たーさんの世界(意地悪じーさん)

ようこそ たーさん珈琲へ。
この珈琲は見るだけですのでお代は要りません。

おりこうさん♪

2018年07月31日 | Weblog
三泊四日の沖縄旅行に行く孫達(四歳七ヶ月と二歳8ヶ月)に其々、女房の発案で硬貨で千円ずつ持たせたのですが、今日娘に聞いたら、二人とも四百円位残したらしい。

思ったより堅実な孫達に、おりこうさんと言ってあげたい。

此れからは孫達に、お金の大切さを教えてあげたい。


売国安倍晋三内閣の本音を見たり

2018年07月29日 | Weblog
自民党の杉田水脈の【生産性発言】は、僕は何も彼女だけの感覚とは思いません。

安倍晋三内閣の働き方改革も、国民を単なる生産の道具としか見ていない感覚の結果だと思います。

自民党内に、常々この様な国民に対する見方が有るので、杉田議員は本音をつい漏らしたと思います。


アメリカの言いなり内閣は、直ちに辞職せよ‼️



細やかな幸せ

2018年07月29日 | Weblog
娘一家が沖縄旅行に行っていて、その写真を送ってくれました。

孫達も娘達も楽しい夏の沖縄旅行を楽しんでいる様子で、それを聞いた僕達も幸せのお裾分けを味わいました。

父親は仕事で帰りが遅いので、孫達はこの機会にパパやママに目一杯甘えている様です。


最近、お姉ちゃんの自覚を持った孫娘



いかにも悪戯っ子みたいな顔つきの、でも、いつもママを探す甘えん坊の孫息子



ジイちゃんとアーちゃんは、この幸せが長く続く様に祈っています。


来月は僕達も一緒に、山梨県迄ブドウ狩りに行きます。

ジイちゃんも、元気で仕事をします。


あなたはどっち?

2018年07月28日 | Weblog
あなたはテレビ派ですか、それともラジオ派ですか?

僕はラジオ派です。

ではラジオが好きな理由を書きます。

先ずラジオのテレビよりも優れている点は、目を閉じていても十分に楽しめる事です。

次は、最近のテレビは安く作ろう(NHKを除く)とする魂胆がミエミエで、内容がとても浅く感じるのに対して、ラジオはテレビに無い良い面を出そうとして、聴いている者を十分に楽しまさせてくれます。


明日のメニュー

2018年07月28日 | Weblog
僕は休みの日は、麺類を食べる事が多いです。

かた焼きそば、蕎麦、ラーメン 等ですが、明日も麺類主体で行きます。

朝はかた焼きそば(あんかけの具は、豚肉とモヤシとキャベツ)、昼はひやむぎで行こうと思います。

しかし夜は、たんぱく質(豚肉)と野菜で行きます。


ときめき

2018年07月28日 | Weblog
人は年を取れば取る程【ときめき】が無くなり、時間が過ぎるのが早く感じる様です。

それに対して子供は、食事一つを取っても美味しいとか作ってみたいとかいろんな事を思うので、時が経つのが遅く感じる様です。

我々高齢者は限られた月日を漫然と過ごせば、命の終演を早く体験する様な感覚に陥るのでは無かろうかと思います。

ですから年を取れば取る程、何かにときめく機会を沢山持つべきだと思います。

作家の渡辺淳一さんは高齢者の恋愛を積極的に肯定する人でしたが、彼のそうした考え方は、今の僕の年代には何かのヒントを与えている様に思います。

僕が言いたい事は、恋愛だけでなく、食事や景色そして芸術や生き甲斐等に積極的に接する事により、そこからときめいた刺激を受ける事で、精神的或いは肉体的な若さを維持する事が大切だと思います。

若大将の加山雄三さんがあんなに若く見えるのは、あの人はいろんな事にときめいているせいでは無かろうかと思います。



僕は、自分は老人だからとか、年を取ったからとか言う様な、自己弁護的な言葉は使いたくありません。

むしろ、人生経験を積んだ渋さを前面に出して、此れからもいろんな事に挑戦したいと思います。

今頃きっと

2018年07月28日 | Weblog
娘家族一家は今は沖縄ですが、孫達は渡した大金(100円硬貨を10枚ずつ)を握りしめ、その自由に使えるお金で、ジュースを買ったりガチャガチャで遊んでいるカモ知れません。

この硬貨を渡す発案は女房の発案ですが、お金の使い方を教えるにはグッドアイデアだと感心します。

千円ばかりのお金では残す事は無いと思いますが、二歳や四歳の子供には、きっと大金なんだと思います。

(お金は)使えば無くなる、無計画に使えば直ぐに無くなるという、生きた体験教材だと思います。

出来る時期に出来る事を

2018年07月26日 | Weblog
叔父の葬儀に参列して思った事は、人間は死んでしまえば全てが終わる事を痛感しました。

その様な事は誰もが思うし、自分自身も昔から思う事です。

叔父の亡骸を火葬にして、残った骨を見た時、今回の火葬に関わらず、残ったモノは骨とその灰でしかなく、生前の叔父の面影は全く存在しませんでした。

しかし叔父が残したモノは、あらゆるモノや場所、そして家族や親族や周囲の人間に影響を与えたと思います。


その痕跡が多ければ多い程、その人が生きた証が確かなモノになります。

叔父の場合は片田舎の百姓では有りますが、生涯百姓として亡くなる直前迄仕事をして、又、集落の伝統芸能の伝承にも一役買い、名は無くとも立派な生涯を閉じました。

目を閉じれば眼光鋭く、背筋をピンと伸ばした叔父の姿が浮かびますが、僕も命のある限り、やらねばならない事はやり通したいと思います。

最近思う事

2018年07月25日 | Weblog
最近、よく父の事を思います。

未曾有の土石流災害(昭和36年)で自宅が床上浸水をして、床下が流れ込んだ土砂で埋まりましたが、親戚の人達(亡くなった叔父も含む)にも手伝って貰いながら、父は必死の思いで宅地の土砂を片付けた事。

医師に止められても晩酌を欠かさなかった事。

幼い頃に芸者の席に連れて行ってくれた事。

植物をこよなく愛した事。

ラーメンを食べさせてくれた事。

父が作ってくれた雪ゾリの事。

家の全ての責任を果たして逝った父。

確かに改めて欲しい面も有りましたが、それも人間的ではなかったかと思います。

93才の叔父逝く

2018年07月25日 | Weblog
生涯を百姓で通して、亡くなる2日前迄農作業をしていた93才になる叔父が、軽い体調の不良をを訴えた翌日の朝に、急性心不全で亡くなりました。

叔父は背筋はピンと伸ばし、毎晩の晩酌を欠かさなかったのですが、さすがに亡くなる前日は、大好きな晩酌をしなかったとの事でした。

良く働いた叔父は、長生きと安楽死を、きっと仏様から頂いたのだと思います。



今日は通夜で明日は葬式ですので此れから叔父に会いに行きますが、今まで世話になったお礼を心の中で仏様に言います。