白雲去来

蜷川正大の日々是口実

月刊『文藝春秋』がいい。

2017-01-19 18:09:10 | 日記
一月十四日(土)晴れ。

子供が、センター試験を受けるとのことで、朝早く横浜駅まで送って行った。私たちの頃は、共通一次とか言った。最も、勉強は、ムカデと同じくらい嫌いだったので、そんなことは二の次で、遊んでいたような気がする。

子供を送ってから、近所のかかりつけの病院にて定期検診。血圧は、まあまあだったが、血糖値が高くて困った。218もあった。HbA1Cは、6・9。少し運動するか。

月刊『文藝春秋』を買った。「大女優九人が語る昭和の映画」という特集が読みたかったから。その九人の大女優とは、八千草薫、山本富士子、香川京子、佐久間良子、加賀まりこ、小山明子、いしだあゆみ、岡田茉莉子、岸恵子といった人たち。そうか、いしだあゆみは女優だったのか。へんな意味はありません。ずーっと歌手だと思っていたので。ただ、好き嫌いは別として、吉永小百合が入っていないのは、どうしてだろうと思った。でも、彼女たちの全盛期の頃は、私はまだ子供で、代表作と言うものをほとんど見ていない。何と言っても、裕次郎や任侠映画が青春でしたから。

二十代の後半ごろに、小津作品で有名な「東京物語」を見たが、へっ、つまらネェー。と思った。しかし、この歳になって改めて観てみると、じわじわと、良さが分かってくる。小説もそうだが、歳を経て来て、読めるようになるものもある。眼福を重ねる。と言うことは、そのまま歳を取ることと同義語のように思えてならない。しかし月刊の『文藝春秋』は面白い。小池百合子と立花隆の対談。藤原正彦さんが語る両親のこと。黒田勝弘、山口敬之の原稿。その他も好きな人たちの原稿が満載で、上質な野菜のミックスサラダのようだ。

夜は、愚妻と一緒に本牧のゴールデンカップへ、エディ潘のライブに行った。ブルース調の「銀色のグラス」にしびれた。オーナーの小高氏に挨拶して店を出て、すぐ隣の中華料理店に入ったら、ここが、とても美味しくてラッキーだった。いい夜だった。

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あれから三十年か。

2017-01-19 13:01:37 | 日記
一月十三日(金)晴れ。

三十年前の東京、横浜は、昨夜に降った雪のせいで一面の銀世界となった。昭和六十二年の今日は、私にとって様々な意味で、人生のターニングポイントとなった。それでも、三十年も過ぎると、毎年、この日のことを意識するという訳には行かない。そんな昔のことを感慨深く思っている余裕などない。というのが正直な気持ちだ。とにかく三十年という歳月は、純粋な気持ちを鈍化させるのには、十分すぎる時間である。きみまろではないが、あれから三十年か。

スーパーなどに行った時、鮮魚のコーナーに、「柳カレイの干物」があるとつい買ってしまう。家族は、干物は、朝に食べるものと決めているらしく、夕食に干物が載ることはないが、私は、カツオが終わった後の酒の肴には、キンメダイの粕漬、柳カレイの干物が欲しくなる。柳レイは、食べにくいのが、少々難だが、焼き上がったばかりの物に、味の素を軽く振りかけて、醤油を少々。香ばしい匂いが漂い、食欲をそそる。好きな酒の肴を前にすると、ふふふと頬が緩む。素浪人の至福の時である。

そう言えば、先日、デパ地下で買った「メザシ」が、めっちゃ美味しかった。もちろん頭から食べる。鮮度の良くない物は、焼いていると、お腹の部分が破れて、皿に乗せると、とてもみすぼらしく感じて嫌だ。その点、この間のメザシは良かった。焼きたてのメザシのしっぽを持って、頭から齧る。左手には、焼酎のロック。浪人生活の自虐的な喜びに包まれる。

五十年国を憂ひて草莽の野にさまよひて泣きに泣きたり。とは黒龍会の内田良平先生の歌であるが、五十年どころか、六十の半ばを過ぎたと言うのに、まださまよい続けている。テーブルに、右手を付いて、かつうなだれて「反省」。

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