人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

神と共なる覚醒

2016-10-01 00:01:41 | 覚醒
私は超アナログ人間でしたので、ネットと関わるようになったのは、つい3年ほど前という次第なのでした。
ですからスピ界の動向というのも、それ以前のことはよく知らなかったのです。
最近一昔前のネットを探っていたら、覚醒体験に関する記事で溢れかえっていますねえ…
で、読むだけで偏頭痛みたいなのが起こるってえのは、一体どういうものなのでしょうか?
今の私はああいう渦の中には正直居たくないですね~。
もう、”エゴというものは…真我というものは…本当の悟り、今だしの一瞥…こうこうなんです!”…って、もう、分かりましたよ!、皆覚者さんですよ!…私は?…”居ません!”と、言いたいです…。
覚醒体験ばかりが独り歩きしている、という事は、ブログを書き始めていた時から感じていたことですが、ぶっ飛び体験そのものを求めるんでしたら、合法ドラッグでもやればいいんじゃないですか?…脳内物質増強剤なんてものが有れば…
漏れ聞いている話では、覚醒体験者の中には、鬱病や意識障害になってしまう、という事態も起きているようです。
自己がいきなりワンネス…こりゃあ、何もかもぶっ飛んでいる…何かとても重要なものも飛んでいるゾ…
私は何度も、そういう事は神的なもの(守護の神霊、ハイヤーセルフ、真我、キリスト意識…名称は何であ)の導き、その臨在の中で起こる、神と共にあることの内に有るもの、ということを強調してきました。
過去のことを回想風に書いているのも、神的なものへの探究心から自然に芽生えた、あの気付き、あの精神の高揚…それは今、現在のそれ、神と共にあることとつながっており、覚醒という事態もその事と離れてはいない、という事…いや我々が気づいていようと、いまいと全人生というものが、その基盤有ってのもの…という事を模索してのものなのです。
とはいえ、やはりその体験はあまりにも鮮烈でしたので、私も実は体験そのものに捉われてしまったのでした。
それが数日後、元の木阿弥になり、日常意識に戻った時、”あの体験は高熱に浮かされた幻覚かも知れない…”という疑念がもたげてきたのです。
これにはいくつかの思いが交錯していたのですが…
ただ、どうしても私には、よしんばその体験が幻覚だったとしても、どうしても、どうしても…疑いきれない、拭い去れないものが残ったのです…。
”それは何が、あの眩い目覚めをもたらしたのか…”という事だったのです。
何よりも、”私はここに居る…忘れないでほしい…”と魂に直に訴えかけるような現臨の声なきメッセージ…
そして私は意識的に封印することにしました。その主な動機は、私のすぐノボセたがる自意識に押しつぶされそうになったからだと思います。
といっても、どうしても完全にはフタ締めなど出来ません。上記の理由で…
上記の思いは私の意識の奥でずっと生き続けていました。そしていつかあの事を外に向けて表し、伝えたい、という気持ちも強く持ち続けていました。というより、それは内なる促しのようなものでした。
ただ、私のすぐテング性に転じてしまう自意識と、それを抑えようとしている自意識との葛藤があって、中々手が付かなかったのです。
しか―し…今やもう吹っ切れました。テングでも鬼でもござれ…
私は体験してどうなった、こうなった、という事を伝えたいんじゃない、神的なものは生きて、ハタラいている…このものと共にあることによって魂の平安も目覚めも世界平和もある、という事を伝えざるを得ないのです。
覚醒体験に憧れを持つ気持ちも分かるのですが、私はずっと書いているように、幾多の先人たちとの機縁を通して、神的なものと親しむことで喜びを感じ出したのですが、この事と切り離されてはいないのです。
神への祈りは、著しい体験に付き物の心身に及ぶ危険に対する最大の防御にもなるし、その愛の導きに育まれることで、然るべき契機に魂の目覚めも訪れるでしょう…。








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11 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Ladyk)
2016-10-01 10:51:32
神はいない、私達は元々恨みと心配から作られたという(少しニュアンスが違うかもですが)、天才少女の記事を読みました。
私達は神の分け御魂であり、光であり愛であるという事を信じて来て、しかしどうしてもそうなれない自分にとって、なぜかホッとしました。
自分は、程度の差こそあれ、大概の人を憎んでると気づき驚きました。だけど、神がいないとなると、虚無は深くなるばかり。すみません、個人的な事を。

なるばかりです。
Unknown (シタテルヒコ)
2016-10-01 21:58:10
LadyKさん、いつも啓発的なコメント有難うございます。
神の存在について、無理に信じる必要は無いと思います。
信じる事と不信は相対的なものですからね。
でも、心地よいとか幸福でいられるのは、そう感じちゃうのだから信じる必要が無いです。
少しでもそんな時空が感じられるといいですね…

