2020.3.3
高槻成紀・山崎 勇
<はじめに>
高尾山でチラホラ、シカの情報が聞かれるようになった。裏高尾で数年前から地道にセンサーカメラで宿を撮影してきた「高尾の森を守る会」の山崎勇氏たちのデータによると、この数年でシカの撮影数がうなぎ登りに増えている。またアオキなどの食痕も2019年の冬から春にかけて急に増えている(図1)。
図1 シカによるアオキの食痕(2019年4月11日)
裏高尾は高尾山の文字通り「裏山」であり、シカが高尾山に入って増えれば大変なことになるので、気になっている。
それで山崎さんに「シカの糞があったら分析しますから送ってください」とお願いしていたのだが、なかなか見つからないとのことだった。食痕は目に見える形で残るから、シカが低密度でも目立つが、糞は意外に見つからず、糞虫に分解されるので特に夏には見つけにくいということはあるが、それにしても不思議な感じがあった。そうした中でようやく4月11日に一つだけ見つかったというので送ってもらった。また10月になり、台風後の10月31日に5つの糞サンプルが得られた。また11月14日にも5サンプルが得られた。現状では道路が荒れて、歩行も困難な状態にある。
<方法など>
糞は1回の排泄分で、そこから10個を採取してもらった。分析法などは他の報告と同じのでここでは省略するが、要するに糞をふるいの上で洗って、糞中に残った植物片を顕微鏡でのぞいて識別し、内容ごとにどれだけ含まれていたかを表現する方法である。
<シカの食性の一般的傾向>
4月11日といえばようやく春の新緑が出始めで、シカにとってはまだ食物が乏しい時期である。多くの場所でシカ糞中には繊維など支持組織や判別不能の不透明な破片が多い。ただしササがある場所ではササが多く出ることがある。またイネ科や枯葉も出てくることが多い。イネ科には早めに芽生えたものもあるし、前年のものが枯れたものもある。
夏は糞虫の分解のためサンプルが得られなかった。10月はまだ夏とさほど違いがない。多くの場所でイネ科が増えることが多い。11月になると草本類は枯れ、落葉樹の落葉が進むから常緑低木やササへの依存が高まることが多い。
<結果>
裏高尾でどうだったかというと、4月の例では全体に5割ほどが葉以外の支持組織で、葉は4割ほどであった(図2)。支持組織では繊維が39%、稈(イネ科の茎)・鞘(イネ科の葉を支える薄い組織)が14%で、両者
でほぼ半分を占めた。葉が4割ほどというのはこの時期としては悪くない値だが、注目されるのは常緑広葉樹が27%もの高率を占めていたことである。そのほとんどはアオキと識別されたが、これは現地で観察したアオキの食痕の多さとも対応する(図1)。なお、ササは現地にはアズマザサがところどころにあるが、4月の糞からは全く出現しなかった。
10月の組成ははっきりした違いがあった。イネ科が16.3%に増加した。これと連動することだが、イネ科の稈・鞘が45.1%と半量近くを占めた。これに対して常緑広葉樹が23.3%から6.3%と大幅に減少した。また繊維が34.6%から17.9%に減少した。なお10月にもササは全く検出されなかった。
11月には大きな変化があった。イネ科の葉はほとんど出なくなり、アオキを主体とする常緑広葉樹が31.9%にもなった。イネ科の葉は出なくなったが、稈は32.1%も検出された。なお1例であるがササの葉が微量検出された。
12月の結果は基本的には11月と同様といえる。つまりアオキを主体とする常緑広葉樹は34.1%とほぼ同レベルで、そのほかもよく似ていた。強いて言えば単子葉植物が減り、双子葉植物が増えたことである。これはシカが大量に落ちた広葉樹の落ち葉を食べたためと思われる。単子葉植物は特定できないが、イネ科ではなく、ユリ科と思われるもので、これらが枯れて、シカは青木と落ち葉を主体に食べるようになったものと思われる。
図2 2019年の裏高尾のシカ糞の組成。月の後の数字はサンプル数
<考察>
4月はわずか1例であるから結論めいたことは控えるが、現在の裏高尾ではまだシカの密度は低いものの、急速に増えつつあり、この冬にアオキに対する食圧が急に高くなった。そのことに対応するようにこのシカの糞にもアオキの葉が多く検出された。シカはアオキを好んで食べ、かつて房総半島ではシカが増えるにつれてアオキが激減し、今ではシカがアクセスできない崖の上のようなところにしか残っていない。裏高尾や高尾山にはまだたくさんのアオキがあるが、このままシカが増えれば確実にまずアオキが減少する。
