新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

なのはなまつり

2021年02月27日 | 日記

 兵庫、たつの市にある綾部山梅林に隣接する畑で「なのはなまつり」をしている。なのはなを眺める道路ぞいに案山子がたくさん。2年まえにこのブログで紹介したときよりさらに個体数を増やし、いっそうパワーアップしている。ここにもそこにも案山子。遠くに目をやるとあそこにも。いや動く案山子だ。つまりほんもののお百姓さんか。そういえば道路ぞいのは動かない案山子だ。路上にもカメラを構える案山子がちらほら。そうだ、自分も案山子になってしまった。案山子か人間か区別がつきにくい、なんとも奇妙な気分にさせてくれる光景が一面に広がる。背景は黄一色の菜の花畑。
 京都へ立ち寄った。駅前の東本願寺境内から南を眺める。巨大な毒キノコがそびえ立つ。京都タワーという。はじめて京都タワーにのぼった。いちばん上の展望室に昭和40年に撮影された京都の町並み写真があった。ビルで白く見える現代の町並みと比べると、瓦屋根のせいで全体が黒っぽい。写真を現代の町並みと比べながら見る。京都駅から北へ延びる道路の形は変わらないが、写真には路面電車の線路が写っている。昭和40年代、京都の大学へ通っていたUくんが、当時のようすを説明してくれた。奈良の実家から1年間同志社大学へ通った。京都駅から市電に乗るが、朝の語学の授業に間に合うかどうかハラハラドキドキだったという。2年目と3年目は、大学から歩いて30分の距離に下宿した。ここは私も若いころ訪れたことがあった。頭を廊下に出して寝た記憶がある。現在の風景と昔の風景を重ね合わせられる京都タワーの粋な計らいに感謝した。




組織委員会は何をする組織?

2021年02月16日 | 日記

 オリンピック組織委員会というのは何をする組織なのか。JOCとの関係は? オリンピック担当大臣はどのような仕事をしているのか。開催地である東京都との関係はどうなっているのか。東京五輪にあまり関心がないせいか、分からないことだらけだ。
 組織委員会会長の後任候補に挙がっている人たちは、単なる顔でいいのか。おそらくおもな仕事はもうすでに森氏によってなされてきたので、あと5か月難なく乗り切れる人であればよいのかもしれない。
 森氏はたしか総理だったとき、「日本は天皇を中心とした神の国だ」と問題発言をしたことがあった。また「高齢女性に年金を出すのは、子どもを産み育ててくれてご苦労さまという意味だ」といったことがあった。心底からこのような考えの持ち主だということは、メディアも承知していたはずだ。それなのに組織委員会の会長に就任したときはなんの苦言も呈さなかった。五輪本番まであと5か月という時期になって、いきなりバッシングを浴びせ、辞任に追い込むのはいささかひどすぎないか。
 また森氏が組織委員会会長に就任したときのいきさつはどうだったのか。それについては頬かぶりしたままで、今回、密室で後任を選ぼうとしたと騒ぎ立てるのもまたおかしい。組織委員会会長としての森氏の仕事ぶりはどうだったのか。功績はまったく、あるいはほとんどなかったというのか。五輪開会直前までこぎつけた森氏の功績も公平に評価することをメディアに望みたい。

メールが使えない

2021年02月15日 | 日記

 14日夕方、とつぜんメールの送受信に使っていたOutlookを開けなくなった。メール機能が使えない。だがインターネット接続ができるし、スマホでメールの授受ができるので、それほど切羽詰まった気分にならなかった。ここでまず思ったことは、通信手段を複数もつことは一つの手段が断たれたときにも他人とのつながりを維持できて便利だという点だ。
 Biglobeのカスタマーセンターに電話で指示を仰いだ。朝9時の営業開始時刻に電話したおかげか、めずらしく電話がつながった。それでもOutlookは回復しなかったが、Biglobeにログインしてメールを使う方法を教えてもらった。Outlookを通さないでメールの送受信ができることを、そのときはじめて知った。それほど私のネット通信に関する知識が浅薄なものだった、ということを思い知らされた瞬間でもあった。ネット上にさまざまなトラブル対処の情報が公開されているし、チャットサイトもできているようだが、やはり電話で専門家の指示を仰ぐのがいちばんだ。電話での指示に従ってパソコンを操作していくときの安心感に勝るものはない。
 通信手段を複数もつことの重要性、もっとも頼りになるのが旧来の電話であること、この2点をあらためて確認した出来事だった。
 なお1月以前の受信メールがすべて消えてしまったので、これまでお付き合いがあった人たちとの連絡が電話かショートメールになる。ご了承願いたい。



