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「晴行雨筆」の日々から生まれるもの

鹿児島県高隈演習林のシカの食性

2024-04-21 18:11:30 | 報告
鹿児島大学高隈演習林のシカの食性

高槻成紀(麻布大学いのちの博物館)
川西基博(鹿児島大学・教育学系)

ニホンジカは北海道から沖縄まで日本列島に広く生息し、その分布域は亜寒帯から亜熱帯に及ぶ。この多様な生態系を反映して、シカの食性も一様ではなく、大きく見れば冷温帯の落葉広葉樹林帯ではササを主体とするグラミノイドが多く、暖温帯の常緑広葉樹林帯では常緑樹や果実などが多い傾向がある(Takatsuki 2009)。ただし、後者の情報は不十分であり、屋久島や山口などに限定的であった。特に九州では情報が乏しかったが、福岡と宮崎で分析例がある。福岡では駆除個体の胃内容物を分析した例があり(池田 2001)、双子葉草本が多く,夏には落葉樹が,冬には常緑樹が多くなる傾向があった。宮崎県では落葉広葉樹林での調査があり、グラミノイドが多く、落葉広葉樹がこれに次いだ(矢部ほか 2007)。その後、福岡県の九州大学福岡演習林と宮崎県の九州大学椎葉演習林で糞分析を行ったが、いずれもシカの密度が高いために、常緑、落葉を問わず広葉樹の葉、イネ科の葉ともに非常に少なく、九州の常緑広葉樹林帯でシカが低密度の場所での情報はいまだに不十分なままであった。
 今回、鹿児島大学の川西氏から鹿児島大学農学部附属高隈演習林でシカの糞が確保される可能性があると連絡をもらったが、秋までは発見ができなかった。2024年の2月以降、糞が確保されるようになったので分析したので、報告する。

方法
調査地は大隅半島基部の桜島の東側にある鹿児島大学農学部附属高隈演習林で(図1)、林内は巨樹の中に常緑低木類が多い(図2a, b)。詳しくは鹿児島大学のサイトを参照されたい(こちら)。方法はこれまでの他の場所と同一のポイント枠法なので省略する。


図1. 調査地の位置図

図2a. 高隈演習林の景観(2024年2月)

図2b. 高隈演習林の景観(2024年3月)

結果と考察
1)2024年2月上旬
シカの糞組成は常緑広葉樹の葉(図3)が60.3%を占め、優占していた(図4)。その多くはアオキの葉と思われ、実際調査地ではアオキに食痕が見られる(図5)。ただし、類似の表皮もあるかもしれないので種の特定は控える。これに次いで多かったのは繊維で34.4%であった。そのほかは微量であり、この結果は調査地のシカは林内に豊富にある常緑広葉樹の葉を食べ、その時に必然的に食べる葉の基部の枝部分の繊維が糞中に出現したと思われる。


図3. 検出された常緑広葉樹の表皮細胞. 格子間隔は1 mm.



図4. 高隈演習林における2024日3月下旬までのシカ糞の組成(%)

図5. アオキの食痕(2024年3月20日)

2)2024年2月下旬
2月23にも同じ場所で糞が確保された。下旬になると常緑広葉樹がさらに増えて、66.4%に達した(図4)。また繊維は減少した。

3)2024年3月下旬
3月20日に採集した糞の組成は2月とあまり違わず、常緑広葉樹の葉がやや増えて71.2%と優占していた。2月下旬に11.2%を占めていた稈は0.9%に減少し、繊維が23.7%に増加して2月上旬と近い値になった。したがって3月になっても2月と同様、常緑広葉樹を食べている状態が維持されているといえる。

 今後、春から夏にかけては草本類、落葉広葉樹、イネ科などが増える可能性はある。ただし、シカ低密度の場所では糞の密度が低く、しかも夏には糞虫によって糞が分解するので、さらに発見がむずかしくなることが予想される。今後も糞が確保されるのが望ましいが、冬に常緑広葉樹の葉が60%以上検出されたことは意味が大きい。現在はシカが高密度になっている宮崎県の椎葉演習林でも、シカが低密度の時代にはこのような糞組成であった可能性がある。

4) 2004年4月
4月15日にはサンプルは2つしか確保できなかった。その糞の組成はこれまでとほとんど違わず、常緑広葉樹の葉が63.7%と優占していた(図4)。繊維が27.0%で、これまでとほぼ同じレベルであった。果実は5.7%とやや多くなった。したがって4月もこれまで同様、常緑広葉樹を食べている状態が続いている。ただしサンプル数が少ないので、参考程度としておく。


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10月の訪花昆虫調査の結果

2022-10-08 22:38:12 | 報告
 2022年10月の調査結果をまとめました。

 花はアキノキリンソウとヤマラッキョウがいずれも35%で、ノハラアザミも多くて、この3種が92%を占めました。

10月の花数

 訪花昆虫は甲虫(大半はハムシ)が過半数を占め、ハチが33%で、ハエ・アブはこれまでと違い、8%にすぎませんでした。

10月の昆虫数の内訳

<それぞれの花にはどういう昆虫が来たか>
 主要な花3種について、どういう昆虫が来ていたかを見ると、アキノキリンソウでは甲虫(多くはハムシ)が最も多く、次いでハチでした。


 ヤマラッキョウは少し違い、ハムシが突出して多く、ハエ・アブもハチと同じくらい来ていました。
 

 ノハラアザミは明らかに違い、ハチ(マルハナバチが多い)が最多で、甲虫を上回りました。
 

 花の形を見るとアキノキリンソウはキク科で筒状花で、ハムシはここに潜り込んでいました。

アキノキリンソウ

アキノキリンソウにいるハムシとハチ

 このハムシは私が図鑑で見る限りルリマルノミハムシのようです。後ろにつく脚は「太もも」が極端に太く、触ろうとするとピンと跳ねて視界から消えます。

ルリマルノミハムシ

 ヤマラッキョウの花は一つを取り上げるとコップのような形で、これならハエなども吸蜜できるかもしれません。

ヤマラッキョウの花序

ヤマラッキョウの小花

 ノハラアザミは代表的なキク科の花で多数の筒状花が集合したもので、時々長い雌蕊が突出しています。


ノハラアザミの筒状花

 蜜が筒の底にあるはずですから、マルハナバチやチョウが長い口で吸蜜します。

ノハラアザミ、トラマルハナバチ

ノハラアザミ、イチモンジセセリ

<昆虫はどういう花を選んだか>
 今度は昆虫ごとにどの花に訪問したかを見てみます。
 ハチは口が長いので筒状花からも吸蜜できるはずで、キク科のアキノキリンソウとノハラアザミに多かったことは矛盾しません。


 ハエアブは舐めるための短い口を持っていますから、皿型の花なら大丈夫ですが、筒型は吸蜜できないはずです。結果を見るとヤマラッキョウに多かったのでこれも矛盾しませんが、ノアザミにもある程度来ていました。



 甲虫としてはハナムグリもいましたが、大半はハムシでした。このハムシは捕まえようとするとピンと跳ねて消えてしまいます。花の上で吸蜜しているかどうかわかりません。訪問数ではヤマラッキョウとアキノキリンソウが多い結果でした。


 このように、花の作りと訪花昆虫には大まかな対応関係があるように思えます。

++++++++++++++++

 昆虫数の月変化を見ると5月から7月までは少なかったのですが、8月、9月と急増して、10月に減少するという変化を取りました。7月は上旬に調査をしたので、中旬以降であればもっと多かったはずです。

昆虫数の月変化

 このグラフではわかりにくいので、内訳を取り上げると、8月にハエ・アブが最多となり、その逆に甲虫が最少になりました。5, 6月と10月を比べると、ハチが多くハエ・アブと甲虫が少なめでした。

昆虫の割合の月変化


元に戻る こちら
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10月8日の訪花昆虫調査

2022-10-08 10:30:22 | 報告
 今年は5月から訪花昆虫の調査をしてきましたが、10月が最後になります。急に涼しくなったので昆虫は減っているはずです。8日に日程調整しましたが、このところ天気が悪く、7日は1日中雨で東京でも寒いくらいでした。ただ天気予報では8日は回復するだろうということでした。当日の朝、東京は曇りで「これはダメかな」と思ったのですが、いくだけ行くことにしました。遠山に着くと薄曇りくらいでした。
 現地に着くと数人が待っておられました。空は明るくなり、調査はできそうでした。簡単に打ち合わせをして3班に分かれて調査を始めました。

記録をとる

 私はいつもの芳賀さんと二人で林を担当しました。花はグッと少なくなり、ノハラアザミくらいしか目につきませんでしたが、調査を始めるとヤマラッキョウやヤマトリカブトもありました。