その段階ではそのほかのさまざまな植物に食痕が目立つようになり、一部の低木類は盆栽のような形状になる。その次の段階では「デイア・ライン」 といって「シカが作ったライン」ができるようになる。これは高さ2mくらいのシカの口が届く範囲の植物が失われ、それ以上にだけあるために、あたかも刈り取りをしたようになる状態のことを言う(図3)。
図3 ディア・ラインの例(鳥取県東部のスギ林の多い場所にある落葉樹林、永松大氏撮影)
この段階になると、林の下にはシダなど一部のシカが好まない植物がかろうじて生えているだけのような状態になる。
そうなると昆虫や小動物にも大きな影響が出るようになるだけでなく、雨が降ると直接土壌を叩くため、表土流失が起きる。これは防災的な問題にもなる。現実に丹沢では土壌流失が深刻であるし、奥多摩では大規模な土砂崩れが起き、水源林の関係者はシカによる植物の喪失が原因だと解釈しておられる。
夏は糞が得られなかったが、10月はイネ科とその支持器官である稈・鞘が増えた、このことは森林の淵や林道などにイネ科が増えることを反映していると考えられる。アオキを含む常緑広葉樹と繊維が大きく減少したが、繊維は木本類の枝を食べたことを示唆するから、シカが低木類を食べなくなり、イネ科にシフトしたことを強く示唆する。11月になると、予想していたようにイネ科は減少して常緑広葉樹の葉が大幅に増えた。現地でもアオキの食痕が目立つ。今後、アオキなどの常緑低木への影響がさらに強くなる可能性が大きく、注視していきたい。
<手遅れにならないために>
今後も高尾山周辺のシカと植生の状況を注意深く観察するとともに、糞分析などもおこない、どういう状態にあるかを見極める必要がある。これまで各地のシカ対策で失敗してきたのは、シカ侵入初期に楽観して対策をとらなかったために、気がついたら手遅れになったというパターンである。しかし、歴史的価値、観光的資源としての意味が大きい高尾山では手遅れということは許されない。関係者に危機感を喚起する上でも、客観的なデータの蓄積は重要な意味を持つであろう。
モゴド・アイラグ博物館の準備をするために2019年8月29日から9月6日までモンゴルを訪問した。私は麻布大学いのちの博物館の設立の関わり、現在も上席学芸員として博物館活動をしているので、この活動に参画した。以下はその記録である。
明治大学の森永先生の提案でモゴドにアイラグ博物館を作ろうということになった。と言っても、博物館の新しい建物ができるのではなく、モゴドのカルチャーセンターという公民館のような建物の一角を展示に使うという程度のものということだった。そこで次のようなイメージを考えた。フフル(アイラグを作るための皮袋)とアカシカの頭骨が確保されたので、今後家畜の頭骨を手に入れ、解説パネルを壁に貼るというものだ。
博物館の一角のイメージ(2019.7.13)
ところが、その後、地元が博物館構想に割合乗り気で、ゲルを半分にしたような空間を準備したということで、次のようなイメージを考えた。ゲルは壁面と天井がオレンジ色の棒の骨組みでできており、学術的な展示にはなじまないので、半分をゲルの雰囲気を残してそこにフフルなどを置き、半分には薄い灰色のボードを立てて、そこに台を置いて展示物を並べるものとした。
ゲルの中のイメージ(2019.8.18)
8月29日にウランバートルに着き、翌日に板が手に入る店に行って説明したら、意外にも機械化が進んだ工場のようなところで正確に採寸した板と台を作ってくれた。1枚が33kgもあり、6枚を作ってもらったので、そのために車1台を出してもらうことになった。
「板工場」の様子(2019.8.30)
モゴドに着いてカルチャーセンターに行った。役場が火事になったため、事務所がここを使っているというので、机が並んでいた。奥に写真で見ていたゲルがあり、フフルが並べてあった。フフルを吊るす台とかき混ぜる棒はモゴドに住むスフエさんが作ってくれたものということだった。
