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「晴行雨筆」の日々から生まれるもの

皇居のタヌキの糞と陛下

2016-10-01 21:20:38 | 私の著作
2016.10.8


<はじめに>
 明仁天皇陛下を筆頭著者とする皇居のタヌキの食性に関する論文(英文)が公表された。このことが報じられてから、複数の人から「タヌキの食性を調べるってどういう意味があるんですか」とか「新種発見とか絶滅危惧種ならわかるんですが、タヌキって珍しくないんじゃないですか」といった質問をもらった。それは私自身に対する質問でもあるような気がした。多くの人がこの論文に興味を持ちながら、学術論文であるからと敬遠して目にすることがないのは残念なことだ。そこで、タヌキの食性を調べてきた者としてこの論文の解説と感想を記してみたい。

<動物の食性を調べること>
 タヌキの食性、つまり「何を食べているか」を調べることはタヌキに関する生物学のひとつの項目である。分類学、形態学、生物地理学、行動学など、それぞれの分野についてタヌキで調べる価値がある。食性解明は、生物学の類型でいえば生態学の項目のひとつといえる。調べた結果、「タヌキには果実が重要で、冬には哺乳類、夏には昆虫も増える」などの事実が明らかになる。食性解明には、そういう動物学的な情報のひとつを提供するという意味があり、それを目的に調べられてきた。これは遡ればギリシア時代からの博物学の延長線上にある。
 生態学が発達してくると、生態学の目的である「生物と環境との関係」についての理解が深まってきた。個別の生き物の生活史を解明するだけでなく、その生き物が生態系の中で果たしている機能や担っている役割を解明するという視点が生まれてきた。植物は光合成をする生産者で、その葉を食べる草食動物がおり、その草食動物を食べる肉食動物がいるとみられるようになった。そういう視点に立てば、それぞれの階層内のバッタとシカは、葉を食べるという同じ役割をしているとか、フクロウとキツネはネズミを食べるという同じ役割をしているという見方がなされるようになった。これはイギリスのエルトンが提案したアイデアで、そのように見ると生き物は鎖でつながっているように見えるので「食物連鎖」と名付けられた。重要なのは個々の種の情報でなく、生態系の構造と機能をとらえるようになったということである。
 そのように考えると、「タヌキの食性」を調べることにも、図鑑的な知識をひとつ加えるという研究もあれば、タヌキが生態系の中でどういう役割を担っているのかという視点に立つものまでさまざまである。私たちも「タヌキの食性」を糞を集めて分析したが、興味はタヌキの種子散布という役割の解明にあったので、糞から検出される種子に注目し、識別するだけでなく、数も調べ、さらには実験的にソーセージの中にプラスチックのマーカーを入れて、タヌキの移動距離を解明するなどの工夫もした。こちら
 つまり、同じ「タヌキの食性」という課題でも目的意識によって相当違うものになるということである。その意味で、今回公表された皇居のタヌキの論文が、どういう目的で研究されたかを紹介したい。

<論文の作り>
 論文の導入部である序ではまず、タヌキは日本列島にすむ中型の食肉目で、東京では1950年代までは捕獲されるほどいたが、1970年代の都市化によって減少したことが書かれている。それに続いて、しかし最近は都内でも回復し、1990年代後半の調査では皇居に定着していることが確認されたとある。こうして日本列島レベルから東京、千代田区への絞り込みがおこなわれている。
 これに続いて、タヌキは決まった場所でトイレのように「タメフン」をすること、2006年から翌年にかけて調査をして皇居のタヌキの食性が明らかになったことが書かれている。ただし、1年きりの調査であり、年次変動については調べてないということが添えられている。実際、ツキノワグマやニホンザルでは年によって果実の豊作、凶作があって、それに応じてクマたサルの食性が大きな年次変動をすることが知られている。これが皇居のタヌキではどうであろうかというのが解明すべき課題であるとする。
 この論文の序は、科学論文としての一般的な形を踏み、過不足なく書かれていると思う。しかし、私にはもう少し聞きたいことがある。それは、天皇陛下が皇居で調査をされたことに触れて欲しかったということである。日本中で、あるいは世界中で、自分のすむ場所の生き物のことが知りたくてコツコツと調べている人がいる。それはもちろん学問の世界に科学的に調べた情報を提供するという意味をもつが、同時に「自分のすむこの土地にあるもの、いるもののことを知りたい」という人間ならだれでも抱く好奇心に発したものであり、陛下の場合はそれが皇居でされたということなのだと思う。
 陛下はハゼの分類学者でもあり、動物がお好きなのだと思う。その陛下が皇居内にタヌキがいて、タメフンを調べれば食べ物がわかると知られたときに、「これを調べてみたい」と思われたと察する。私は論文全体を読んで、行間からそのことを感じた。