ヤマラッキョウ

ヤマトリカブト

 訪花昆虫はあまりいないだろうと思っていたので、ノハラアザミにミヤママルハナバチがいると嬉しくなって眺めました。芳賀さんは本当に生き物が好きなようで、ミヤマを見ては「かわいいー」と優しく話しかけていました。

ミヤママルハナバチ

ヤマトリカブトにはほとんどいなかったのですが、それでもトラマルが来たので喜びました。

調査中の芳賀さん

 途中で見える草原はススキが枯れて秋の装いでした。

ロッジを見下ろす

 一番上の尾根に着きましたが、富士山は見えませんでした。そこにサクラスミレの狂い咲きがありました。思っていたよりは昆虫の記録が取れました。

 花を見ながら少し早めにロッジに戻りました。

リンドウ

アキノキリンソウ

ハバヤマボクチ

ノコンギク

 三々五々に集まってきて、お昼になりました。いつものことながら、リンゴ、ナシ、カキ、ブドウ、それにポポなどみなさん果物を持ってきておられて美味しくいただきました。さすがに「果物の山梨」です。あれこれ雑談をしましたが、作る側からすると例えばブドウの糖度が少し低いだけで受け取ってもらえず、困るとのことでした。食べても味に違いは感じられなくても、箱の中の一つノブドウが不合格に箱全体がダメとなるのだそうです。それから畑の土壌調査があって、調査に10万円もかかるので、角田さんの場合、4つの畑があるので40万円もかかるということでした。それだけの額を売り上げるのは大変なはずです。「まったくJAは意地悪をしているみたいだ」とのことでした。


お昼の団欒


 奥平親子は午後に別の予定があるということで、記念撮影をしました。

記念撮影

 午後は別の場所を調べ、2時頃には終わりました。夏に子供が見つけたというギンリョウソウモドキの話になり、「では見にいこう」ということになりました。上むきに果実がなっていました。

ギンリョウソウモドキ

 みなさん、楽しく調査をしてくださり、楽しい一日になりました。

 調査結果は こちら


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9月の訪花昆虫調査

2022-09-11 19:30:02 | 報告
9月11日に乙女高原で訪花昆虫調査をしました。良い天気で、暑い東京と比べると爽やかで気持ちいい天気でした。
 参加者は植原さん、井上さん、芳賀さん、篠原さん、奥平さんでした。この日は記念撮影をし忘れましたが、前日に群落調査をし、記念撮影をしました。


早速説明をして班に分かれて調査をすることにしました。

いざ出発

植原さんと篠原さんの班

花は豊富で、訪花昆虫も多く、なかなか進めないほどで、初め一人で記録していた植原さんは大忙しだったようです。

 午前は9時半くらいに初めてお昼前に終わり、楽しい談笑をして、午後は1時半から初めて2時半くらいまででした。

8月についで花に囲まれ、忙しくも幸せな時間でした。

タチフウロ、ハチ

タムラソウ

ハバヤマボクチ

ハンゴンソウ

マツムシソウ、トラマルハナバチ


+++++++++++++++++++++
 多いとは感じていましたが、後で集計をすると合計で3168例の記録が取れていました。これは多いと思っていた8月に比べても3倍程もありました。


訪花昆虫数の月変化

 その内訳を見ると、最も多かったのはハエ・アブで42%を占めました。そのほか甲虫と、ハチがほぼ4分の1ずつでした。


9月の訪花昆虫の内訳

 一方、花の方は一番多かったのがアキノキリンソウで40%を占めました。ノハラアザミが19%で、そのほかは10%以下でした。


訪花昆虫が記録された花の数の内訳


アキノキリンソウ

ノハラアザミ、ハムシ

ゴマナ、アブ

シラヤマギク


 9月には全ての昆虫が増えたのですが、内訳の月変化を見ると、6、7、8月になるにつれてハエ・アブの占める割合が増え、それが9月になると減ったことがわかります。それに対応して5月から8月にかけて相対的に減ったのが甲虫で、9月に盛り返しました。

昆虫の内訳の月変化

 主な花についてどの訪花昆虫が来ていたかを見ると次のようでした。ゴマナ、シラヤマギク、ノダケ、マツムシソウまではハエ・アブが目立って多いという結果でした。タムラソウはハエ・アブ、チョウ、ハチがほぼ同数で少し傾向が違いました。アキノキリンソウはハエ・アブが最多でしたが、ハチも多買ったのですが、チョウが少ない点が特徴的でした。ノハラアザミは明らかに他の花と違い、甲虫(大半はハムシ)、ハチが多く、ハエ・アブは少ないというパターンでした。

主要な花に来た訪花昆虫の数



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マルハナバチ3種

2022-08-24 21:34:36 | 報告
訪花昆虫調査でマルハナバチが3種記録されました。オオマルハナバチ、トラマルハナバチ、ミヤママルハナバチです。それぞれが来ていた花を調べたら明らかな違いがありました。オオマルがヒメトラノオ、トラマルがノハラアザミ、ミヤマがヤマハギです。
乙女高原で見られた3種のマルハナバチの花ごとの頻度

この結果は去年の結果でも、マルハナバチ調べ隊の結果でも同じでした。「これにはわけがあるはずだ」と思い、それぞれの花を調べるとヒメトラノオはコップのような形、ノハラアザミはごく細い筒状の花が束になっている、ヤマハギはやや複雑で蜜はツボのような花の中にあることがわかりました。マルハナバチの口の中舌(後述)の長さを調べた論文によると、中舌の長さはトラマル>ミヤマ>オオマルとなっており、花の形と大体対応しているようでした。
 「これは実際にハチの口をみなければ」と思い、植原さんにお願いしてハチを採集してもらいました。


文献を探したら、マルハナバチの口の測定部位が書いてあり、口吻長と中下長を測定していました(江川・市野, 2020)。ところが送ってもらった標本を見ると、口が伸びているハチも少しありましたが、そうでないものが多く、どうして測定するのだろうと思いました。
 下の写真がミヤマの側面です。

ミヤママルハナバチ

ところが、手にとって口の部分にピンセットを置いて下に伸ばしたら、びっくりすることにビョンと口が伸びました。

口を伸ばしたところ

 その長さにも驚きましたが、文字通り「格納」されていて、何か機械のように出てきるのに驚きました。論文に描いてあった図とは違う感じでしたが、私なりに口吻長と中下長を次のように決めました。

測定部位

 中舌は先ば曲がっていることが多いので、長さの測定は真っ直ぐに伸ばして行いました。ノギスを使って0.1mm単位で測定しました。
 その結果は次のグラフの通りで体長はミヤマだけが短いという結果でした。口吻と中舌はトラマル>ミヤマ>オオマルで確かに江川・市野(2020)の通りでした。

マルハナバチ3種の測定結果

 私の測定結果は江口・市野(2020)とは少し違い、どれも短めでしたが、順序は同じでした。これは測定部位が違う可能性もありますが、マルハナバチの大きさは地域ごとにかなり違うという論文もあるので、乙女高原ではこうだったということにします。

口吻長の比較。eは江口・市野(2020)のデータ
中舌長の比較。eは江口・市野(2020)のデータ

 こういうミリ単位の微細な違いによってハチが選ぶ花を違え、そのことで同じ花で取り合いをしないで資源を分かち合っていると言えます。そのことを「和やかに」とか「平和的に」と表現してもいいですが、マルハナバチの進化では最適の花を選ぶということをした結果ということになります。
 
文献
江川 信・市野隆雄. 2020.
高地におけるマルハナバチ属の体サイズの種間および種内変異:標高の異なる地点間での比較.
New Entomol., 69: 39-47.
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訪花昆虫調査の結果

2022-08-16 14:46:08 | 報告
訪花昆虫調査(2022年8月11日)の結果報告

手際の良い植原さんからさっそく生データのファイルが送ってきました。それを入力して整理したので、報告しておきます。

コンテンツ
1.  全体について
2. 訪花昆虫と花
3. 花の形と昆虫の口の形 こちら
4.  これまでの月との比較 こちら
5.  2021年の8月との比較 こちら
6. まとめ
資料 花と昆虫の写真 こちら

調査は調査地に図1のようなコースを決め、2, 3人ずつ5つの班に分かれて、1班が2コースをゆっくり歩いて、花に訪花昆虫がいたら、花の名前と昆虫の数を記録しました。


図1. 乙女高原に定めた調査コース

1.  全体について
歩いたのべ距離は967.8メートルで、平均速度は124.1m/時でした。訪花昆虫の数は1150匹で、10メートル中の昆虫発見数は11.9匹でした。

表1. 訪花昆虫調査のまとめ



これをコースの植生によって森林、林縁、草原に分けると発見された昆虫数は森林は少なくて4.4匹/10m、林縁と草原は15匹/10mほどでした。林には花が少ないせいです。


図2. 場所タイプ別の訪花昆虫発見数(10メートル当たり)

