強行日程でしたが地元のエースが参加した豊橋記念の決勝。並びは岡田ー山下ー堀の関東,深谷には小野,稲垣には荒木ー高橋の南関東がマークし,阿竹は単騎。
前受けは深谷。阿竹が初手は3番手。4番手に岡田,7番手に稲垣で周回。稲垣が残り2周のホーム手前で上昇を開始すると岡田も併せるように出ていきホームでは3ラインが併走。まず岡田が前に出ると深谷は引き,バックでは稲垣が深谷に蓋。ここで阿竹が稲垣ラインの4番手に切り替えて打鐘。ようやく稲垣が発進し,阿竹まで出きって先行。岡田が5番手,深谷が8番手の一列棒状に。結果的に深谷は動けず,バックで3番手との車間を開けた阿竹が直線手前から踏み込むと外目を突き抜けて優勝。稲垣が2着に逃げ粘り,阿竹に乗るような形となった岡田が3着。
優勝した徳島の阿竹智史選手はこれが記念競輪初優勝。単騎戦を強いられ,個人的には苦戦するのではないかと思っていたのですが,うまく立ち回りました。4番手を確保して,バックでいつでも動いていかれる態勢を整えたことが勝因。単騎で気楽に戦えるという立場が味方した面もあるのかもしれませんが,これだけのレースができるなら,今後も注目の選手になったといえるのではないでしょうか。
アームバンドを装着してもらえましたから,採尿を終えるとすぐに食堂に向って昼食。診察の予約時間は午後2時半で,中央検査室での採血の検査が手早く終る場合には,総合内科での診察もそんなに待たされることはないというのが常であったのですが,この日は30分ほど待たなければならず,実際に診察が開始されたのは午後3時頃でした。ただ,僕はこの日は待たされることになるのではないかと事前から考えていました。というのも主治医であるМ先生のこの月での退職が決まっていまして,要するにМ先生の最後の診察日というのは,僕にだけ該当するものではなく,М先生を主治医としているすべての患者にとって同様であったからです。最後となれば今後のことに関して何らかの話がある方が普通で,その分だけ診察時間がいつもより長引くことが予想されたからです。
実際,この日は僕の診察のときにも,М先生の方から最後にいくつかの話がありました。
僕が入院することになったのが2009年の元旦。したがってⅠ型糖尿病を実際に発症したのはもっと前のこと。少なくとも2008年の12月には間違いなく発症していたものと思われます。糖尿病自体はⅠ型糖尿病であれⅡ型糖尿病であれ,あるいはその他のタイプであれ,不治の病であるという点で変わるところはありません。したがって,実際に問題となるのは糖尿病それ自体であるというよりは,糖尿病に伴って発症されるとされる合併症の方です。僕は今のところはそちらの方は心配しなければならないような状況には陥ってはいないわけですが,М先生の話によれば,この合併症の発症には,糖尿病を発症してからおよそ10年ほどの血糖値のコントロールがもっとも重要であるとのこと。僕はこの時点で発症してから3年半を迎えようとしていたわけで,そういう意味では最も重要といってもいい時期とのことでした。実はこの日のヘモグロビンA1cの値は7.4%と,昨年の11月の検査のときと同じ数値にまた悪化していました。この間はそれほどまで悪化しているとは思っていなかったので,この結果自体は僕には意外なものだったのですが,そういう点も含めて,注意が与えられたということだと思います。
前受けは深谷。阿竹が初手は3番手。4番手に岡田,7番手に稲垣で周回。稲垣が残り2周のホーム手前で上昇を開始すると岡田も併せるように出ていきホームでは3ラインが併走。まず岡田が前に出ると深谷は引き,バックでは稲垣が深谷に蓋。ここで阿竹が稲垣ラインの4番手に切り替えて打鐘。ようやく稲垣が発進し,阿竹まで出きって先行。岡田が5番手,深谷が8番手の一列棒状に。結果的に深谷は動けず,バックで3番手との車間を開けた阿竹が直線手前から踏み込むと外目を突き抜けて優勝。稲垣が2着に逃げ粘り,阿竹に乗るような形となった岡田が3着。
優勝した徳島の阿竹智史選手はこれが記念競輪初優勝。単騎戦を強いられ,個人的には苦戦するのではないかと思っていたのですが,うまく立ち回りました。4番手を確保して,バックでいつでも動いていかれる態勢を整えたことが勝因。単騎で気楽に戦えるという立場が味方した面もあるのかもしれませんが,これだけのレースができるなら,今後も注目の選手になったといえるのではないでしょうか。
アームバンドを装着してもらえましたから,採尿を終えるとすぐに食堂に向って昼食。診察の予約時間は午後2時半で,中央検査室での採血の検査が手早く終る場合には,総合内科での診察もそんなに待たされることはないというのが常であったのですが,この日は30分ほど待たなければならず,実際に診察が開始されたのは午後3時頃でした。ただ,僕はこの日は待たされることになるのではないかと事前から考えていました。というのも主治医であるМ先生のこの月での退職が決まっていまして,要するにМ先生の最後の診察日というのは,僕にだけ該当するものではなく,М先生を主治医としているすべての患者にとって同様であったからです。最後となれば今後のことに関して何らかの話がある方が普通で,その分だけ診察時間がいつもより長引くことが予想されたからです。
実際,この日は僕の診察のときにも,М先生の方から最後にいくつかの話がありました。
僕が入院することになったのが2009年の元旦。したがってⅠ型糖尿病を実際に発症したのはもっと前のこと。少なくとも2008年の12月には間違いなく発症していたものと思われます。糖尿病自体はⅠ型糖尿病であれⅡ型糖尿病であれ,あるいはその他のタイプであれ,不治の病であるという点で変わるところはありません。したがって,実際に問題となるのは糖尿病それ自体であるというよりは,糖尿病に伴って発症されるとされる合併症の方です。僕は今のところはそちらの方は心配しなければならないような状況には陥ってはいないわけですが,М先生の話によれば,この合併症の発症には,糖尿病を発症してからおよそ10年ほどの血糖値のコントロールがもっとも重要であるとのこと。僕はこの時点で発症してから3年半を迎えようとしていたわけで,そういう意味では最も重要といってもいい時期とのことでした。実はこの日のヘモグロビンA1cの値は7.4%と,昨年の11月の検査のときと同じ数値にまた悪化していました。この間はそれほどまで悪化しているとは思っていなかったので,この結果自体は僕には意外なものだったのですが,そういう点も含めて,注意が与えられたということだと思います。
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