山に越して

日々の生活の記録

山に越して 36

2016-06-20 13:57:41 | 日記・エッセイ・コラム
 随分と時間が過ぎていきました。後9ヶ月で全面思考停止です。1日1日と現在は過去に遠ざかっていきます。これまで書いた長編小説は私自身の内面をえぐっていきます。そうすることが生きてきた証であり罪と罰になります。
 次回から中編小説となります。
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山に越して 閉ざされた時間 23-23

2016-06-13 09:57:47 | 長編小説

二十三 そして、閉ざされた時間(終章二十三時)

  工藤雅生は真っ暗闇の中空に浮かび上がる蒼を見ていた。視覚的に捉えることが出来なくても、蒼白く燃えている霊魂なのか、山際で光る雷鳴なのか、闇夜の中に彷徨う自身なのか、地上の電極と中空の電極が正に一つになる瞬間抜けるような、そんな蒼を見ていた。混じりっけのない蒼、それは、日常を生きる為の証明であり魂の叫び声だった。

 雅生が望む最後ものは得られるのか、しかし、臨終を前にして望むべきものがあるのか、生命の虚しさを感じることが生きてきた過程だった。結局そこから抜け出すことが出来ない。高校から大学と確かに生きることを求めて来たような気がする。しかし、現在の雅生は何も持っていない。不条理で、不都合で、生きている限り公衆の面前に身をさらけ出し、耐えることが生きていることの証明だった。陵辱されているのだろう、生活は人間の単一的な思考領域を規定し、生活がその人間自身の表現となる。また、生活は越えることの出来ない環境に拠って規定され、自身の在り方に拠っても規定される。蓋し、在り方そのものを規定しているのは環境でしかない。

 人間の思考は幾つかの規定に従って物事を考えるのでは無く、意識下することで自由な発想を持つ。しかし現況は、型枠に填め込まれていることに気付くことは無く誰もが同じ轍を踏む。檻の中でしか思考出来ない、行動出来ない、一があれば二があり、付随して、その後に幾つも幾つも同じことが続いて行く。単純にプラス、マイナスが出来ると考えても仕方がない。思考することは常に進行形で、終局のない思弁こそが思想となる。それが分からなくては、これまでの会合のように中途半端なものしか生まれない。言いたい放題を言って、挙げ句の果て言い逃れをしている、半端な行動形態がなせる技である。

 激しい日差しが脳天を焼き、雅生の体内から水分を蒸発させ視界が薄ぼんやりとしていた。意識が遠退き間もなく昇天する。誰も知ることのない、知られることのない自分だけの世界がある。誰もが経験しながら語ることを許されない自分だけの世界がある。死は自らに与えられた犯すことの出来ない唯一の自己意識である。しかし遠退いて行く意識を自分のものにする事など出来る筈もない。渇きを克服する方法はなかった。乾涸らびて行く雅生は、指先に揺曳する水蒸気を愛おしく眺めていた。しかし、既に指先を口に銜えるだけの気力さえ残っていない。

「雅生、眠りに就くが良い。魂が体内から昇華して行くのが見えるだろう」

「お前は誰だ」

「誰でもない」

「魂が俺の体内から蒸発している?嗤って仕舞うな」

「死に対する恐怖心を持つことは許される。決してお前だけでは無い。誰もが不安を抱え生きている」

「しかし、誰が許す」

「自身で良いではないか」

「俺は関係を持たないことで何とか生き延びてきた」

「しかし結局嘯いているのに過ぎない。お前の過去や未来など誰にとっても関係がない。本当に生きようとするなら戦場に赴け。閉ざされた時間、閉された環境、閉ざされた生活、食い物さえ無い生活、常に死と直面している情況、仲間は敵であり、自身もまた敵となる、そこで問うてみるが良い」

「確かに、お前が正しいだろう」

「雅生、終焉を迎えた自分自身を確かめるが良い。存在の根底などあやふやなものは無いと、それが分かるだろう」

 到頭一日の終わりを迎えようとしていた。やっとの思いで一日を生き延びる。工藤雅生にとって、一日は数百年にも値したのかも知れない。時間は途切れること無く続いて行く。しかし、時間の中に埋没することで、唯、生命を維持しているのに過ぎない。雅生は未だ二十二歳になったばかりで、そんな雅生が生きるに値しないと結論付けた生を生き続けていく。二十四時間、そう一日である。一日生きることで浪費する時間である。一分一秒を繰り返し生きている雅生にとって耐えざる時間であることに違いない。一日は永遠の時間と同じように、果てしなく、その中に埋没し、出口のない延々の生活に支配される。繰り返し、繰り返し襲い掛かる時間に脳は破壊されるだろう。

 座ったまま時間が過ぎていた。仕事が無いこと、行動する予定の無いこと、取り敢えず今日と言う一日を過ごす。人間が今日を生き延びるのは、約束事や予定が立てられることであって、買い物、食事、個別的な予定や、公な予定が有るから時間を刻み生きていられる。さもなければ何をして良いのか分からず、茫洋とした海面に霞が掛かったような状態のまま生きている。正に雅生の日常は、出口の無い、予定の無い日々であった。

