たーさんの世界(意地悪じーさん)

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死刑制度賛成

2018年12月31日 | Weblog
死刑の場に立ち会う教かい師が加害者にも目を向けてとの記事が目に入りましたが、確かに死刑を執行された死刑囚の中には、人としての気持ちを取り戻した人もいるとは思います。

しかしその前に忘れてはならない事は、何の罪も無いのに、残忍かつ冷酷な方法で殺害された被害者の無念さです。

人は大人になれば、自己責任の中で生きています。

己がした事に対しては責任を持たねばなりませんが、私利私欲の為に全く罪の無い人を非情で残忍な方法で殺害した人間は、やはり被害者の立場で裁かれるのは当然な事です。

自分がやってしまった事を、後でどんなに悔いても遅いのです。

人は権利と義務化をきちんと自覚すべきです。

韓国人国民性

2018年12月30日 | Weblog
僕が思うに、韓国人は劣等感の塊みたいな国民性をしていると思います。

立場の強い相手にはヘツライ、自分たちが少しでも優位に立つと、態度をコロッと変えて大きな態度を取るのが韓国人だと思います。

一番最たるモノは、韓国大統領が職を終えると、今までヘツラッていた国民が、寄ってたかって世話になった大統領を逮捕したり、自殺に追い込む事実です。

日本が韓国を近代化させている最中は、韓国は日本と一緒になってアメリカと戦いましたが、いざ日本が戦争に負けたとたんに、韓国は態度をコロッと変えて、日本からお金をせしめようと、いまだにその態度を取り続けています。

又、日本の技術で韓国も工業化が進むと、韓国のその国民性が益々日本に対してひどくなりました。

韓国人は信用出来ない国民ですね。

のしを着けて返すゼ

2018年12月30日 | Weblog
レーダー映像公開「安倍首相は汚い」 韓国与野党が批判
ソウル=牧野愛博2018年12月30日12時24分


海上自衛隊のP1哨戒機が韓国海軍艦艇から射撃用の火器管制レーダーを受けたとされる問題で、防衛省が公開した映像の一部。字幕付きの編集をしている(防衛省提供)
 海上自衛隊のP1哨戒機が韓国海軍艦艇から射撃用の火器管制レーダーを受けたとされる問題で、韓国の与野党は29日、日本政府の対応の背景には、安倍政権が問題を政治利用する意図があるとする論評を相次いで発表した。

レーダー照射、沈静化図る韓国 抗議非公表、日本に求め

 与党「共に民主党」は29日付の論評で「日本メディアは、最近支持率が落ちている安倍晋三首相が反韓感情を刺激して、保守層を結集しようとする汚いやり方で(問題となった現場の)映像を公開したと報道した」と主張。「不純な意図を持って安保を脅かす日本政府」と批判した。

 野党「正しい未来党」も同日付の論評で、映像公開について「安倍首相が韓日間の軍事問題を国内政治に利用しようとしている」と批判し、「安倍首相は真実の究明よりも、政治攻撃に集中する姿勢を即刻やめるべきだ」と主張した。(ソウル=牧野愛博)


汚いのは韓国ですので、我々日本人としてはそのままノシを着けてお返しする。

まあ韓国とは、付き合わないのが懸命でしょうね。

義理も恩も感じない韓国は、中国の属国になるまで日本の有り難みが分からないでしょうね。

韓国は民度が低すぎる。

共感記事

2018年12月30日 | Weblog
スマホで共感出来る記事が有ったので、ご紹介します。




こんにちは,ひなたパパです。

45歳,低学歴(専門卒)で万年係長の私ですが,2018年,ついにサラリーマンの目標である1000万円を突破しました。


40歳~45歳くらいの方は,バブル崩壊後の厳しい氷河期時代に就職を余儀なくされました。

また,正社員として雇用されなかった多くの人が,就職後も理不尽な処遇であったと思われます。

私の就職活動も大変で,当時,中堅の地場企業であるにも係わらず,倍率100倍という狭き門でした。(現在は大企業並みに成長しました)

