白雲去来

蜷川正大の日々是口実

カボチャの思い出。

2017-10-04 07:58:50 | 日記
十月二日(月)曇り。

お世話になっている方より「カボチャ」をご恵送頂いた。季節感を感じる食べ物が好きだ。煮物が一般的だが、きんぴら、てんぷらも美味しい。時間が無い時は、小さく切って電子レンジで柔らかくしたものを、醤油、砂糖、酒、みりんを同率比で鍋に入れてカボチャと絡める。酒のつまみにもなって嬉しい。また、少々面倒だが、カボチャのコロッケも結構美味しくて、必ず作る。

昭和の最後の年に、カボチャを作っていたことがある。昭和六十三年十月三日の「独醒記」と題した私の日記。楚の屈原の詩「漁父」の一節、「衆人皆醉ひ 我獨り醒めたり」から拝借した。

「今日の作業は『カボチャの収穫』。”官”の話によれば、一つの畑で、約一万個のカボチャを収穫するとのこと。一個づつを手作業で、蔓からはずし、プラスチックの籠に収めて行く。森と泉に囲まれて、静かに眠る・・・。の歌ではないが、能取湖と網走湖を望む場所に、私たちが作業をしている「切通し農場」はある。先任の人の話では、このカボチャの収穫はまだ楽な方で、雪の降る来月頃から始まる、『ジャガイモやビート(砂糖大根)の収穫作業は、”中腰”で行うため、寒さと腰の痛さで”泣きが入る”ほど辛い』と言っていた」。

夕食時に、「副食」として、私たちが収穫したカボチャが毎日出た。ルンペンストーブの中でただ焼いたものや、煮物、茹でたカボチャをコロッケの形にして揚げたものなど、二か月ぐらい、ほぼ毎日食べていた。その時から二十九年が過ぎた。初心にかえってカボチャを食するか。

ラスベガスで、無差別乱射があり大勢の人が亡くなったそうだ。ラスベガスには行ったことが無いが、アメリカのマフィアをモデルにした「バグジー」が好きで、いつか行ってみたいと思っていた。もちろん賭け事のためではなく、大がかりなアトラクションを見るためだ。犯人の動機は明らかにされていないが、アメリカが「病んでいる」ような気がする。こういうことは、伝搬するから、日本だって気をつけなければならない。しかし、何の罪もない人たちを殺すことに、彼らの神様のキリストは喜ぶのだろうか。

事務所の帰りに、市大病院に入院している、志村馨君を見舞う。腹水が抜けて三十五キロも痩せたそうだ。医者の話では、重い心臓病で、ペースメーカーを装着する可能性が大だとのこと。それでも命が助かれば、それで良しとしなければ。「又来るよ」といって病院を後にした。

夜は、しらたきとこんにゃく、焼き豆腐を「白だし」で煮たものやカボチャの煮物を肴に、酔狂亭で独酌。お供は「黒霧島」。

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