新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

ガルガンチュア立花

2020年02月28日 | 日記

 ジャーナリスト立花隆氏が、若いころ新宿でバーを共同経営していたことを自伝に書いている。そして開店のあいさつ文の写真を自伝に載せている。小さな字を拡大鏡をあてながら読み解いてみた。こんな店がいまもあるなら、いちどは飲みに行きたい。その文学趣味を彷彿させ、ユーモアに富む文章をここに掲載しても、著作権法違反に問われることはないだろう。

   “ガルガンチュア立花”開店のご挨拶
   HIC BIBITUR(ココニテ飲ムベシ)
 このたび、心機一転、これまで手にしておりましたペンを、アイスピックに持ち換え、“ガルガンチュア立花”なるバーを開店いたすことになりました。
 生まれ落ちるや、「のみたーい! のみたーい!」と大音声を張りあげたガルガンチュアのごとく、ラブレー風に大いに飲み、大いに喰らい、かつ大いに語らんとする方々のために、東西の美酒佳肴の数々を取りそろえ、みめうるわしく臈たげなる女性(日代わりにて、各種の美女が登場いたします)と、サバランもびっくりの腕を持つ店主がお待ち申し上げております。
 所はその名も高き、新宿ゴールデン街、キャッチバー、オカマバーが密集する怪しげな雰囲気の一画でありますが、当店は同業者から文句をつけられるのではないかと思われるほどの超廉価明朗会計システムでまいります。
 うまいものをつまみながら、よい酒を飲みたいという、万人の宿願をかなえんがために、一念発起して作りあげた店です。安かろうサービス悪かろうの店でもなければ、飲み代は安いがろくでもないつまみでぼろうという店でもありません。
 ウィスキーを例にとれば、トリスにはじまり、国産、スコッチ、バーボンの銘酒をとりそろえ、ビールは日、英、独、仏、チェコの各銘柄がそろい、その他、紹興酒、琉球泡盛にいたるまで、世界の美酒がそろっています。料理は、店主が20年間にわたり研鑽にあいつとめました和風、洋風、中華風、どこともいえない風の佳味、珍味を供します。お客さま方は、その美味さ故に、この際カアちゃんと別れたくなることは必定と思われますが、他方、お客さま方の奥さまのほうでは、当店のスタミナ料理の効果故に、ますます亭主にしがみつきたくなり、そこに深刻なる矛盾葛藤が生じる恐れなきにしもあらず、店を開くまえから心配している次第でございます。
 食事だけを味わいたいという下戸のお客さまも歓迎いたします。タクシーが拾いやすくなる時間まで営業を(大ぴらにではありませんが)いたすつもりです。深夜の腹ごしらえの店としてもご利用ください。おいしいコーヒーの用意もしてございます。
 なお、なにぶんにも狭い店でございますので、あらかじめ電話で混み具合などお確かめくだされば、ご便利かと思います。同封の名刺の電話番号を、手帳などにお控えおきください。名刺の裏面に地図を入れました。途中で迷われましたら、電話してください。ご案内いたします。
 ご来店お待ちもうしあげます。         店主 立花隆



菜の花畑にかかし

2020年02月26日 | 日記

 兵庫県たつの市御津にある綾部山梅林へいった。七分咲きだった。以前から梅の名所として名高いが、いまは「世界の梅公園」と改名している。パンフレットによれば、全19種類の梅があり、13種類が日本産、4種類が中国産、残り2種類が台湾産になっている。つまり東洋圏というか、中国圏と日本だけだ、梅は中国原産で台湾、日本へ伝えられたものという仮説を裏づけるかのような植林状態だった。梅にウグイスということばどおり、ウグイスが梅の花に群がっていた。鳴き声は聞かなかったがウグイスだったに違いない。やはりウグイスは世にいわれるウグイス色ばかりではないのだな、と思ったしだい。
 帰り道、梅林の西側を新舞子浜方面へドライブしていると、黄色い菜の花畑にさしかかった。これだけ広い面積を鮮やかな黄色でおおい、ドライブ客を楽しませてくれる地元の人たちのおもてなし精神に感心し、感謝の気持ちになっていたところへ、かかしが目に飛び込んできた。道ばたに3体のかかしが、野良仕事の手を休めているなにげない風景を人形で再現している。心を和ませながら車を進めていると、さらに次のかかしが待っている。次から次へとみななにげない農家の一風景を再現している。すっかりかかしの虜になってしまう。極めつけは上の写真だった。両親が畑仕事をしているそばで子どもが遊びながらも畑仕事を観察している。笑いながら写真に収めたものだった。
  