2. 訪花昆虫と花
 訪花昆虫が記録された花の数は合計1150であり、内訳はヨツバヒヨドリが37.6%もの多くをしめ、シシウドの20.8%と合わせると過半数となりました(図3)。


図3. 訪花昆虫がきた数の順に並べた花のグラフ

 次に昆虫数を見るとハエ・アブが72.6%を占め、甲虫、ハチと続きました。


図5. 訪花昆虫の数を比較した図

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訪花昆虫調査 2022.8.11

2022-08-11 15:26:54 | 報告
8月の訪花昆虫調査

活動の様子と結果の取りまとめ(こちら)に分けて報告します。以下は活動の様子です。

2022年8月11日に訪花昆虫の調査をしました。今回は夏休みと言うこともあってか子供が参加することになりました。それから乙女高原で訪花昆虫の調査で学位論文を書いた国武陽子さんが久しぶりに来て調査に参加したいということでお嬢さんと来てくれました。いつものように塩山駅で一足先についていた国武さん親子と一緒に植原さんに車に乗せてもらい、乙女高原を目指しました。着くとシシウドの花が目立ちました。ロッジ前には皆さんが待っておられました。全体で13人になったということです。


ロッジ前で植原さんの説明を聞く

<参加者>
・植原さん
・国武さんとそのお嬢さん(小5)
・奥平さんとその息子さん(小4)
・春日さんとその息子さん(小2)
・小澤さんとそのお孫さん(中)
・鈴木さん
・井上さん
・芳賀さん
・高槻

 自己紹介をしてから調査法の説明をし、記念撮影をしました。


 記念撮影

10時半過ぎには各班に分かれて調査を始めてもらいました。

手分けしてそれぞれのコースに分かれる

遠くからはススキ原に見えましたが、中に入るとタチフウロ、ワレモコウ、オミナエシなどが咲き乱れ、うっとりするようでした。


咲き乱れる野草たち

「涙が出そう」
国武さんが言いました。シカに食べられてなくなっていた野草が柵の中で回復してくれたことに感激したようで、私も同じ気持ちでした。

 私は今回も芳賀さんとのペアで、林を通るコースAとBを担当しました。明るいところではヨツバヒヨドリが目立ちました。時々見えるオニユリが「夏だな」と感じさせました。



 7月よりは花が多いと感じました。上の方に行った時に、見慣れない赤い色の塊が見えました。なんだろうと思ったら、遠目でわからなかったのですが、フシグロセンノウが重なって塊のように見えたのでした。ほとんど見られなくなっていたオオバギボウシもたくさん開花しており、マルハナバチが潜っていました。同じ花に何度も出入りしていました。

オオバギボウシとマルハナバチ 

 コースAが終わったら12時を回っていたので、お昼にすることにしました。ロッジ前に戻ると国武さんたちがいました。それから少しずつ戻ってくる班があり、テーブルが賑やかになってきました。雑談をしていると、一時をかなり回ってから小川さんたちが戻ってきました。よほど昆虫が多かったようです。
 「どうぞ」
と芳賀さんが漬物とスモモを出してくださいました。「太陽」とか「貴陽」とか品種名がついているらしく、違いがあるようでした。いただいたら甘みと酸っぱみが絶妙でとても美味しかったです。
 お弁当を食べ終わったら子供たちが昆虫ネットを持って虫取りを始めました。


一人の子が
「ルリボシカミキリ」
と言ってとってきました。
「えー、すごい!」
とみんな撮影モードになりました。そうしたら国武はるかさんがもう1匹のルリボシカミキリをとってきたのでさらにびっくりしました。こちらはオスでひとまわり大きいものでした。生き物好きが集まっていたので、みんな嬉しそうでした。



「それにしてもヤナギランが増えたよね」
「ちょっとピークを過ぎたんですよね。ちょっと前、あそこの斜面の下のところにたくさん咲いて感激しました」
「柵を作ってすぐに戻ってくるのと、少し遅れるのとあるんだね」

 お菓子が配られたりしてお腹がいっぱいになりました。
「午後は何時からにしますか?」
「そうね、まったりしてしまったから、一時半くらいでどうですか?」
「それはいくらなんでも遅いんじゃない?」
「そうか、じゃあ一時10分でどうですか?」
「そうしましょう」
ということで午後の調査を再開しました。

私たちはコースBを始めましたが、ここは尾根に近づくと林が切れて花が増えます。ヒメトラノオ、シモツケ、タチフウロ、ツリガネニンジンなどがたくさん咲いていました。

 

 

 芳賀さんは花にマルハナバチ がきていると
「かわいー!」
とひとりごとのように口にするので、本当に好きなんだなと思いました。
 終わってからコースJの上まできたら、下から老夫婦が登ってきて、いかにも植物が好きなようで、すれ違いざまに
「素晴らしいところですね」
と言われました。上から見ると良い天気で、遠くまできれいに見えました。


ロッジ前に戻ると、皆さんが次々に戻ってきました。
「あー疲れた」
という子もいましたが、充実した顔をしていました。大人がする調査についてきているというのではなく、子供自身が昆虫を見つけたり、採集をしたり、中には記録を書く子もいて、文字通り大人も子供もなく、同じ立場で調査に参加していました。
 戻ってきた人はデータをわたし、採集してきた昆虫も渡してくれました。皆さん手慣れたようすで腕章や双眼鏡など調査道具を戻し、箱に詰めてロッジに運びました。こうしたことも植原さんが長年こうしたイベントを繰り返し実施してきて、こうした作業が自主的に行うものだということを自然な形で伝えてきたおかげなのだと思いました。最後に挨拶をして私にも一言と言われたので話しました。

「今日は子供も参加してくれたのでとても楽しくできました。柵ができて数年経ちました。おかげで花が戻ってきましたが、こういう調査は珍しい植物が回復したで終わることが多いのですが、花だけでなく、花と昆虫のリンク(結びつき)が戻ってきたことを記録することが大切だと思います。それが子供を含めて多くの人の協力でできたことはとてもいいことだと思います。調査そのものとしてもとても意味がありますが、このことは乙女高原の保全のための資料としても価値があると思います。今日はありがとうございました。」
と締めくくりました。

 帰りの車の中では国武さんの現在の研究活動の話を聞きました。千葉県の東金にいてそこではマルハナバチが種類も限られるのであまり調査をしておらず、それよりもいい里山があり、大学も地元との結びつきを重視しているので、トウキョウサンショウウオの保全がらみの調査をしているということでした。そのことは両生類であって水も陸も良い状態であること、それは里山の農業の営みと深く結びついているので、高齢化して農作業も変わってしまった現状ではサンショウウオにも悪影響が出ているということでした。環境変化に対する脆弱性はイモリ、サンショウウオ、カエルの順だそうです。こうなると生物の調査だけでは足りなくて、農業のあり方や行政との関係も不可欠になりそうです。

 子供たちを含めて様々な人の参加があり、久しぶりに国武さんとも話ができて充実した、楽しい一日になりました。帰りの電車では眠りこけました。
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5.2021年の8月との比較

2022-08-11 14:56:08 | 報告
5. 2021年の8月との比較

 2021年8月8日に同じ調査をしていたので、比較をしてみます。まず訪花昆虫が確認された花の数ですが、両年ともヨツバヒヨドリが最多で、シシウドがこれに次ぎました(図10)。どちらも2022年の方が多く、特にシシウドは倍増しています。これらが実際に増えた可能性がありますが、調査の条件が多少は違うので、この違いよりも全体としてはほぼ同じであったと読み取るのが妥当だと思います。


図10. 2021年8月8日と2022年8月11日の訪花昆虫が確認された花の数

ところが昆虫の数は違いました(図11)。2021年にはアブが最も多く、これに次いでハエ、マルハナバチと少しずつ少なって行きました。ところが、2022年にはアブだけが突出して多く2位以下を大きく引き離しました。これは調査条件の多少の違いではとても説明がつきません。原因はわかりませんが、2022年にはハエ・アブが特別に多くなりました。その他の昆虫ではマルハナバチが大幅に少なくなりました。


図11. 2021年8月8日と2022年8月11日の訪花昆虫の数

 なお、2022年にはヤナギランが目立って増えました。調査した8月11日の結果では、訪花昆虫の数は多くありませんが、2021年に1例だけだったのに対して、2022年には8例になりました。ヤナギランの開花期はややピークを過ぎていたので、もう少し早くに調べればもっと多かった可能性が高いです。

6.まとめ
 8月中旬の調査で多くの訪花昆虫が記録されましたが、その数はシカの影響が強くて虫媒花が少なくなっていた2013年のほぼ10倍でした。2015年に柵ができて7年目で花と昆虫のリンクが戻ってきたということです。ただしこの数は2021年の同期とほぼ同じでしたから回復はもう少し前だったと思われます。花としてはヨツバヒヨドリとシシウドが多く、これも2021年と同じでした。しかし昆虫の内訳は両年で大きく違い、アブが突出して多くなりました。この原因は不明です。また訪花昆虫が最も多かったヨツバヒヨドリは筒型の花であるにもかかわらず、訪花していた昆虫はアブ・ハエが多く、花の形と昆虫の口の形の対応では説明がつかず、このことを説明するのは重要な課題です。植原さんと、
「調べるとわかることもあるけど、わからないことが出てきて、もっと調べたくなるよね」
とよく話しますが、本当にそう思います。