 時刻は既に二十三時を回っていた。

 道端に真っ黒い犬の死骸が転がっていた。犬は生暖かい血を口元から流している。タラリタラリと流れる血は地面に伝わり辺り一面赤黒く染めていた。血は凝固することなくアスファルトの地面を流れ、生き物のように雅生の足許までやってきた。ネットリとした血が靴底にへばりつき、伝わり、足裏に染みてきた。そして、浸透圧の原理か、雅生の薄い血を吸い出し、急速に体内から血の気が失せていった。立っていることも出来ずヨタヨタとその場に(しゃが)込んだ。しかし、蹲んだところは既に雅生の血で海のようになっていた。

「何故、俺の血を吸い出す?殺すなら一気に殺せば良いだろう」

「爽快だろう」

「朦朧としてきた」

「痛みを感じることなく意識を失う。そして、意識のない儘この世とおさらばだ。体内の血を抜き取ることが至高の死である。こんな風に死ぬことは王族以外できない」

「俺は何処に行く?」

「死は苦しみを齎すものではなく、意識を失うことは、快感以外の何者でもない。時刻、二十四時、このまま時間が過ぎることで、お前の血は一滴も体内に残らない。そして、死を得ることになる」

「確かに人間の死も犬の死も違いはない。多少の生活様式の差異があったとしても問題ではない」

「そう言うお前を信頼している」

「有り難うと言って良いのか、待ってくれと言って良いのか、俺は迷っている」

「これで良いのだ。お前にとって、死が至高の物であればお前自身が納得できる。誰だって、これで良かったと思いながら死んでいきたい」

 声を張り上げようにも喉から声を出すことは出来ず、酷い耳鳴りの為か、周囲の音はジージーと頭の中で響いていた。夢を見ているのか覚醒しているのか分からない。耳鳴りは頭の芯に響き、内部で反響する声がしていた。

「もうやめようぜ、毎日眠っていても仕方がない」

「眠っていた訳ではない」

「惰眠を貪っているとしか思えないが?」

「起きている。確かに起きている」

「人生は短い。何もしないと直ぐに老いてしまう。今、遣らなければならないことがある筈だ」

「俺の中で何かが変わろうとしている」

「錯覚とは恐ろしいものだ。こんな筈ではないと嘯く」

「嘘ではない」

 疲労感が支配していた。細胞の固まりが疲れているのか、それとも一つ一つの細胞核が疲れているのか、流れる血液も筋肉も骨もガタガタだった。体内の臓器の総てが意思に逆らうかのように造反を繰り返している。機能が停止、腐敗していく過程だろう。関係のない自己造反劇の始まりである。しかし、醜悪な肉体が滅びるのであり寧ろ歓迎すべきことである。

 時刻、二十三時五十九分、死に神から逃れた雅生は未だ彷徨っていた。

「お前の肉体は滅びるのだ」

「一体お前は誰だ」

「幼い子がお前の前に転がっている。未だ自分のことを意識下に置くことの無いあどけない子だ」

「幼い子を殺すことに何の意味がある」

「よく見るが良い。お前に似ているように思わないか?元来人間などに生きる権利や資格など有りはしない。偶々生理的な都合で産まれ、偶々個別的な意識や生活を持ったのに過ぎないくせに、それを天からの授かり物のように、後生大事に守るだけなら許されるが、自らの道具として使う。俺は許さない」

「お前などに殺される理由がない」

「理由など必要がない。それに、生きるに値しないお前に自分の力を誇示する資格はない。何故そんな道理が理解出来ないのだ。俺とその子の関わりはない。だが単に感情の流露として殺したのではない」

「支配している訳か」

「そうだ。他に何を必要とする。雅生、お前などが一々ほざくことではない。越えるべき障壁を持たないことで、のんべんだらりとした生活しかないお前が発すべき言葉は無い」

「俺は、」

「俺はだと、うんざりするぜ。この期に及んで」

 得る物は無く人間は自分の時間を失いながら生きている。確かに得たと思った瞬間、既に失われている幻影なのだろう。しかし、日々幻を追い求めることしか出来ない。また、統一的に考えようとしながら一瞬一瞬を失い、失ったことで繋がりを持たない。そんなことを繰り返しながら人間は自分の人生を失っていく。雅生もそうであった。気付いているのかいないのか、何れにしろ、二度と戻ることのない時間を失っている。必要のない行為、必要のない時間、必要のない生産、失われた時間の中で無でしかない。それは・・・、そして二十四時、工藤雅生個人の中で起きた出来事であり、全く価値の無い意味の無い独り言でしかなかった。

 濁りのない空間に限りない神秘を秘め、中心に行けば行くほどその濃さを限りなく増して行く。何処まで行っても行き着くことの無い中心、平坦を辿るのではなく距離を辿って行く。何も無い虚空に吸い込まれそうに一瞬意識を失う。蒼、雅生は片手を力一杯伸ばそうとした。しかし、意識の中で幻でしかない蒼を掴み取ることなど不可能であった。

 雅生にとって、二十四時間一歩も外に出ることはなかった。狭小な空間に囲まれただけの生活である。六畳一間のアパートには、唯一つの窓だけである。見渡す限り何も無く、窓から眺める風景は平坦のまま何処までも続いている。あの時の火事で何もかも融けてしまったのか、融点に達した空気は全ての物質を溶かし、地面の底に沈み込ませていた。形を残さないことで、其処に存在したことさえ記憶の中から消える。形の有ったものだけが記憶として残り歴史となる。しかし、何れ崩壊する。二十四時、それは雅生にとって閉ざされた時間の始まりでしかなかった。

                             了

今回で最終回です。長い間ご購読有難うございました。

次回中編小説を予定しています。

海辺の町、海岸にある松の独り言・・・。

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