山に越して

日々の生活の記録

通り過ぎた海辺 12-12

2017-02-21 08:45:22 | 中編小説

十二          

  春が終わり、夏、秋と過ぎて行った。一週間ほど前からガリガリ、ガリガリとモーター音が酷くなっていた。そして、後ろ足は腐りひっくり返りそうだった。最早寿命を延ばす修理より廃棄処分が似合うことだろう。

 傾き掛けた後ろに松の姿が見えた。その度に、松は悲しそうに俺を見つめていた。今日で終わりなるかも知れないと思いながら、それでも三度目の冬を迎えようとしている。しかし、この寒さと湿気に耐えることなど到底出来ないと分かっていた。

「来週の始めにするか・・・」と、何度か見た男が俺の正面に立って言った。この男の所有物なのか、単に集金だけに来ていたのか分からなかったが、何れにしても一週間後には俺の歴史にピリオドを打つことになる。

 時間は瞬く間に過ぎ、残された時間は一日になっていた。明日になれば電源を抜かれ全てが終わる。

『お別れだね』

 と、俺は松に話し掛けた。

『そうだね』

『予定された通り終わりを迎えることになってしまった。機械としての寿命は自然に勝つことなど出来ない』

『俺のように予測出来ない未来を待っているのが良いのか、気休めかも知れないが終わりは予定されていた方が楽だと思う』

  と、松は言った。

『生きていることは、生きていることを意識しなくてはならない。でも、通り過ぎた人たちは目の前の現象面だけに捕らわれ先が見えなくなっていた』

『来ては去り、去っては違う人々が来る。目まぐるしく変わっていく日常が、人間たちにとって必要なのだろう』

『人間性という知性を持ち、感情や知識を複合させ、それぞれの生き様を表出させる。でも、色んな人々の呟きに接点を感じることは無かった。誰も彼もが傲慢なのかも知れない。自分との対話を内に秘めながら、何故、生きているのか、問わない』

『昔から何も変わらない』

 と、百年以上生きている松が言った。

『少しだけ視点を変えると何もかも別なものに見える。でも、それが分からない。生活に追われ、ゆっくり物事を考えない。のんびりしていると社会に取り残されてしまう不安を覚えるのだろう』

『忙し過ぎ、泰然と身構えられない』

『きっかけはあるのに出来ない』

『そうだね』

『人間は自分の生き方を頽廃へと導いている』

『これから先、百年、二百年と俺はそれを見続けていく。何も変わらないまま・・・』

『静かな時間だ』

 午前中は風も無く穏やかな日和だった。松ちゃんと俺はうつらうつらしていたが、氷見の方から少年と少女が自転車に乗ってやってきた。地元の中学生か、二人とも初初らしさが滲み出ていた。それに引き替え、俺はすっかり潮風に晒され草臥れていた。子供たちは俺の側に腰掛けた。

「もう直ぐ冬休みね」

  と、女の子が話し出した。

「来年は三年生だね。そして一年後は高校受験が待っている。勉強しなくてはならない」

「目標校を目指して頑張ろう!明彦は普通科に行くのでしょ?」

「その積もりだけど、啓ちゃんは商業って決めているの?」

「卒業後は家の手伝いをしなければならない。両親は、そうして欲しいと思っている」

「東京に出ることはない?」

「日本は狭いし、何処に行っても変わらない」

「狭いかな?」

「必要なものは手に入るし、ゴミゴミしている所より自然が沢山残っている方が似合っている」

「啓ちゃんは普通の中学生と違うのかな?」

「同じよ、性格的にのんびりしているだけ」

「高校に行っても大学目指して、大学に行っても上級職を目指して勉強する。そう言う人生なのかも知れない。親父は、仕事としてやるなら上級職を目指せと言っている」

「成る程ね」

「官僚ほど良いものはないと思っているのだろう」

「何故?」

「親父、公務員だけど、県の中でも結局国の連中が上の方を握っていると零している。それに、高校しか出ていないので大変らしい。のんびりしている親父でも色々苦しいのかと思う」

「それで明彦は勉強しようと思っている」

「未だ未だ知らないことが多過ぎる。高校に行けば色々な目的を持っている奴にも出会うだろう。見据えた未来や展望は無いけれど、自分の生き方と合致するものを見つけたい」

「明彦って大人だね」

「夜になると外に出て星を見ている。星々の煌めきは何千年、何万年前の彼方から来ている。掴み取ることの出来ない過去と言う未来から来ている。過去を見ているのに未来を見て、未来を見ているのに過去を見ている。永遠に理解出来ない時間の中にいる」

