白雲去来

蜷川正大の日々是口実

ISのテロは革命史には刻まれまい。

2017-05-29 18:08:05 | 日記
五月二十二日(月)晴れ。

朝から重慶飯店の餃子にご飯。もずくの味噌汁にキュウリの糠漬け。餃子が好きだ。宇都宮、浜松のも美味しいが、中華街の餃子は、ちょっとリッチな感じがする。お店で食べていると感じないが、自宅でテーブルの上にあると、他の料理を圧倒する存在感がある。「おい、俺様を誰だと思っているんだ。中華街は重慶飯店の餃子様だぞ。下町の餃子などと一緒にするな」。と主張しているような感じがする。まあどこの物でも、いろいろ特徴があって、美味しいと思います。

イギリスで、また爆弾テロが起こった。どうやらISの関係者らしい。しかし、どんな主義主張があろうと、関係のない人たちを無差別に殺傷する行為など、支持されまい。無差別に殺した人の中には、もしかすると彼らの支持者がいたかもしれないのだ。どうせ体を懸けるのならば、権力の中枢に対して行えばいい。自爆する勇気と正義感には敬服するが、女子供を犠牲にしてどうする。彼らの行為は、どんな崇高な思想や目的があったとしても、革命史には刻まれまい。単なる事件史、犯罪史として語られるのに違いあるまい。

私の好きな本の中に、中国の偉大な歴史家の司馬遷の書いた「史記」がある。その中の「列伝」、「刺客列伝」(岩波文庫)が好きだ。荊軻の「易水送別」。そして、やはり秦の始皇帝を博浪沙の地で襲おうとした張子房のことを思って詠んだ李白の「下邳(かひ)の圯橋(いきょう)を経て張子房を懐う」。どうもイスラムの人たちのことは分からん。

夜は、ISのテロに抗議して、ポークソテーにしました。本当は子供たちのリクエストです。

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カルチャーな一日。

2017-05-29 11:57:58 | 日記
五月二十一日(日)晴れ。

何て良い天気。家族はそれぞれ出かけたし、私も書を捨て、町に出た。日本大通りの横浜都市発展記念館において、開催中の、幕末から明治の横浜の地図展「横浜地図ワールド」と、山下公園のすぐ近くにある「開港資料館」で開催中の「横浜・地図にない場所-消えたものから見えてくるハマの近代」展を見に行きました。

「横浜地図ワールド」は、専門過ぎて、私には少し難しかった。加えて字が小さく、展示してある地図も距離があって見づらかった。ささっと一回りして、開港資料館へ行く。ここの展示は、とても興味深かった。幕末以来、横浜の発展と共に消えてしまった、かつて本牧の「マイカル本牧」の近くにあった「洲干弁天」や、関東大震災で崩れ落ちてしまった「元町百段」(レストラン「霧笛楼」の後方にあった階段)、現在の市庁舎の場所にあった「魚市場」、二十五年前ぐらいに私が住んでいた磯子区丸山と言う所にあった「横浜監獄」。すっかり埋め立てられて、今ではそこに海があったことなど全く感じられない本牧十二天海岸。伊勢佐木町の裏を流れていた吉田川。現在は埋め立てられて大通公園となっている。

それらの場所が消えた理由は三つ。第一は、横浜の開港に伴い外国人の居留地や港が整備されたこと。第二は、関東大震災。震災によって市の中心部のほとんどが壊滅的な打撃をこうむった。その後の都市整備によって、市のの面積が三・六倍となった。第三は、戦後の復興と、その後にやってきた経済成長による。工業用地の拡大により横浜の海の多くが埋め立てられた。かつて京浜急行の沿線には、磯子、屏風ヶ浦、富岡、金沢八景、文庫と海岸があり、私が子供の頃は、遠浅の海で遊んだものだ。夕方、海の中を歩いていると、踏んだ魚が、足の下から逃げて行く感触を思い出すことがある。

そういった場所が写真や資料で紹介されていて、まるでタイムスリップしたような気になった。本や絵葉書を買おうかとも思ったが、車ではなかったので次回にした。

あんまり暑いので、中華街の入口にあるお友達のお店、「フラッシュ、バック」で、生ビールと、ハンバーガー。そして「中華飯店」へ転戦し、「モツ炒め」でビールを二本。しばらく歩いてから自宅に戻った。

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ビア・チェイサーだって。

2017-05-29 11:01:12 | 日記
五月二十日(土)晴れ。

横浜に泊まった矢野隆三さんからの電話で起こされた。九時に矢野さんが宿泊した関内の「アパ」ホテルにて合流。「アパ」ホテルは季節や日にちによって値段がマチマチで、高い時は、同じ部屋でも二万円近くもする時があるとのこと。ちょっとあの広さとサービスで一万円を超えると、随分と高いような気がする。

九時半に愚妻も交えて中華街の「安記」へ。朝から酒。私は車なので断ると、「代行」を呼べば良い。とビールを注がれた。肴は、定番の「モツ皿」「レバ皿」「焼売」。そのうちに「紹興酒」へ。矢野さんいわく「紹興酒を飲むときは、ビールは『チェイサー』。『ビア・チェイサー』だな」。うーん。まだ十時ですぜ。しかし、遠方の朋に付き合わなければ、男がすたる。えーい、と気合を入れて、一杯、一杯、復一杯。酔うて眠らんと欲せば君、直ちに帰りたまえ。は嘘で、二時の飛行機に間に合わせるために十一時半に解散。羽田に向かう矢野さんを見送った。

夜、私も出演したことのある「アド街」に、山下町の「ラッキー」のお店が出ていて、家族で大盛り上がり。さすがに夜は、酒を少しひかえて早めに寝た。

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