<論文の内容>
 この論文を読んで、私にとって印象的だったことがいくつかある。まず糞から検出された種子が種または属まで識別され、その数が58にもおよんでいることである。これは一箇所での結果だから、これまでの研究と比べて破格の値である。識別は植物分類学者の門田裕一氏が担当したようで、私も個人的に知っているが、植物の知識は桁外れの人だ。専門家なのだから当然といえば当然だが、糞から検出される微細な種子を同定するのはたいへんなことである。

<わかったこと>
 さて、この分析でどういうことがわかったかというと、皇居のタヌキの食性においては森林に生える植物の果実が重要だということである。出現頻度が高かったのはムクノキ、クサイチゴ、エノキ、クワ属、イヌビワなどクサイチゴを除けば高木あるいは亜高木である。クサイチゴはキイチゴの仲間でも明るい場所に生えるモミジイチゴやニガイチゴと違って暗い林に生える。このうちムクノキ、エノキなどは何カ月にもわたって出現するが、クサイチゴ、クワ属などは短期間にしか出現しなかった。



 東京郊外の里山的環境のタヌキの食性ではヒサカキやジャノヒゲのように森林の内部に生える植物の果実も重要だが、明るい場所に生えるヤマグワやサルナシなどの果実もよく利用される。これに対して、皇居のタヌキの食性では森林の樹木や低木が主体を占めていた。このことが皇居のタヌキの食性の最大の特徴だと思われる。ただし、このことは2008年の論文でも指摘されていた。




<継続されたこと>
 この論文で重要なのは皇居では5年間調べてもタヌキの食性にあまり違いがなかったことが明らかになったことである。私たちは長野県黒姫のアファンの森や仙台の海岸のタヌキの糞を3年ほど調べているが、年によってかなりの違いがある。そもそもタヌキの食性は場所によっても、季節によっても、年によっても大きく違い、その柔軟性こそがタヌキの特性といえる。東京のような大都市の中にでも生き延びていること自体が、タヌキが状況に応じて臨機応変に生活様式を変えることができることを反映している。そのタヌキの食性が5年間安定していたことの意味はどういうことであろうか。
 私は皇居には行ったことがないが、写真集などをみると鬱蒼とした森林があるようである。明治神宮には何度か行ったが、高いクスノキやカシ類が覆う鬱蒼とした林なので、皇居の林もそれに近いのだと思う。タヌキは里山によくいる動物だが、里山の林は雑木林や人工林である。人工林は暗くてタヌキの食べ物になるようなものもあまりないが、雑木林は食べられる実のなる低木やつる植物も多く、昆虫なども豊富である。また雑木林は季節によって大きく様相が変化し、生える植物や昆虫なども変化し、年によっても大きく変化する。タヌキはそういう環境で生き延びてきた動物なのである。「狸」という字は日本でタヌキを指す漢字だが、文字通り「けものへんに里」、その特性をよくとらえている。
 ところが皇居では5年間、基本的にはムクノキ、エノキ、タブノキなどの森林の植物の種子が毎年同じように出続けた。これはタヌキの食性としてはユニークなことといってよい。この事実から、この論文ではタヌキの食性の安定性は、皇居の森林が安定した食物供給ができるからだと締めくくっている。つまり、タヌキの食性解明を目的にしているが、その結果を生息地との関係性において捉え、動物の生活が環境の影響を受けることを、皇居の森のもつ特徴との関連で示したものとなっている。