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4.これまでの月との比較

2022-08-11 14:55:06 | 報告
4.これまでの月との比較
この調査は今年の5月から始めました。その比較をすると、今回昆虫数が飛び抜けて多くなったことがわかります(図9a)。


図9a. 昆虫合計数の月変化

 この「突然さ」は7月は調査を3日に行ったので、6月の調査との間隔が狭く、8月の調査との間隔が広かったことによるようです。実際には7月中旬で花が増えたので、そのころに調査をしていれば上昇カーブはもう少し段階的だったと思われます。その内訳を見るとハエ・アブの増加が著しいことがわかります(図9b)。チョウも増えていますが、数字そのものは0.3匹/10 mに過ぎません。要するにどの昆虫も増加したが、ハエ・アブが目立って多かったということです。


図9b. 昆虫数の月変化(1) 


図9c. 昆虫数の月変化(2) 

昆虫の内訳を見ても、相対値は甲虫が少なくなり、ハエアブが非常に多くなったことがわかります(図9d)。つまり7月上旬は昆虫は少なかったのに8月になるとアブ・ハエを主体として急に昆虫が増えたということです。ただし、花の観察によれば、その増加は7月中旬くらいから起きていたようです。


図9d. 昆虫の数の内訳の月変化

 いずれにしても、8月になると10 mに10匹以上、つまり1 m進むごとに1匹以上の訪花昆虫が記録されたことになります。シカの影響が強かった2013年8月12日にも麻布大学の学生であった加古菜甫子さんが同じ調査をしています。この時は1.3匹/10mでしたから実に9.5倍も増えたことになります。まさに「桁違い」に回復したことになります。このことにも感銘を受けますが、マルハナバチの結果から学んだのは。昆虫の微妙な違いが選ぶ花に違いを生み、それを支えるかのように多様な花が咲いていることで、共存が可能になっているらしいということです。


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3.花の形と昆虫の口の形

2022-08-11 14:53:48 | 報告
3. 花の形と昆虫の口の形

「さまざまな花にさまざまな昆虫が訪れている」のですが、そこにはなんらかのルールがあるはずで、花は来てもらいたい昆虫が来る工夫をしているはずだし、昆虫は自分の好みで花を選んでいるはずです。それには多様な要因があって簡単に説明されるはずはありませんが、それでもなんとか理由を考えてみたいと思います。一つの説明はタチフウロに代表されるような皿状の花にはハエやアブのような棍棒状の口で蜜を舐めるタイプの昆虫がよく行き、アザミ類に代表されるような筒状の花には長い口で蜜を吸うタイプのチョウやハチがよく行くであろうという説明です。
 このことを見るために訪花数が20以上記録された花について、訪問していた昆虫の数を調べてみました(図6)。


図6. 訪花昆虫数の多かった9種の花への訪花昆虫の数。アブ・ハエの多いものを茶色、チョウ、ハチが多いものを水色、「その他」が多いものを緑色で示した。縦軸は不同。

 この図では花の形で分けるのではなく、訪花昆虫の数でタイプ分けをしました。舐めるタイプのハエとアブが多かった花は6つありました。このうち5つはアブが最多でしたが、イタドリはハエの方が多く来ました。このうち、ワレモコウは典型的な皿型で、花序の形も楕円球状で昆虫が安定しにくそうで、チョウやハチはほとんどいませんでした。そのほかヒメトラノオ、オミナエシ、イタドリも皿状でした。しかしヨツバヒヨドリとシラヤマギクは筒状花であり、これにアブ・ハエが多かったことは花と昆虫の口の形だけでは説明できないことを示しています。とくにヨツバヒヨドリは訪花昆虫数が最も多い花でしたから、なんとか納得できる理由が知りたいものです。花を分解すると、たくさんの小花の束があり、その中に3,4個の小花が入っています(図7)。その小花は長さ5mm、太さは1mm未満のごく細い筒状で、その底に蜜があるとすると、ハエやアブには舐められないように思えます。ハエやアブはヨツバヒヨドリの花に来て蜜が吸えているのでしょうか。


図7a. ヨツバヒヨドリの花序(左)、小花の束(中)、その中にある小花

シラヤマギクも筒状花ですが、花粉が多いのでハエ・アブは花粉を舐めるのかもしれません。
 マツムシソウは訪花昆虫数は17でとくに多くはないですが、そのずべてがアブでした。マツムシソウの花はノギク類のように中央に筒状の花があり、周辺に舌状花がある構造です。それを分解してみると、確かにそういう作りですが、中央の花の筒はV字型でキク科のような筒とは違うようでした(図7b)。周辺部にある舌状花も同様です。これならアブでも吸蜜できるようです。


図7b. マツムシソウの頭状花とそれを構成する小花

次に口の長いチョウやハチが多かった花にノハラアザミとイケマがありました。特にノハラアザミにはマルハナバチが27回も訪問しており、マルハナバチの記録全体で71でしたから、ノハラアザミだけで38%も占めていることになり、マルハナバチが特に好む花と言えそうです。アザミは筒状花です。

マルハナバチについて
 マルハナバチ について種ごとに花の選択を比較してみたら、オオマルはヒメトラノオを、トラマルはノハラアザミを、ミヤマはヤマハギを際立ってよく利用していました(図8)。同じマルハナバチでもこれだけはっきりした違いがあるのにも何らかの理由があるはずです。


図8a. マルハナバチ3種が訪問した花への訪花回数

 このことを伝えたら国武さんから重要なコメントがありました。

「ご存じ通り、マルハナバチは長舌系と短舌系に分かれ、乙女高原でいえば、ナガマルとトラマルが長舌系、コマル、オオマルが短舌系、ミヤマは中間のグループになります」。

この分野ではよく知られていることのようですが、私は、マルハナバチは多少大きさや色が違っても、同じように長い口で筒状の花の蜜を吸うのを得意とするハチのグループだとしか思っていませんでした。私の無知はさておき、このことを知った上で結果を見直してみましょう。
 オオマルはヒメトラノオによく来ていましたが、ヒメトラノオの花を見るとコップ型で短舌型のオオマルにぴったりです。トラマルはノハラアザミによくきていましたが、アザミは筒状花で筒の長さは1 cm以上ありますから長舌型のトラマルにぴったりです。ミヤマは「好き嫌い」が一番はっきりしていて、まるでヤマハギだけを訪問しているみたいでした。ミヤマは短舌型と長舌型の中間型とされているそうです。ヤマハギの花はマメ科の蝶形花で、正面の旗弁に模様があり、これは昆虫に「この奥においしい蜜があるよ」というシグナルです。ハチは舟弁に着地して、中にある雄蕊に触れて奥に入って蜜を吸うと思います。


図8b. ヒメトラノオ、ノハラアザミ、ヤマハギの花の作り

花の奥に壺状の部分があり、アザミのように細長い筒ではないので、さほど長舌でなくても吸えるのでしょう。乙女高原のものではありませんが、東京でヤマハギにハチがきたときの写真を見ると旗弁の直下に口を差し込んでいます(図8c)。

図8c. ヤマハギで吸蜜するハチ(ミツバチ?)小平市

<その後、植原さんにマルハナバチを送ってもらって口の長さを測定しました> こちら

 さて、ハチが多かったイケマの花は皿型ですから花の形では説明できませんが、イケマではハエもアリも多く、他の花とは少し違うようでした。

 舐めるタイプと吸うタイプ以外の、甲虫、アリ、カメムシなどを「その他」とすると、これが多い花はあまりありませんでした。その中で、シシウドは相対的に甲虫が多い傾向がありました。もっともシシウドにはアブ、ハエも多く、甲虫だけが多いのではありません。実際、シシウドではハナムグリ、ハナカミキリ、ハムシなど甲虫類をよく見かけました。
 そのように見ると、ワレモコウやオミナエシのように皿型で舐めるタイプの昆虫に強く偏るタイプの花と、イケマ、シシウドのように舐めるタイプも来るがハチも昆虫、アリなども来るジェネラリスト的な花は類型できそうです。イケマとシシウドは代表的な集合花であり、花序が大きいのである程度大きさのある甲虫類が安定的に滞在できるという面もあるかもしれません。

