さてさて、日本を離れていた間には発達障害の本を一冊も読まなかった私ですが
ついったーを見ていて気になる本がありました。
帰ってきて早速入手。読みました。
「漂流する発達障害の若者たち 開かれたセーフティネット社会を」
(高森明著 ぶどう社)
です。
いやあ、これはエポックメーキングな本です。
というか、この本がエポックメーキングにならないようでは、今後の高機能やグレーゾーンの人の支援に有効な手が打てないんじゃないか、そう思わせるくらい画期的な本です。
実際、今の社会で(つまり日常の、臨床でない現場で)、中途診断の(あるいは未診断の)発達障害の若者たちがどういう困難に直面しているかを誠実に描き出し、それを解決するための社会政策を提言しています。
著者ご自身今の結論を「暫定的」と書いているし、「私が出した答えに必ずしも賛成していただく必要はありません」と書いています。
そのとおり、私自身が今「暫定的」に出している答えも、実は著者がこの本の中でしている提言とは130度くらい違います。
呼びかける対象も違います。
それでもそういう意見の違いなどささいに思えるほど、この本の持っている問の立て方は重要だと素直に認められます。
では、著者と私の暫定的な結論はどう違うのでしょうか。
たとえば不安定就労の問題。
著者は発達障害の若者の多くが労働市場で不利な立場にあり、不安定就労を余儀なくされていると指摘しています。
この傾向には、私も気づいています。
著者はこの状態を解消に向かわせるための社会政策を提言するという立場ですが、私は違います。
不安定就労が解消する世の中になればいいというのには私も異論がありません。ただ、それほど易しくないと思っています。グローバル経済の時代、国内の労働者は国内だけではなくより賃金の安い国々と見えにくい競争をしています。この傾向が弱まるとはどうしても思えません。
つまり、今後の世の中でも、雇用を確保するためにこそ、ある一定数の不安定就労の若者を、社会が必要とすることは、残念ながら変わらないと思います。
ならば、
・自分が育てている子の能力を最大限引き出すには
・不利に置かれがちな労働市場で、それでもできるだけ労働市場で有利な立場を確保するには
私はそれを追及したいと思います。
つまり
・このままだと不安定な職場にしか居場所が見つからないかもしれないけど、なるべく安定した職場に居場所を確保するためにやっておけることはないか
・重度の人に最低賃金を保証している職場とはどういうところか。そこの経営者はどういう人材を求めているか
そういう情報をほうぼうで求め、本にまとめ、それを自分の読者に提供する仕事をやっていこうと思っています。
社会政策の提言が無駄なことだと思わないし、自分のできることをやっていこうと思っています。
ただ社会はゆっくりとしか変わらない。理解力だって、みんながみんな持っているわけじゃない。
でも個人は今日からでも変われます。
というのが私のスタンスなので
・発達障害の人に経済的自立を強いるのは政治的に正しくない
・社会を変えないで本人を変えようというのは政治的に正しくない
という考え方の人は「発達障害者の当事者・保護者」であっても「花風社のこれからの読者」とは想定していないのです。
社会を変える、発達障害への理解を促すという視点をもちつつも「今ある現実社会でどう生きていくか」を考えるための本を提供することをメインの仕事にしていこうと思っています。
だから
・修行系
・治せんといかんわな系
に力を入れていくことになるのです。
「脳を楽にする。身体という環境を整える。それが一次障害の改善につながるはず」という神田橋先生の仮説に惹かれたのはそのためですし
大地君が診断を受けたときにくれたメールのこの言葉がとても好きです。
「何にもしないであきらめるよりも、みんなが楽しい修行が一番です」
写真はハウスキーピングのお姉さんがタオルでこしらえてくれた座り象です。
ついったーを見ていて気になる本がありました。
帰ってきて早速入手。読みました。
「漂流する発達障害の若者たち 開かれたセーフティネット社会を」
(高森明著 ぶどう社)
です。
いやあ、これはエポックメーキングな本です。
というか、この本がエポックメーキングにならないようでは、今後の高機能やグレーゾーンの人の支援に有効な手が打てないんじゃないか、そう思わせるくらい画期的な本です。
実際、今の社会で(つまり日常の、臨床でない現場で)、中途診断の(あるいは未診断の)発達障害の若者たちがどういう困難に直面しているかを誠実に描き出し、それを解決するための社会政策を提言しています。
著者ご自身今の結論を「暫定的」と書いているし、「私が出した答えに必ずしも賛成していただく必要はありません」と書いています。
そのとおり、私自身が今「暫定的」に出している答えも、実は著者がこの本の中でしている提言とは130度くらい違います。
呼びかける対象も違います。
それでもそういう意見の違いなどささいに思えるほど、この本の持っている問の立て方は重要だと素直に認められます。
では、著者と私の暫定的な結論はどう違うのでしょうか。
たとえば不安定就労の問題。
著者は発達障害の若者の多くが労働市場で不利な立場にあり、不安定就労を余儀なくされていると指摘しています。
この傾向には、私も気づいています。
著者はこの状態を解消に向かわせるための社会政策を提言するという立場ですが、私は違います。
不安定就労が解消する世の中になればいいというのには私も異論がありません。ただ、それほど易しくないと思っています。グローバル経済の時代、国内の労働者は国内だけではなくより賃金の安い国々と見えにくい競争をしています。この傾向が弱まるとはどうしても思えません。
つまり、今後の世の中でも、雇用を確保するためにこそ、ある一定数の不安定就労の若者を、社会が必要とすることは、残念ながら変わらないと思います。
ならば、
・自分が育てている子の能力を最大限引き出すには
・不利に置かれがちな労働市場で、それでもできるだけ労働市場で有利な立場を確保するには
私はそれを追及したいと思います。
つまり
・このままだと不安定な職場にしか居場所が見つからないかもしれないけど、なるべく安定した職場に居場所を確保するためにやっておけることはないか
・重度の人に最低賃金を保証している職場とはどういうところか。そこの経営者はどういう人材を求めているか
そういう情報をほうぼうで求め、本にまとめ、それを自分の読者に提供する仕事をやっていこうと思っています。
社会政策の提言が無駄なことだと思わないし、自分のできることをやっていこうと思っています。
ただ社会はゆっくりとしか変わらない。理解力だって、みんながみんな持っているわけじゃない。
でも個人は今日からでも変われます。
というのが私のスタンスなので
・発達障害の人に経済的自立を強いるのは政治的に正しくない
・社会を変えないで本人を変えようというのは政治的に正しくない
という考え方の人は「発達障害者の当事者・保護者」であっても「花風社のこれからの読者」とは想定していないのです。
社会を変える、発達障害への理解を促すという視点をもちつつも「今ある現実社会でどう生きていくか」を考えるための本を提供することをメインの仕事にしていこうと思っています。
だから
・修行系
・治せんといかんわな系
に力を入れていくことになるのです。
「脳を楽にする。身体という環境を整える。それが一次障害の改善につながるはず」という神田橋先生の仮説に惹かれたのはそのためですし
大地君が診断を受けたときにくれたメールのこの言葉がとても好きです。
「何にもしないであきらめるよりも、みんなが楽しい修行が一番です」
写真はハウスキーピングのお姉さんがタオルでこしらえてくれた座り象です。