大地君のブログを再掲します。
大したことじゃなくていい。
一人ひとり、できることは限られてる。
でも考えてみよう。
ここに表れてる子どもの希望に、私たちは応えられているか。
せめてさあ
瓦礫は受け入れようよ。
私があの震災で発見した悲しい事実。
それは根拠のない恐怖心を抑制できない大人が
これほど多いということです。
ーーーーーー
3月11日。学校からの帰り道、道が大きく揺れました。
東北を中心に日本列島太平洋側は地震とその後の津波で大きな被害が出ました。
テレビに映る仙台の街。これが現実なのか、映画なのか、ライブなのか、録画なのか…僕にはさっぱり判断できませんでした。
仙台はついこないだまでパパが住んでいた町です。津波にのみこまれた場所にはパパが寝泊まりしていたマンションがありました。妹の卒園式がなかったらパパはまだ仙台にいました。
テレビは一日中、地震の報道でした。そのころ、僕はインフルエンザで40度も熱でした。
「見ないほうがいい…」と、言われましたけど、僕には何が起きているのかをちゃんと確認する必要がありました。
北海道は電気や水道は止まっていませんでしたけど、電話が全く使えなくなりました。
いつものテレビ番組が見れないこともちゃんと確認する必要があったし。
熱が上がってくると、気になって気になって仕方がありませんでした。
宮城、岩手などは壊滅状態だとアナウンサーは言い、街があっただろう場所は瓦礫の山でした。
小学生くらいの女の子が瓦礫の山に向かって「お母さん!お母さん!」と泣き叫んでいました。
避難所にいる小さい子供がカメラに向かってピースサイン。横にいるおばあちゃんは「この子らの母親が見つからない。」と言いました。
市役所から、町民に向かって放送を流していたお姉さんは最後まで「津波が来ます。避難してください。」と、叫びながら津波にのまれたそうです。
町民を守るために会議を開こうとした市長さんは、会議室にいたばかりに津波にのみこまれました。
高田高校のお兄ちゃんは梯子を上って学校の屋上に上ったそうです。梯子につかまっていたお友達が次々と津波にさらわれたそうです。この高校の生徒の半分はまだ見つかっていません。
「嫁さんも子供も見つからない。」と、笑っていたお父さんは背中からは悲しい空気でした。
特別支援学校に通う生徒も見つからないままで、先生が涙を流して探していました。
あちこちの岸壁に200~300人分の死体が流れ着いたそうです。
死者は1万人以上になるとアナウンサーは言いました。
こんな日本は嫌だ。もう、日本はおしまいだと思いました。でも、パパは仙台の人が一日も早くネットを使えるように、仙台に向かう準備をしています。
僕の周りの友達のお父さんの中には、自衛隊でもう仙台や青森についた人もいます。
みんなは救助に向かったそうです。今日は、海に流されていた人、泥の中から、がれきの中から、たくさんの人が救助されました。
10万人の自衛隊、3000人以上の警察官、外国からのレスキュー部隊。
日本はこれで終わらないそうです。
戦争の時も、原爆の時も、神戸の地震の時も、何もない瓦礫の中から日本はちゃんと立ち上がったそうです。
「日本は終わっていない。誰もあきらめていない。」と、母は言いました。
「人間は弱い。地震にも津波にも勝てなかった。でも、勝負はこれからだよ。日本はちゃんと新しい明日のために頑張るんだよ。何年かかるかわからないけど、大地は仙台が復興する様子をよく見ていなさい。」と、言いました。
夕方から、僕はまた少し熱が出ています。でも、学校閉鎖になりました。
パパが言うには、今週はよいニュースもあるけど、悲しいニュースがいっぱいだよと言いました。
悲しくても、寒くても、家がなくても、生きている以上は立って歩きはじめないといけないそうです。
東北地方の人は、冬の寒さのように強くて、春の訪れのように優しい。厳しい気候の中で、我慢強い人が多いそうです。
僕にできることは何かわかりませんけど、仙台に出かけるパパを泣かないで見送ろうと思います。
大したことじゃなくていい。
一人ひとり、できることは限られてる。
でも考えてみよう。
ここに表れてる子どもの希望に、私たちは応えられているか。
せめてさあ
瓦礫は受け入れようよ。
私があの震災で発見した悲しい事実。
それは根拠のない恐怖心を抑制できない大人が
これほど多いということです。
ーーーーーー
3月11日。学校からの帰り道、道が大きく揺れました。
東北を中心に日本列島太平洋側は地震とその後の津波で大きな被害が出ました。
テレビに映る仙台の街。これが現実なのか、映画なのか、ライブなのか、録画なのか…僕にはさっぱり判断できませんでした。