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裏高尾のシカの糞分析の試み

2020-03-04 23:21:24 | 報告

2020.3.3

裏高尾のシカの糞分析の試み

高槻成紀・山崎 勇



<はじめに>
高尾山でチラホラ、シカの情報が聞かれるようになった。裏高尾で数年前から地道にセンサーカメラで宿を撮影してきた「高尾の森を守る会」の山崎勇氏たちのデータによると、この数年でシカの撮影数がうなぎ登りに増えている。またアオキなどの食痕も2019年の冬から春にかけて急に増えている(図1)。


図1 シカによるアオキの食痕(2019年4月11日)



裏高尾は高尾山の文字通り「裏山」であり、シカが高尾山に入って増えれば大変なことになるので、気になっている。
 それで山崎さんに「シカの糞があったら分析しますから送ってください」とお願いしていたのだが、なかなか見つからないとのことだった。食痕は目に見える形で残るから、シカが低密度でも目立つが、糞は意外に見つからず、糞虫に分解されるので特に夏には見つけにくいということはあるが、それにしても不思議な感じがあった。そうした中でようやく4月11日に一つだけ見つかったというので送ってもらった。また10月になり、台風後の10月31日に5つの糞サンプルが得られた。また11月14日にも5サンプルが得られた。現状では道路が荒れて、歩行も困難な状態にある。

<方法など>
 糞は1回の排泄分で、そこから10個を採取してもらった。分析法などは他の報告と同じのでここでは省略するが、要するに糞をふるいの上で洗って、糞中に残った植物片を顕微鏡でのぞいて識別し、内容ごとにどれだけ含まれていたかを表現する方法である。

<シカの食性の一般的傾向>
 4月11日といえばようやく春の新緑が出始めで、シカにとってはまだ食物が乏しい時期である。多くの場所でシカ糞中には繊維など支持組織や判別不能の不透明な破片が多い。ただしササがある場所ではササが多く出ることがある。またイネ科や枯葉も出てくることが多い。イネ科には早めに芽生えたものもあるし、前年のものが枯れたものもある。
 夏は糞虫の分解のためサンプルが得られなかった。10月はまだ夏とさほど違いがない。多くの場所でイネ科が増えることが多い。11月になると草本類は枯れ、落葉樹の落葉が進むから常緑低木やササへの依存が高まることが多い。

<結果>
 裏高尾でどうだったかというと、4月の例では全体に5割ほどが葉以外の支持組織で、葉は4割ほどであった(図2)。支持組織では繊維が39%、稈(イネ科の茎)・鞘(イネ科の葉を支える薄い組織)が14%で、両者

でほぼ半分を占めた。葉が4割ほどというのはこの時期としては悪くない値だが、注目されるのは常緑広葉樹が27%もの高率を占めていたことである。そのほとんどはアオキと識別されたが、これは現地で観察したアオキの食痕の多さとも対応する(図1)。なお、ササは現地にはアズマザサがところどころにあるが、4月の糞からは全く出現しなかった。
 10月の組成ははっきりした違いがあった。イネ科が16.3%に増加した。これと連動することだが、イネ科の稈・鞘が45.1%と半量近くを占めた。これに対して常緑広葉樹が23.3%から6.3%と大幅に減少した。また繊維が34.6%から17.9%に減少した。なお10月にもササは全く検出されなかった。
 11月には大きな変化があった。イネ科の葉はほとんど出なくなり、アオキを主体とする常緑広葉樹が31.9%にもなった。イネ科の葉は出なくなったが、稈は32.1%も検出された。なお1例であるがササの葉が微量検出された。
 12月の結果は基本的には11月と同様といえる。つまりアオキを主体とする常緑広葉樹は34.1%とほぼ同レベルで、そのほかもよく似ていた。強いて言えば単子葉植物が減り、双子葉植物が増えたことである。これはシカが大量に落ちた広葉樹の落ち葉を食べたためと思われる。単子葉植物は特定できないが、イネ科ではなく、ユリ科と思われるもので、これらが枯れて、シカは青木と落ち葉を主体に食べるようになったものと思われる。


図2 2019年の裏高尾のシカ糞の組成。月の後の数字はサンプル数



<考察>
 4月はわずか1例であるから結論めいたことは控えるが、現在の裏高尾ではまだシカの密度は低いものの、急速に増えつつあり、この冬にアオキに対する食圧が急に高くなった。そのことに対応するようにこのシカの糞にもアオキの葉が多く検出された。シカはアオキを好んで食べ、かつて房総半島ではシカが増えるにつれてアオキが激減し、今ではシカがアクセスできない崖の上のようなところにしか残っていない。裏高尾や高尾山にはまだたくさんのアオキがあるが、このままシカが増えれば確実にまずアオキが減少する。
 その段階ではそのほかのさまざまな植物に食痕が目立つようになり、一部の低木類は盆栽のような形状になる。その次の段階では「デイア・ライン」 といって「シカが作ったライン」ができるようになる。これは高さ2mくらいのシカの口が届く範囲の植物が失われ、それ以上にだけあるために、あたかも刈り取りをしたようになる状態のことを言う(図3)。


図3 ディア・ラインの例(鳥取県東部のスギ林の多い場所にある落葉樹林、永松大氏撮影)


 この段階になると、林の下にはシダなど一部のシカが好まない植物がかろうじて生えているだけのような状態になる。
そうなると昆虫や小動物にも大きな影響が出るようになるだけでなく、雨が降ると直接土壌を叩くため、表土流失が起きる。これは防災的な問題にもなる。現実に丹沢では土壌流失が深刻であるし、奥多摩では大規模な土砂崩れが起き、水源林の関係者はシカによる植物の喪失が原因だと解釈しておられる。

 夏は糞が得られなかったが、10月はイネ科とその支持器官である稈・鞘が増えた、このことは森林の淵や林道などにイネ科が増えることを反映していると考えられる。アオキを含む常緑広葉樹と繊維が大きく減少したが、繊維は木本類の枝を食べたことを示唆するから、シカが低木類を食べなくなり、イネ科にシフトしたことを強く示唆する。11月になると、予想していたようにイネ科は減少して常緑広葉樹の葉が大幅に増えた。現地でもアオキの食痕が目立つ。今後、アオキなどの常緑低木への影響がさらに強くなる可能性が大きく、注視していきたい。

 

<手遅れにならないために>
 今後も高尾山周辺のシカと植生の状況を注意深く観察するとともに、糞分析などもおこない、どういう状態にあるかを見極める必要がある。これまで各地のシカ対策で失敗してきたのは、シカ侵入初期に楽観して対策をとらなかったために、気がついたら手遅れになったというパターンである。しかし、歴史的価値、観光的資源としての意味が大きい高尾山では手遅れということは許されない。関係者に危機感を喚起する上でも、客観的なデータの蓄積は重要な意味を持つであろう。

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モゴド・アイラグ博物館の準備の記録

2019-09-07 10:45:31 | 報告

モゴド・アイラグ博物館の準備をするために2019年8月29日から9月6日までモンゴルを訪問した。私は麻布大学いのちの博物館の設立の関わり、現在も上席学芸員として博物館活動をしているので、この活動に参画した。以下はその記録である。

明治大学の森永先生の提案でモゴドにアイラグ博物館を作ろうということになった。と言っても、博物館の新しい建物ができるのではなく、モゴドのカルチャーセンターという公民館のような建物の一角を展示に使うという程度のものということだった。そこで次のようなイメージを考えた。フフル(アイラグを作るための皮袋)とアカシカの頭骨が確保されたので、今後家畜の頭骨を手に入れ、解説パネルを壁に貼るというものだ。


博物館の一角のイメージ(2019.7.13)


ところが、その後、地元が博物館構想に割合乗り気で、ゲルを半分にしたような空間を準備したということで、次のようなイメージを考えた。ゲルは壁面と天井がオレンジ色の棒の骨組みでできており、学術的な展示にはなじまないので、半分をゲルの雰囲気を残してそこにフフルなどを置き、半分には薄い灰色のボードを立てて、そこに台を置いて展示物を並べるものとした。


ゲルの中のイメージ(2019.8.18)


 8月29日にウランバートルに着き、翌日に板が手に入る店に行って説明したら、意外にも機械化が進んだ工場のようなところで正確に採寸した板と台を作ってくれた。1枚が33kgもあり、6枚を作ってもらったので、そのために車1台を出してもらうことになった。


「板工場」の様子(2019.8.30)


モゴドに着いてカルチャーセンターに行った。役場が火事になったため、事務所がここを使っているというので、机が並んでいた。奥に写真で見ていたゲルがあり、フフルが並べてあった。フフルを吊るす台とかき混ぜる棒はモゴドに住むスフエさんが作ってくれたものということだった。
 センター長であるニルグイさんに会い、博物館とはどういうものかを説明した。というのは、どうやら「人目を引くもの」を展示するのが博物館と思い込んでいるようなフシがあったからだ。もっともこれは日本の大学人でも同じなので驚くには及ばない。そしてアイラグを科学的に調べたことの成果を展示すること、博物館には展示と同じほど、あるいはそれ以上に標本類を集めて整理する機能が重要であること、そしてモノだけでなく、教育活動をおこなうことが重要であることを話した。


