新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

ヘンな喪中はがき

2021年11月28日 | 日記

写真はわが家の紅葉

 喪中はがきが届いた。だれから? 職場の元同僚Sさんからだ。だれが死んだ? Sさんが死んだと書いてある。はて、どういうこと? 死んだ本人が出した喪中はがき? よく読むと、70歳を迎えて生前葬をしたので、新年のあいさつを控えると書いてある。これで意味が分かった。それにしてもヘンだ。生前葬をしたから、いまは喪中なのか。生前葬をしたからといって実際に死んだわけではない。「今後ともご指導・ご鞭撻のほど宜しく」と人並みなことも書いてある。いっぽうで「参列者は私一人、厳かで感動的でした」とも・・。
 生前葬とはいったいなに? 実際に生を終えたときに、わざわざ他人を煩わせないように、自分が生きているうちに死に支度をすませることを意味するのではないか。坊さんが来てお経をあげたらしく、戒名もつけたようだ。死の準備は万端でぬかりない。これでいつでも死ねる。いやご本人は新たな生を得たつもりらしく、「生き直します」と書いている。まだ当分の間、死ぬ気はないらしい。これまでの自分と決別しようという意思の表れとして、この喪中はがきを出したようだ。
 喪中はがきを受けとったこちらとしては、どう対応するべきか。一般に、喪中はがきを受けとったからといって、こちらが新年のあいさつをしてはいけないわけではない。総じて年賀状を書くことを控えてきたが、ふだん会えない人には自分が生きている証しとして年に一度のあいさつ状を書くことにしている。Sさんにはどうするか。新年のあいさつでなく、適当な時期に様子うかがいのはがきを出すことにしよう。



ローザ・パークスの前の人

2021年11月25日 | 日記

 1955年3月2日、アラバマ州モンゴメリーでバスに乗っていた黒人女性がいた。白人女性が4人乗り込んできた瞬間、運転士は黒人女性に席を譲ることを求める。黒人女性はそれを拒否。警察が呼ばれ、黒人女性は逮捕される。公民権運動の発端になったとされるローザ・パークスではない。彼女の名前はクローデット・コルヴィン。
 それから9か月後、12月1日に同じような事件が同じ土地で起こる。これがローザ・パークス事件だった。ではなぜクローデット・コルヴィンは無視されたか。彼女は当時15歳、未婚でありながら妊娠していた。いかにも非行少女の風情で、皮膚の色は黒い。労働者階級の子を、中流階級の黒人たちが中心になって活動するACLU(全米自由人権協会)は敬遠した。白人が牛耳るメディアの恰好の餌食になってしまう。いっぽう、9か月後に同じ事件を起こしたローザ・パークスは当時41歳の学校教師、スコットランド、アイルランド系の血が混じり皮膚の色が少し明るい。こちらなら公民権運動のシンボルになりえる。ACLUの巧妙な打算が働いた。
 もうひとつ幸運が重なった。バプティスト教会の牧師マーティン・ルーサー・キング・ジュニアがその9か月のあいだに頭角を現しはじめたのだった。9か月早ければキング牧師は無名のままで終わったかもしれない。歴史のifを感じさせる一コマだ。
 クローデット・コルヴィンについてはwikipediaに詳しく掲載されている。私はこのことを某大学の英語入試問題を読んでいて知った。大学の入試問題は知識の宝庫になっている。
 余談だが、コルヴィンはローザ・パークスの勇気と勇敢さを尊敬し、世界的に有名になったことを悪く思っていない。いま82歳。


The Simple Truth

2021年11月18日 | 日記

 クリス・デ・バーグのThe Simple Truthを聴いている。

A child is born on a battlefield
A soldier boy falls to his knees
And a woman cries in joy and pain
When will we all live in peace again?
 戦場で子どもが産まれる。10代半ばで銃を持たされた男の子が奇跡に見入る。産んだ女性はうれし涙にむせびながらも、その子の行く末を思いやる。いつになったら平和が戻るのか、と。
A child is born where the wild wind blows
In a country torn from the south to the north
And a family runs from day to day
When will we see our home again?
 子どもが産まれる。吹きすさぶ風のなか。ズタズタに引き裂かれた国。逃げ惑う家族が家に戻れるのはいつのことか。