「人間なんてちっぽけな存在ね」

「空を眺めていると満たされ、そして虚しくなる。知らない間に涙が流れているときがある」

「中学生って中途半端で行き先が見えない」

「いつの間にか世間と言う大きな波に呑み込まれ、気付いたときは逃れることが出来ない状態になっているのかも知れない」

「将来のことを考えるようにと言われたって、矢張り自分では決められない」

「自立、自立と言っても親の臑を囓っていなければ学校にだって行けない」

「自分の一生を懸けて出来ることを見つけたいと思う。そうしなければ直ぐ歳を取ってしまう」

「これから飛び立って行こう」

「頑張ろう」

 二人の会話を聞きながら俺が腐るのも仕方がないと思った。時間は早くも遅くもなく確実に過ぎていく。時代と共に古い物は忘れられ捨てられていく。でも、それで良いのだろう。

「冬休み、何処かに行くの?」

 と、女の子が言った。

「行かない」

「みんなで集まって思い出作らない?」

「思い出?」

「心象かな?・・・。心の奥底に残って、その時のことを思い出すと辛いときでも頑張れるようなもの!」

「人間って弱いのかも知れないね」

「弱いから一生懸命何か見つけようとする」

「自分が納得出来れば一番良いと思う」

「私の未来は、何が待っているのだろう?」

「何も無く終わるか、波瀾万丈の人生が待ち受けているのか、青春が来て、又青春が来て、何時までも青春しか来ないような生き方がしたい」

「歳、取らないの?」

「失うことのない青春を生きる。そうなりたい」

「私の中にある青春を見つけることが出来るかな?」

「出来るさ」

 と、男の子は力強く言い切った。

「確かなことは、誰もが同じ時間を生きている。場所、関係、生活様式など全てが違っていても、過去でも未来でもない時間を共有している。それぞれ求めるものや行き着く先が違っていても、これだけは変わることがない」

「明彦も、私も、古い自動販売機さんも今は一緒だね。でも、これから十年後には皆変わってしまう」

 女の子の視野に映っていたことが不思議な気がした。でも、明日になれば俺はもう存在せず過去の遺物になっている。

「そう、この瞬間は二度とない」

「寂しいね」

「未来は分からないけれど、過去にお別れだ」

「私、もう一度考えてみる」

「何を?」

「今日のこと、そして高校のこと」

「生きるって、一日一日を積み重ねていくのか、一日一日を失っていくのか、啓はどう思う」

「分からない」

 と、暫く考えていたが小さな声で言った。実際、この問いは俺にも分からなかった。明日で終わる俺は、これまでの日々を積み重ねてきたのか、失ってきたのか分からなかった。

「又、冬を迎えるね」

「厳しい冬」

 と、女の子は応えた。二人は暫くの間海を眺めていたが日溜まりのなか帰って行った。一瞬、二人が振り返ったように思った。そして、『問うことは難しい』『答えのない問い』と、二人が呟いたように聞こえた。

 俺は自動販売機としてほんの一瞬を生きてきた。誰もが一つの形として存在するが永遠に続くものではない。唯、死ぬ瞬間、これで良かったと思えるような生き方が出来れば良い。夕方から深々と冷え込み今年初めての雪が降り出した。能登半島はすっぽりと冬景色に覆われることだろう。そして、俺の短い一生は終わる。

 明け方、小さな犬が来て俺の隣に座り込んだ。茶色に白の混ざった可愛い犬だった。その犬に俺は、『ポピー・ポッコ』と名前を付けた。

 

                                                         了

 

 ご購読ありがとうございました。

 次回、「鷺草」では、海辺を歩いていた少年、少女は青春の入り口に立とうとしています。私にも、二度と戻ることのない青春が確かにあったような気がします。

 鷺草は16-8までが前編、16-16までが後編になっています。


通り過ぎた海辺 12-11

2017-02-14 08:25:22 | 中編小説

十一     

  いつの間にか厳しい寒さも終わり桜の花の便りが聞こえてきた。出会いと別れの季節であり、始まりと終わりの季節でもある。人生の節目が、どの方向に向いたのか理解出来る顔付きを誰も彼もしている。しかし顔付きは一寸したことで変わり、人間には持続的な思念を持つことなどなかなか出来ないようである。

 一週間ほどして道の反対側にある桜の木が満開になった。しかし一本だけ咲き乱れても、誰も足を止め眺める様子はなかった。花びらが風に吹かれ俺の足下にまで飛んできた夕暮れだった。二台の乗用車が並列に並んだ。一台から一人の男が降り、もう一台は若い女の二人連れだった。

