新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

「赤とんぼ」の歌詞から

2018年03月30日 | 日記

 兵庫県たつの公園の桜は3分咲きでした。ここは童謡「赤とんぼ」の詩を書いた三木露風が生まれ育ったところです。

「夕焼け小焼けの赤とんぼ、負われて見たのはいつの日か。・・
 十五でねえやは嫁に行き、お里のたよりもたえはてた・・」
「「このねえやはもう死んどるんじゃ」といって、小学校の先生に叱られた」という話をしてくれた人がいた。三木露風が書いた「赤とんぼ」の詩は歌う人、聞く人の心を叙情豊かな世界へ誘う。むかし母が忙しく、年の離れた姉さんに負んぶされた記憶をなつかしく思い出す人がいるはずだ。そんな人にはこの歌が描く世界がいちだんと身にしみる。
 しかしこの歌をもっとよくよく味わってみると、姉さんが十五で嫁に行った事実だけでは、作者、露風がこの詩を書くにいたった思いの発露には不足だろう、とその人は感じた。小学校の先生にみずからの解釈をぶつけてみたが取りあってもらえなかった。ねえやはすでに死んでいる。だからこそ露風のねえやに対する思いはいや増すことになる。そんなことを想像する子どもに、アタマから否定してかかるのがむかしの先生だった。
 こんなことを私に語ってくれたその人は、お世話になった都立高校の校長先生だった。民俗学に造詣が深く、始業式や終業式などでよく鈴木牧之「北越雪譜」を話題にされた。定年退職ののち自費出版された「この山道を行きし人」と題した本を贈呈してくれた。豪放磊落な先生だった。定年退職後、十年もたたずしてこの世を去った。もう30年近くもまえの話だ。

 写真は「レンギョウ、モクレン、桜」(桂川の河原にて)







都立高校、定員割れ

2018年03月24日 | 日記

写真は千鳥ヶ淵の桜(3月24日現在)

 先週だったか都立高校の定員割れのニュースが新聞に載った。三次募集をするという。私の住んでいる地域は神奈川県であるため、あまり東京の学校のことは新聞のニュース欄に載らないのだが、なぜか今回は二回も載った。一回目はたしか二次募集をする段階だったと思う。
 私がなんとなく不安を感じたのが一月末だった。都立高校では毎年、一月下旬に推薦入試を実施している。都立の推薦応募者がへっているという噂を聞いたのだった。事実かどうかわからなかった。知っている二,三の学校の推薦入試応募状況を調べてみたが、そのような事実はつかめなかった。そこへ三月はじめだったか、定員に満たないから二次募集をするというニュース、さらにそれでも定員を満たせず三次募集、となってきた。その実態は商業科、工業科などの学科で定員が確保できていないということらしい。
 東京都教育委員会が毎年、就学計画なるものを作成している。毎年の中学校卒業者数を正確に地域別に把握し、私立高校へ何人ぐらいを行かせるかを決める。さらに都立高校が受け入れる人数枠を決め、各学校の募集人数を決定する。すべてが都教委の主導でおこなわれる。必要な場合は男女によってアンバランスな募集人数を配分することがある。これまではそれが功を奏して、極端な定員割れは発生してこなかった。ことしはなぜか35校で定員割れが発生しているという。
 その原因はなにか。授業料が無償化の方向へ進んでいることにあるらしい。都立と私立のいちばんの違いだった授業料の金額に差がなくなれば、受験生にとって行きたい学校、親にとって行かせたい学校の選択肢が増える。実際には私立校の多くが施設設備使用料や冷暖房費などを別枠で徴収しているので、授業料だけが無償化されても、必要になる学費、親が負担するべき金額の差はかなりある。
 東京都に私立高校はいくつあるか。東京都の高校の数は636、そのうち私立校は392にのぼる。都立校は244と全体の4割に達しない。しかも私立校の大部分が都心部に集中している。多摩地区にはすくない。23区内、なかでも山手線の内側とその周辺にものすごい数の私立校があるようだ。私立校の大半は中高一貫教育をしているし、土曜日の午前を休まず授業日にしている。都立高校も土曜授業を復活させようと努力している学校があるが、週休二日の厚い壁に阻まれて、都教委は隔週程度の実施しか認めていない。
 いまはまだほんの一部の学校で定員割れを起こしているだけだが、「都立の定員割れ」ということばが一人歩きしはじめる危険がある。風評被害のようなものが起こり、都立高校離れが起きてくるともかぎらない。目が離せなくなりそうだ。
注意:東京都の学校数は受験用の資料から抜き出したもので、おそらく定時制課程や通信制のみの学校は含まれていない。中高一貫校のなかには、高校からの募集枠がない学校があるかもしれない。







