スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典報知新聞社杯エーデルワイス賞&象徴的植物

2017-10-13 19:18:14 | 地方競馬
 昨晩の第20回エーデルワイス賞
 ラインギャラントとシャインカメリアは発馬後のダッシュが鈍く取り残されました。隊列にはなっていたものの,マサノスマイル,コスモウーノ,ジュンドリーム,アンジュキッス,ストロングハートの5頭が集団で先行。グラヴィオーラとウインジェルベーラの2頭が好位。ボーダレスガールとパキラパワーとリコーデリンジャーの3頭が中団。残りの各馬が後方。集団と集団の間だけ差が開くというレースでした。前半の600mは34秒5のハイペース。
 3コーナーを回って単独の先頭に立っていたのはコスモウーノ。ジュンドリームはここまでは2番手の外でついていかれましたがコーナーでは一杯になり,ストロングハートがさらに外から追い上げて2番手に。直線に入るとストロングハートの方が先頭に立ち,内目から追っていたグラヴィオーラが2頭の間を突こうとしましたが十分な進路がなくなったようでストロングハートの外に。差は詰まりましたがやはりそのロスは大きかったようで,先に抜け出したストロングハートが優勝。グラヴィオーラが半馬身差で2着。コスモウーノとパキラパワーが馬体を併せて激しく競り合うところ,大外を伸びたリコーデリンジャーが2頭を差して4馬身差の3着。パキラパワーが半馬身差の4着でコスモウーノはハナ差の5着。
 優勝したストロングハートは7月のデビュー戦を2秒1差で圧勝。いきなり臨んだフルールカップは4着でしたが続くリリーカップは優勝。前走のフローラルカップはJRAに遠征したコスモス賞で2着に入ったミスマンマミーアの2着でした。今年の北海道の2歳馬は近年になくJRAで好成績を収めていましたので,全体的なレベルは平年以上と推測されました。ここはJRAからの遠征馬にオープンでの実績を有する馬もいましたが,互角には戦えると考えられたところ。地の利の有利さもあり,北海道勢が上位を独占することになりました。不良馬場だったからでしょうがタイムもなかなかで,2歳馬としては水準以上の能力があると思われます。距離延長がプラスに働くとは思いませんが,その能力で克服することも可能ではないでしょうか。父はサウスヴィグラス。母の父は2000年にアンタレスステークス,2001年にアンタレスステークス,2002年に平安ステークス,2003年に平安ステークスとマーチステークスを勝ったスマートボーイ。ひとつ上の全姉に昨年のローレル賞を勝っている現役のアップトゥユー
 騎乗した北海道の阿部龍騎手はデビューから約5年半で重賞初制覇。管理している北海道の角川秀樹調教師は2015年の北海道2歳優駿以来となる重賞8勝目。第11回,12回,15回,18回に続き2年ぶりのエーデルワイス賞5勝目。

 『ゲーテとスピノザ主義』の第三章はシラーJohann Christoph Friedrich von Schillerが主題になっています。その第1節で,ゲーテJohann Wolfgang von Goetheとシラーの間のあるエピソードが紹介されています。
                                     
 1794年7月20日,自然学学会に出席したゲーテとシラーは,その学会の後,講演の内容について話し合いました。示し合わせていたわけではなく,偶然そうなったようです。そしてふたりは,自然Naturaを分解することなく,自然の全体的生命から各部門の研究に進むべきであるという見解において一致したとあります。これはスピノザ流にいうと,自然学の研究は帰納的ないしは分析的に行われるべきではなく,演繹的ないしは綜合的に行われるべきであるという見解で一致したと解釈できるかと思います。スピノザは方法論としては帰納法を斥け演繹法を採用します。これはロバート・ボイルRobert Boyleとの間の論争においてもスピノザが主張していることのひとつであるといえるでしょうから,とくに哲学的分野の方法論としていっているのではなく,自然学にも妥当しなければならないとスピノザが考えていたのは間違いないことだと僕は解します。当該部分ではスピノザについて何も記述されていませんが,この結論がスピノザの思想と親和性が高いのは間違いないと僕は考えます。ただし,この結論はゲーテがスピノザを知らなくても出てくる可能性がありますから,ゲーテのこの考え方がスピノザの影響下にあったとまでは僕はいいかねます。
 ゲーテとシラーは話をしながらシラーの家に到着しました。ふたりはまだ話し足りなかったようで,シラーはゲーテを家の中に招きます。このときにゲーテが植物のメタモルフォーゼについてシラーに語り,ゲーテ自身の経験から見出された原植物としての「象徴的植物」をゲーテはシラーの前でスケッチしてみせたとあります。「象徴的植物」という語から理解できるように,そういう植物が自然界のうちに現実的に存在したわけではありません。
 シラーはそれを見て,これは経験ではなくて理念であると言いました。対してゲーテは,それが経験であると解していたのですが,知らないうちに自分が理念を有し,それを目で見ているということは喜ばしいことだと答えたそうです。
コメント
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