博物館についてレクチャーする私(左)。
その奥にいる帽子をかぶった人がネルグイ所長


 そのにわか仕立てのレクチャーのパワーポイントはモゴドに着いてから急いで作った。その中に、麻布大学いのちの博物館で行なった日本の江戸時代の馬具の展示内容があった。これを紹介したのがニルグイ所長に響いたらしく、モンゴルのアイラグ関係の物を集めて並べたいと言っていた。また、博物館に教育活動をする機能があるという話をした。今回の訪問中に企画された天気予報の教室はこの活動の一つと位置づけることができる。これを聞いたネルグイ所長は夏休みに教室をしたいと話していた。ネルグイ所長が示した、このような前向きの反応は、レクチャーの効果があったと言えることだった。
 しかし、準備したボードは伝統的なゲルにはそぐわないから出して欲しいということになったし、家畜の頭骨は展示したくないとのことだった。これはレクチャーの意味が十分に理解されなかったことを示すが、森永先生の判断で、ここは時間をかけて理解してもらうこととし、相手側の提案を飲むことにした。
 この点は我々の意思が伝わらなかった点だが、驚いたことに、そして嬉しいことに、写真パネルなどを見て、所長がこの部屋全体を博物館に使ってよいと決断したことだ。これは予想した以上の「成果」であった。しかも、「家畜の頭骨は置きたくない」ことの代替案として、別室に家畜の頭骨を置くことになったので、さらにスペースが確保されることになった。

 ゲルからボードを外したので、ガランとした状態になった。それを見、話を聞いていたスフエさんが自宅に戻って壺と台、桶を持ってきてくれた。台はゲルにおいて大切なものを置き、その上にテレビ、古い写真などを置くためのものだが、スフエさんが持参したものはかなり古いものだということだった。壺も中に金魚の絵が描かれたなかなか良いものだった。


左から、台と壺、壺の内側、馬乳を入れる木製の桶


 フフルにはパネルをつけた。この大きさだと近くまで来ないと読めないので、貴重品は並べないで、ゲルに入ってもらうことになるだろう。


フフルとパネル


 用意されていた家畜の頭骨は煮沸洗浄が不十分だったので、私の泊まった部屋で改めて煮ることにした。ヒツジとヤギの頭骨は夏にしたため脂肪が残っていて鍋のお湯に脂が浮かぶので、表層のお湯をすくっては取り出すことを繰り返した。2日をかけてガスバーナーのカートリッジを9本使ってほぼ十分なところまでクリーニングした。


宿泊した部屋で頭骨を煮る


 ドライブ中にウマの頭骨を見つけたので、拾ってきて、下顎の臼歯部分をスフエさんに外してもらった。スフエさんは金工をするので電動の回転ノコを持っていて、巧みに外してくれたので良い標本ができた。


回転ノコを使ってウマの下顎を切るスフエさん(左)と完成したウマ下顎の標本もつ私(右)


 頭骨標本は背景に黒い布を置いて撮影し、パンフレット資料用とした。


家畜の頭骨標本


 最終的に、台にラベルをつけてきちんと並べたら比較的見応えのある展示になった。背面のパネルは英語版だけなので、今後。これにモンゴル訳をつけてもらう。この部屋は人の写真や表彰状などが貼ってある「資料室」のような部屋で、その一角を使うことになった。


家畜の頭骨コーナー


 展示室となる部屋は、現在は緊急避難的に役場の机などが入っているが、10月には役場が再建されて撤去される予定である。正面にゲルがあり、右壁にアカシカの角があり、ウマなどの写真(A3サイズ)を貼った。背後の壁には野草の写真(A4サイズ)を貼った。


今回の訪問で進めた「展示室」のようす


手前の壁に貼った野草の写真


 これらとは別にポストカードを5種類(野草のスケッチ5つとウマの写真3つ)を印刷してきた。これを1枚1000Tgで販売し、収益は博物館の展示に使うこととした。




ポストカードに使った野草のスケッチ(上)とウマの写真(下)


 また、馬具などを含め、博物館資料の提供を依頼する用紙を配布してもらうことにした。今後は収蔵品の寄贈を待ち、充実させたい。これらを登録し、データベース化してゆくことも重要な作業となる。

収蔵品リスト


以上の作業をして9月3日にモゴドを後にした。
 ウランバートルではパンフレットの原案を作った。今後、肖像権の了解を取る予定である。


パンフレット(案)のカバーページ


<まとめ>
1) モゴド・アイラグ博物館の準備をするために2019年9月にモゴドを訪問し、カルチャーセンターの1室を展示に使うことになった。さらにもう一つの部屋の一角を家畜頭骨の展示コーナーとすることになった。
2) 展示室にはゲルの半分を使ったコーナーを置き、その中にアイラグ関係の展示品を置くことにし、現在はフフル、台、壺、桶を置いた。
3) 壁面に家畜などの写真(A3サイズ)と野草の写真(A4サイズ)を貼った。
4) 別室にボードと台を置いて家畜(ウシ、ウマ、歯が見えるようにしたウマの下顎、ヤギのオスとメス、ヒツジのオス2頭、メス2頭)の頭骨を展示した。
5) パンフレットの原案を作成した。
6) 展示品の協力を求める用紙を配布することにした。
7) 所長は夏休みなどに子ども教室を計画したいとの意向であった。
8) ポストカードを8種類販売(1枚1000Tg)することとした。
9) 収蔵品登録リストを作成した。
10)  パンフレットの原案を作った。

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記録の仕方

2019-05-27 08:51:02 | 報告

 

1)共通の地図を持参する。

  • ルートを歩いてシカの足跡、糞、食痕がないか観察する。
  • シカの糞が複数ある場所で、記録用紙に記入する。調査地番号を連番とし、その番号を地図に書いた上で、鉛筆などでそこをさした状態の写真を撮影する。これは後で集計し、分布図を作成するのに使う。記録内容は別紙参照。
  • そのような場所がたくさんある場合は、同程度であることを記録し、場所の地図を撮影するだけでよい。
  • 影響がそれ以上の場所があれば、改めて記録を取る。

調査後、地図と記録用紙をスキャンして責任者に送る。できない場合はコピーを郵送する。

  • これを集計し、高尾山周辺におけるシカの影響の程度のマップを描く。

 

 

  

ツリバナの食痕     ミヤコザサの食痕  ミズキの樹皮はぎ

 

シカの糞

 

 

 

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高尾山に迫るシカ – 侵入初期での現状把握の試み -

2019-05-27 08:38:11 | 報告

2019年5月27日

高尾山に迫るシカ – 侵入初期での現状把握の試み -

高槻成紀・石井誠治

 

要約

 奥多摩から拡大しつつあるシカが裏高尾まで侵入した。シカの影響が大きく、歴史的遺産であり観光地でもある高尾山の森林への影響が懸念される。シカ対策が後手に回らないうちに緊急調査を行う必要があると考え、FIT(森林インストラクター東京)の協力を得て、2019年5月に高尾山一帯を調査し、以下の結果を得た。現時点ではシカの影響はほとんどなく、ササには痕跡がなかったが、アオキは53カ所のうち17カ所(32%)で弱いながら痕跡があった。また足跡が2カ所、糞が1カ所で確認された。シカが生息することが確認されたこと、現時点で影響が弱いことの記録が取れたことの意義は大きい。今後シカの影響を注視する必要がある。

 

はじめに

全国各地でシカ(ニホンジカ)が増加して、農林業被害だけでなく、自然植生にも強い影響が出るようになった。東京都においても、奥多摩に少数いたと思われるシカが1990年代から徐々に増加し、分布を拡大している。奥多摩では森林の植物が減少し、マツカゼソウ、オオバノイノモトソウ、マルバダケブキなどシカが食べない草本類が目立つようになっている。シカは拡大傾向があり、御嶽山では名物のレンゲショウマへの被害を懸念して群落を柵で囲うなどの対策が立てられている。檜原村への影響も進み、三頭山でもササが減少するなどの影響が出ている。

 裏高尾の小下沢(こげさわ)にて10年間ほどセンサーカメラで野生動物を撮影している「高尾の森を作る会」の記録によれば、2015年くらいからシカの撮影数が急激に増加しているという。また2018年の早春にはほとんど気付かなかったアオキへの食痕が2019年の早春に突然急増した。

 このような状況を考えるとシカは高尾山の足元まで迫っていることが懸念される。著者の一人高槻はこれまでシカの研究をしてきたが、その経験によると、シカの影響が出始めた段階では、シカの姿を見ることはほとんどなく、糞などの痕跡を発見することもほとんどないため、一般の登山者は全く気付かない。しかし経験者が注意深く観察すれば、植物の葉にシカの食痕が発見される。特にササやアオキなどの常緑植物があると、冬の植物が乏しい時期にはシカが食べる確率が高くなるので、これらに着目すると気づくことができる。

