新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

日本側は正しいか

2019年01月28日 | 日記

 韓国と日本の間で起きているレーダー照射問題はいったいどちらがほんとうのことを言っていっているのか。日本は韓国が一方的に悪いといい、韓国は日本に非があるという。どちらかが嘘をついているか、それともおなじ事象をそれぞれの側から見ているから見え方が異なるのか。
 昨年12月20日15時ごろ、海上自衛隊のP-1哨戒機が韓国海軍の駆逐艦からとつぜん火器管制レーダーの照射を受けた。場所は日本海の能登半島沖、日本の排他的経済水域内だった。韓国側は駆逐艦が遭難船救助をしていたため探索レーダーを使用していたが、P-1哨戒機にむけてレーダー照射はしていないと主張している。ここに書いている韓国側の主張は、日本のメディアから私が拾い上げたものであり、韓国側から直接得たものではない。
 さてこれをどう読むか、どう解釈するべきか。情報の出し方はその国の戦略に左右される。太平洋戦争中の大本営発表はめずらしいものではない。民主主義のチャンピオンを自認してきたアメリカでさえ、ベトナム戦争時などに自国民には大本営発表をしてきた。
 日本国内では、厚生労働省が毎月勤労統計調査をずさんな方法でおこない、結果として失業給付金などの支払金額が過小になっているという。日本政府がおこない、発表している統計調査は、アベノミクスが成功していることを喧伝するためにかなり巧妙に統計のしかたをいじっているらしい。「モノシリンの3分でまとめるモノシリ話」を読んでほしい。日本人の平均賃金が伸びているようにみえる統計結果が真実であるはずがない。賃金の算出方法を変えているのだ。安倍政権になってから、情報の出し方がいびつになっているし、各種の統計結果が大政翼賛的になっている。
 こうみると、韓国海軍との衝突も、日本側の発表だけを鵜呑みにしてよいものか、と危惧せざるを得ない。




5時間の熱闘

2019年01月22日 | 日記

 昨夜は錦織圭のテニスを5時間にわたって観た。すさまじい試合だった。相手はスペインのカレーニョ・ブスタ。全豪オープンは5セットマッチで、3セット先取すれば勝ちになるが、試合はもつれ、5セット目に突入。6-6でタイブレークに入る。最後の最後で錦織のサービスエースが決まる。ほっと胸をなでおろす。ひやひやどきどきの試合運びは錦織の得意とするところのようだ。
 4時20分に始まり9時20分まで、その間、夕食をとり、酒を呑みながらの時間もあったが、目はテレビに釘づけだった。いつもなら観ている大相撲中継もニュースも、そして「鶴瓶の家族に乾杯」もみな吹っ飛んでしまった。観る気にならなかった。それほど手に汗握る試合をしてくれたご両人にアッパレを送りたい。

 19日の夕方おこなわれた大学入試センター試験の英語(筆記)の問題に目を通した。仕事柄、毎年している。20日の朝刊に数ページにわたって掲載されたが、いまは大手の予備校がネット上にPDFで公開してくれる。以前はよく新聞に縮小掲載された問題を目を痛くしながら読み解いたものだが、いまは翌日の朝には予備校のホームページからダウンロードし、印刷できるようになっているので、受験生たちとまったくおなじ紙面をみながら問題を解くことができる。新聞への掲載を利用している人がはたしてどれほどいるだろうか。相当なページ数をセンター試験の問題掲載に割いている新聞は、その役割を考え直すべきだろう。

 NHKの朝ドラで、万平さんがいよいよチキンラーメン製造に乗りだすようだ。ラーメン大好き人間として、チキンラーメン製造を思いついた過程、その製造方法にもいささか興味がある。幼いころ、お湯をかけて3分でできあがったあのチキンラーメンの濃い味はいまも忘れない。調べてみるとカップヌードルもおなじ安藤百福さんの日清食品が製造販売している。数あるカップ麺のなかでも元祖の味は深く舌に刻まれており、ふとしたときに食べたくなる。NHK朝ドラがカップヌードル発売まで追いかけてくれるのかどうか、にも注目している。



