スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

天皇賞(秋)&ふたつの観点

2017-10-29 19:13:05 | 中央競馬
 第156回天皇賞(秋)
 キタサンブラックは左によれるような発馬で遅れをとりました。外の方から押していったロードヴァンドールがハナを奪ってこの馬の先導に。2番手にサクラアンプルール。3番手はネオリアリズム,リアルスティール,ミッキーロケット,シャケトラの4頭。7番手にサトノクラウン,ヤマカツエース,ソウルスターリングの3頭。10番手にグレーターロンドン,レインボーライン,キタサンブラック,カデナ,ワンアンドオンリー,ステファノスの6頭。16番手にディサイファとマカヒキで最後尾にサトノアラジン。前半の1000mは64秒2のミドルペース。
 馬場の影響で外を回った馬と内を回った馬に分かれたので,とくに3コーナーを回ると各馬の位置が大きく変わりました。内を回ったのがグレーターロンドンとサトノクラウン。外を回ったのが逃げたロードヴァンドールで,サトノクラウンとロードヴァンドールの間を進んだのがサクラアンプルールでこの4頭は雁行。最内のグレーターロンドンが直線の入口では先頭に。キタサンブラックはコーナーではグレーターロンドンの直後を回って直線ではグレーターロンドンのさらに内から交わして先頭。追ってきたのはそれよりは外にいたサトノクラウン。最後はキタサンブラックが徐々に外に出てきたのでサトノクラウンはキタサンブラックの内に切り返して追いましたが,交わすには至らず,優勝はキタサンブラック。サトノクラウンはクビ差の2着。外から追い上げたレインボーラインが2馬身半差で3着。4着はここから5馬身の差がつきました。
 優勝したキタサンブラック天皇賞(春)以来の勝利で大レース6勝目。第153回も制していて天皇賞は3勝目。天皇賞(秋)は初勝利。この馬は精神的に落ち着いていれば大崩れすることはありません。発馬で明らかな不利があったのでひやりとはしましたが,その後の騎手のカバーが巧みであったといえるでしょう。長距離で良績を残していますから,2000mで2分08秒3というタフな馬場状態になったのは有利だったかもしれません。ただ,レコードが出るような馬場でも勝ち,今日のような極悪な馬場でも勝つというのは超一流馬の証明であるといえるかと思います。疲労は心配ですが,残りの2戦も落ち着いてレースに臨めればよい結果を出すことができるでしょう。父は2004年にスプリングステークスを勝ったブラックタイド。母の父はサクラバクシンオー
                                     
 騎乗した武豊騎手かしわ記念以来の大レース制覇。第100回,116回,120回,136回,138回に続き9年ぶりの天皇賞(秋)6勝目。第99回,101回,103回,105回,119回,133回,153回,155回を制しているので天皇賞は14勝目。管理している清水久詞調教師は天皇賞(春)以来の大レース制覇。天皇賞は3勝目で天皇賞(秋)は初勝利。大レースは6勝目。

 大槻はゲーテJohann Wolfgang von Goetheの思想の研究家であるという点も考慮しておく必要があります。大槻が研究者として『若きウェルテルの悩み』の抜粋された一節にスピノザの汎神論の影響があるというとき,それは研究者としての大槻が,ゲーテがそうスピノザの汎神論を解釈したと主張している可能性が残るからです。この場合には,確かに大槻がいうようなスピノザ受容がゲーテにあったのだとしたら,大槻は何も誤ったことを主張しているわけではなく,ゲーテの受容の仕方に問題があっただけだということになるからです。さらにいうと,そもそもゲーテと大槻では汎神論がどのようなことを意味しているのかという解釈に差があることすら考えられます。たとえばゲーテは神学者がスピノザの哲学を無神論と結び付けるための否定的な意味で汎神論を解していて,しかし大槻はそのようなことは考慮に入れず,単にフラットな意味で汎神論といっているのかもしれないからです。
 ですから,だれが過ちを犯しているのかということについては僕はあまり関心はありません。というより,だれも過ちを犯していないという可能性も排除することはありません。ただひとつだけ僕に確実であると思われるのは,『ゲーテとスピノザ主義』に抜粋されている『若きウェルテルの悩み』の一節は,スピノザの哲学とは相反する要素を有するであろうということです。なのでここからはこの点にだけ焦点を絞って,僕の考え方を説明していきます。
 抜粋されている手紙の中にウェルテルの,自分の姿に似せてぼくらをつくった全能者の現存,ぼくらを永遠の歓喜のうちにやさしくささえ保っていてくれる万物の父のいぶきを感ずる,という一文があります。なお,僕は新潮文庫版の高橋義孝の訳をそのままここに抜粋しました。大槻はおそらく自分で訳していて,文章の意味は同じですが,この文章とは訳し方が異なっています。
 この一文はスピノザの哲学とはまったく一致しません。これはふたつの観点からそういえます。ひとつは全能者すなわち神Deusがぼくらすなわち人間をつくったという観点で,これは神の観点です。もうひとつは人間が神に似せられてつくられたという人間の観点です。
コメント
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