 70年代に流行った「花はどこへ行った」を思わせる歌詞だが、この曲は日本では話題にならなかった。いまはじめて聴いている。きっかけはジェフリー・アーチャーの伝記のなかの一章だった。
 1991年4月15日月曜日のジェフリー・アーチャー家。エリート教育で有名な全寮制イートン校で学んでいる息子ジェームズが帰宅し、家で妻メアリーと水入らずで夕食をとったあと、居間でテレビを観ていた。そのテレビにイラク北部の難民キャンプで苦しんでいるクルド人が映し出された。サダム・フセイン政権による大虐殺と家でのんびりくつろぐ自分たちとの彼我の差にジェフリーは衝撃を受ける。「クルド人を救うために、なにかできないか」「チャリティー・コンサートをしよう」。ジェフリーの決断は早かった。これまでの政治活動や各種のファンド・レイジングで培ってきた人脈が生きた。
 コンサートの実施日を5月12日に定めた。会場はウェンブリー・アリーナがよい。ところがMCハマーのコンサートがすでに予約されている。事情を話すと、ハマーは快くその日のコンサートを譲ってくれ、さらにチャリティー・コンサートの出演者にも名を列ねてくれた。
 次にジェフリーはかねてから知り合いの歌手クリス・デ・バーグに連絡をとった。デ・バーグもチャリティーの趣旨に賛同し、出演を快諾してくれたばかりか、その数週間まえに書いたばかりのみずからの曲「The Simple Truth」の印税をすべて寄付すると申し出てくれた。ジェフリーはその曲とデ・バーグの意気込みに感動し、チャリティー運動をSimple Truthと命名した。
 YouTubeで曲を検索すると、観客全員がデ・バーグとともに熱唱しているようすがうかがえる。



紅葉回廊いまが見ごろ

2021年11月16日 | 日記

 河口湖、紅葉回廊が見ごろを迎えている。車で1時間あまり、もうなんども訪れているが、ことしはピーク時に合わせて観にいくことができた。ネット上で見ごろ情報を追いかけながら天気が快晴かどうかを調べ、それにこちらの都合が合致したのはめずらしい。夜間のライトアップされた紅葉回廊をも鑑賞できた。カメラに収めることまではできなかったが、幻想的な空間を醸し出していた。写真は朝9時に撮ったもの。
 ついでに富士山を背景にした紅葉を撮影したかったが、コンパクトカメラではどちらか一方に焦点が当たってしまい、他方は付け足しになる。大映映画のシンボル画面になっている富士山を河口湖畔から撮ってみた。芽吹きはじめた桜の小枝をシルエットに、これはこれで優れた富士山画像になった。
 一昨年、息子家族といっしょにオルゴール館に行った帰り、車で帰宅する息子家族と別れて河口湖駅から富士急電車に乗った。富士山駅でのスイッチバックはめずらしい体験だったし、それから大月までの下り坂、延々とつづく下り坂は相当な高低差があった。単線のためときどき大月から来る電車とすれ違うためにいくつかの駅で待ち合わせ時間がある。大月駅までかなり長時間の旅になった。電車にはトイレがついていない。これが困る。我慢できなくなり、途中駅のトイレへ駆け込む。電車は待ってくれるわけでなく、そのまま発車。やむなく次の電車を待つ。河口湖駅から大月までの旅は、スイッチバック体験、長い急坂を下り降りるスリル、トイレの心配で、えもいわれぬ経験だった。


食欲の秋

2021年11月08日 | 日記

写真は山梨県境から相模川両岸を眺めたところ。川とはいえ流れがほとんどないので、相模湖の一端といえる。紅葉がきれいだが、コンパクトカメラではこの程度にしか写らない。残念!

 食欲の秋まっただ中にある。おかげで夏のあいだ夏バテで痩せ細ったからだが2キロほど取りもどしたようだ。おいしいものの筆頭は米だ。ことし穫れたばかりの新米がうまい。ミルキークイーンは新品種か。上野原、八王子のスーパーで見つけ、さらには兵庫、別所の道の駅(たつのに近い)にも売っていた。柔らかくミルクのような甘みがある。ひとくち口に含んでは赤ワインを流し込むという、まるで白飯崇拝者を冒とくするような食べ方をしている。
 秋の味覚といえばサンマだが、ことしは数回食べただけだった。小ぶりのサンマでも200円近くした。一昨年までは毎日のように焼いて食べていたのだが・・。サンマで思い出すのは、炭遊舎で炭を焼いていたころ、がるでんの秋祭りで、サンマの炭火焼きが飛ぶように売れたことだ。STさんが仕入れてくるサンマは大きく、脂がのった最上等のものだった。それを炭火焼きするのだからおいしい香りを放って、お客さんからも祭りのスタッフからも次々に注文が来た。そこへある歳、竹塩をつけて売ったことがあった。
 竹塩とは、竹の筒に市販の食塩を詰め、炭を焼くときいっしょに窯に詰め込んで焼いたものだ。竹は竹炭として焼き上がり、なかの塩は竹のエキスがしみこんでまろやかな味に仕上がる。物珍しさも加わり、竹塩は好評をはくした。焼きサンマに大根おろしをつけた歳もあった。大根は日影原農園で横浜のMHさんが栽培したものだった。
 食欲に話を戻そう。先日、横浜のオーケースーパーでにぎり寿司を買って食べた。妻は好物の貝類ばかりのセットを、私はマグロの中トロが3貫も入ったセットを食べた。極上の寿司を格安の値段で食べられたのは幸運だった。ワンカップ大関を2本さらりと空けてしまった。これほど安い商品を豊富にそろえているスーパーがわが家の近くにあればいいのに、と横浜の人たちをうらやんだものだった。いわずもがな、食欲の秋は酒飲みの秋でもある。