還付申告

2019年01月20日 | 日記

 還付申告をパソコンでする日、1年でいちばんフラストレーションを感じる日といえる。去年もおとどしもそうだった。ことしこそは簡単にすむだろうと朝10時、パソコンに向かった。順調にいけば1時間ぐらいですむはずだ。
 ところが、また行き詰まってしまった。まずはじめに、事前準備セットアップを最新のものに更新する必要があった。国税庁が案内している手順に従って更新しようとすると、ウィルスバスターがそれを遮断してしまう。新しい脅威が侵入しようとしていると見なすらしい。事前セットアップ・アプリは何度インストールを試みても拒否されてしまう。くり返すこと7,8回。例外的に許可する手続きをすることで切り抜けられることがわかった。その手続きをして、あらためて試行したが、やはりおなじだった。なんども失敗をくり返しているうちに、ふとむかし職場で言われたことを思いだした。そうだ、こういうときは一度パソコンを再起動させなければ、手続きの効力が発揮されないのだ。そのとおりだった。これでどうにか事前セットアップが完了した。
 つぎに利用者識別番号と暗証番号を照らし合わせる段階、こんどは国税庁に拒否されてしまった。利用者識別番号はたぶん8年ほどまえから変わっていない。暗証番号は2017年1月に変更したときのメモが残っている。何度かくり返したがエラーがでるばかり。去年使った書類、市役所でマイナンバーカードをとったときに書いた書類を見直して、あれかこれかとやってみたがダメ。午前10時にはじめた作業がすでに昼食時間にさしかかっていた。
 昼食後、もう一度ゆっくりとむかしのメモを見ているうち、ふと気づいた。暗証番号のローマ字部分を勘違いしていたことを。こんなことがあるのか。暗証番号を何度も見ながらローマ字部分をきちんと認識していなかった。別の文句だと思いこんでいたのだった。こんどは成功した。昼食時、頭を冷やして書類をゆっくり見直した甲斐があった。
 あとはトントン拍子にことが進んだ。午後0時半に送信が完了。めでたし、めでたし。しかし毎年どこかでつまづく。まあ、実際に税務署に足を運ぶより速く能率よく確定申告がすませられるし、多額のお金が還付されることが分かったときには、パソコン操作時の苦労が吹っ飛んでしまうのだからおかしなものだ。






教科書が書かないこと

2019年01月07日 | 日記

 2005年6月14日、スタンフォード大学の卒業式にスティーヴ・ジョブズが招かれ、スピーチした。「Stay Hungry, Stay Foolish」と学生たちに呼びかける有名な演説として歴史に残っている。1月はこのスピーチを使って授業する。
 教科書に採りあげられている部分はスピーチ原稿全体の3分の2程度だろうか。長すぎるから削られただけでなく、なんらかの別の理由で削られた部分がある。それを掘り起こすことも、われわれ授業する教員側の力量に任される。
 ジョブズはまず大学の卒業式に招かれたことに感謝を述べる。そして自分の大学との関わりについて話し出す。入学して6か月で退学した。それから1年半ほど、いわゆる「もぐり学生」をつづけた。なぜ大学を辞めたか。みずからの出生と関わりがあり、出生の秘話を明かす。
 教科書ではこの部分をカットし、大学でもぐり学生としてさまざまな授業を聴講した話へとつなげている。教科書でカットされた部分を書いていく。
 ジョブズの産みの母は未婚の大学院生だった。子どもを産むにあたり、育ててくれる夫婦を捜した。産みの母として育ての親を選ぶにあたり、どうしても譲れない条件があった。彼らが大学卒であることだ。よい夫婦が見つかった。弁護士夫妻だ。ところがジョブズが生まれた瞬間、夫妻は女の子がほしかったと言いだした。弁護士夫妻は身を引いた。産みの母は長いウェイティングリストを見ながら夜中に電話した。「思いがけず男の子が産まれたのですが、ほしいですか」「もちろんです」と応じた夫妻がいた。ところがその夫妻は、夫が中卒、妻が高卒という低学歴だった。産みの母は息子の引き渡しを一度は拒否した。2,3か月が経過し、ついに産みの母が折れた。かならず息子を大学へやることを条件に引き渡しに応じた。17年間、労働者階級の両親はせっせと貯金し、約束どおりジョブズを大学へやった。
 ジョブズは大学へ進学したものの半年後には退学し、育ての両親がためた学費を無駄にしてしまった。その後、もぐり学生としてさまざまな授業を聴講する。
 さて、教科書からカットされたこの話を授業にどう折り込んでいこうか。なぜこの部分が検定教科書からカットされたかは容易に想像できるだろう。じつは、このような話になると生徒たちは目をランランと輝かせる。楽しみだ。こちらとしては検定教科書制度の弊害を逆利用できるのだから、痛快だ。






