治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

対等感と社会性

2014-07-24 06:14:04 | 日記
昨日、大橋恵子さんの「そのまんまで素敵だよ」を読み終わったという方から
同僚や保護者に読んでもらうため追加で買いたいけれどもどうすれば? というお問い合わせがあり
近い方なら横浜タカシマヤに直接行くという手もあるのですが、この方は遠方なので
スペース96さんに在庫があるようだとお伝えしておきました。
研修にいらした方です。
こうやって「やればできる子」を実際に戦力にしている企業の存在が全国に伝わっていくとうれしいですね。

大橋さんからは記念のブツが届き(大橋さん! ありがとうございます!)
それにお手紙が添えられていました。
当日お買い上げの「10年目の自閉っ子」を読破してくださり、社会とは饗宴であるに同意、ということ。
そして浅見さんのいいところは「対等感」ですね、それで人が集まってくるのでしょうね、と書き添えてありました。

対等感。
それは良くも悪くも私の特徴の一つで、実は一種の社会性の欠如(社会性ではありませんよ。社会性の欠如)の賜ではないかと思っているんですよ実は。
私のこと嫌いな人怖がっている人はいっぱいいるはずなのに、自分のところに来た重度の人で私を怖がる人ってまずいないのは、たぶん人間として対等だよと「心の底から」思っているからだと思います。彼らは飛ぶ、私は飛ばない。彼らは奇声を上げる、私は奇声を上げない。でもそれは彼らがお相撲ファンじゃなくて私がお相撲ファンであると同じような違いに過ぎないと「心の底から」思っています。彼らは賢いからそれを察知するのでしょう。

そして対等で見られたくない人は、私のことを差別者だと思うのですね。
たとえば猿烏賊騒動のとき「立場が強いのだから」とかいさめられたんですけど、さっぱり意味がわからなかった。
障害児の保護者だから立場が弱いとか、出版社やっている人間だから強いとか、全然思いませんね。
やられたから専守防衛しただけです。

自閉症者に対して裁判を起こしたのも同じ。迷惑だからやった、それだけ。
YTは自閉症者だから訴えられないと思っていたようですが、そっちのほうがよほど卑屈な考え方だと私は思いますね。

あと吉川徹への反撃も「お医者様に対してなんということを」みたいなこと言う人もいましたが
彼は医者として誰かを救っているのかもしれないけど、少なくとも私は全然彼に世話になっていない。むしろ迷惑なだけです。
その吉川がつまんない議論ふっかけドヤ顔でツイート集なんかを自分のブログにのっけて「先生すごい」とか言われているので、化けの皮をはがしてあげました。

ギョーカイづきあいがまだあったころ、吉田友子医師が服巻智子先生の台頭を面白くないと思って悪口言っているという噂も聞いて、その理由が「医師じゃないくせに」だったらしいんですが
そのときにも「医師ってそんなにえらいのか」と不思議な気持ちになりました。
吉田氏も服巻氏もそれぞれの立場で誰かを支援しているのでしょう。だったら対等じゃないですか。
少なくとも服巻氏は、こういう無礼な真似はしませんよ。
ああそうか、吉田氏がうちに無礼なことをしてきたのも私が医師じゃないからかしら。

でもね、皆さんが多動なお子さんを抱えていたとして
「様子を見ましょう」しか言わない医師と、栗本さんみたいにその場で多動を治めてくれておうちでできる治め方を教えてくれる医師ではない人と、どっちがありがたいんですかね。

私から見ると私が対等感の持ち主だというよりは
世の中の人が私の知らない序列(しかも無意味な序列)をお互いつけあっているなあ、という感じなんです。
だからこれは、一種の「遅れ」なのかもしれませんね。

その点ではYTの方が発達していたんじゃないですか、私より。
岩永先生が医学博士でありながら医師ではないということをさげすみの対象にしていたようだし。
いったい何様なんだよ。

猿山の猿のように序列意識にとらわれている人とそうじゃない人がいる。

そして一生治らないと思います。
大人になったら治らない。
治す気のない人は治らない。
ギョーカイはここでは正しい(ほめてません)。

あ、対等で思い出した!

もう一つのワールドカップ(知的障害のある人たちのワールドカップ)に選手を送るため
募金が行われています。

私もささやかな志を送りました。
応援したいなあという方がいらしたら、どうぞこちらへ!
医師の皆さんは、エライならエライでいいから、いばりたければいばってていいから、
こういうときに奮ってお金送ってほしいですね。



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会心の相撲がひとつも見られないまま勝ち越しです。
とりあえず区切り。
さあどこまで星を伸ばすでしょうか。