手を洗おう

2020年02月13日 | 日記
  
 自分の指がいかに汚いかを思い知らされた。
 2007年か8年に丸善書店で1冊の本を買った。少し読んで投げ出してしまったようだ。当時は忙しくて、ゆっくり読む暇がなかった。いま改めて読み直そうと、ページを開いたところ、13ページから21ページに多くの紙魚がついていた。それ以外のページはきれいだった。私が本を読むときの癖として、前書きや序文をとばして第1章から読み始める。
 5000円近い値段がついているハードカバーの本だ。紙質はよいとはいえない。厚ぼったい。380ページぐらいしかないのに、厚さが2.5センチはある。紙魚の部分はおそらく当時、自分で触った部分なのだろう。左の写真が黄色い斑点、つまり紙の紙魚を示すものだ。一つのページ内に黄色い斑点が無数にある。それもページの内側より外側に多い。まさに指が触れた部分はここだと示しているようなものだ。
 新型コロナウィルスによる感染を予防するのに、手洗いの大切さが叫ばれている。自分の手指にどれほど雑菌がついているか、実感している人がどれほどいるだろうか。自分はあちこち触らないから指はきれいだ、心配するほどのことはない、と思っていたが、この本の紙魚のつきようを見て愕然とした。こまめに手洗いをしよう。





新型コロナウィルスはなにものか

2020年02月06日 | 日記

 新型コロナウィルスについて友人に書き送った文章を再録します。

 先日、テレビのワイドショー番組にゲスト出演した久住英二医師がいったことばが耳に残っています。
「新型コロナウィルスはどうやらヒトを殺すつもりはないらしい。ヒトを宿主として利用しようとしているだけであり、ヒトを殺してしまえば寄生する自分も死んでしまう。それは避けたいのだろう。」という趣旨のことをいっていました。これは私たちの視点を百八十度転換してくれます。ただひたすら迷惑な存在としてしかみていない新型コロナウィルスを、この地球上に棲む独立したひとつの生命体としてみてます。
 さまざまなウィルスはすべてが独立した生命体であり、さまざまに進化して生き延びようとしています。ウィルスにとってみればヒトは宿主として利用できるものですから、共存共栄を目指すのかもしれません。昔よくわれわれの大腸内に寄生していた回虫のように、またいま胃の中にいるピロリ菌のように、ヒトにそれほど大きな害を与えることなく寄生している生物が数え切れないほどいます。
 貴兄の文章中の「地球だって、生物体なのでその自己保存環境も変成しながら回転している」という部分、この視点は私にとって新しいものですが、このプラネット・アースの上にヒトも病原体も同じように生息している、という視点をももつべきではないでしょうか。
 いまの新型ウィルスにしても、「早晩ワクチンが開発されて、しばらくは細菌の不胎化に成功する」「一種のエントロピーのミクロ的整理」とありますが、これは人間の側からみた整理であって、整理されるウィルスにしてみれば、それなら整理されない形に変化を遂げ、あらためてヒトに寄生してやろうとがんばることになるでしょう。その意味でヒトとウィルスはいたちごっこを繰り返すことになります。
 SDGsは当然のことながら人間のためのサステイナビリティーを追求するものであって、人間以外の生物のためのものではないでしょう。SDGsの第15項目「陸の豊かさも守ろう」の具体的内容まで読んでいませんが、やはり人類の敵になる生物、ウィルスを守ろうということにはならないのではないでしょうか。
 人間と他の生物がどう共存するべきか、あるいは共存するべきでないか、はさまざまな視点が絡む問題です。
 いずれにしても、刺激的な文章を送ってくれてありがとう。



不穏な季節

2020年02月05日 | 日記

 節分、立春がすぎて、すっかり春めいてきた。日影原の福寿草を見にいった。イノシシに掘り返されて大部分はだめになったが、残っているものは今年も健気に花開いていた。
 
 電車に乗るときはマスクをしている。そのマスクがスーパーからもドラッグストアからも消えた。少なくとも上野原地区と八王子駅周辺の店ではマスクの棚が空になり、「入荷の予定は未定」である旨の貼り紙がしてある。ないと余計に欲しくなる。これまで使ってきたマスクはほとんどがmade in Chinaだった。これから入荷するものも中国製だろうか。
 1970年代トイレットペーパーがなくなった時期があった。1990年代、国産米がなくなった。東日本大震災後にはガソリンが品薄になって不便を感じた。今回のマスク騒動は新型コロナ・ウィルスが収束するまでつづきそうだ。
 その新型コロナ・ウィルスについて。人類はさまざまな新型ウィルスに侵され、淘汰されてきた。ヨーロッパが大航海時代といわれる時代にさしかかっていたころ、中米ではヨーロッパ人がもたらした病原菌で多くの人が亡くなっている。ヨーロッパの諸都市ではペストが蔓延し、人口が3分の1になった都市があった。1980年代にはアフリカからもたらされたとされるエイズ・ウィルスが致死のウィルスとして脚光を浴びた。
 はたして新型コロナ・ウィルスもこの種のウィルスとして蔓延し、歴史に名を残すのだろうか。