南方熊楠の「履歴書」

2019年01月06日 | 日記


 庭にロウバイが咲いています。
 下の文章は、友人に書き送ったエッセイです。共有している知識のうえに書き足したものですから、読みにくいかもしれません。

 南方熊楠の「履歴書」を図書館から借り出して読みました。いやはや世間一般にいう履歴書の概念からかけ離れたものであることはいうにおよびません。弟常楠に対する恨み辛みがあちらこちらに散りばめられています。
 熊楠によれば、父がした遺産分けでは、商才がある常楠に家業を継がせたとのことでした。亡父は息子たちの資質を見抜いていました。熊楠の長兄は遊び人で相場に手を出し大損し、女遊びにふけり、身上をつぶしてしまいました。長兄の不始末を繕ったのが弟の常楠でした。熊楠は幼少のころから学問にふけり、まともな生活をしないと父は判断しましたが、熊楠にもそれ相応の遺産分与をしていたようです。しかし熊楠は日本にいませんから、父は熊楠に分与された遺産のすべてを常楠に託して死んでしまいました。熊楠にしてみれば、自分に分与された遺産がもっとあるはずだ、それを長兄の放蕩生活の繕いに使われてしまった、ということになります。
 33歳で神戸にたどり着いたとき、常楠が迎えに行きましたが、南方家の事業も家計もうまくいっていないという理由で、自分の家には来させず、知人の家に熊楠を預けました。しかし熊楠が昔から南方家とつながりがあった人物に訊きただしたところ、常楠の酒屋事業は父親の代よりも手を広げているし、繁盛しているよしを知らされます。また年の離れた末弟への遺産分与も滞っていることを知り、それだけはきちんとさせて、末弟に妻をめとらせた、と熊楠は書いています。自分は金に執着がないといいながらも、なにかにつけ常楠の吝嗇を非難します。ざっと計算してもあと800円(どの程度の価値かは不明)は自分の分が残っている、と金額まで書いています。
 先日白浜で買った酒瓶が入っている箱では、南方熊楠を「a hard drinker of Sake」と形容しています。これはまたイギリスでの一件を喚起させます。借りていたあばら屋の2階の部屋に文無しの友人を呼び寄せ、なけなしの金をはたいてビールをしこたま買い込みます。夜中に下の住人に迷惑をかけないようにと小便は自分が使っていた尿壺、バケツへ、それらが一杯になると洗面器まで持ち出し、それも溢れると2階からそっと流します。そのうち手元が狂って洗面器をひっくり返し、2階は小便まみれ、1階の部屋には天井からぽとりぽとりと落ちたはずです。1階の住人が「小便をこぼれし酒と思いしは、とっくり見ざる不調法なり」と熊楠は「履歴書」のなかでしゃれています。
 新年早々、尾籠な話で失礼しました。