 高尾山の森林は歴史的にも自然破壊を免れたことがわかっており、また人気のある観光地でもあり、多数の来訪者がその自然を楽しんでいる。その意味では高尾山の森林は観光資源であるといえる。したがって、高尾山にシカが入った場合、深刻な影響が懸念される。

これまでの各地で起きたことを考えると、シカが新天地に侵入するときは、まず少数のオスが見られる。これはシカが生長し、成熟年齢に達しつつある頃になると、メスは母親のもとにとどまるが、オスは母親の元を離れるからである。そして、その後のメスが定着する。この段階になるとシカ密度が高くなり、子供が定着する。植物への影響も強くなって、木本類の枝折りが目立つようになり、アオキなどが減少したりするようになる、次の段階ではその影響が明らかになり、一部の植物が減少し、有毒植物やとげ植物が目立つようになる。さらに高密度になると、樹皮はぎが目立ち、ササがあれば減少し、低木類が盆栽状になり、シカの足跡や糞などがよく見られるようになる。こういう状況になると雨が降った場合に表土が流出し、ひどい場合は土砂崩れが起きるようになる。現にシカが多い奥多摩では大規模な土砂崩れが起きたし、丹沢山地でも至る所で大小の土砂崩れが起きている。

 このように、シカ侵入の初期段階では、一般の登山者が気づく段階では対策が極めて困難なため、楽観視されがちであり、そのため対策が後手に回ることが多い。しかし、高尾山の場合は森林の重要度と、裏高尾でシカが急増しているという状況を考えれば、対策が後手に回ることのないよう、緊急に対策をとる必要がある。

 このような状況を鑑み、シカ調査経験の長い高槻が調査マニュアルを作成し、高尾山と周辺で森林について調査経験の豊富なFIT(森林インストラクター東京)の会長を長く務めた石井がメンバーの協力を得て2019年5月に緊急な調査を実施した。

 

方法

 調査マニュアルを作成し、記録してもらった。

 

シカ影響調査の内容

シカの影響は初期段階では普通の人が気づかないほど弱く、一部の枝先が食べられる程度であることが多い。密度が高くなると、徐々にはっきりわかるようになり、ササがあれば食痕が見られるようになり、低木が盆栽状になり、食痕も見つけやすくなる。更に進むと、多くの植物が少なくなって、シカの食べない有毒植物などが目立つようになり、更に高密度になるとシダや有毒植物が残る程度になる。

 高尾山周辺ではまだシカが侵入しつつある段階で低密度なので、影響も見つけにくいが、それだけにこの段階で記録しておくことが後で重要になる。

 そこで記録の仕方を提示し、それに沿って一貫した記録を取ることにした。こちら

そのマニュアルにしたがって、図1ルートを歩き、記録をとった。調査は2019年5月に行なった。

結果

 上記のルートを歩き、合計53地点で記録をとった。

  • シカの痕跡

シカの糞は高尾山の北側で1カ所、足跡は2カ所で確認された(図2)。このような直接的なシカ情報は現状では限定的であった。

図2a シカの糞、足跡を発見した地点

図2b シカの糞(左)と足跡(右)

 

  • ササへの食痕

ササ(主にアズマネザサ)への食痕は認められなかった。

3) アオキへの食痕

アオキには食痕があった。食痕があった場所は高尾山の北(中央高速近く)、高尾山の西側、南西側と薄く、広く見られた。食痕記録は「僅かにある」が13例、「いくつかある」が4例で、合計で全体の32.1%であった。ただし「たくさんある」はなかった。

図3 調査ルート(黄色の線)とアオキに対するシカの食痕の有無

青は食痕なし、赤は食痕あり。

 

図3b アオキに対するシカの食痕

 

 その他ハナイカダ、イタドリなどにも食痕が認められた(図4)。

 

図4a ハナイカダ(左.地点33)とイタドリ(右、地点39)の食痕

 

考察

 越冬期にササやアオキなど常緑植物へのシカの採食圧が強くなることを利用して、食痕の発見に努めた結果、ササには食痕が認められず、アオキは53地点中17箇所(37.1%)で観察された。ただし、その程度は弱かった。シカの直接的な痕跡としては足跡と糞が記録されたが、全体からすればごく少なかった。

 今回、シカの影響がほとんどない段階でデータが取れたことは非常に重要である。多くの事例では、影響が強くなってから調査が行われるため、それ以前の状況がわからない。しかし、今回はそのデータが取られたことから、今後、高尾山でシカの影響が強くなった場合に、その規模と速度を読み取れることができる。

 今回の記録からは現時点では高尾山一帯へのシカの影響は弱いと言えるが、シカが生息していることは確実である。特に高尾山頂から1.5kmほどの場所で糞が観察されたことは懸念される。現状ではシカによる植物への影響は目立たず、一般の人は気づかないレベルである。しかし、これまでの多くの事例で知られるように、影響が見られるようになると一気に強いものになり、対策は手遅れになりがちである。高尾山の森林の価値を考えれば、手遅れにならないように、すぐに対策に着手すべきである。

 同時に十分な体制を整えて現状把握の基礎調査も進める必要がある。今回の予備調査は高尾山一帯をよく知り、植物にも馴染みのあるメンバーによって行われ、貴重な記録が取れた。マニュアルにはほぼ適切であり、特に記録を取る地点を地図上で確認して撮影する方法は記録集計する上で有効であった。またメモを取るだけでなく、痕跡を全て撮影し、その場所を特定することも有効であった。

 この記録の仕方は調査の前に実習を行うことで確実性を確認した。今後は同じ方法で、さらに広範な人材の協力を得て詳細な記録を取ることを推奨する。シカの影響は刻々と変化し、現在の高尾山一帯では文字通り前線の変化の大きい段階にある。そのことを考えれば、こうした調査の重要性と緊急性は非常に大きいと言える。

 

謝辞

調査は以下のFITのメンバーの協力を得て行なった。

佐々木哲夫、箭内忠義、山口 茂、浜畑祐子、横井行男、平野裕也、小早川幸江、長谷川守、遠藤孝一、高氏 均、宮入芳雄、谷井ちか子、臼井治子、中川原昭久

 これらの皆様に御礼申し上げます。

 

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鳥取県若桜町のシカの食性 -- 人工林地での事例 --

2019-03-17 19:32:12 | 報告
2019.1.20 更新


鳥取県若桜町のシカの食性 -- 人工林地での事例 --

高槻成紀(麻布大学いのちの博物館)・永松 大(鳥取大学)


目的
 シカ(ニホンジカ)の食性は北海道から屋久島まで広範に分析され、大体の傾向は把握されているが、まだまだ残された地域も多い。中国地方はその一つで、2000年に山口県のシカで断片的な情報が報告されたにすぎない(Jayasekara and Takatsuki, 2000)。この分析がなされた1990年代後半には中国地方でのシカの生息は限定的であったが、その後、徐々に拡大した。鳥取県においても兵庫県から連続的な分布域が県東部から徐々に拡大傾向にある(鳥取県, 2017)。1978年と2003年の生息分布をみると、1978年には東部に断続的に生息していたが、2003年になると東部では面的になり、中部、西部にも拡大したことがわかる(図1)。


図1. 鳥取県におけるシカの生息分布. 左:1978年, 右:2003年
(鳥取県, 2017より)


 このため農林業への被害が大きくなり、その抑制のために捕獲が進められ、2010年からは3000頭台、2013年以降は4000頭を超えるレベルになっている(図2)。


図2. 鳥取県におけるシカ捕獲数の推移. (鳥取県, 2017より)


 著者の一人永松は当地方で植生調査をしながら、年々シカの影響が強くなることを観察してきた。調査地である若桜町を含む鳥取県東南部で群落調査とシカの糞密度を調査を行い、若桜町はその中でもシカ密度が高く、植物への影響も強いことが示された(川島・永松, 2016)。場所によってはもともとはササがあったが、シカによって食べ尽くされ、低木層も貧弱化し、不嗜好植物(シカが嫌って食べない植物)が増えている場所もあった。


鳥取県東南部でのササと低木の影響の強さ(左)と糞密度(右)の分布図。色が濃いほど影響、密度の値が大きい(川嶋・永松, 2016)