私は,高校生のときからシステム開発に興味があり,進学は大学ではなく情報処理系の専門学校に入学しました。

経済学部にも興味がありましたが「手に職を身につけるべき」と大学進学をやめ,専門学校の道を選びました。

専門学校に入学してからは,情報処理国家資格や日商簿記検定1級を取得するなど,就職を有利にするための努力をしました。

資格だけでは入社は難しく,学校生活で何をしてきたか?といったことも問われるため,学校生活でもあらゆる活動に参加しました。

例えば,学園祭の実行委員,サークル活動,卒業記念パーティーの実行委員などです。

このような活動が認められ,卒業式では代表者として答辞も述べました。


高校生時代の私は,勉強の類は全くせず,友達や彼女と遊び呆けていました。

それこそ,授業が終わると部活や彼女とのデートを楽しみ,その帰りに友人宅で遊ぶ,といった生活です。

模試や期末テストといったことがあっても,友達と遊んでばかりいましたので,教科書も学校に置きっぱなし,参もほとんど買った記憶がありません。

結局,自分の興味がない勉強は退屈かつ苦痛なだけで,親も放任主義であったため自由に生きてきたのです。

ですが,真剣に将来のことを考える時期が来ると,一念発起して,専門学校では勉強にも全力投球しました。

専門学校時代は,好きな分野の勉強であるということ,そして大好きなシステム開発が出来る会社に入社したいとの思いから,猛勉強しました。

勉強に加えて色々な活動に対してアクティブに参加していたことを,今思い出しても,よくあれだけの活動が出来たものだと自分自身で感心してしまいます。



入社した際,面接官とお話する機会があったのですが,100倍という倍率で私を選んだ理由は,「多くの国家試験を取得していたこと」ではありませんでした。

入社試験では,「学校生活で何をしてきたか?」という作文を書くことが求められたのですが,先の述べた通り,学園祭,サークル活動,卒業パーティー運営などの経験が,面接官の心に響いたようです。

2000人が受験した中で,面接官は私の作文に興味を惹かれ,印象に残ったというのです。

結局,入社できたのはたったの20人でした。

当時の面接官は「好きなことに夢中になれる人は,将来絶対に成長する」と確信めいたものをもたれており,私の書いた作文に滲み出た信念の強さを買ってくれたのです。


日本は,当時も今も変わらず,結局は学歴主義なところが多く,どんなに業績をあげても評価されること難しいです。

ですが私は,「役職よりもお客様に喜んでもらえるシステムを作り続けたい」と,入社後もあらゆる勉強をしました。

IT系の方であれば,その難易度はお分かりかと思いますが,プロジェクトマネージャー,システム監査技術者,ITストラテジストといった最難関の国家資格を取得しました。

ITSSレベル認定では,実務レベルで国内最高レベルに認定されています。



「資格を取得している=仕事ができる」という法則は成り立たないとよく言われますが,私は違うと考えています。

どんな仕事も,知識の土台は必要であり,その分野の国家資格なりベンダー資格は取得しておく必要があります。

そのうえで,どう業務に活かすかが重要なのです。

システム開発の場で,「俺は現場でノウハウを培う」といった人がいます。

自分の経験で偶然上手くいったやり方だけで進め,世間の動向を積極的にインプットすることをしません。

このような勉強をしない人は,改善や効率化,新技術といった新しい壁にぶつかると,役に立たない人が大半です。

中には,天才肌で勉強することもなく,いとも簡単にそれを達成することができる人がいます。

ですが,大半は凡人ですから,努力しなければ壁を打ち破ることなぞできやしないのです。



今私は,国内でも前例のないシステム開発にチャレンジしています。

役職は係長ですが,「好きなことを夢中に頑張る」「お客様にとって喜ばれるものを作る」という信念で,会社からは成果について高く評価を頂いています。

このプロジェクトが終われば,課長への昇進も打診されています。

そうなると,私の会社では仕事が楽になる(毎日定時退社)うえ,年収は数百万円単位であがります。(IT業界は管理業務の課長より,モノ作りの現場が忙しいことが多い)

ただ,課長という役職は,私から見ると雑務が多く,魅力のある役職ではありません。

私は,お客様と一緒にモノ作りの現場を楽しみたいのです。

それ以外にも,外資系の会社から引き抜きの打診があり,この場合,年収は倍以上になります。

ですが,私は,自分が好きなことにチャレンジさせてくれる今の会社の風土が大好きです。

大好きな仕事をして年収1,000万円なのか,あまり好きではない仕事をして2,000万円の年収を得るのかでは,私は前者を選びたいです。

妻にも相談を多々するのですが,「好きなことを仕事に選ぶのが良い」の一言です。

年収2000万円以上もらったとしても,好きでもない仕事をするために,残業しまくりのブラックな企業で働く必要はないといってくれています。(外資は大抵ブラック企業)



低学歴で出世できないとか,高学歴は有利,職場の仕事が面白くない,給料があがらないといった不満を抱えている人は多くいると思います。

ただ,現状に嘆いているだけでは何も改善されることはありません。

自分が何をしたいのか?を真剣に考え,あきらめずにチャレンジする精神が必要だと思います。

並大抵の努力では,自分のやりたいこと,希望する年収を達成することはできません。

ですが,長い人生,いくらでもチャレンジする機会はあるので,前向きに取り組んでみてはいかがでしょうか?