センター長であるニルグイさんに会い、博物館とはどういうものかを説明した。というのは、どうやら「人目を引くもの」を展示するのが博物館と思い込んでいるようなフシがあったからだ。もっともこれは日本の大学人でも同じなので驚くには及ばない。そしてアイラグを科学的に調べたことの成果を展示すること、博物館には展示と同じほど、あるいはそれ以上に標本類を集めて整理する機能が重要であること、そしてモノだけでなく、教育活動をおこなうことが重要であることを話した。
博物館についてレクチャーする私(左)。
その奥にいる帽子をかぶった人がネルグイ所長
そのにわか仕立てのレクチャーのパワーポイントはモゴドに着いてから急いで作った。その中に、麻布大学いのちの博物館で行なった日本の江戸時代の馬具の展示内容があった。これを紹介したのがニルグイ所長に響いたらしく、モンゴルのアイラグ関係の物を集めて並べたいと言っていた。また、博物館に教育活動をする機能があるという話をした。今回の訪問中に企画された天気予報の教室はこの活動の一つと位置づけることができる。これを聞いたネルグイ所長は夏休みに教室をしたいと話していた。ネルグイ所長が示した、このような前向きの反応は、レクチャーの効果があったと言えることだった。
しかし、準備したボードは伝統的なゲルにはそぐわないから出して欲しいということになったし、家畜の頭骨は展示したくないとのことだった。これはレクチャーの意味が十分に理解されなかったことを示すが、森永先生の判断で、ここは時間をかけて理解してもらうこととし、相手側の提案を飲むことにした。
この点は我々の意思が伝わらなかった点だが、驚いたことに、そして嬉しいことに、写真パネルなどを見て、所長がこの部屋全体を博物館に使ってよいと決断したことだ。これは予想した以上の「成果」であった。しかも、「家畜の頭骨は置きたくない」ことの代替案として、別室に家畜の頭骨を置くことになったので、さらにスペースが確保されることになった。
ゲルからボードを外したので、ガランとした状態になった。それを見、話を聞いていたスフエさんが自宅に戻って壺と台、桶を持ってきてくれた。台はゲルにおいて大切なものを置き、その上にテレビ、古い写真などを置くためのものだが、スフエさんが持参したものはかなり古いものだということだった。壺も中に金魚の絵が描かれたなかなか良いものだった。
左から、台と壺、壺の内側、馬乳を入れる木製の桶
フフルにはパネルをつけた。この大きさだと近くまで来ないと読めないので、貴重品は並べないで、ゲルに入ってもらうことになるだろう。
フフルとパネル
用意されていた家畜の頭骨は煮沸洗浄が不十分だったので、私の泊まった部屋で改めて煮ることにした。ヒツジとヤギの頭骨は夏にしたため脂肪が残っていて鍋のお湯に脂が浮かぶので、表層のお湯をすくっては取り出すことを繰り返した。2日をかけてガスバーナーのカートリッジを9本使ってほぼ十分なところまでクリーニングした。
宿泊した部屋で頭骨を煮る
ドライブ中にウマの頭骨を見つけたので、拾ってきて、下顎の臼歯部分をスフエさんに外してもらった。スフエさんは金工をするので電動の回転ノコを持っていて、巧みに外してくれたので良い標本ができた。
回転ノコを使ってウマの下顎を切るスフエさん(左)と完成したウマ下顎の標本もつ私(右)
頭骨標本は背景に黒い布を置いて撮影し、パンフレット資料用とした。
家畜の頭骨標本
最終的に、台にラベルをつけてきちんと並べたら比較的見応えのある展示になった。背面のパネルは英語版だけなので、今後。これにモンゴル訳をつけてもらう。この部屋は人の写真や表彰状などが貼ってある「資料室」のような部屋で、その一角を使うことになった。
家畜の頭骨コーナー
展示室となる部屋は、現在は緊急避難的に役場の机などが入っているが、10月には役場が再建されて撤去される予定である。正面にゲルがあり、右壁にアカシカの角があり、ウマなどの写真(A3サイズ)を貼った。背後の壁には野草の写真(A4サイズ)を貼った。
今回の訪問で進めた「展示室」のようす
手前の壁に貼った野草の写真
これらとは別にポストカードを5種類(野草のスケッチ5つとウマの写真3つ)を印刷してきた。これを1枚1000Tgで販売し、収益は博物館の展示に使うこととした。
ポストカードに使った野草のスケッチ(上)とウマの写真(下)
また、馬具などを含め、博物館資料の提供を依頼する用紙を配布してもらうことにした。今後は収蔵品の寄贈を待ち、充実させたい。これらを登録し、データベース化してゆくことも重要な作業となる。