<ふつう気づかれないこと>
 ところで、私が感銘を受けたのは、論文の最後に添えられた付表である。そこには縦に植物の名前、横に糞を採集した日付がずらりとならび、一番下に「同定不能」としてその種子数もあげてある。これが書いてあるおかげで、全体で何個の種子が出て、そのうちどれだけが識別できたかがわかる。それは「要するに何がわかったか」には現れて来ないことだが、同じ研究をしている我々には、いわば論文の質をうかがう重要な情報となる。それに、この表には回収をしなかった日はグレーにしてある。結果に関する情報としては、回収日だけで十分なのだから、回収しなかった日が明示されるのはあまりないことだ。それを全部示すことで、5年間にどれだけの日数に採集しなかったかが一目でわかる。これを見て、実際に糞の採集をした私は、残りのこれほど多くの日に採集されたのかと圧倒されるような思いを抱いた。この表を掲載したのは共同研究者の意向なのか陛下のご意向なのか測りかねるが、私には陛下の誠実なお人柄が反映されているように思えた。

<そのほかに感じたこと>
 <皇居という場所>
 以上が私の解釈を添えながらの論文の紹介である。これを読んで私が感じたことはすでにいくつか書いたが、この論文から直接読み取れる生物学的成果を離れて、もう少し書いてみたいことがある。
 皇居はもともと江戸城であり、明治の近代化によって日本の首都になった東京に天皇家がお住みになることになり、そのお住まいとしてここが選ばれた。東京の街は関東大震災や太平洋戦争の大空襲で壊滅的な被害を受けた。しかし、その度に不死鳥のように蘇った。もっとも蘇ったというのは人の目から見たことで、戦後の復興は、失われた家屋の再建や、バラックをビルに建て替えることであると同時に、森林や田畑を宅地やビル街に変えることでもあった。それは人口を増やし、住民の生活の利便性をあげることだったが、野生動物にとっては住処を奪われることだった。シカやイノシシは江戸時代の末にはいなくなったと思われるが、キツネは戦後もかなり後までいたし、イノシシも郊外にはいたはずである。しかし1964年のオリンピックのあと、キツネはいなくなり、ひとりタヌキだけが生き延びた(もっとも最近ではハクビシンやアライグマもすむようになったが、これらは外来種である)。そう考えると、タヌキは東京の発展の中で例外的に生き延びた日本の野生動物ということができるだろう。その末裔が幾多の歴史的出来事を見てきた皇居に生き延びているということがこの研究の背景にある。

 <陛下のお姿勢>
 皇居の森という東京に残された貴重な森林の価値を考えて研究者が調査をするというのはありえることで、実際、皇居の動植物の調査がおこなわれた。これにより皇居にタヌキが生活していることが確認され、そのことがこの研究の契機となったようだ。私は、ここで重要なのは「皇居の住人」である天皇陛下が調査地の提供をされただけではなく、自らが主体となって調査をされたことにあると思う。お忙しいご公務、とくに東日本大震災のあとは、ご高齢を顧みず被災者を励ます活動をされながらのことなのだから、タヌキの調査は誰かに任せてもよかったはずであるが、そうはなさらなかった。しかもバードウォッチングなど、よくある自然愛好者のするような調査ではなく、タヌキの糞を採集して分析するという、ふつうの人なら敬遠するような調査を進んでおこなわれたのである。私にはそれがどのくらい大変なことなのか、想像すらできない。たくさんのタヌキの糞を採集して分析した者としていえば、強烈な匂いのする糞を拾うのも、水洗するのも、とても忍耐力と根気のいることである。それはやった者でなければわからない。私のように並外れて動植物が好きで、大学をリタイアして時間のある者でさえ、ときにうんざりし、ときに「明日でもいいか」と棚上げにしがちな作業である。それだけに、これをお忙しい日々の中で5年間も継続された陛下に、大いなる敬意と、強い共感を覚えないではいられない。世界にはいろいろなロイヤルファミリーがあり、能力や人徳で慈善事業活動をする人や、才能があって芸術やスポーツに長けた人もおられるに違いない。生物学に詳しい人がおられることはイギリス王室などの伝統として知られている。しかし自らが野生動物の糞を拾って顕微鏡を覗く人はいないに違いない。

