スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

TCKディスタフ&喪服

2010-10-20 20:39:40 | 地方競馬
 笠松から2頭,兵庫から3頭の遠征馬を交えて争われた第7回TCKディスタフ
 やや注文をつけるような感じでエロージュの逃げ。枠入りをやや嫌がっていたハーミアもレースではスムーズに外の3,4番手。テイエムヨカドーを挟むようにザッハーマインが内の6番手。最初の800mは50秒7でこれは明らかなスローペース。
 ハーミアはよい手応えで外を上がっていき,直線入口では逃げるエロージュを射程圏に。楽なペースで逃げた筈のエロージュが意外に早くばてたこともあり一旦は先頭に立ちましたが,直線で外に持ち出されたザッハーマインの脚色がよく,ハーミアに抵抗を許さず2馬身半の差をつける快勝。ハーミアが2着で,ハーミアマークから一番外を伸びたテイエムヨカドーが3着。重賞級3頭による決着で,意外と配当がつけた感があります。
 優勝したザッハーマインは園田デビュー。その後JRAに移籍。そしてこれが船橋に転入しての初戦。園田時代の成績からJRAでももっと活躍できると個人的には思っていたのですが,1000万は勝ったとはいえそれほどでもありませんでした。ただ,牝馬同士であれば重賞でもいい勝負ができる筈の馬で,いきなりこの快勝ですから,これからがこの馬の真価を発揮する時期になるのではないかと思います。
 鞍上は大井の的場文男騎手で,3月のマイルグランプリ以来の南関東重賞制覇。管理することになったのは船橋の出川克己調教師で,このレースは両者ともに初勝利です。

 が死ぬことになれば,当然ながら通夜,葬式を執り行うことになります。そしてそのときはやはり当然ながら喪服を着るということになります。永久欠番になった友人や伯父をはじめとして,僕ももうこの年になっていますから,通夜や葬式,あるいは法事などに参列した回数は数知れずあり,喪服も持ってはいたのですが,それは厚手の冬用のものでした。もちろん夏に出席したこともあったわけですが,そう滅多にあることではありませんから,夏場でもそれを着用し続けていたわけです。
 だから僕もはじめは今回もそれでいいと単純に思っていました。しかしよく考えてみれば,この暑い盛りに父が死ぬということになれば,ただその通夜と葬式を夏場に行うということにとどまらず,来年以降の法事もまた暑い盛りに巡ってくるわけです。そう考えれば,これを機に夏用の喪服を用意しておいてもいいかなと考え直すようになったのです。父がまだ生きているうちから不謹慎な話だといわれればその通りではありますが,使うということはほぼ確定していましたので,時間があった8月2日の午後に横浜,というのは横浜駅周辺のことをここでは指しますが,出掛けて行って喪服を作りました。
 翌8月3日は午後に時間がとれましたので,みなと赤十字病院まで父の見舞いに行きました。といっても,僕が病院に到着することができたのは午後3時半前くらいだったでしょうか。母が妹を迎えに行く時間が迫っていまして,僕も一緒に行きましたので,父の側にいることができたのは20分弱くらいだったと思います。僕が着いたとき,父は眠っていました。わざわざ起こす必要もありませんからそのまま見守っていただけだったのですが,帰り際に父は目を覚ましまして,一言二言ですが話をしました。このときは本当にごく短いものでしたので,会話としては完全に成立しました。非常に他愛のない,挨拶程度のものではあったのですが,結果的にいいますとこれが父と僕との間に交わされた最後の会話ということになりました。母もそれで帰ったわけですから僕と同様。ただ,この日は父の一番下の姉,つまり父が最後の入院をしたときに来てくれた伯母と,父の長兄,こちらはみなと赤十字病院のО先生から父が横行結腸癌であることを告げられたときに同席してくれた伯父が見舞いに来ていまして,僕たちが去った後も残っていましたから,その後で何らかのことばが父の口から発せられたということはあったかもしれません。
コメント
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