たーさんの世界(意地悪じーさん)

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金城 裕先生の思い出

2012年06月13日 | Weblog


今日、バイク仲間の前川さんのメールに 空手 の文字が入っていたので、今回もまた、僕の空手の師である金城 裕先生の思い出を語ってみたくなりました。

先生は大正8年のお生まれで、今もご健在です。

しかし先生の著書である【唐手から空手へ】の執筆が、きっと最後になるんではないかと思います。

写真の構えは先生の一番得意の構えですが、皆さんはどの様な感想を持ちますか?

先生の右拳が大きく見えた方は、かなり空手をやられた方ではないかと思います。

そうなんです、先生は敵に近い手や足で攻撃するのを技の理想と考えておられるんです。

先生は相手が攻撃してくる突きを、そのまま自分の右腕で払いつつ、右拳を相手の顔面に入れる技が得意なんです。(所謂クロスカウンターパンチ)

若い頃の先生はヤクザに喧嘩を売って、この技を実践で磨かれたと話してくれました。


しかも拳の握りの親指が普通のグーの握りと違いますが、これは裏拳のスナップを聞かせやすい握り方です。

僕も同じ握り方をします。

これは裏拳のみならず、顔面攻撃をしやすい縦拳のスナップも利かせやすいのです。


先生は空手の話をされるとき目が急に輝きだすのですが、その事は他の先生のホームページにも書かれています。

空手が好きで好きでたまらなかった先生ですが、これからもお元気でありますように。


                                      出来の悪い一弟子 記



最後に、先生のホームページにある先生の娘さんが書かれた記述のコピーを転載させていただきます。

父の記憶





子どもの頃の私の記憶に残る父は、好奇心に満ちた眼を持った表情豊かな人でした。いたずら好きでもあって、パチンコやさんに行った時、隣の台の人のキャラメルを食べたけど、お父さんの顔が怖くて文句を言わなかったよ、と楽しそうに自慢げに家族に話していたことがありました。





本を読むのが好きだったので、私にもよく本を買ってくれましたが、今思うとほとんどが男の子向きのだったような気がします「長島選手ものがたり」「月光仮面」「世界の不思議」「世界偉人伝」などでした。中でも父の好きなトロイの遺跡で知られるシュリーマンや、世界共通語をつくったザメンホフが収録されている世界偉人伝はぜひ読ませたかった本だったようです。薄い青に銀がまぶしてあるような大人っぽい表紙のシリーズの偉人全集を読み、私は野口英世、キュリー夫人、ライト兄弟などの内容にも感激しました。





少年期に結核で数年療養していたことがあって、読書はその頃に身についた習慣のようでした。私が学生時代にプロレタリア文学の小林多喜二のはなしをしたことがあったのですが、父は代表的な作家以外の黒島伝治も読んでいたようで、その読書量におどろかされたものでした。





海外との関わり





どのような経緯かは知らないのですが、アメリカの豪華客船の機関士だったリチャードさんという方に空手を教えていたことがありました。月に1回くらい横浜の港に船が停泊して、その間に教えに行くのです。


リチャードさんが来るという知らせがあると我が家は華やぎました。私は父が話す船の中でのできごと、ものすごく大きなカップで船員さんがミルクを飲んだとか、食事にこんな大きなお肉が出たとか、クリームがのったアップルパイがおいしかったという、たあいないエピソードが楽しかったから。そして、母にしてみれば、リチャードさんからいただくお礼は当時借りていた家のひと月分の家賃と同じだったから安堵感から明るい気分になったのでしょう。





また、仲のよかった異母兄弟の兄がシカゴにいたこともあって、アメリカに親しみを持っていたのかもしれません。幼い頃にははなればなれになったお兄さんは変わり者だが物欲のあまりない人だったと聞いています。姪の私を含む三人姉妹にもいろんな贈り物をくれました。美しいディズニーの絵本、おしゃれな箱に入ったチョコレート、クラッシックレコード、様々な本。そして、学費も出してくれました。





10年以上前に東京で開かれた世界大会の時だったか、武道館で、私とはずっと遠い席にいた父が外国の方とはなしをしているようだったので、何語かなぁと不思議に思って、そばに行ってみると、お互いに自分の国の言葉ではなしていて、身振りその他で、空手の話が通じているようで楽しげでした。





いろいろな方の協力もあったのだと思いますが、70歳を過ぎた頃から海外との交流が増えました。それには、日本に来た折に稽古場として道場を提供してくださるお弟子さんもいたし、姉や妹が連絡役をしてくれることも大きな力となったのだと考えます。





晩年





私は大学に行く頃から、同じ年代のほとんどの人がそうであるように自分の事で忙しくなってしまって、父との接触は少なくなりました。父が80歳を過ぎて体力が弱り、病院に同行することなどがあってふたたび話をする機会ができました。





