さて、3月16日のセミナー、満員札止めとさせていただきます。
2月23日、あと三名です。
「2月23日行きたかったのに予定がああ」というメールもいただきますが
実は私も、もうちょっと早く発表したかったのです。
できないわけがあったのですよ。
そのわけとはずばり
横浜の、ご近所の方なんですけど
できれば来ていただきたくない、という方が一名いらしたのですね。
でも「来ないでください」とはなかなかお願いしにくい。
けれどもちょうど猿烏賊スペクトラムの方々と悪のりでたわむれておいでのご様子を発見しましたので
(運がよかった!)
それに乗じて、「もう来ないでね」とお願いいたしました。
この方がおっしゃるには「いいとこ取りはしたいけど争いごとに巻き込まれたくない」そうで
だから花風社の本を読んだり、花風社のセミナーに来たりしながら、それをお仲間にはひた隠しにしていらしたようで
はっきり言って、こちらにとっては非常に無礼なわけですね。
そもそも、たくさんの方が花風社の本を読み、セミナーにお越しいただき
「仲間ができた!」と喜んで帰っていかれる。
この方は、そういう場でのそもそもそういう喜びは放棄して、こそこそお出かけになり、こそこそお帰りになったようですね。
そして
我々にとって大事な学びと交流の場を、こそこそと出かける悪所扱いは無礼です。私にも、喜んできてくださるお客様たちにも。
そして、花風社のセミナーに来ることがすなわち仲間うちでの攻撃の対象になるのなら
それは「アンチ花風社」の皆様の民度の低さを表していますね。
なぜなら同じように「いいとこ取り」の一環として、花風社の提供する情報を屈託なく誰にも遠慮せず利用してくださる方々は、他人がどのセミナーに出ようとどの本を読もうと別にそれを攻撃しない人間関係の中にあるからです。
だから、皆さん和気藹々でやっています。
だとしたら「争いごとに巻き込まれたくない」という理解不能な不安はすなわちアンチ方面から来るということで
この方がエロ本のように花風社の本を読み買春のようにこそこそ隠れてセミナーに通って来なければいけないのは
「アンチ花風社」の皆様に封建的な村みたいな根性がある何よりの証拠ですね。
私はこの方に、きっぱりと、もう来ないでくださいと言いました。
私自身がこの方と顔を合わせるのはいやだし
たとえば満員だったワクワクセラピーだと、こういうこそこそ隠れてやってきた人のために、一人お断りせざるをえなかったわけです。
あの楽しかった会の主催者として、今でもそれを悔やんでいます。
療育は「いいとこ取り」でいいんです。
でも私が設ける場である限り
貴重な席は、ここに来るのを恥じるような方に座っていただきたくない。
主催者や他のお客様に対し、無礼でない方に座っていただきたい。
そして、屈託なくセミナーにやってきて仲間を作っていかれるような方々より
この方のお子さんは、窮屈な思いをするでしょう。
自分の決断をこそこそ隠したりする母親のもとで育つことを思うと
特性のあるお子さんが、のびのびとした変人枠で世の中の皆さんにかわいがられるのはとても難しそうです。
私は、卑屈な人に遠慮して、自分の言動を変える気はありません。
それは、正しいことではないから。
それも私が「治る」という言葉を屈託なく使う理由です。
でもこの方がどうお子さんを育てようと、それは、どうでもいいんです。
とにかく私は、こういう人には来ていただきたくない。
私が主催する場にいらっしゃる方たち
別にやってきて、私をちやほやする必要はありません。
批判したければすればいいし、要望を出してくださってもいいですよ。聞くべき要望は、もちろんありがたく承ります。ただ、最終的に判断するのはあくまで私ですけどね。
そういうのはいいんです。
私が望むのは「仲間」であって、「信者」ではありませんから。
ただし来たことを、悪い場所に通っているかのように隠されるのは、あまりに侮辱ですね。
そして私は、自分に侮辱を与える人とはつきあう気がありませんから。
芸は売っても身は売らない。
プライドのある人間として当たり前の話です。
「いいとこ取り」と言いながら、来たことを隠し、猿烏賊スペクトラムの皆様と悪のりするような人が思い出させるのは
買春しておいて、「金で済ませただろ」と
その女性を見下す何世代も前のふるーい封建的な男性の感覚ですね。
そういう感覚の中で自閉っ子育てるって、きっついなーと思います。
「ノースカロライナの無駄遣い」っていう言葉が浮かびました。
2月23日、あと三名です。
「2月23日行きたかったのに予定がああ」というメールもいただきますが
実は私も、もうちょっと早く発表したかったのです。
できないわけがあったのですよ。
そのわけとはずばり
横浜の、ご近所の方なんですけど
できれば来ていただきたくない、という方が一名いらしたのですね。
でも「来ないでください」とはなかなかお願いしにくい。
けれどもちょうど猿烏賊スペクトラムの方々と悪のりでたわむれておいでのご様子を発見しましたので
(運がよかった!)