「何処から?」

 男はいきなり声を掛けた。

「東京」

「生まれは?」

「渋谷に新宿」

「そうかな?」

「そうよ」

「学生?」

「OLよ」

「可愛いね」

 男は短い言葉で的確に女たちの素性を知ろうとしていた。女も何の躊躇いや不安もなく淡々と応えていた。若者たちの会話は随分変わっていた。

「上手ね」

「否、本当だよ」

 と、女の気持ちを手に入れた。

「ところで、旅行?」

「そう、貴方は?」

「仕事」

「何処に行くの?」

「輪島」

「その後は?」

「戻る」

「忙しいの?」

「そう」

「何を?」

「海」

 と、応えてシャッターを押す手付きをした。

「カメラマン?」

「そう」

「所属は?」

「雑誌社」

「本当かな?」

「間違いなく」

 と言って、素早く名刺を渡した。女は相手の身元が分かったことで反応が一段と鋭くなった。そして、「大手よ」「素敵」などと勝手なことを言い、男は満更でもないと言う顔付きになった。

「専属なの?」

「そう」

「凄い!」

「食っているだけさ」

「嘘!」

「本当だよ」

「専門は?」

「自然」

「何年?」

「七年」

「恋人は?」

「いない」

「嘘、」

「居れば良いけれど・・・」

「なって上げようか」

「信じても良い?」

「勿論!」

「撮ろうか」

「本当?でもヌード?」

「どちらでも」

「プロなら良いか」

「認めてくれる?」

「ええ」

「予定は?」

「別に」

「行っても良い?ホテルは?」

「輪島のK」

「今夜」

 そう言って別れていった。言葉は大層簡単だった。しかし若者たちの間では意味が通じていた。その後も同じような子たちがやってきた。それも女の子三人である。俺はその会話を聞きながら頭が痛くなってきた。

「沙貴どうする」

「止める」

「行こう」

「でも」

「鈴は?」

「疲れてしまった」

「見ないってこと?」

「うん」

「紀美は?」

「だって」

 珠洲市に行くのか氷見に戻るかの会話だと思っていたが間違いだった。名前を呼び合っていたのを地名と勘違いしていた。古くなった俺は、既に小父さんになっていたようである。未だ学生だろう娘たちは時間と共に走っているようである。

 交通手段の発達は生活と移動を便利にした反面、人間の思考を頽廃へと導いた。日常に追われ、ゆっくり物事を考える時間が無くなっている。目の前で繰り広げられることを瞬間的に処理することは出来るが、落ち着いて自分自身を見つめることはない。

「コンパは?」

「勿論行く」

「あの教授エッチだと思わない?」

「目付きが嫌ね」

「授業中も」

「チラッと見る」

 別の女の子が後を受けた。

「後一年」

「我慢?」

「そう」

「耐えるのが若者」

「触れば告訴する」

「そうね」

「男は嫌」

「ゼミは?」

「変える」

「当然!」

「今夜は飲むよ」

「賛成!」

「明日は?」

「さぼり」

「明後日は?」

「又、さぼり」

「来週から」

「勉強」

「でもまたさぼる」

「嫌ね」

「だって」

「学生何だもの」

「でも」

「溜め息」

「鈴、紀美、理想は?」

「遊ぶこと」

「同じく」

「男?」

「無い」

「同じく」

「沙貴は?」

「金持ち」

「頑張るよ」

「当然」

「行こう」

「OK」

 何処に行くのか五月蠅い女たちは去っていった。日常をさらりと流すことが現在の流行と言うのだろう。しかし、この女の子たちでさえ数年後には時の中に消滅する筈である。

 忙しなく一日が過ぎたと、俺は思った。しかし予期せぬことは何時始まるか分からない。観光バスも通り過ぎてしまった夕暮れ、新しい自動販売機が運ばれてきた。それも新品が二台である。高さは同じ位だったが横幅は広く随分と安定感があった。電源を入れてもモーター音は殆ど無く、カラフルでありながら堂々としていた。隣に、存在感を示すように置かれたので俺は随分と貧相に映ったのだろう。

「此奴も新しいのに取り替えた方が良い。綺麗な海をバックに映えないだろう」

 と、一人が余計なことを言い始めた。

「新品の隣にがらくたですね」

「持ち主が違うのか?」

「同じだと言っていました」

「まあ関係がない。俺たちにとっては二度商売になる」

 男たちは帰っていった。

 ポツリポツリと星空が拡がっていた。新しい自動販売機の隣で俺のモーターはガタガタと動いていた。何時コンセントを抜かれるか分からないが、今夜はこうして一晩中星空を見ていられる。此処に来てから俺の側を通り抜けた人達のことが多少気になった。同じ場所、同じ道を通りながら、ほんの少しの時間の差異で生涯出会うことのない人たち、それは一時の夢だろう。