サラの苑 院代崇正のブログ

熊本県ペットのお寺“沙羅の苑”。現在、沙羅の苑の院代を勤めている 蔵本崇正のプライベート日記を公開しています。

生きている実感

2009-12-20 16:30:56 | 崇正の独り言
生きている実感  皆さんどう思われますか?

誰かがそんなことをおっしゃっておられて、なるほどなと思って。


私たちは、本当に生きていると言えるんでしょうか?

生まれたはずみで生きているんではないでしょうか?

生まれたから、好きなことでもするか、それとも生きがいと思えることでもするか。

その程度ことではないでしょうか。

私自身もこれは常に考え続けている問いです。

人間が生きていく理由は何だろう。



今日、○○高校で講演会をした時の、生徒さんから感想文が届きました。

目を通すと、それがビックリ!!!!


私の熱意だけのお話を、ここまでくみ取ってくれているとは・・・・・。

本当に聞いてくれてありがとう。


でも、何かわかるんです。高校生の気持ちが。

楽しくやって行こうよ!だけでは済まされない問題を彼女達自身が一番感じているんです。

それを大人が気付いていないだけで、彼女達はちゃんと考えたいんです。

そう、欲求してるんです。

本当の自分の存在って何なのか。そしてどうやって生きていけばいいのか!

今の先生のどれくらいの人たちが、本当にその問いに応えられるでしょうか。

道徳と言う観点からなら、正誤は言えるかもしれません。

しかし、そこに哲学がないといけない。


彼女達は若いから、その疑問という欲求のエネルギーは凄まじいと思います。

それに応え得る大人であるか。


今日、感想文を持ってきてくださった先生が、

「今度は、教師に対して講演をして欲しい」とのご依頼がありました。

口では謙遜していましたが、心では本当に有り難いお言葉だと思いました。

そして、一緒に先生達と共に考える機会が必要なのです。


だから、先生と言うのは本当に大変なお仕事だと思います。

今は、教壇を無くしている学校が多いと聞きます。

僕はそれは反対です!!

先生と生徒が平等???  そんなことありますか!!

きちんと区別しなければなりません。

人間としては平等。 しかし、一旦教える者と教わる者との関係が成り立つ以上

そこには、きちんとした一線があります。

誰もが学生なんです。私も先生もみんな学生なんです。

そして、誰も教えを聞かなければいけないんです。

平等なんてことをするから、生徒が勘違いするんです。

偉いから、教壇に立っているわけではありません。


話が横に行きましたが、彼女達は生きていると言う実感を求めています。

そして、悩んでいます。

私はこの子達一人一人にお手紙を贈ろうと思います。


私の話を聞いてくれて本当に嬉しかった。


私が偉いから話すんじゃない。あなたと同じ問題を私も抱えているんです。

だから、お話しするんです。

また、機会があればお話しましょう。


マイケルジャクソン

2009-12-17 18:12:32 | 崇正の独り言
のドキュメンタリー番組がやっていました。

何とも悲しいと言っては失礼かもしれませんが、

偉大なアーティストの苦悩と言うものがそこにありました。



人間と言うのは、尊い、しかし 愚かですね。



愚かさを知らないのに尊いなどと言うことは言えません。



才能を認め、妬むことなく、足を引っ張らず、それぞれの華を咲かすことこそが

自分のやるべきことなのに、どうしてそうならないのでしょう。


こんな人間に絶望しない世界。 それがキリスト教では神なのかもしれませんが、

神を信じれない人でも、救われる世界は実は自分の心の中に開かれていると言うことを

知るべきだと思います。


こころに、マイケル・ジャクソンという偉大な人間がいたと言うことを

刻みたいと思います。

                              合 掌


朝の時間

2009-12-11 14:25:54 | 崇正の独り言
毎日、朝は5時半に起床し、6時からの勤行をしていますが、

正直きついなーと思うときもあります。(お坊さんがいってはいけませんが・・)