筑波山梅林

2018年03月16日 | 日記


 筑波山へ行ってきました。山の中腹にある梅園は天下一品でした。山の斜面一帯に植えてある梅は、下から見上げ、上から見下ろし、なかをくぐり抜けながら鑑賞できるようになっています。水戸の偕楽園、越生梅林よりも見応えがありますし、小田原近くの蘇我梅林とは質の違ったよさがあります。平面に広範囲に広がり、梅林ばかりでなく民家の庭の梅をも観賞しながら延々と歩けるようになっている蘇我梅林にたいして、山の斜面に密集するのが筑波山梅林の特徴です。山の中腹にありますから、紅白の梅の花から目を上げれば、学園都市が見え、その周辺にはだだっ広い関東平野が広がっています。そして天気さえよければ富士山や秩父連山がのぞめるはずです。
 梅園から筑波山神社、ケーブルカー駅近くまでを結ぶ無料シャトルバスを利用させてもらい、ケーブルカーで筑波山に登りました。海抜877メートルあります。
 天気さえよければ関東平野が一望できるはずですが、残念ながら靄がかかっていました。家であらためてグーグルマップの航空写真をみると、関東平野の広大さがわかります。日本一の平野です。ここに首都をおいた理由がのみ込めました。グーグルマップで見るかぎり、濃尾平野がそのつぎに広いようですが、関東平野の広さにはかないません。首都機能移転を考えるより、首都機能をこの広大な平野のなかで分散するほうが効率的ではないか、と思いました。車で走っていて感じたのは、この地域が穀倉地帯でもあることです。たしかにいまは首都圏の穀倉地帯としての役割をいかんなく発揮しています。
 ケーブルカーの駅から女体山山頂方向へすこし歩くとガマ石があります。横に立ててあった説明書きには「元来「雄龍石」といい傍らに「雌龍石」もあり、この場所で永井兵助が「ガマの油売り口上」を考え出したとことでガマ石と呼ばれます。」と書いてありました。
「ガマの油って馬油のことなのよ」「そういえば馬油の色をしている」とバス停で噂しあっている人がいました。馬油も成分に入っているかもしれませんが、そんなに高価なものを使ってつくっているでしょうか。
  




ソントク、ソンタク、ソンタック

2018年03月13日 | 日記

 ソントク、ソンタク、ソンタック。風邪薬の名前? 警備会社? 
 先日、7歳になった孫娘が自分がかよう小学校を案内してくれた。校庭の片隅になつかしい銅像が立っていた。芝を背負い、本を読みながらあるく少年の像。私がむかし通った小学校にもあった。二宮ソンタク? あの人は子ども心にも一生懸命ソンタクしていたのだろう。親が自分に何を期待しているか、学校の先生は、また一般の社会は自分にどのような人間になってほしいと思っているか、をソンタクしていたはずだ。だから寸暇を惜しんで勉強に励んだ。その結果えらい人間になった。そうそう幼児名を二宮金次郎といったかな。二宮ソントクの名前もあることを知ったのは、ずっと後からだった。ソントクは損得、損得勘定ばかりしてきた私にはこの漢字しか思いうかばない。
 ソンタクについて書くのだった。大人になってからするソンタクは、ろくなソンタクではない。財務省の偉い人たちがしたソンタクは、いったいなんだったのか。ソントク勘定をしたうえでのソンタクだったのだろう。そうでなければ大の大人はソンタクしない。ソンタク、ソントク、やっぱりつながっているんだな。
 私はそれよりゾーンタクを楽しむ。オランダ語ならドンタク? 博多ドンタクというし、半日休みの半ドンもここから出てきた言葉だ。
 いやはや、混乱させてしまってゴメンナサイ。






センター試験改革に思う

2018年03月11日 | 日記

 日影原の台地にクロッカスが咲いていました。一輪の花の可憐さについ見とれてしまいました。梅の花も満開、福寿草もその株を増やしているようです。

 東大が入試で民間試験結果を使わないことに決めようとしています。きのうのYahooニュースに出ていました。3年後、つまりことし入学する高校1年生が大学へ進学する年度からセンター試験の制度を変えようとしています。英語の入試では4技能「話す、聞く、読む、書く」をきちんと測れるようにしたい。センター入試では話す能力と書く能力を十分に測れないので、英検などの民間試験の受験結果を提出させようというわけです。入試英語全体の1割を超えない程度に、各大学が割合を決め、民間試験結果を採り入れようという提案のようです。そして東大はその割合をゼロにすると・・。東大では提出された民間試験結果は、入学生の追跡調査に利用するともいっています。つまり英検1級合格者が、大学入学後にどのような経路を歩んだか、英検1級合格者が大学の学業でどのような成績を収めるか、英検の資格がどのような価値を示すかを見極めようということのようです。
 民間試験の利用について私は、やってみてもいいけど、あまり価値はないんじゃないの、と思っています。いまの高校生が英語をしゃべる能力に劣っているというけど、優秀な人たちは必要に迫られればそれなりにしゃべるようになりますから、放っておけばよいでしょう。
 それより学力中位層をどうするか、を考えるべきです。学力面で上位、中位、下位に区分けしてみます。上位層は基礎力を備えていて優秀で、放っておいてもやっていけます。東大をめざす人たちは間違いなくこの上位層です。
 学力中位層はなんとか上位層に入りたいけど、基礎力が伴わなくて、もがいている人たちです。英語に上達したい気持ちはあっても、単語をおぼえられないし、文法用語が苦手です。いくらもがいても上達しないために、そのうちに英語を嫌いになってしまいます。もう一刻も早く英語学習から抜け出したくなります。このような高校生たちをどこへどう導くか、という視点が必要です。
 じつは学力中位層が高校生の約半分を占めています。大学入試制度をうんぬんするうえで、学力上位層だけに視点をあててきたことが、英語嫌いを大量に生み出す結果になっていることを自覚するべきです。
 この点については、また折りに触れて書いていきたいと思っています。