新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

楢炭を買った

2022年08月20日 | 日記

 楢炭を買った。篠原の里の窯で焼いて「ふじのね」で販売している。手に取ると、ずっしりした重みがある。水道水の浄化に使う。水道水に含まれる殺菌剤を取り除きたい。コナラはクヌギと並んで炭材としては第一級の木材だ。成長に時間がかかり、幹が堅くて重い。炭に焼いたときにも、堅くて重い炭ができあがり、燃料として使うときには長時間にわたり火を保つ。
 これまで水の浄化には竹炭ばかりを使ってきた。竹炭のほうが扱いやすいからだが、真竹を焼いた炭しか入手できない。ここ数か月、真竹の炭を水の浄化に使ってきて、なんとなくその効果に疑問を感じていた。以前、私たちが炭遊舎で焼いていた炭が孟宗竹ばかりだったせいもある。孟宗竹の肉厚の竹からは上質な竹炭がとれた。孟宗竹の炭が入手できなくなったいま、木炭を試してみようという気持ちになっている。
 水の保存タンクに炭を一晩浸けておけば、炭が水中の殺菌剤を吸収してしまう。飲み水にも料理用にも殺菌剤が入ったままの水を使いたくないので、この20年間こうして殺菌剤抜きの水を自分で製造してきた。木炭を使うのははじめてだ。はたして楢炭の効果はどれほどだろうか。

中国へ留学する

2022年08月15日 | 日記

 大学2年生からメールをもらった。近々、中国へ留学する。だが先輩留学生らと連絡をとると多くの人が留学先で「辛い思い」をしているようで、自分もそうならないかと心配だという。彼女は高校生のころから中国留学の夢を語っていた。大学入学後もその実現を目指して努力し、語学力を磨き、首尾よく交換留学生として渡航することに決まった。私も折にふれ外国留学を意義あることとして応援し、励ましてきた。
 ところが彼女は大学生になり、昨今の中国事情をつぶさに知るようになったようだ。日中関係は最悪の状態になっている。中国が台湾併合を虎視眈々と狙っているし、尖閣諸島を巡って日本との対立を鮮明にしている。さらに新疆ウイグル地区の人権問題が浮上している。また中国が実施しているゼロコロナ政策で街全体をロックダウンする強権的手法が日本で報道されている。日本人が中国人をよく思っていないように、中国の人たちも日本人をよく思っていないことが分かってくる。大学生になってそれらの実情を実感するようになると、中国へ行くことの是非を考えるようになっても不思議ではない。
 だが彼女への私の期待は大きい。彼女は体力、気力が十分にあり、それゆえに厳しい受験勉強をみごとに乗り切り、一流大学に合格した。さらに並みはずれた行動力と社交性を備えもつ。だからこそ人づきあいが悪い私にも、「本当に信頼してますし、大恩人ですし」といって、いまだに連絡をくれる。困難な環境にも屈せず、自分の未来を切り開いていける力を持っている。今回の留学がうまくいけば、将来かならず日中関係改善の架け橋になってくれる人材だと私は見込んでいる。
 今回どう励まそうかと思案した。留学先は上海。地図で見ると意外に近い。東京から飛行機で3時間ほどの距離で、沖縄本島と変わりない。寂しくなったとき、いつでも帰ってこれる距離だから、気分的にラクだろうとメールに書いた。こんな励ましかたでよかったのだろうか。


E・H・カー「歴史とは何か」

2022年08月11日 | 日記

 暑い日が続く。きょうも朝からエアコンをつけ、虎ノ門ニュースをリアルタイムで視聴した。8時から10時まで濃密な時間だった。
 安倍元総理暗殺事件について話がおよぶ。超長期政権を率い、退陣後も政界に隠然たる影響力をもっていた元総理の襲撃事件は、E・H・カーがいう歴史的事件になるのだろうか。個々の出来事が歴史的事件になるかどうかは後代の歴史家が判断することなのか。われわれ一般人には無縁なことなのか、と疑問が浮かぶ。虎ノ門ニュースではコメンテーターたちが口々に、メディアが統一教会と政治家とのつながりに焦点をあてることによって、事件を矮小化していると批判する。一個人が個人的恨みをつのらせて犯行におよんだ。警察、公安の警備の不備をカムフラージュするかのようなメディアの姿勢を疑問視する。
 事実が歪曲される現場を、ロシアのウクライナ侵攻でいやというほど見てきた。原発が攻撃された。ロシアはウクライナ側が攻撃したと発表した。ウクライナはロシア軍が攻撃したと反発した。どちらかが嘘を言っているはずだ。われわれが入手する情報は主として西側メディアからのものであり、ウクライナの主張を肯定的に受けとっている。それで間違いはない、ロシアの主張することは嘘ばかりで信用できないとする見方が日本では主流になっている。歴史家にとって原発攻撃がどのような形で事実として遺されるのか。歴史家それぞれが判断しなければならないのだろう。
 E・H・カーの「歴史とは何か」を清水幾太郎訳で読んでいる。最近、新訳が出版されたようだが、旧訳も捨てたものではない。1975年に買って読んだ岩波新書には愛着がある。読み終えたら、新訳に進もうかと思っている。