スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

先生と呼ぶ理由&歯茎の傷

2015-04-28 19:25:35 | 歌・小説
 私は先生がKを頭文字で表現したことに批判的だと考えられます。一方,だから私は先生を本名で表現するわけでなく,先生と記しています。私にとってそれが自然であるというのがその理由になっています。
 私が先生と初めて関係をもつのは上三。先生が落とした眼鏡を拾う場面です。その翌日には一緒に泳ぎます。そして3日後,先生に,まだ鎌倉に長くいるつもりかと尋ねられて返答した後,「先生は」と聞き返します。これが最初に私が先生を呼ぶ場面。つまり私は最初から先生と呼び掛けていることになります。その晩,先生が宿泊している別荘を訪れたとき,先生と呼ばれることに苦笑するので,年長者に対する口癖だといって言い訳したとあります。
                         
 これは虚偽の混じった記述で,私には先生と呼ぶ確たる理由があったのだという見解を,石原千秋が『『こころ』大人になれなかった先生』という著書で示しています。確かに口癖であったのかもしれませんが,冒頭でその人を想起すると先生といいたくなるという主旨のことを私はいっていて,先生ということばに特別の意味があったとも理解できます。ですからいきなり先生と呼んだのに,何か別の理由があったというのは,読解としては成立するように僕は思います。
 私が先生に注目したのは,先生が西洋人を連れていたからでした。これは端的に,先生は英語を話すことができるという意味です。私はこのとき,高等学校の生徒でした。石原の説明だと,当時の高等学校に進学したのはおよそ250人にひとりといいますから,私はエリートだったことになります。そういうエリートにとって,西洋人は特別の存在であり得たと石原は指摘しています。というのはこの当時の学問は,外国語の習得が前提となっていたからです。
 要するに,エリートであった私には,西洋人を連れている先生もまたエリートであるに違いないと,容易に見破ることができたわけです。この当時の私にどの程度の語学力があったかは分かりませんが,会話は困難だったと仮定することは可能で,そうであるなら,先生に尊敬の念を抱いたとしても,不思議ではないでしょう。
 石原の読解が正しいかどうかは分かりません。ただ明らかに可能な読解であるとは思います。

 それではまた糖尿病共生記です。前回は昨年の11月初め,叔父が怪我で救急搬送されたところで終っていますから,そこから続けていきます。
 11月3日,月曜日。妹のピアノレッスン。月曜日ですがこの日は文化の日で祝日ですから,午後2時からでした。僕はこの日は日吉に行っていまして,帰ったのは午後4時40分頃。そのときにはレッスンは終了していましたし先生も帰った後でした。
 11月4日,火曜日。午前中に根岸駅に行く所用があり,ついでにI歯科に寄って,予約を入れてきました。
 11月5日,水曜日。母がI歯科に。予約は午前11時半。これはクリーニングのためなのですが,歯を磨くときに左下の奥歯に痛みを感じるようになっていたので,そのことも医師に伝えました。レントゲンで撮影し,抜歯した方がよいとのことになり,後日またそのために通院することになりました。僕はこの日は川崎。帰ったのは午後5時半頃。
 11月8日,土曜日。妹が通っている施設の近くでポレポレまつりというのがありました。妹の作業所も出店することになり,母とふたりで行きました。これは土曜出勤の扱いではありません。ふたりは午後2時前には帰ってきました。
 11月9日,日曜日。母と妹は美容院へ。午後1時の予約で帰ったのは午後3時20分頃。これは通常と比べると早めです。
 11月10日,月曜日。4日の午前中に予約を入れておいた歯科検診に。予約は午前11時半。右上の奥の裏側の歯茎に傷があるといわれました。何の痛みも感じていませんでしたから,大した傷ではなかったろうと思います。薬を塗るなどの処置もなく,1日か2日もすれば自然に治るだろうと言われました。はっきり分かりませんけど,このいい方からすると,傷はこの日の朝についたものであったのかもしれません。実際に何の問題も生じませんでした。僕は痛みを感じていたわけではありませんから,治ったというような感覚もありません。僕の知覚でいえば,何もなかったということになります。この日にI歯科に行かなければ,何も知ることはなかったでしょう。帰宅したのは午後12時45分頃。昼食を済ませて長者町へ。
コメント
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