収蔵品リスト
以上の作業をして9月3日にモゴドを後にした。
ウランバートルではパンフレットの原案を作った。今後、肖像権の了解を取る予定である。
パンフレット(案)のカバーページ
<まとめ>
1) モゴド・アイラグ博物館の準備をするために2019年9月にモゴドを訪問し、カルチャーセンターの1室を展示に使うことになった。さらにもう一つの部屋の一角を家畜頭骨の展示コーナーとすることになった。
2) 展示室にはゲルの半分を使ったコーナーを置き、その中にアイラグ関係の展示品を置くことにし、現在はフフル、台、壺、桶を置いた。
3) 壁面に家畜などの写真(A3サイズ)と野草の写真(A4サイズ)を貼った。
4) 別室にボードと台を置いて家畜(ウシ、ウマ、歯が見えるようにしたウマの下顎、ヤギのオスとメス、ヒツジのオス2頭、メス2頭)の頭骨を展示した。
5) パンフレットの原案を作成した。
6) 展示品の協力を求める用紙を配布することにした。
7) 所長は夏休みなどに子ども教室を計画したいとの意向であった。
8) ポストカードを8種類販売(1枚1000Tg)することとした。
9) 収蔵品登録リストを作成した。
10) パンフレットの原案を作った。
1)共通の地図を持参する。
- ルートを歩いてシカの足跡、糞、食痕がないか観察する。
- シカの糞が複数ある場所で、記録用紙に記入する。調査地番号を連番とし、その番号を地図に書いた上で、鉛筆などでそこをさした状態の写真を撮影する。これは後で集計し、分布図を作成するのに使う。記録内容は別紙参照。
- そのような場所がたくさんある場合は、同程度であることを記録し、場所の地図を撮影するだけでよい。
- 影響がそれ以上の場所があれば、改めて記録を取る。
調査後、地図と記録用紙をスキャンして責任者に送る。できない場合はコピーを郵送する。
- これを集計し、高尾山周辺におけるシカの影響の程度のマップを描く。
ツリバナの食痕 ミヤコザサの食痕 ミズキの樹皮はぎ
シカの糞
2019年5月27日
高尾山に迫るシカ – 侵入初期での現状把握の試み -
高槻成紀・石井誠治
要約
奥多摩から拡大しつつあるシカが裏高尾まで侵入した。シカの影響が大きく、歴史的遺産であり観光地でもある高尾山の森林への影響が懸念される。シカ対策が後手に回らないうちに緊急調査を行う必要があると考え、FIT(森林インストラクター東京)の協力を得て、2019年5月に高尾山一帯を調査し、以下の結果を得た。現時点ではシカの影響はほとんどなく、ササには痕跡がなかったが、アオキは53カ所のうち17カ所(32%)で弱いながら痕跡があった。また足跡が2カ所、糞が1カ所で確認された。シカが生息することが確認されたこと、現時点で影響が弱いことの記録が取れたことの意義は大きい。今後シカの影響を注視する必要がある。
はじめに
全国各地でシカ(ニホンジカ)が増加して、農林業被害だけでなく、自然植生にも強い影響が出るようになった。東京都においても、奥多摩に少数いたと思われるシカが1990年代から徐々に増加し、分布を拡大している。奥多摩では森林の植物が減少し、マツカゼソウ、オオバノイノモトソウ、マルバダケブキなどシカが食べない草本類が目立つようになっている。シカは拡大傾向があり、御嶽山では名物のレンゲショウマへの被害を懸念して群落を柵で囲うなどの対策が立てられている。檜原村への影響も進み、三頭山でもササが減少するなどの影響が出ている。
裏高尾の小下沢(こげさわ)にて10年間ほどセンサーカメラで野生動物を撮影している「高尾の森を作る会」の記録によれば、2015年くらいからシカの撮影数が急激に増加しているという。また2018年の早春にはほとんど気付かなかったアオキへの食痕が2019年の早春に突然急増した。
このような状況を考えるとシカは高尾山の足元まで迫っていることが懸念される。著者の一人高槻はこれまでシカの研究をしてきたが、その経験によると、シカの影響が出始めた段階では、シカの姿を見ることはほとんどなく、糞などの痕跡を発見することもほとんどないため、一般の登山者は全く気付かない。しかし経験者が注意深く観察すれば、植物の葉にシカの食痕が発見される。特にササやアオキなどの常緑植物があると、冬の植物が乏しい時期にはシカが食べる確率が高くなるので、これらに着目すると気づくことができる。