自ずと結果はついてくると信じています。

現在の私の目標は,今の会社で売上げ,収益向上に貢献し,大好きな会社で年収2,000万円貰える人材になることです♪



これぞプロの考え方です。

僕も若い頃は、この記事の方と同じ様な考え方でしたが、来年で68歳になる僕は、ここまでの闘志は残念ながらありませんが、気持ちだけはマダマダ持ち続けています。

この記事を書いた人の気持ちは、僕にも痛い程解ります。

彼が年収に拘るのはお金の亡者ではなく、自分の実力を計るバロメーターが年収なんです。

僕も最低75歳迄は、金額は少なくても年収に拘ります。

元気に働ける事が、一番の幸せなんです。

来年も前を向いて歩きます。





帰省

2018年12月30日 | Weblog
今日はこれから、愛犬を連れて女房の実家に帰省します。

田舎には少し用事も有りますが、二日には我が家に戻る予です。

少しノンビリします。

皆さんも良いお歳をお迎え下さい。

来年も、この下手なブログを覗いて下さいね。

心残りの事

2018年12月29日 | Weblog
酒が好きだった父は亡くなる病院のベッドで、アルコールの匂いだけでも嗅ぎたいと言った。

しかし病院内でアルコールを父に飲ませる訳にはいかないので、もう少し我慢する様に父に諭しましたが、父はアルコールの匂いを嗅がないまま旅立ちました。

僕は今でもその事が心残りです。

どうせ短い命であるなら、父の願いを叶えてあげたかった。


父は本当に酒が好きでした。



母に対しては、優しい言葉をかけないまま旅立たせた事です。

まさか母がその日に亡くなるとは思わなかったので、昼ご飯を食べさせそのまま家に戻ってしまったのです。

お母さん、ごめんなさい。


ただ救いは、祖母にはお別れの言葉を言えた事です。

息だけしている祖母に、『おばあさん、もう頑張らなくて良いから、米夫(祖父の名前)の所に早く行って下さい。おばあさんが作ってくれた草餅は美味しかったよ。』と耳元で囁くと、おばあさんは急に腕を上げてうめき声で返事をしました。

おばあさんは、その日に息を引き取りました。

今夜は両親と祖母を思い出しながら寝ます。

これを読まれた皆様は気持ちが沈む内容かも知れませんが、僕には愛する家族の気持ちに触れられる、とても幸せなひとときなんです。





今年一年を振り返る

2018年12月29日 | Weblog
今年は風邪も引かず、元気に過ごせた事が先ず大きい。

岩手の会社は辞めましたが、その代わりに名古屋で働けました。

此れからも働ける様にフォークリフトの免許を取得しましたが、此は大きな武器になりそうです。

僕の年齢で本業と違う職種に馴染むのは難しいですが、今迄いろんな人や現場と接触して来る為か、自分なりに巧く切り抜けられそうです。

孫との会話が交わせる事が大きな楽しみになり、昨日も孫達と遊びました。

今は転職活動をしていますが、来年も家族や孫子達も含めて、皆が元気に過ごせます様に。




67才のトラバーユ(逞しく生きる僕)

2018年12月26日 | Weblog
当りを着けたトラバーユ先の、先方の電話での対応に引きを感じました。

面接は相手の会社が明日で業務が終わるので、来年早々の4日に決まりました。

しかも面接は派遣会社ではなく仕事先で行う様で、履歴書とリフトの免許証を持って来る様に言われました。

条件は時間給も保険も交通費も今までと同じ様で、しかも地下鉄の通勤可能も同じです。(むしろ通勤時間は短くなる)

後は双方が納得すればです。

決まれば今の派遣会社は辞めて、次に移るつもりです。

派遣社員はクビを簡単に切られても文句を言えない立場ですが、反対に此方も簡単に辞める事が出来るのですが、今の担当者の立場を考えて、新しい処が決まれば、医師の診断書(一週間の加療を要す程度)を添えて退職を申し出ます。


筋書き通りに巧く行く事を願います。



世の中簡単。


今から職探し開始

2018年12月26日 | Weblog
来年の二月で現在の派遣先が無くなり、雇用先の派遣会社も僕の仕事を探しているとは言ってくれてはいますが、やはり年齢も年齢でその時にならないと分からないので、自分も探す準備を始めました。

物流のフォークリフトマンやシルバー人材センターならない大丈夫でしょうが、やはり其は最後の砦と考えて探しています。

現在の処脈がありそうな会社が二件有り、一件は今と同じ様な条件の仕事と報酬で通勤出来る先と、もう一件は大手建築会社の市内のマンションの管理人で、来年の三月からの仕事です。

後者の条件等は未だ分かりませんが、条件さえ合えば、どちらかと言えば此方の方が、変な人間関係で悩むよりも楽で長続きしそうだと思います。(73歳迄働けるので)

何れにしても、後一ヶ月か二ヶ月で探します。


フォークリフトの仕事も、馴れれば案外楽なんです。

73才位迄働いたら、後はシルバー人材センターの仕事で行きます。

松ちゃんの土木の方は、あまり当てにしないで待つことにしました。(あくまでも夢で良い)

2018年12月25日 | Weblog
今夜、夢を見ました。

親父とお袋が、別々に出て来ました。

親父とは少し長く会話をしましたが、お袋とは簡単な会話でした。

そう言えば、お袋が亡くなって久しいですが、お袋を想って涙が出る事がいつしか無くなりました。

でも、お袋のありがたさは今も忘れません。




ブログを書いていると、チワワのミーちゃんが、今僕の布団の中に入って来ました。