山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

あじさい寺の石灯篭・宝篋印塔

2016-06-22 22:01:35 | 石仏・石造物
 森町のあじさい寺に行ったときに最初に出会ったのが「宝篋印塔」。
 「宝篋(ホウキョウ)」とは「宝箱」、「印」は「価値ある」の意味で、この塔に安穏長寿の呪文(真言)が書かれたお経が納経されている。
 釈迦没後100年後、インドのアショカ王が全国に小さな仏塔を作ったことで、中国でも同じく作成されたのを留学生が日本に導入して広まったという。

                        
 堺市の「浜田石材店」のHPによれば、こうした「宝篋印塔」は、平安中期から鎌倉時代以降に流行したそうだ。
 その形には、「関東型」と「関西型」とがあるが、これは関西型だろうか。 
 しかしよーく見ると、梵字が書いてある塔身がなんと二つ重なっているではないか。
 これは大発見。
 おそらくこれは二つあった宝篋印塔を一つに合体させたのではないかと思われた。

   
                         
                          
 石灯籠の多くは奈良の春日神社にある「春日型」の石灯籠に多く出会う。
 火が入る「火袋」の彫刻には、鹿・雲・三笠山(+月)・透かし格子(+波)の4面のデザインが定型化されている。
 しかも、①火口 ②神鹿 ③雲 ④火口の後戸 ⑤三笠山 ⑥格子 という順番も決まっている。
 しかしこちらのデザインはけっこう個性的にアレンジしているのがいい。

    
                             
 それ以上に、子安延命地蔵尊前に奉納された石灯籠はじつに独創的で素晴らしい。
 民家が火袋というのがローカルで、正面の鶴、横面の梅という斬新なデザインが彫られている。
 あじさいばかりではなくこうした石造物の意外性がまた好奇心を増幅させてくれる。
 二十数軒しかいないという檀家が支えるあじさい寺の行く末は厳しいものがあるが、観光バスでやってくる団体客がいたのはホッとする。
 庭の管理を託されている好々爺にまた再訪することを約束して帰路に就く。  
 
          
 
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