高尾山の森林は歴史的にも自然破壊を免れたことがわかっており、また人気のある観光地でもあり、多数の来訪者がその自然を楽しんでいる。その意味では高尾山の森林は観光資源であるといえる。したがって、高尾山にシカが入った場合、深刻な影響が懸念される。
これまでの各地で起きたことを考えると、シカが新天地に侵入するときは、まず少数のオスが見られる。これはシカが生長し、成熟年齢に達しつつある頃になると、メスは母親のもとにとどまるが、オスは母親の元を離れるからである。そして、その後のメスが定着する。この段階になるとシカ密度が高くなり、子供が定着する。植物への影響も強くなって、木本類の枝折りが目立つようになり、アオキなどが減少したりするようになる、次の段階ではその影響が明らかになり、一部の植物が減少し、有毒植物やとげ植物が目立つようになる。さらに高密度になると、樹皮はぎが目立ち、ササがあれば減少し、低木類が盆栽状になり、シカの足跡や糞などがよく見られるようになる。こういう状況になると雨が降った場合に表土が流出し、ひどい場合は土砂崩れが起きるようになる。現にシカが多い奥多摩では大規模な土砂崩れが起きたし、丹沢山地でも至る所で大小の土砂崩れが起きている。
このように、シカ侵入の初期段階では、一般の登山者が気づく段階では対策が極めて困難なため、楽観視されがちであり、そのため対策が後手に回ることが多い。しかし、高尾山の場合は森林の重要度と、裏高尾でシカが急増しているという状況を考えれば、対策が後手に回ることのないよう、緊急に対策をとる必要がある。
このような状況を鑑み、シカ調査経験の長い高槻が調査マニュアルを作成し、高尾山と周辺で森林について調査経験の豊富なFIT(森林インストラクター東京)の会長を長く務めた石井がメンバーの協力を得て2019年5月に緊急な調査を実施した。
方法
調査マニュアルを作成し、記録してもらった。
シカ影響調査の内容
シカの影響は初期段階では普通の人が気づかないほど弱く、一部の枝先が食べられる程度であることが多い。密度が高くなると、徐々にはっきりわかるようになり、ササがあれば食痕が見られるようになり、低木が盆栽状になり、食痕も見つけやすくなる。更に進むと、多くの植物が少なくなって、シカの食べない有毒植物などが目立つようになり、更に高密度になるとシダや有毒植物が残る程度になる。
高尾山周辺ではまだシカが侵入しつつある段階で低密度なので、影響も見つけにくいが、それだけにこの段階で記録しておくことが後で重要になる。
そこで記録の仕方を提示し、それに沿って一貫した記録を取ることにした。こちら
そのマニュアルにしたがって、図1ルートを歩き、記録をとった。調査は2019年5月に行なった。
結果
上記のルートを歩き、合計53地点で記録をとった。
- シカの痕跡
シカの糞は高尾山の北側で1カ所、足跡は2カ所で確認された(図2)。このような直接的なシカ情報は現状では限定的であった。
図2a シカの糞、足跡を発見した地点
図2b シカの糞(左)と足跡(右)
- ササへの食痕
ササ(主にアズマネザサ)への食痕は認められなかった。
3) アオキへの食痕
アオキには食痕があった。食痕があった場所は高尾山の北(中央高速近く)、高尾山の西側、南西側と薄く、広く見られた。食痕記録は「僅かにある」が13例、「いくつかある」が4例で、合計で全体の32.1%であった。ただし「たくさんある」はなかった。
図3 調査ルート(黄色の線)とアオキに対するシカの食痕の有無
青は食痕なし、赤は食痕あり。
図3b アオキに対するシカの食痕
その他ハナイカダ、イタドリなどにも食痕が認められた(図4)。
図4a ハナイカダ(左.地点33)とイタドリ(右、地点39)の食痕
考察
越冬期にササやアオキなど常緑植物へのシカの採食圧が強くなることを利用して、食痕の発見に努めた結果、ササには食痕が認められず、アオキは53地点中17箇所(37.1%)で観察された。ただし、その程度は弱かった。シカの直接的な痕跡としては足跡と糞が記録されたが、全体からすればごく少なかった。
今回、シカの影響がほとんどない段階でデータが取れたことは非常に重要である。多くの事例では、影響が強くなってから調査が行われるため、それ以前の状況がわからない。しかし、今回はそのデータが取られたことから、今後、高尾山でシカの影響が強くなった場合に、その規模と速度を読み取れることができる。