 この地方は伝統的に林業が盛んであり、若桜町は森林率が95%であり、そのうち人工林率は58%である(鳥取県林業統計https://www.pref.tottori.lg.jp/100539.htm)。スギは常緑であり葉の垂直的厚さがあるために、林床は暗く、間伐が適切に行われないと林床植生は貧弱になりがちである。そのため、面積当たりのシカの頭数が同じであっても、下生えの豊富な落葉広葉樹林に比較すると環境収容力は小さくなる。このため、単純に生息密度を調べるだけではシカの置かれた状況を知ることはできない。筆者らはこれを把握する方法の一つとして、現状のシカの食性を明らかにしておくことが重要だと考えた。
 シカの食性は糞分析によっておこなわれる。糞分析法を採用すれば、非侵襲的に(シカを殺すことなく)、繰り返し調査ができるという利点がある。シカは植物が枯れる冬に食物不足に陥り、常緑のササがあれば集中的に利用するため、シカが増えるとササが減少して、シカの糞中の占有率も減る。ササは表皮細胞が特徴的であり、糞分析で確実に識別できるので、よい指標となる。またシカの主要な食物である植物の葉は一般には冬に減るため、シカが食性に強い影響を及ぼしていれば、シカは落ち葉やイネ科の稈、木本類の枝や樹皮まで利用するようになるが、もしシカの影響が強くなくて、ササや常緑低木が多い環境であれば、シカの冬の糞にはこれらの葉が多く検出される。
 本調査はこのような背景から鳥取県東部の若桜町のシカの現時点での食性を明らかにすることを目的とした。

方法
1)調査地の選定
 若狭町の南にある鬼の城でシカ糞の採取をおこなった
(図3)。


図3. シカ糞採取地の位置


 糞採取した場所はアカマツとコナラの林で、下生えは強いシカの影響を受けて貧弱になっていた(図4, この植生は今後記述予定)。


図4. シカ糞採取地の景観。下生えは非常に貧弱である。

2)糞分析
 シカの糞の採取に際しては1回分の排泄と判断される糞塊から10粒を採取して1サンプルとし、10サンプルを集めた。これを光学顕微鏡でポイント枠法で分析した。ポイント数は200以上とした。
 糞中の成分は暫定的に図5の14群とした。これは今後の分析が進んだ時点で少量のものはまとめる予定である。

結果と考察
糞組成の季節変化
2018年5月以降の糞組成の平均値を図5に示した。
<5月>
5月に最も多かったのは支持組織で木質繊維や樹皮など、葉でないものを含み、56.5%に達した。次に多かったのは枯葉で黒褐色の葉脈が見られた。これが17.8%を占めた。そのほかの成分は少なかった。特に双子葉植物は非常に少なく、シカの影響で減少したためと推察される。イネ科の葉は7.1%で、稈(イネ科の茎)が6.8%であった。これらは新鮮な植物由来であり、顕微鏡下では透過性の良い状態で観察された。
これらの結果は、当地のシカの春の食糧事情は劣悪であることを示唆している。多くの場所ではササや常緑樹の葉が10%以上検出されるが、ここではそのいずれもが微量しか検出されず、栄養価の低い支持組織が過半量、枯葉が2割近くを占めた。

<6月>
 6月9日のサンプルもさほどの変化は見られなかった。はっきりとした違いは支持組織が5月の55.5%から36.3%に減少して、稈(イネ科の茎)が6.8%から21.5%に大きく増加し、枯葉は17.8%から10.0%に減少したことである。このことは緑がほとんどなかった5月から新しいイネ科が育ち始めてシカがそれを食べ、みずみずしいイネ科の葉は消化されたために糞には7.9%しか出現しなかったが、同時に食べた稈が糞中に多く出現したことを示唆する。そのため枝先や枯葉はあまり食べなくなったものと考えられる。それでも6月時点で枯葉を除く葉が合計でも15.3%しかなかったのはこの調査地ではシカが食べる植物が非常に限られていることを示唆する。

<7月>
 7月28日のサンプルはかなり変化を見せた。まずそれまで少量ながら出現していたササが全く出現しなかった。大きく増加したのは稈(イネ科の茎)で,45.4%を占めた。イネ科の葉も10.3%に増加したが、増加の程度は稈が著しかった。これはまだイネ科の葉が若く、柔らかいために消化率が高いからであろう。また双子葉植物の葉も6月の1.7%から15.6%と大きく増加した。これに対して繊維は激減した。繊維は5月に55.5%、6月に38.3%と大きな値を示したが、7月にはわずか4.2%になった。このように、糞中の葉の合計値は30.4%になり、シカの食物状況は大幅に改善されたが、注目すべきは、それでも枯葉が12.9%を占めていたことである。通常であれば夏に枯葉は食べないと思われるので、この地域のシカは夏でも枯葉を食べざるを得ない劣悪な食物環境で生活していると考えられる。

<9月>
 9月25日の糞組成は緑葉が大幅に減少し、双子葉、単子葉合わせても15%にしかならなかった。枯葉が22.1%の高率を占め、繊維と稈を合わせると53.3%と過半量になった。

<11月>
 11月は意外にもイネ科、双子葉植物ともに大幅に増加し、繊維が大きく減少し、これまでで最も葉が多いという結果になった。ただし、枯葉が19.9%あり、10月よりはやや少なくなったものの、かなり多かった。

<2019年1月>
 2019年1月になると、繊維が48.4%とほぼ半量を占め、稈(10.8%)や不明(11.1%)、枯葉(8.8%)など栄養価の低いもので大半を占めるようになった。これは前年の5月の組成に似ており、植物が枯れてシカの食物が最も乏しくなった時期に入ったことを示している。

<2019年3月>
 3月の組成は基本的に1月のものと近かった。最も多かったのは繊維で39.9%を占め、稈(17.8%)や枯葉(14.6%)など栄養価の低いもので大半を占めた。一年で最も食物が乏しい時期t考えられる。


図5. 若狭町シカの糞組成(%)の季節変化。食物カテゴリーは今後の結果に応じて変更する可能性がある。


主要成分の季節変化
 一度でも10%を上回ったものを主要成分として取り上げると、図6のようになった。イネ科は明瞭な季節変化を示さず、夏から秋に10%を超える程度であった。ただし、9月には少なくなった。双子葉植物は夏から秋に増加した。枯葉は夏と秋に多かったが5月にも17.8%になった。稈は春から秋に多く、特に7月に45.5%に達したのでグラフは山型になった。繊維は冬を中心に多く、グラフはU字型になった。
 栄養価の高い緑葉が植物の生育期である春から夏に多くなるのは当然であるが、本調査地に特徴的なのは枯葉と稈も植物の生育期に多かったことである。しかも繊維も9月に27.6%を占めた。このうち稈は特に初夏にはみずみずしい状態であるからシカはイネ科を食べるときに、葉と同時に稈も食べる。この時期の稈は柔らかく、葉緑素も含んでいるから、秋以降の稈とは違い栄養価もある程度あると思われる。しかし枯葉は明らかに低栄養であるし、繊維は枝や細い幹などを食べて消化過程で残ったものと考えられる。このような低栄養の食物を夏でも食べるということは、シカにとっての調査地の食物事情が非常に劣悪であることを強く示唆する。


図6 主要成分の占有率の季節変化

まとめ
 分析の結果、糞の主要成分が支持組織と枯葉で占められていたことがわかり、シカが植生に強い影響を与えて、食糧事情が悪い状態にあることがわかった。特に6月になっても葉の占有率が20%未満であったこと、7月、9月という植物が一年で最も多い時期においても枯葉をかなりの程度食べていたことは注目される。枯葉が多いのは11月も同様であったが、意外にも葉の占有率はこれまでの最高値を示した。
 シカが高密度で知られる宮城県金華山島でも夏はシバなどイネ科植物をよく食べており、このように枯葉を多く食べることはない(Takatsuki, 1980)。そうしたことを考えれば、この地域のシカはこれまで知られる日本のシカ集団でも最も貧弱な食糧事情にある例だと思われる。
 その理由の一つは、若桜地方がスギ林が卓越していることに関係すると考えられる。この地方はスギの名産地として伝統的に人工林化が進められた結果、人工林率が高く、従って森林内が暗いためにシカの食物になる草本類や低木類が少ない。そのため、落葉樹林に比べて同じ程度のシカ密度であれば、食物になる植物が少なく、植生への影響も強い。その結果、シカの食物がさらに減少するという悪循環が急速に進んだためと考えられる。特に常緑のササが乏しくなったことは、シカの冬の食糧事情にとって深刻なことであり、シカの栄養状態にも悪影響を与えている可能性がある。

文献
Jayasekara, P. and S. Takatsuki. 2000. Seasonal food habits of a sika deer population in the warm temperate forest of the westernmost part of Honshu, Japan. Ecological Research, 15: 153-157.

川嶋淳史・永松 大. 2016. 鳥取県東部におけるシカの採食による植生の被害状況. 山陰自然史研究, 12: 9-17.

鳥取県. 2017. 鳥取県特定鳥獣(ニホンジカ)管理計画.

Takatsuki, S. 1980. Food habits of Sika deer on Kinkazan Island. Science Report of Tohoku University, Series IV (Biology), 38(1): 7-31.
コメント
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