みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

大バビロンを忘れず

2017年12月12日 | ヨハネの黙示録

ヨハネの黙示録 16章12−21節

 日曜日に降った雪は、翌日の雨でほとんど消えてしまいました。もう少し余韻を…という気持ちと、これで自動車も歩行者も自転車も助かる…という気持ちとが入り混じりました。日中雨が降っていましたので、気温もいつもよりも高めでした。

 16章後半では、第六の御使いと第七の御使いがそれぞれ持っていた神の憤りが詰まった鉢を注ぎだして何が起こったのか、とヨハネが見た幻が明らかにされます。第六の御使いは鉢の中身を大河ユーフラテスに注ぎました。すると水は枯れ、日の昇る方から来る王たちの道を備えることとなったのです。

 ローマ帝国が「世界」を治めていた頃、ユーフラテス側は東の国境、境界線でした。この川が東側の強固な防衛線になっていたとも言えます。けれども、その川の水が枯れるのです。そして、東の王たちがハルマゲドンを目指します。王たちをそそのかすのは、竜、獣、偽預言者の口から出て来る三つの汚れた霊です。彼らは王たちをそそのかして大いなる戦いの場へと向かわせるのです。

 第七の御使いは、鉢の中身を空中に注ぎます。すると、稲妻、雷鳴、かつてないほどの大地震が起こり、不動不滅だとされていたあの「大バビロン」が三つに裂けるのです。ヨハネの黙示録が何度も言及する「大バビロン」とはどこを指すのでしょうか。直接には1世紀の後半に「世界」を治めていたローマを指しています。それとともに、このことばは、今に至るまで、またこれから先も、この地上の経済的に繁栄する国家や社会を、そして、それによる享楽と快楽に浸るという欲望を含めてのことばだと考えられます。

 力や富を手にすると、人は傲慢になります。なんでもできるのだと錯覚します。この繁栄や力はいつまでも続くと錯覚します。けれども、続かないのです。大いに揺さぶられて引き裂かれるのです。

 それにしても、大バビロンの誘惑は魅力的であり、キリストにある者たちにも容赦なく襲いかかります。そのような中での15節の子羊のことばが、子羊の印を額に押された者たちの戒めであり、希望なのです。


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