治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

コミュニケーション力を大和言葉で言うと

2013-10-07 11:45:50 | 日記
さて、コミュニケーション力。

ASDの人に「足りない」ことが「社会参加の妨げ」となっているとされているこの能力ですが
「じゃあどんなもの?」ってきいてみると、はっきりした答えは誰からも返ってきません。

じゃあご本人たちは「いったい何が足りないと自分で思っているのか?」と
私は発表スミのものも未発表のものも含めて「自分にはコミュニケーション力が足りない」と自覚している人たちの手記を読んでみました。

その結果、「コミュニケーション力」を誤ってとらえているがゆえに
方向音痴の努力をして、そして結果として世の中を必要以上に怖がっているんだなあと考えるようになりました。

たとえば、「自分の意見を相手に納得させられない」ことがコミュニケーション力不足のゆえだとしている成人の発達障害の当事者の方がいました。

でも私から見ると、それは説得力がないのではなく、単純に「先方と利害が一致していない」からでした。
だからこの人のすべき努力は、話術を磨くことではなく、落としどころを探ることでした。

でも過去にはニキさんも、この手のカンチガイをしていたと思います。
あれはまだ、ニキさんが私にとって翻訳の生徒さんの一人だったころ。
アスペルガーとか何も知らず、「この人熱心でユニークな生徒さん」と思っていた頃のこと。

翻訳家志望の人たちで、中華街でパーティをしたことがありました。
その頃花風社は、横浜の山下町、中華街のすぐ近くにあったのです。
そこで二十人くらい、丸テーブルを二つ使ったパーティをしたのですね。

事前にニキさんから「何時間くらいで、何人くらいなのか」ときかれたので
「時間は二時間くらい。そして丸テーブル二つで一つのテーブル十人くらい」と答えました。
そのころアスペルガーとか知らなくても、そういう確認が必要な人らしいということには気づいていました。

そうしたらニキさんは、カンチガイしたようで
二時間独演会をするだけのネタを仕込んできたのです。
結果としてその日、我々のテーブルは、ニキさん以外に誰一人しゃべれませんでした。

あのときの出席者は(私も含めて)心が広かったのか、別に誰にもひんしゅくは買いませんでした。
でも場合によっては「空気の読めない人」になっていたと思います。

それでもニキさんは、必死で努力してネタを仕込んできたのだと思うのです。
終わったあとは、疲れ切っていました。すごい頑張りです。
その結果「空気読めない」とか言われたら、世の中に対して怖くなっちゃいますよね。

今ではニキさんはそういうカンチガイはしなくなったと思います。

えっちらおっちら世の中を理解して




上手に努力と手抜きができるようになったからです。



でもきっと、こういうカンチガイをして、無駄な方向に努力をしている自閉っ子はまだまだ多いのだと思いました。これもすべて「コミュニケーション力」が正しく定義されていないからだと思いました。

でもそれは、発達障害の人だけの責任でもなさそうです。

そもそも企業を含む一般社会が
「大事なのはコミュニケーション力」とか、曖昧な言い方をします。

でも「じゃあそれ何?」って問いかける人もあまりいないし
突き詰めて考える人もあまりいません。

そこで私はまず、「コミュニケーション力って大和言葉で考えるとなんだろう?」と自分に問いかけて思索してみることにしました。
だいたいカタカナの怪しげな言葉って、「大和言葉で置き換えると何?」と考えるのは、翻訳家をやっていたころからの習慣です。

考えて考えて

自分なりに腑に落ちる言葉にたどりつきましたよ。

そして「ああ、これなら自閉っ子も、代替可能な能力いっぱい持ってるよ」

という結論になりました。

皆さんも考えてみてください。

「コミュニケーション能力」って大和言葉に置き換えるとなんでしょう?

私の考えは、後日発表します。

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4 コメント

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お食事会 (まさ)
2013-10-07 12:56:53
お食事会の話、とてもおもしろいです。その日二時間、他の方々は誰ひとりしゃべれませんでした。って本当でしょうか?! 話盛ってるわけでなく……?

実は私、おそらく2、3年前くらいにニキさんと何かのお食事会でご一緒したことあって、そのときは、ニキさんが何者かとか、存じ上げなかったのですが、すごく物知りで話題豊富で、楽しくて印象に残っていました。

発達障害のご本を読んでるときに、ニキさんのことを知って、あのときのニキさん?と思ってびっくりしました。アスペルガーの方って、こんなおっとりした方なのね。とか。おそらくいろんなタイプの方がいるのかなとは思うのですが。

ところで、曖昧な言い方って、ときに曖昧な表現に苦しまされるときあります。「トラウマと向き合う」とか、自己流解釈でやったら、よけいに苦しくなってしまうみたいなときありました。

それだけじゃなく、誰か翻訳してくれる人がいればいいのにと思うことよくあります。コミュニケーション力もむずかしいですよね。
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おっとり (浅見淳子)
2013-10-08 07:56:04
まささん、ようこそ。
自閉の方にも様々なタイプがいると思いますが、物知りでおっとりしているというのは、ある種の方たちが安定しているときの一つの姿だろうと思います。
話を盛ったの正確な定義がわかりませんが、普通の懇親会のように、おしゃべりで参加者がお互いに親交を深めるのが目的ならあの日の懇親会は台無しでした。
それでも別にクレームが起こらなかったのは、その場にいた人たちのスイートスポットが広かったのと、仕事場面ではなかったからでしょう。
こういう練習も大事です。
またお越しくださいませ。
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私の記憶では (マスオさん)
2013-10-08 09:34:44
おはようございます!

そうそう、10数年前のことでしたけど、私もその会合にいましたよん♪

でも、テーブルが違ったせいか、私はニキさんの独演会だったとは今になって初めて知りました。
あの時はニキさんがアスペとは知らず(アスペルガーという言葉すら)、むこうのテーブル・・・随分盛り上がってるなということは覚えてましたが、まさか独演会だったとは。

私にとっては楽しい会合だったという記憶しかないのですが、その時にニキさんと一緒のテーブルだった人はどうだったのかな。けっこう楽しかったりして(そうでもないか)
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楽しかったと思うよ (浅見淳子)
2013-10-08 09:42:02
画伯、ようこそ。
そうでしたね~。
いやみんな楽しかったんじゃないかな。何しろニキさんは渾身のネタ用意してきたんだろうし。ただ、別にニキさんに接待されにきたのではないので、戸惑いはあったかもしれないけど。
私は主催者だったので、皆さんがしゃべるひまがないということでちょっとはらはらしたんですけど、事後にニキさんに謝られるかと思ったら「やり遂げた!」満足感と疲労感でいっぱいだったんですよ。そのときこの人変わってるな~と思った。でももちろんご存じのとおり、それで嫌いにとかはならなかったわけだが。世間って案外その程度には心広いんじゃないかと思います。だからああいうのは、やっといたほうがいいよね。
またお越し下さいませ。
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