また、気をつかわないですむ自分の娘だったので、雑誌に載せる空手の写真をたのまれました。練習の段階で私がシャッターを切ると「まだ、練習だと言っただろう、本番じゃない!」と言われたりしましたが、私にしてみれば練習だろうが、本番だろうが良いのを撮りたいわけで、そこらへんはなかなか理解してもらえませんでした。いずれにしても、道場に入るのはものすごく久しぶりで、なつかしくもあり、撮影後、お弟子さんたちと道場の床にすわってお茶を飲んだりするのは新鮮で楽しい思いでになりました。





数年前のこと、私が実家に行った折、玄関にたくさんの赤いバラが飾ってありました。母に聞くと、父が吉野さんのお父様に50年くらい前に借りたお金を返したら、昔のことだからと、お返しにバラを贈ってくださったとうれしそうにしてました。吉野さん(現、医学博士)は学生時代によく我が家に3〜4人で遊びにきていました。医学部の学生さんだったためか、私の体が小さいので、「4歳?」と聞くのです。私が憤慨して6歳だと言うのがおもしろいらしくて、しばしば同じことを言って遊んでいました。





2004年に出版記念パーティーを行い、その挨拶のスピーチで父が「今度、もしまた本が出たら、


こんどは無料で皆を招待する」と言いました。実際に2007年に本が出ることになり、そのことが親子で気になりはじめました。でも高齢となった父が実際に動くことはもう無理だったので、娘三人で実行してあげようということになりました。





何人くらいのパーテイーにするかが問題でしたが、120人に決めました。父が宛名を自筆にしたいというので、発送するまでにとても時間がかかってしまいました。発送後、自分には招待状はこなかったが、参加したいという連絡をくれた方がいて結局は160人になってしまいました。





パーティーの日の2週間前になって、父が「あの会場で160人も入るのか?」と聞くのでとても心配になりました。考えてみると、参加者の90%は体育会系の男性です。なんとなく会場からはみでそうな印象です。当日になってみると、すきまがなくテーブルにも皆近いためか、お料理もよく食べてくださって、にぎやかでした。当然のことながら、空手事情のわからない娘三人ではパーティーの実施には無理があり、研修会のメンバーが一生懸命ささえてくださいました。海外からも10人近くのお客さんが来てくださいましたが、これは英語の堪能な姉と妹の活躍のおかげです。





写真について





想い出のページに載せた写真は2007年のパーティーで記念品としてさしあげたDVDに入れたのが多くなっています。父も古い写真を見つけるのはたいへんだったようですが私も小さなプリントからのスキャンやカビが着いてる写真の修正に苦労しました。





写真というのは不思議です。小さな一枚なのに、それを見ると、様々のことをリアルに思いださせてくれます。写真を見てもっとも驚かされたのは、何人かで写した集団の中のひとりとして、画面に収まっていても、それはとてもその人個人の特性が写しだされていることでした。私がまじめな人だなぁと感じていたお弟子さんはやはり堅い表情で、いつも楽しそうな雰囲気だったお弟子さんは笑顔がこぼれるように写っていました。





父と藤本さんが演武をしている写真は、実家に長く、おそらく40年以上も飾られていて、私も数えきれないほど眼にした写真です。ここであらためて見ると、これはどちらかというと藤本さんがメインで写されたようにも見受けられる写真です。なぜ、それを不思議とも思わず、ひじょうに長いこと飾られているのでしょうか。それは、写真の重要な要素、一瞬見ただけで、その時の感情がもどってくる、ということではないでしょうか。たぶん、父はその写真が撮られた日に、たとえることができないほどの充実感を得たのだと想像します。自分の道場に来ていた優秀なお弟子さんとの演武は、将来の方向性を示唆するものだったのかもしれません。





印象に残る写真の一枚に大山さんとの対談のシーンがあります。この時の大山さんの笑顔はとてもすてきです。ここまで来たことの充実感とこれからへの豊富を語る青年らしさが残っている。実際にお会いしたことはないのですが、どんな人であったかが伝わってきます。





有倫館時代の8人の記念写真も好きです。後ろ見える家もまだ戦後の貧しさが残っていて、東京なのにどことなく荒れ地のようです。でも写っている門下生の方々は清々しく凛とした印象です。





2007年のパーティーの後でお弟子さんたちといっしょに父が写っている写真も私のおきにいりのひとつです。少し腰の曲がった父を真ん中にして懐かしい何人かといっしょです。これを見ると私は安心します。気難しいところがあって、あつかいにくい父をお弟子さんたちはありのままに受け入れ、たいせつにしてくださっていたのだということが伝わってくるからです。





                             写真家 詩人 金城 真喜子
















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