スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ちょうさ賞&真偽

2008-10-03 20:07:27 | 競輪
 ちょうさって何だろうと思って調べたら,さぬき豊浜ちょうさ祭というのが来週末に開催。というわけで今日の観音寺記念の2日目優秀(動画)はちょうさ賞でした。
 前受けは石橋選手。渡部選手が中団で,後方から金子選手という周回。上昇した金子選手は残り2周のホームで一旦は渡部選手を牽制し,バックで石橋選手を叩きました。渡部選手が続いて,石橋選手はすんなり7番手に。しかし金子選手もなかなか駆ける素振りをみせなかったので,ホームから石橋選手が発進し,かまし先行。3番手の手島選手は離れ加減で,金子選手に入られそうでしたが,バックで追い上げ3番手を確保。渡部選手の捲りに合わせて金子選手も発進しましたが,時すでに遅く,逃げ切った石橋選手が1着。マークの渡辺選手がきわどく迫っての2着。3着も手島選手が確保し,東日本の上位独占となりました。
 勝った石橋慎太郎選手はここのところ力をつけてきたのか,あるいは好調なのでしょうか。今日もかまし先行でぴったりマークした渡辺選手の差し脚を凌ぎましたので,強かったといっていいと思います。金子選手に3番手に入られればあるいは違っていたかもしれず,手島選手が諦めずに追い上げてきてくれたのも味方になりました。

 正しいということは,一般的にはふたつの観点からいわれます。すなわち,それが真であるか偽であるかという観点と,それが善であるか悪であるかという観点です。そしてこれらは共に価値観であるといってよいでしょう。
 ところで,人間の精神による事物の表象というのは,すべからく混乱した観念です。すでに第二部定理四〇を詳細に考察することによって明らかなように,混乱した観念を原因として生じてくるいかなる観念も混乱した観念です。よって排尿の表象像,これは,現実的に考えれば,排尿という運動をしているある人間の身体の表象像といえますが,この表象像を原因として人間の精神のうちに生じるような一切の観念は,やはり混乱した観念であるということになります。よって,排尿という表象から連結して生じてくる観念は,各々の人間によって異なるわけですが,ここからどんな連結である観念が人間の精神のうちに生じようとも,それらはすべて混乱した観念ですから,少なくとも真と偽という観点から,正しい連結があるということはナンセンスであることになります。いい換えればそれはどんな連結であったとしても,つまり排尿の表象からどんな事柄を連想するのであっても,それらは一様に偽であるということになるでしょう。
 同じように,ある何らかの原因によって,人間の精神のうちに排尿の表象像が生じるとしても,やはりそれはどんな人間の精神のうちに生じるとしても,すべてが偽であるということになります。よって,排尿の表象像に関連する限り,ある表象像が真であり,またある表象像が偽であるということはあり得ません。これは排尿とは関係なく,表象像というものに一般の,スピノザの哲学のひとつの価値観の決定であるといえると思います。
コメント
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