今回の記録からは現時点では高尾山一帯へのシカの影響は弱いと言えるが、シカが生息していることは確実である。特に高尾山頂から1.5kmほどの場所で糞が観察されたことは懸念される。現状ではシカによる植物への影響は目立たず、一般の人は気づかないレベルである。しかし、これまでの多くの事例で知られるように、影響が見られるようになると一気に強いものになり、対策は手遅れになりがちである。高尾山の森林の価値を考えれば、手遅れにならないように、すぐに対策に着手すべきである。
同時に十分な体制を整えて現状把握の基礎調査も進める必要がある。今回の予備調査は高尾山一帯をよく知り、植物にも馴染みのあるメンバーによって行われ、貴重な記録が取れた。マニュアルにはほぼ適切であり、特に記録を取る地点を地図上で確認して撮影する方法は記録集計する上で有効であった。またメモを取るだけでなく、痕跡を全て撮影し、その場所を特定することも有効であった。
この記録の仕方は調査の前に実習を行うことで確実性を確認した。今後は同じ方法で、さらに広範な人材の協力を得て詳細な記録を取ることを推奨する。シカの影響は刻々と変化し、現在の高尾山一帯では文字通り前線の変化の大きい段階にある。そのことを考えれば、こうした調査の重要性と緊急性は非常に大きいと言える。
謝辞
調査は以下のFITのメンバーの協力を得て行なった。
佐々木哲夫、箭内忠義、山口 茂、浜畑祐子、横井行男、平野裕也、小早川幸江、長谷川守、遠藤孝一、高氏 均、宮入芳雄、谷井ちか子、臼井治子、中川原昭久
これらの皆様に御礼申し上げます。
高槻成紀(麻布大学いのちの博物館)・永松 大(鳥取大学)
目的
シカ(ニホンジカ)の食性は北海道から屋久島まで広範に分析され、大体の傾向は把握されているが、まだまだ残された地域も多い。中国地方はその一つで、2000年に山口県のシカで断片的な情報が報告されたにすぎない(Jayasekara and Takatsuki, 2000)。この分析がなされた1990年代後半には中国地方でのシカの生息は限定的であったが、その後、徐々に拡大した。鳥取県においても兵庫県から連続的な分布域が県東部から徐々に拡大傾向にある(鳥取県, 2017)。1978年と2003年の生息分布をみると、1978年には東部に断続的に生息していたが、2003年になると東部では面的になり、中部、西部にも拡大したことがわかる(図1)。
図1. 鳥取県におけるシカの生息分布. 左:1978年, 右:2003年
(鳥取県, 2017より)
このため農林業への被害が大きくなり、その抑制のために捕獲が進められ、2010年からは3000頭台、2013年以降は4000頭を超えるレベルになっている(図2)。
図2. 鳥取県におけるシカ捕獲数の推移. (鳥取県, 2017より)
著者の一人永松は当地方で植生調査をしながら、年々シカの影響が強くなることを観察してきた。調査地である若桜町を含む鳥取県東南部で群落調査とシカの糞密度を調査を行い、若桜町はその中でもシカ密度が高く、植物への影響も強いことが示された(川島・永松, 2016)。場所によってはもともとはササがあったが、シカによって食べ尽くされ、低木層も貧弱化し、不嗜好植物(シカが嫌って食べない植物)が増えている場所もあった。
鳥取県東南部でのササと低木の影響の強さ(左)と糞密度(右)の分布図。色が濃いほど影響、密度の値が大きい(川嶋・永松, 2016)
この地方は伝統的に林業が盛んであり、若桜町は森林率が95%であり、そのうち人工林率は58%である(鳥取県林業統計https://www.pref.tottori.lg.jp/100539.htm)。スギは常緑であり葉の垂直的厚さがあるために、林床は暗く、間伐が適切に行われないと林床植生は貧弱になりがちである。そのため、面積当たりのシカの頭数が同じであっても、下生えの豊富な落葉広葉樹林に比較すると環境収容力は小さくなる。このため、単純に生息密度を調べるだけではシカの置かれた状況を知ることはできない。筆者らはこれを把握する方法の一つとして、現状のシカの食性を明らかにしておくことが重要だと考えた。