Unknown (ジダン)
2018-02-15 22:59:46
去年、或るオバちゃんに神●秀●会とか言う教団のイベントに来ないかと誘われましてね
ラティハンの仲間に、それを話したら「アンタの場合は何処でも良いから入った方が良いと思う」と言われた
ただ、まあググったら、そこの教団も結構、物入りが多いと言うか銭が掛かりそうなんで保留にしてるんですけどね
どっか経済的に負担の無い教団無いですかね?
Unknown (シタテルヒコ)
2018-02-15 23:22:05
ジダンさん、私もその教団に誘われたことがあります。
「私も時折、神が降りてくるんだ」と言ったら、引いて行きました(笑)
経済的負担の無いのは、教団じゃないけど、S会をおいて無いんじゃないですか?
昔、白光会に出入りしていた頃、一度も会費を払ったことがありませんでした。無料奉仕はしましたけどね。
Unknown (ジダン)
2018-02-16 20:33:13
なかなか自分にフィットする宗教を見つけるのは難しいものですねえ
回教は戒律が厳しいし、基督教は訳分からんし、仏教は辛気臭い
愚民愚衆が無理なく信仰出来るのが有難いですがね
S会って何処ですか?
白光会と言えば、そこの信者さんがラティハンに来てた時期が有りましたなあ
なかなかの人物でしたが即辞めて行かれました
まあワタクシが会の事をボロクソに貶した所為でしょう
今は反省してますがね
Unknown (シタテルヒコ)
2018-02-16 21:27:19
ジダンさん、S会とは勿論「素人道同胞会」ですよ。
「キリスト友会」(通称クエーカー)というところは、コチコチのクリスチャン、イイカゲンな方、アンチ...と実に色んな人が集まるところでした。会員以外に会友というのが認められていて、自由に行き来出来るのです。色んな教会を渡り歩くのが趣味のような人も居ました。
S会は一度入るとそういう訳にもいかないでしょうね。
Unknown (ジダン)
2018-02-16 22:22:28
昔スブドジャパンの有志で「ネット雑談会」と言うのが設けられまして、M君に「是非参加して下さい、何を書いても良いそうですから、思う事を書いてみて下さい」と熱心に誘われて、「あ、そう?じゃ憂さ晴らしに」と書いたところが一発退場を喰らいましてね
東京のTRさんがワタクシにメールを下さって「心配です、若し良ければ私がお話しを伺いますが」と誠実な言葉を掛けて下さった
「いやあ俺は大体あんな感じなんですよテへへ」と返信した所、TRさんが非常に心配されて、わざわざ関西まで来て一緒にラティハンをして下さった
その際、TRさんが首を傾げて「ウーン」と困惑された
「貴方は寧ろ普通に正常に礼拝を受けてますねえ、じゃあ何故そんなに無理解で歪んでいるのか?私には全然理解出来ないんですよ」と仰られた
ま結局、自分は全く「霊的」な向上心が無いし、寧ろ低劣な事を追究したい衝動が常に有ったんです
宗教っぽい世界は唾を吐いて蹴飛ばしてた
何故かと言うと自分はジミヘンとか山下洋輔とか、ああいう破壊的な音楽に若い頃影響を凄く受けてた訳です ま、それじゃイカンなと近年思い始めた訳です
Unknown (シタテルヒコ)
2018-02-16 22:44:46
ジダンさん、私がいつも書いていることですが、私はずっと自分が好きなこと、惹かれることを追求していたような気がします。
それが「向上」か「下落」かは分かりませんけど...それにとらわれると、ズレちゃうのかもです。
それにしても「何を書いてもいい」で即「退場」とは"何でやねんi "ですね。
TRさんてホントにイイ人なんですねえ。
Unknown (ジダン)
2018-02-17 20:47:50
全く同感ですね
己が好む事を追い求める、その生き方は至高の生き方ですよ
JRさん(翻訳家)と言う人は色んな霊的な行法を遍歴し、掛け持ちし、偶にラティハンもしていたらしい
奥さんも沢山作って孫が何人居るやら数え切れない
その飽くなき欲求を生涯追い求めたのでしょう
JRさんとは全く面識は無いが、多分幸福だったと思いますよ
Unknown (ジダン)
2018-02-17 21:15:20
然しバパスブーは申された
「飢えた人の前で御馳走を頬張る様な事はなさらぬ様に」
好む事を何一つ得られぬ境遇の人々が世界に存在する
自分は最近ようやく、抑制と言う事を意識してるんです
昔ジミヘンがステージでギターを破壊して、こう言った
「これは電気教会音楽だ」
おお、カック良い、痺れるなあとワタクシは陶酔した
あれは商売でやってんだから仕方無いとして、素人の自分が真似してどうすんの?ギターも買えない子が見たらどう思う?そんな事を思い巡らせてました

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