たけちゃん活動・生活日誌

県議としての活動に追われてきましたが、引退後の生活の様子や、感じていることを発信しています・・・。

浅川ダムの竣工式が行われました。

2017年07月28日 | 長野県議会
 7月24日、県営浅川ダムの竣工式が現地で行われ地元議員として出席しました。
 浅川ダムは、昭和52年の実施計画調査開始から紆余曲折を経て、全国4例目の「穴あきダム」として、この日無事竣工式を迎えました。
 特に、平成13年2月当時の田中知事が突如「脱ダム宣言」を出し、浅川ダムを中止するとしたことに対し、私はこの流域で度重なる水害と戦って来た経緯から「結論先にありきである」として、「治水・利水ダム等検討委員会条例」を提案し、賛否渦巻く渦中の栗を拾う真っただ中に飛び込み、この流域から水害を減らすために全力で取り組んで来ました。
 あれから16年。
 田中県政時に私が提案した条例により設置された「検討委員会」での激論や議会での知事との激論、初回の選挙で当選後慎重になった阿部知事への対応や民主党政権時の対応も含め、本当に大変な取り組み(激務)の連続でした。
 式典ではテープカットやくす玉割りで完成を祝い、「バルーンリリース」として出席者全員で風船を飛ばしました。
 式典終了後は浅川公民館で、浅川改修同盟会等の主催による祝賀会が開催されましたが、私は、これまで様々苦労して来たことを思うと純粋に祝うことができず欠席しました。
 その理由は、「渦中の栗」を拾おうとせず自分の票欲しさに逃げていた方も、「私がやりました」という態度で通用するのがこの世界であり、事実「定礎式」の時の祝賀会に出席した時、主催者が地元議員が特に貢献したかの様な対応をしていたため、私は不愉快となり途中で帰ったことがあるからです。
 従って、私は同じ様な不愉快な思いしたくないため、欠席することにしました。
 今回の竣工式にはダム建設に反対して来た共産党の議員は、一人も出席しませんでした。このことは、ダムの建設の是非をめぐり、あれだけ激しい対立を繰り返して来た経緯を考えれば「筋」を通した対応だと思います。
 しかし、民主党政権下で浅川ダムの建設に否定的であった方が、竣工式に当然のごとく出席して堂々と振舞っている姿を見て、当時私がその議員のために苦しめられたことは一体何だったのか、その議員は当時のことをどう総括し、今はどう考えているのかと考えれば、政治の「筋」が感じられず、この議員は自分の利害のためパフォーマンスだけで動いている人であり、改めてご一緒に活動することはできないと実感しました。
 浅川ダムは、下部の「常用洪水吐(ばき)」と呼ばれる穴(高さ1・45メートル、幅1・3メートル)から河水を流し、大雨時には自然と水がたまる仕組みです。
 県は昨年10月から今年2月、ダムに水をためて安全性を確認する「試験湛水(たんすい)」を行い、3月に運用を始めています。
 浅川ダム問題をめぐっては、ダム本体建設とともに、千曲川合流地点の内水対策も大きな課題となりましたが、県では浅川ダム完成にあわせて今年度中に排水機場等の能力アップ機能が機能するようにするとしています。

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