散歩コースいろいろ

2021年02月14日 | 日記

 最近、新たな散歩コースに加えたのが写真の、立川駅北口の遊歩道だ。通りの名前は知らないが、多摩モノレールの下の遊歩道は幅30メートルはあるのに車を入れない完全な歩行者専用道路になっている。立川駅から歩き始めると右手に高島屋をはじめとするビル街が続き、税務署が入る合同庁舎がある。左手はシネマ2に始まり、行き着く先は大型家具雑貨店IKEAになる。モノレール沿いにさらに歩くと、高松駅、立飛駅へと向かう。立飛駅前には大型商業施設「ららぽーと」がある。そこまでだらだら歩いて約2.5キロ、25分ぐらいの歩行になる。
 昨秋の月刊誌アエラに歩き方が特集され、速歩とのろのろ歩きを組み合わせるのがよいことが分かっているが、なかなか実践できない。汗をかくのがいやで相変わらずのろのろ歩き、ダラダラ歩きをつづけている。
 散歩コースといえば、以前にこのブログで八王子市南浅川沿いの遊歩道を紹介したことがある。これから桜が芽吹き、咲き始めるころはおおぜいの人が歩いたり、ジョギングしたりする。
 夏の暑い時期に散歩できる場所がほしかったが、IKEAのなかを歩き回るのはどうか。それほど大きく広い商業施設だ。一巡するだけで5000歩ぐらいあるのではないか。展示された商品を見ながら歩き回れば、暑さ対策を兼ねた散歩コースになりそうだが、施設側からひんしゅくを買うかもしれない。
 さて、隣町、上野原の河原なら人に接することがないのでマスクなしで歩ける。1日1万歩を目指してきょうも歩く。



追悼、鈴木孝夫

2021年02月12日 | 日記


 鈴木孝夫氏が亡くなった。94歳。朝刊の訃報欄に小さく報じられていた。もはや知っている人は少数かもしれない。岩波新書「ことばと文化」を書いた人だ。1973年刊の第1刷りをもっている。4半世紀ほどまえ、新書類を大量に処分した。そのとき、どうしても捨てられずにとってあった本のうちの一冊だ。語学で身を立てていくことを決意していた私に、大きな刺激と影響を与えた本だった。
 いまでもよく憶えているのは、日本語における自称詞の特徴だ。英語でならIの一語ですませる語を、日本語では相手しだいで言い換えるのがふつうだ。子どもが小さいころ、「おとうさんが車で送ってやるよ」といえば、“I’ll drive you to ---.”の意味だった。近所の子どもと話すときは「おじさんが教えてあげるよ」といい、いまでは孫に「じいじがプレゼントを送ったよ」とメールする。下線部はすべて話し手自身を指す語であり、英語ならIの一語に相当する。話し相手によって、とくに目下の話し相手によって話し手自身の言い方を変える。
 まさに目から鱗の内容だった。ほかにも忘れられない内容がいろいろある。虹の色はいくつあるか。日本では7色といわれるが、実際には一つの色から少しずつ他の色へ変わっていく。切り取り型が言語によって異なるだけだ。インドで幼いころを過ごしたある人は、虹は6色だという。ドイツでは5色だ。では太陽は何色か。赤だ。ほんとうに赤いか。アメリカの子どもたちは黄色で太陽を書く。実際の太陽は、まぶしくて見えない。
 この機会にもういちどじっくり読み直してみよう。