シカの食性は糞分析によっておこなわれる。糞分析法を採用すれば、非侵襲的に(シカを殺すことなく)、繰り返し調査ができるという利点がある。シカは植物が枯れる冬に食物不足に陥り、常緑のササがあれば集中的に利用するため、シカが増えるとササが減少して、シカの糞中の占有率も減る。ササは表皮細胞が特徴的であり、糞分析で確実に識別できるので、よい指標となる。またシカの主要な食物である植物の葉は一般には冬に減るため、シカが食性に強い影響を及ぼしていれば、シカは落ち葉やイネ科の稈、木本類の枝や樹皮まで利用するようになるが、もしシカの影響が強くなくて、ササや常緑低木が多い環境であれば、シカの冬の糞にはこれらの葉が多く検出される。
本調査はこのような背景から鳥取県東部の若桜町のシカの現時点での食性を明らかにすることを目的とした。
方法
1)調査地の選定
若狭町の南にある鬼の城でシカ糞の採取をおこなった
(図3)。
図3. シカ糞採取地の位置
糞採取した場所はアカマツとコナラの林で、下生えは強いシカの影響を受けて貧弱になっていた(図4, この植生は今後記述予定)。
図4. シカ糞採取地の景観。下生えは非常に貧弱である。
2)糞分析
シカの糞の採取に際しては1回分の排泄と判断される糞塊から10粒を採取して1サンプルとし、10サンプルを集めた。これを光学顕微鏡でポイント枠法で分析した。ポイント数は200以上とした。
糞中の成分は暫定的に図5の14群とした。これは今後の分析が進んだ時点で少量のものはまとめる予定である。
結果と考察
糞組成の季節変化
2018年5月以降の糞組成の平均値を図5に示した。
<5月>
5月に最も多かったのは支持組織で木質繊維や樹皮など、葉でないものを含み、56.5%に達した。次に多かったのは枯葉で黒褐色の葉脈が見られた。これが17.8%を占めた。そのほかの成分は少なかった。特に双子葉植物は非常に少なく、シカの影響で減少したためと推察される。イネ科の葉は7.1%で、稈(イネ科の茎)が6.8%であった。これらは新鮮な植物由来であり、顕微鏡下では透過性の良い状態で観察された。
これらの結果は、当地のシカの春の食糧事情は劣悪であることを示唆している。多くの場所ではササや常緑樹の葉が10%以上検出されるが、ここではそのいずれもが微量しか検出されず、栄養価の低い支持組織が過半量、枯葉が2割近くを占めた。
<6月>
6月9日のサンプルもさほどの変化は見られなかった。はっきりとした違いは支持組織が5月の55.5%から36.3%に減少して、稈(イネ科の茎)が6.8%から21.5%に大きく増加し、枯葉は17.8%から10.0%に減少したことである。このことは緑がほとんどなかった5月から新しいイネ科が育ち始めてシカがそれを食べ、みずみずしいイネ科の葉は消化されたために糞には7.9%しか出現しなかったが、同時に食べた稈が糞中に多く出現したことを示唆する。そのため枝先や枯葉はあまり食べなくなったものと考えられる。それでも6月時点で枯葉を除く葉が合計でも15.3%しかなかったのはこの調査地ではシカが食べる植物が非常に限られていることを示唆する。
<7月>
7月28日のサンプルはかなり変化を見せた。まずそれまで少量ながら出現していたササが全く出現しなかった。大きく増加したのは稈(イネ科の茎)で,45.4%を占めた。イネ科の葉も10.3%に増加したが、増加の程度は稈が著しかった。これはまだイネ科の葉が若く、柔らかいために消化率が高いからであろう。また双子葉植物の葉も6月の1.7%から15.6%と大きく増加した。これに対して繊維は激減した。繊維は5月に55.5%、6月に38.3%と大きな値を示したが、7月にはわずか4.2%になった。このように、糞中の葉の合計値は30.4%になり、シカの食物状況は大幅に改善されたが、注目すべきは、それでも枯葉が12.9%を占めていたことである。通常であれば夏に枯葉は食べないと思われるので、この地域のシカは夏でも枯葉を食べざるを得ない劣悪な食物環境で生活していると考えられる。
<9月>
9月25日の糞組成は緑葉が大幅に減少し、双子葉、単子葉合わせても15%にしかならなかった。枯葉が22.1%の高率を占め、繊維と稈を合わせると53.3%と過半量になった。
<11月>
11月は意外にもイネ科、双子葉植物ともに大幅に増加し、繊維が大きく減少し、これまでで最も葉が多いという結果になった。ただし、枯葉が19.9%あり、10月よりはやや少なくなったものの、かなり多かった。