それに乗じて、「もう来ないでね」とお願いいたしました。
この方がおっしゃるには「いいとこ取りはしたいけど争いごとに巻き込まれたくない」そうで
だから花風社の本を読んだり、花風社のセミナーに来たりしながら、それをお仲間にはひた隠しにしていらしたようで
はっきり言って、こちらにとっては非常に無礼なわけですね。
そもそも、たくさんの方が花風社の本を読み、セミナーにお越しいただき
「仲間ができた!」と喜んで帰っていかれる。
この方は、そういう場でのそもそもそういう喜びは放棄して、こそこそお出かけになり、こそこそお帰りになったようですね。
そして
我々にとって大事な学びと交流の場を、こそこそと出かける悪所扱いは無礼です。私にも、喜んできてくださるお客様たちにも。
そして、花風社のセミナーに来ることがすなわち仲間うちでの攻撃の対象になるのなら
それは「アンチ花風社」の皆様の民度の低さを表していますね。
なぜなら同じように「いいとこ取り」の一環として、花風社の提供する情報を屈託なく誰にも遠慮せず利用してくださる方々は、他人がどのセミナーに出ようとどの本を読もうと別にそれを攻撃しない人間関係の中にあるからです。
だから、皆さん和気藹々でやっています。
だとしたら「争いごとに巻き込まれたくない」という理解不能な不安はすなわちアンチ方面から来るということで
この方がエロ本のように花風社の本を読み買春のようにこそこそ隠れてセミナーに通って来なければいけないのは
「アンチ花風社」の皆様に封建的な村みたいな根性がある何よりの証拠ですね。
私はこの方に、きっぱりと、もう来ないでくださいと言いました。
私自身がこの方と顔を合わせるのはいやだし
たとえば満員だったワクワクセラピーだと、こういうこそこそ隠れてやってきた人のために、一人お断りせざるをえなかったわけです。
あの楽しかった会の主催者として、今でもそれを悔やんでいます。
療育は「いいとこ取り」でいいんです。
でも私が設ける場である限り
貴重な席は、ここに来るのを恥じるような方に座っていただきたくない。
主催者や他のお客様に対し、無礼でない方に座っていただきたい。
そして、屈託なくセミナーにやってきて仲間を作っていかれるような方々より
この方のお子さんは、窮屈な思いをするでしょう。
自分の決断をこそこそ隠したりする母親のもとで育つことを思うと
特性のあるお子さんが、のびのびとした変人枠で世の中の皆さんにかわいがられるのはとても難しそうです。
私は、卑屈な人に遠慮して、自分の言動を変える気はありません。
それは、正しいことではないから。
それも私が「治る」という言葉を屈託なく使う理由です。
でもこの方がどうお子さんを育てようと、それは、どうでもいいんです。
とにかく私は、こういう人には来ていただきたくない。
私が主催する場にいらっしゃる方たち
別にやってきて、私をちやほやする必要はありません。
批判したければすればいいし、要望を出してくださってもいいですよ。聞くべき要望は、もちろんありがたく承ります。ただ、最終的に判断するのはあくまで私ですけどね。
そういうのはいいんです。
私が望むのは「仲間」であって、「信者」ではありませんから。
ただし来たことを、悪い場所に通っているかのように隠されるのは、あまりに侮辱ですね。
そして私は、自分に侮辱を与える人とはつきあう気がありませんから。
芸は売っても身は売らない。
プライドのある人間として当たり前の話です。
「いいとこ取り」と言いながら、来たことを隠し、猿烏賊スペクトラムの皆様と悪のりするような人が思い出させるのは
買春しておいて、「金で済ませただろ」と
その女性を見下す何世代も前のふるーい封建的な男性の感覚ですね。
そういう感覚の中で自閉っ子育てるって、きっついなーと思います。
「ノースカロライナの無駄遣い」っていう言葉が浮かびました。