仙台はついこないだまでパパが住んでいた町です。津波にのみこまれた場所にはパパが寝泊まりしていたマンションがありました。妹の卒園式がなかったらパパはまだ仙台にいました。
テレビは一日中、地震の報道でした。そのころ、僕はインフルエンザで40度も熱でした。
「見ないほうがいい…」と、言われましたけど、僕には何が起きているのかをちゃんと確認する必要がありました。
北海道は電気や水道は止まっていませんでしたけど、電話が全く使えなくなりました。
いつものテレビ番組が見れないこともちゃんと確認する必要があったし。
熱が上がってくると、気になって気になって仕方がありませんでした。
宮城、岩手などは壊滅状態だとアナウンサーは言い、街があっただろう場所は瓦礫の山でした。
小学生くらいの女の子が瓦礫の山に向かって「お母さん!お母さん!」と泣き叫んでいました。
避難所にいる小さい子供がカメラに向かってピースサイン。横にいるおばあちゃんは「この子らの母親が見つからない。」と言いました。
市役所から、町民に向かって放送を流していたお姉さんは最後まで「津波が来ます。避難してください。」と、叫びながら津波にのまれたそうです。
町民を守るために会議を開こうとした市長さんは、会議室にいたばかりに津波にのみこまれました。
高田高校のお兄ちゃんは梯子を上って学校の屋上に上ったそうです。梯子につかまっていたお友達が次々と津波にさらわれたそうです。この高校の生徒の半分はまだ見つかっていません。
「嫁さんも子供も見つからない。」と、笑っていたお父さんは背中からは悲しい空気でした。
特別支援学校に通う生徒も見つからないままで、先生が涙を流して探していました。
あちこちの岸壁に200~300人分の死体が流れ着いたそうです。
死者は1万人以上になるとアナウンサーは言いました。
こんな日本は嫌だ。もう、日本はおしまいだと思いました。でも、パパは仙台の人が一日も早くネットを使えるように、仙台に向かう準備をしています。
僕の周りの友達のお父さんの中には、自衛隊でもう仙台や青森についた人もいます。
みんなは救助に向かったそうです。今日は、海に流されていた人、泥の中から、がれきの中から、たくさんの人が救助されました。
10万人の自衛隊、3000人以上の警察官、外国からのレスキュー部隊。
日本はこれで終わらないそうです。
戦争の時も、原爆の時も、神戸の地震の時も、何もない瓦礫の中から日本はちゃんと立ち上がったそうです。
「日本は終わっていない。誰もあきらめていない。」と、母は言いました。
「人間は弱い。地震にも津波にも勝てなかった。でも、勝負はこれからだよ。日本はちゃんと新しい明日のために頑張るんだよ。何年かかるかわからないけど、大地は仙台が復興する様子をよく見ていなさい。」と、言いました。
夕方から、僕はまた少し熱が出ています。でも、学校閉鎖になりました。
パパが言うには、今週はよいニュースもあるけど、悲しいニュースがいっぱいだよと言いました。
悲しくても、寒くても、家がなくても、生きている以上は立って歩きはじめないといけないそうです。
東北地方の人は、冬の寒さのように強くて、春の訪れのように優しい。厳しい気候の中で、我慢強い人が多いそうです。
僕にできることは何かわかりませんけど、仙台に出かけるパパを泣かないで見送ろうと思います。
札幌の講演会で浅見社長さん、栗林先生、大地君親子に何度かお会いしていましたので、しみじみと読ませていただきました。
私が大地くんに初めて会ったのは、暑い夏の日だったと思います。一緒にいらっしゃたのがお父様かと思っていたのですが浅見さんのご主人だとあとから知りました。会場入口のドアの隙間から無邪気な笑顔で覗いていた姿が愛らしかったです。
栗林先生や長沼先生と遊んでいるようす。先生やお母さんに甘える様子。iPhoneを持って、なかなか言葉が出ず一生懸命に伝えようとしていた姿が印象的でした。そんな大地くんに栗林先生が目線を合わせ、紙とペンを渡して向き合う姿。体の使い方を教えている場面を見ることができました。
他の先生とiPhoneを互いに見せ合いながらコミニケーションをとっている様子も見かけました。
よく、大地君は賢い子だからと妬みひがみ根性丸出しの話を聞きますが、大地君を少々知っている私が思うのは、大地君が理解し自分で咀嚼して消化できるように伝えるのは大変なことだと思います。
大地くんは今の日本をどう見ているのでしょう。東北の復興をどう感じているのでしょう。ご両親や先生からどんな言葉を聞いているのでしょう。
自国に起きたことです。直接的な被害はなくても必要なことはきちんと伝えなくてはいけませんね。
大地くんはそろそろ中学生かしら?