<2019年1月>
2019年1月になると、繊維が48.4%とほぼ半量を占め、稈(10.8%)や不明(11.1%)、枯葉(8.8%)など栄養価の低いもので大半を占めるようになった。これは前年の5月の組成に似ており、植物が枯れてシカの食物が最も乏しくなった時期に入ったことを示している。
<2019年3月>
3月の組成は基本的に1月のものと近かった。最も多かったのは繊維で39.9%を占め、稈(17.8%)や枯葉(14.6%)など栄養価の低いもので大半を占めた。一年で最も食物が乏しい時期t考えられる。
図5. 若狭町シカの糞組成(%)の季節変化。食物カテゴリーは今後の結果に応じて変更する可能性がある。
主要成分の季節変化
一度でも10%を上回ったものを主要成分として取り上げると、図6のようになった。イネ科は明瞭な季節変化を示さず、夏から秋に10%を超える程度であった。ただし、9月には少なくなった。双子葉植物は夏から秋に増加した。枯葉は夏と秋に多かったが5月にも17.8%になった。稈は春から秋に多く、特に7月に45.5%に達したのでグラフは山型になった。繊維は冬を中心に多く、グラフはU字型になった。
栄養価の高い緑葉が植物の生育期である春から夏に多くなるのは当然であるが、本調査地に特徴的なのは枯葉と稈も植物の生育期に多かったことである。しかも繊維も9月に27.6%を占めた。このうち稈は特に初夏にはみずみずしい状態であるからシカはイネ科を食べるときに、葉と同時に稈も食べる。この時期の稈は柔らかく、葉緑素も含んでいるから、秋以降の稈とは違い栄養価もある程度あると思われる。しかし枯葉は明らかに低栄養であるし、繊維は枝や細い幹などを食べて消化過程で残ったものと考えられる。このような低栄養の食物を夏でも食べるということは、シカにとっての調査地の食物事情が非常に劣悪であることを強く示唆する。
図6 主要成分の占有率の季節変化
まとめ
分析の結果、糞の主要成分が支持組織と枯葉で占められていたことがわかり、シカが植生に強い影響を与えて、食糧事情が悪い状態にあることがわかった。特に6月になっても葉の占有率が20%未満であったこと、7月、9月という植物が一年で最も多い時期においても枯葉をかなりの程度食べていたことは注目される。枯葉が多いのは11月も同様であったが、意外にも葉の占有率はこれまでの最高値を示した。
シカが高密度で知られる宮城県金華山島でも夏はシバなどイネ科植物をよく食べており、このように枯葉を多く食べることはない(Takatsuki, 1980)。そうしたことを考えれば、この地域のシカはこれまで知られる日本のシカ集団でも最も貧弱な食糧事情にある例だと思われる。
その理由の一つは、若桜地方がスギ林が卓越していることに関係すると考えられる。この地方はスギの名産地として伝統的に人工林化が進められた結果、人工林率が高く、従って森林内が暗いためにシカの食物になる草本類や低木類が少ない。そのため、落葉樹林に比べて同じ程度のシカ密度であれば、食物になる植物が少なく、植生への影響も強い。その結果、シカの食物がさらに減少するという悪循環が急速に進んだためと考えられる。特に常緑のササが乏しくなったことは、シカの冬の食糧事情にとって深刻なことであり、シカの栄養状態にも悪影響を与えている可能性がある。
文献
Jayasekara, P. and S. Takatsuki. 2000. Seasonal food habits of a sika deer population in the warm temperate forest of the westernmost part of Honshu, Japan. Ecological Research, 15: 153-157.
川嶋淳史・永松 大. 2016. 鳥取県東部におけるシカの採食による植生の被害状況. 山陰自然史研究, 12: 9-17.
鳥取県. 2017. 鳥取県特定鳥獣(ニホンジカ)管理計画.
Takatsuki, S. 1980. Food habits of Sika deer on Kinkazan Island. Science Report of Tohoku University, Series IV (Biology), 38(1): 7-31.