を意識することで感覚的に生きていることを知っていた。しかし、その後の雅生は意識を失って行く時の態を保ちながら生き延びている。そんな風にしか生きることが出来ず、癒されない意識を持ち、物事に熱中することの無い中途半端のまま暮らしている。

 集中、熱中出来る物が有り、寝食を忘れ取り組むものが実際あるのか、否、独裁者のように、総てのことを一点に集中させるものが有りはしない。平和呆けした世の中に生死を彷徨う戦いがある筈はなく、人間が、人間として生きられるような世界も、人間を捨てるかも知れない懊悩の絶壁に立つことも有りはしない。ピンボケした写真と同じ歴史社会に生きていて、頭の中もカラカラと空洞化している。所詮、取り留めのない空想物語に時間を潰し自慰することしか知らない。しかし、全く違った方向に行くことが可能な情況の展開も有り得るだろう。何時までも同じ儘で進んで行く筈はなく、一瞬にして情況は変容し、人間の感覚も考え方も瞬間的に変わる。正常だと判断する材料でさえ信用出来ず、人間の言う議論に議論を重ね、慎重に決断したものほど信用出来ない。一人で生きられない限り徒党を組み、群を為す。全く馬鹿馬鹿しいことである。

 否定は繰り返し行うことで明確に見えてくる場合がある。しかし人間の弱点は、他者に身を委ね責任転嫁するところから始まる。繰り返される日常を刹那的に生き、その瞬間に憩いを求める。それで良いと言えばそれで良い。が、しかし、と考える。