大地君の言葉を借りると、彼は整った顔立ちの可愛いイケメン君だったからきっと素敵な青年になっていることと思います。また会えると良いと思っています。でも無粋に声をかけたりせずに遠くからそっと見守りますよ。私も大地君エピソードのファンです。また小ネタを披露してくださいね。
さて子供達に負けないように私たち大人はしっかりと出来ることをしないといけませんね。
長くなってしまいました。すいません。
だってさ彼の著書は花風社や彼の親が書いているとか、別のサイトではキャラ説あったしね~障害どころか自閉っぽくないみたいな話も聞いた事あったし。まーどっかの言い出しっぺが子供の事を悪く言うのはやめようみたいなーことを言い出して、どこまでマジネタかわかんねーなってとこあったけど。でもそうなんだ。中田大地はそんな感じだったんだ。
俺っち今はちゃんと働けていない。今どき国立大を卒業しても就職は難しい。食っていかないとならんもんねー仕方ないから臨職とコンビニバイトの掛け持ちで就活中。まさか生活保護はないでしょー就職ないからって親に食わせてもらうわけにはいかないしね。
いくら求人がなくてもよ、何社も受けて全滅してもよ、俺っち出来ればうつ病になったみたいーって投げ出したいよ。でもよ例えアルバイトくんでも稼がないとねー残される道はテント生活でしょ。
アスペルガーの俺っちは適応出来ずにすぐに死んでまう。
自分にその時が来ているから、中田大地の母ちゃんが言った「働かずに食べていけないことは恥ずかしい」の意味がよくわかる。
違和感があったしよ、ムカついたあの言葉だったけどよー
ずっーと俺っちの頭の片隅に住みついて離れなかった。だから我慢できているのかもなー
俺っちは建築関係に行きたいけど、今は痴呆症のジッちゃんバッちゃんの風呂係り。あだ名はさんすけ。
パートのおばちゃんに顎でつかわれても今は食っていくために目の前の事から逃げないだけ。それしか出来ない。
中田大地。彼の記録を読みながら「彼の母ちゃんが俺っちの母ちゃんだったらなんていってくれんのかなー」なんて思ったー
俺っちは人間らしく生きているのかなー
まー母ちゃんが逃げて父子家庭だったもんでーああいう母ちゃんもいいって思うんかもなー
講演会に来て下さったとのこと、ありがとうございます。
先日も大地君がここに出てきてくれたとたんに「中田大地を講演会で見かけたけどどう見てもアスペルガーに見えない。偽者だ」という嫌がらせコメントが来たのですが、「ああ、本当には会ったことない人だな」とすぐに判断つきます。嘘つきはすぐにわかりますね。
それにしてもひがみ根性、さっぱりわかりません。自分ちの子が一番なのが自然だと思うんですけど、よその子と何を比べているんでしょう。
またお越し下さいませ。
そしてそのとき判で捺したように持ち出されるのが「偽者」とか「キャラ説」です。「みんな違ってみんないい」といいながら、他人の療育に口を出す度合いといい、同調圧力の強い(といわれる。私自身はまったく感じていない)日本社会の中でも、一番同調圧力が強いのは実は自閉症関係者じゃないかと思うことがあります。
「ニキ・リンコキャラ説」が限度を超えて、刑事事件になったのが「自閉症者の犯罪を防ぐための提言」で扱ったあの事件でしょう。ですからくだらない掲示板でくだらない想像をお互いに書き散らしているときには、自分は今危ない線を渡っているのだと自覚してほしいもんです。
それよりはお年寄りをお風呂に入れて時間を過ごした方が、お年寄りは気持ちいいしお金にもなるのでずっとマシな過ごし方だと私には思えますね。