創世記 49章
外に出ると少しばかり熱気を感じたのは、今年初めて。春から夏への変化を感じさせます。
本章は、ヤコブが12人の子どもたちを祝福することばが記されています。28節に「それぞれにふさわしい祝福を与えた」とあります。
父ヤコブのこれらのことばは、父親として子どもたちをずっと見続けた結果としてのものではなくて、神がヤコブを通して彼らに与えられた祝福です。
ある方は、ヤコブによる祝福には二つの山があり、前半の山はユダで後半はヨセフだと書いていました。ユダは上の三人が罪を犯したために、兄弟たちのリーダーになります。「王権はユダを離れず、王笏はその足の間を離れない」ということばが目に留まります。
やがてイスラエルが王を持つようになった時、ダビデ以降はユダ部族から王が選ばれていきます。さらには、救い主としてこの世に来られた神の御子イエスは、ダビデの子孫の一人として生まれます。
そしてヨセフ。ヨセフへの祝福のことばの特徴は豊かさ。収穫の豊かさ、自然の豊かさを子孫たちは享受するのです。
目に留まるのは、18節のことば。ヤコブは子どもたちへの祝福のことばの合間に、突然祈りのことばを加えています。「主よ、私はあなたの救いを待ち望む。」これは子どもたちへの父親としての祈りか、あるいはすぐ前のダンへのことばで「かかと」を用いた時、かつての自分の罪を思い出したのかもしれません。「ヤコブ」の名前は「かかと」と関係があるからです。
いずれにしても、「私はあなたの救いを待ち望む」はヤコブだけでなく、私たちになくてならない祈りのことばです。何かを進めている時に突然神の救いを求める、このようなことは私に必要なのだということに気づかせることばです。