がしかし、同事に何と幸せなことかとも実感します。

世間だけの事では、損か得か、よりよい発展のため、だとかそれだけになってしまいます。

しかし、勤行し住職と少しの時間ですが、法に触れる、つまり真理に触れる時間を
持つこと。

これがとても大切なのです。

僧侶といえども、社会の一員として、社会に貢献せねばなりませんが、

それだけで終わってしまうわけにはいきません。

なぜ、法を聞かねばならないか。

やはり、真理に出会い、触れ、そしてこの社会生活を見直していくということが

何よりも大切なこと。これを第一義といいますが、

何よりも優先せねばならないこと。

一生懸命働いても、最後は一人で死んでいかねばなりません。

そのような問題を常にはらんでいるのが、人間存在というものです。

ある社長様のブログを拝見させていただきましたが、とても素晴らしい。

人材育成から、自己革新の話。


しかし、その裏づけが無い。


それで、その結果どうするのか。社会貢献するために生まれてきたのか。

私はそのことも大事な責任だと思いますが、全人類が背負っている問題、

一人で死んでいかねばならない、という裏にある「なぜ、生まれてきたか」

という問いを求めなければ、すべてが虚しく過ぎてしまいます。

それを仏教では、「空過(くうか)虚しく過ぎる」と言います。


私も僧侶でありながら、社会人としての側面も持ち合わせながら

ここにいます。

真理を聞き、そしてこの世間の中に身を置く。

またそうでないと、純粋なものはわかりません。

自分が不純粋であるということは、純粋という存在を知ったものだけに

自覚できることです。

人間存在そのものが不純粋であるがために、純粋の真理と言うものに触れ

我にまみれている自分を、純化していくという作業がとても大切だと思います。

自分は良いことして、ちょっとは世間ためになったかな?ではないのです。

人間存在そのものが、不純粋なんです。逆を言えば、だからこそ、純粋な教えと言うものが

聞けると言う証明なんです。自分が純粋なら、綺麗なら、真理も法もいらないし

ましてや、自分が不純粋であることの自覚も当然あるわけはないのです。


この前も、ある高校の講演会でお話させていただいた時に、

人間ほど、あらゆる生き物を食べ尽くし、破壊し続ける生き物はないんだと、

この人間に綺麗な心などあるのでしょうか?と。

暗闇だと言うことが分かるのは、光があるからでしょう。

不純粋であるということは、純粋の法と言う光に照らされて初めて

自覚自覚できることではないか。



これからの世界は、この自覚と言うものをもってしないと、いくらエコとか

言っても歯止めが利くような状態ではありません。

人間だから、ちょっと良いことみんなでやればなんとかなるさ。

では、あまりにお粗末であります。

世間から言えば新しい思想、仏教から言えば本来あった思想によって

この世界は変われるんだと思います。


ですから、私の朝の時間というものは、小さいことかもしれませんが、

本当は何よりも考えなければいけない問題だと思います。

「微妙 かすかなことが かえって世界を包む」

と言う言葉がありますが、世間で騒がれていることほど実は中身がありません。

真実と言うのは、誰にでも聞こえるものではなく、聞こうとした者にしか

届かない微かな声なんです。

その微かな声は、決してスピーカーで言える様なものではありません。



微かだけれども、確かにうなずける世界はあるんですよ!!


お待たせしました!!

2009-12-02 15:57:39 | 崇正の独り言
先日行なわれた感謝祭の模様を写真でお届けしたいと思います。

たくさんありますので、ごゆっくりどうぞ!



まずは、お寺の中。本堂ですね。幻想的です。



続いては、ご本尊、不動明王様です。




19時になりましたら、法螺貝の音と共にお坊さんが入ってきます。



私も一生懸命お祈りいたしました。



本蔵院が誇ります、太鼓と法螺貝の名手。私の好きなリズムで叩いてくれます。




いよいよ火が上がり、護摩祈願の始まりです。





さて、お勤めも終わったところで、楽しい感謝祭の始まりです。スタッフが司会もしたんですよ!



初めて護摩祈願法要を見た方ばかりでしたので、当院の住職にインタビューいたしました。





そして次は、私のお歌さんをお聞きいただきました。





タレントのMEGちゃんも歌いに来てくれたよ!!



デュエット有の楽しい時間。



こんな人も来てくれました。探せるかな???




ここからは、KKTアナウンサーの村上美香さんによる、亡きペットちゃんへのお手紙の朗読です。

涙涙の感動編でした。アシスタントはスタッフの一原さん。





最後に、今回頑張ってくれたスタッフを一人一人ご紹介させていただきました。



これが、ある意味今回の目玉!! スタッフ三人によるアカペラのご披露。

うーーーん。微妙だけど、すごい楽しかったです。



一番最後に、MEGちゃんももう一度上がってもらって大合唱!!すごく盛り上がって終わりました。



はい、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

なかなか伝わらないかもしれないですけど、いろんな方の力が働いて一つの事をやり遂げることが

できました。本当にありがとうございます。

また、このような機会を設けたいと思っているので、今回お越しになれなかった

方も次こそは是非お越し下さい!!