 <純粋な好奇心>
 冒頭にふれたように、生物学は素朴な博物誌の時代を経て、厳密な実証性と高度な機器を使う精緻なものになった。また論理性の展開により、個々の種を見るのではなく大きい系を把握する視点ももたらされた。しかし、どのように形を変えてもその根源にあるのは対象を知りたいという好奇心にあることは変わることはない。とくに自分が住む場所の地形や鉱物や動植物を知りたいというのはわれわれの本能的な欲求ではないだろうか。しかし、そのことを私たちは現実の生活の中で置き忘れがちである。そのことを、天皇陛下は皇居のタヌキの糞を分析するという直球勝負で遂行された。

 <筆頭著者>
 共著であるこの論文の執筆過程を私は知らないが、かなりの部分を専門家がお手伝いしたことは想像される。しかし筆頭著者として最終的な責任は陛下が持たれるわけであり、最終原稿を読まれて、これは書かない、これを追加してほしいと言われることはあったに違いない。科学論文としてできあがった序に何の不足もないが、願わくば、この研究をどういうお気持ちで始められ、続けられたかを聞けたらどんなにかすばらしいことだろうと思った。

<役に立つとはどういうことか>
 このエッセーの冒頭にこの論文の価値や意義を問う声があることを書いた。それはひとつには「役に立つ研究」という価値観から発せられるものであろう。あるいは類稀れなものは価値があるが、ありふれたものは価値が小さいという発想によるものであろう。だが、タヌキの糞分析はそのどちらでもない。狭い意味で世の中に役に立つわけではないし、珍しいものでもない。これを調べさせたのは、素朴な知的好奇心そのものである。同じことをしている私は、タヌキを含むすべての命には等しく価値があり、それぞれが懸命に生きていることから感じる、敬意に似た思いがある。そういう考えからすれば、珍しいものは大切にするが、ありふれたものは顧みないという姿勢に批判的な気持ちがある。陛下にそういうお気持ちがあったかどうかは知る由もないが、私には、陛下もすべての生物に対する等しい価値を見出されているように思える。
 この論文について考えてきた。天皇陛下にとっては、原生自然の貴重な生物を研究されることも可能であろうが、そうではなく、日本列島にありふれたタヌキを選ばれた。それは生き物に対する博愛的な姿勢によるものであろう。そしてそれを正確に長期的に分析するという科学的姿勢で遂行され、論文を完成された。翻って、今の日本社会は経済を最優先し、効率こそが重要であるとし、しばしば利己的になり、自分に有利なものを優先し、そうでないものを軽んずる。この論文はすべての点でこれらとは対極的なものである。もし、そのことの意味を考え、この社会の在り方について立ち止まって考える契機になるとすれば、これほど「役に立つ」ことはないだろう。私にはこの論文には、そういう広く、深い意味があるように思える。

<昭和天皇のこと>
 さらに付け加えれば、私はどうしても裕仁昭和天皇のことを思ってしまう。裕仁天皇も生き物がお好きだった。しかし昭和という時代はこの国が戦争に突き進んだ時代であり、裕仁天皇がタヌキの糞をお調べになることを許さない時代だった。そのことを思えば、人の運命を思わずにはいられない。明仁陛下は類いまれな純粋さで自分の求める生き物への好奇心を持ち続けられ、ご高齢になられても、なおそれを実行された。それは明仁陛下であるからこそ成し得たことであるに違いないが、しかし、平和な70余年がなければ、実現されなかったことでもあると思う。この論文に接して、そういうことも思った。

追記:陛下による皇居のタヌキの研究を含め、タヌキについて「タヌキ学入門」という本を書きました。






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