発達障害の人のセルフ・エスティームに関しては、しばしば問題になる。
どちらかといえば支援者の皆さんは「低すぎる」ことへの支援を訴える。
世の中の人に、発達障害の人を無理やりにでもほめてほしそうである。
私は無理やりほめることがまっとうなセルフ・エスティームにつながるとは考えていない。
ほめるべきことがあればほめるのはかまわないけど、無理やりほめるのはかえってよくないと思っている。
なんというか、大した事じゃないことでほめるのは
能力が低いと見なしているというか、
人間として対等に見ていない証のような気がするのだ。
支援が仕事の支援者的には感覚的にOKなのかもしれないが
支援が仕事じゃない私はやたらほめるべきじゃないと思ってる。
私は自分がほめられるのはあまり好きじゃない。
だから人をほめるのもあまり上手ではない。
どうしてほめられるのが好きじゃないのか。
一番近いのは元横綱朝青龍が「横綱、頑張ってください」と言われて腹を立て
「俺に頑張れとは何事だ!」と相手を殴ってしまった(らしい)事件だと思う。
そのときのドルジ氏の気持ちが私はとても理解できる。
自分の価値は、自分で作っていくもの。
大人になったら、他人がとやかく言うのは失礼だ。
こんな私なので、一緒に働いている自閉症の人たちをほめたこともあんまりない。
ていうか、最初の頃、支援者の言を真に受けてほめようとしたのだがうまくいかなかったし
少なくともニキさんの場合はほめても別にうれしそうじゃなかった。
「自閉っ子と未来への希望」にも書いたけどね。
うちの著者さんたちのセルフ・エスティームが安定してきたとするなら
それは数々のことを自力で乗り越えて自力で勝ち取った安定だ。
かつて二次障害の塊だった藤家さんは
「自閉っ子的心身安定生活!」の中にこう書いた。
=====
「別にほめられなくて当たり前だ」って思っていることが、セルフ・エスティームが真っ当だっていうことなんじゃないかな。
=====
名言だと思っている。
岩永先生も名言だとおっしゃっていた。
神田橋先生は「発達障害は治りますか?」にこう書かれている。
=====
浅見 先生、セルフ・エスティームってほめれば育つんですか? 藤家さんが安定したのは、苦手を乗り越えたからに見えるんで、ちょっとその辺疑問なんですが。
神田橋 違うね。ほめられてセルフ・エスティームが上がるのは二歳児くらいまでだね。三歳くらいになると束縛感を感じるね。外側からの価値観を植えつけられているような。
一同 ふーーーーん。
神田橋 でも自分で何かをできたと自覚することで育つセルフ・エスティームは、外側から価値観を植えつけられることなく生理的な快感につながっていく。
藤家 多少ストレスフルな状況に置かれたほうが、乗り越える喜びもありますし。自信がつくというか、次のことに挑もうという気にもなります。
(以上 「発達障害は治りますか?」 P146)
=====
私自身は、セルフ・エスティームをこう考えている。
「セルフ・エスティームがまっとうな状態とは、他人の成功と折り合いがつけられること」
つまり、自分のやり方に自信を持って歩めること。
他人がたとえ自分の信念と違うやり方で成功していても
そこに「本当はウソなんだ」とインチキ説をこしらえるのでもなく
そのやり方をけなすための理論武装に脳みそ労働を割くのでもなく
自分は自分の信じた道を行きながら、ときには他人の成功から学び微調整をしながら、自分の目的に邁進できること。
他人の成功が、マイナスに作用しないほど自我が健全な状態。
それを私はセルフ・エスティームがまっとうな状態と呼んでいる。
どちらかといえば支援者の皆さんは「低すぎる」ことへの支援を訴える。
世の中の人に、発達障害の人を無理やりにでもほめてほしそうである。
私は無理やりほめることがまっとうなセルフ・エスティームにつながるとは考えていない。
ほめるべきことがあればほめるのはかまわないけど、無理やりほめるのはかえってよくないと思っている。
なんというか、大した事じゃないことでほめるのは
能力が低いと見なしているというか、
人間として対等に見ていない証のような気がするのだ。
支援が仕事の支援者的には感覚的にOKなのかもしれないが
支援が仕事じゃない私はやたらほめるべきじゃないと思ってる。
私は自分がほめられるのはあまり好きじゃない。
だから人をほめるのもあまり上手ではない。
どうしてほめられるのが好きじゃないのか。
一番近いのは元横綱朝青龍が「横綱、頑張ってください」と言われて腹を立て
「俺に頑張れとは何事だ!」と相手を殴ってしまった(らしい)事件だと思う。
そのときのドルジ氏の気持ちが私はとても理解できる。
自分の価値は、自分で作っていくもの。
大人になったら、他人がとやかく言うのは失礼だ。
こんな私なので、一緒に働いている自閉症の人たちをほめたこともあんまりない。
ていうか、最初の頃、支援者の言を真に受けてほめようとしたのだがうまくいかなかったし
少なくともニキさんの場合はほめても別にうれしそうじゃなかった。
「自閉っ子と未来への希望」にも書いたけどね。
うちの著者さんたちのセルフ・エスティームが安定してきたとするなら
それは数々のことを自力で乗り越えて自力で勝ち取った安定だ。
かつて二次障害の塊だった藤家さんは
「自閉っ子的心身安定生活!」の中にこう書いた。
=====
「別にほめられなくて当たり前だ」って思っていることが、セルフ・エスティームが真っ当だっていうことなんじゃないかな。
=====
名言だと思っている。
岩永先生も名言だとおっしゃっていた。
神田橋先生は「発達障害は治りますか?」にこう書かれている。
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浅見 先生、セルフ・エスティームってほめれば育つんですか? 藤家さんが安定したのは、苦手を乗り越えたからに見えるんで、ちょっとその辺疑問なんですが。
神田橋 違うね。ほめられてセルフ・エスティームが上がるのは二歳児くらいまでだね。三歳くらいになると束縛感を感じるね。外側からの価値観を植えつけられているような。
一同 ふーーーーん。
神田橋 でも自分で何かをできたと自覚することで育つセルフ・エスティームは、外側から価値観を植えつけられることなく生理的な快感につながっていく。
藤家 多少ストレスフルな状況に置かれたほうが、乗り越える喜びもありますし。自信がつくというか、次のことに挑もうという気にもなります。
(以上 「発達障害は治りますか?」 P146)
=====
私自身は、セルフ・エスティームをこう考えている。
「セルフ・エスティームがまっとうな状態とは、他人の成功と折り合いがつけられること」
つまり、自分のやり方に自信を持って歩めること。
他人がたとえ自分の信念と違うやり方で成功していても
そこに「本当はウソなんだ」とインチキ説をこしらえるのでもなく
そのやり方をけなすための理論武装に脳みそ労働を割くのでもなく
自分は自分の信じた道を行きながら、ときには他人の成功から学び微調整をしながら、自分の目的に邁進できること。
他人の成功が、マイナスに作用しないほど自我が健全な状態。
それを私はセルフ・エスティームがまっとうな状態と呼んでいる。