思考の部屋

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ダライ・ラマ法王・「善き光に導かれて」

2010年09月02日 | 仏教

 二ヶ月程前の6月9日(土)から同月21日の間、ノーベル平和賞受賞者のチベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世が長野市に来られました。

     
 
 今回の長野市訪問は、2008年4月の北京オリンピック聖火リレーの際、チベット問題に伴う中国政府への抗議が高まる中、善光寺が聖火リレーの出発地を辞退したことから、交流が進み、今回は善光寺側の招きに応じて実現したものです。

 今朝は、その来日の際に長野市のビックハットで行われたダライ・ラマ法王の記念講演お話を紹介したいと思います。法王の来県は地元放送局SBC信越放送でスペシャル番組「愛のこころ 平和なこころ」と題して放送され、ようやく起こすことができましたのでここに紹介します。

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ダライ・ラマ14世記念講演「善き光に導かれて」

 今日は、クリアライトつまり「光明の心」についての話をしましょう。そして他のテーマ哲学に関わることについても話をしたいと思います。また意識を変えていく可能性の基盤になる事柄についても話したいと思います。なぜならより幸せな人生を歩むために、また成功した人生を生きるための基盤になるからです。

 お金や一般的な教育は極めて重要ですが、幸せな人生を得るための究極の基盤ではありません。幸福な人生を送るために必要な根本をなす源は、モラル・倫理観なのです。
 
 社会生活を営むうえで必要なのは真の協力や友情であり、それは完全な信頼関係の上に築かれるものです。信頼関係を育むには誠実で正直でなければなりません。それが信頼を培い純粋な友情をもたらします。

 ですから私たち社会的動物にとって友情は不可欠です。純粋な友情がなければ本物の友達はできないのです。お金はあなたに、愛情を示すことができません。私はこの時計が大好きですが、時計は愛情を表現できません。

     

 一万円札も皆さんに愛情を示すことはできません。小さなペットたち、犬や猫はどうでしょうか。愛情を持って接すれば、感謝や愛情を表してくれますね。

 ですから私たちは同じ範疇の仲間であり、人生は大いに愛情に支えられているわけです。なぜなら私たちの命の始まるとき、誰もが母親の溢れる愛情に包まれているからです。

 皆さんは子どもの頃に最大限の愛情を注がれた人たちでしょう、そういう人たちは心の奥深いところでより幸せな人たちです。

 逆に幼いころ愛情に恵まれず危険や恐怖にさらされた人たちは、たとえよい教育を受け裕福であっても心に不安がある、不幸なのです。 

 ですから愛情が幸福な人生を送るために重要です。内面で幸せになれる根源なのです。

「愛情あふれる心」「慈悲深い心」がもたらす二つの利点があります。第一に慈悲深い心を持った時「自信」が芽生えます、内面の強さです。

 他者を尊敬する心や他者の幸せを心から願う気持ちが生まれ、他者を傷つけようとする欲望が入り込む余地は全く無いのです。

 ですからごく自然に内面の強さである「自信」が構築されます。その自信が立派で公正な態度をもたらし得るのです。

 第二の利点とは、人間の脳であり、とてもユニークなものです。ほかの動物で人間の脳のような機能をもったものはありません。人間の脳には、特異な能力があります。いわゆる幸せを醸成させるものです。

 知性を正常に機能させるのは、心の穏やかさです。教育を受けた精神であっても知能を適切に使うことはできません。なぜなら脳が動揺しているときに成された決定は、多くの場合、非現実的な結果に終わってしまうからです。

 何かを決めなければいけない時は、精神も落ち着いていなければならないのです。現実的なアプローチが必要なときは、現実の在り様を完璧に把握していなければなりません。

 現実を完全に理解するためには、対象を客観的に観る必要があります。そのために心がニュートラルでなければなりません。もし希望的観測や欲望や憎しみが強すぎれば、皆さんの観察は偏ったものになってしまうでしょう。

 正しい現実を知るためには、物事を客観的に観る必要があります。精神が穏やかで中立であるよう心がけなければなりません。

 アメリカ人の友人で、アーロン・バックという科学者がいます。数年前に会ったとき84歳でしたが非常に経験豊かな心理学者で精神分析学者の彼がこう話してくれました。

 怒りの感情を抱くとき、その対象がとても悪く見えてきますが、否定的な感情の90%は意識内の創造物に過ぎないと言いました。これは全く真実をついています。仏教の教えもまさに同じことを説いています。

 つまり欲望・執着・憎しみ・怒り・恐れなどの感情を抱いていると、現実を正しく見ることはできません。せっかく備わっている人間の優れた知性が無駄になるのです。知性を十分使いこなすために心を常に穏やかにする必要があります。

 慈悲や愛情ある心が精神に安定をもたらしてくれます。安定した精神こそが知性をうまく機能させる基盤をつくることなのです。そうすることで、現実をより一層正しく知ることができます。完璧に現実を把握することで現実に根差した行動がとれます。

 非現実的な行動は、必ず最悪な事態をもたらします。人間感情のシステムはとても重要だと思っています。愛情と慈悲が内面の強さや自信をもたらし、人間の知性を駆使できる土台をつくるということです。 

 最近世界を直撃した経済危機のことはご存じだと思います。私は好奇心から産業界にいる友人に聞いてみたことがあります。

 「この経済危機の原因はいったいなんであるのか?」と

 幾人かは「貪欲さ」や「投機である」と言いました。「投機」とは、正確に知らないまま強欲な予測をするのだと。
 
 別の友人は「無知」が原因であると答えました。それもまた全体的な広い視野の概念に欠けているのだと思います。利益だけに執着して全体を広い視野で考えていないのです。

 地球温暖化の問題もあります。例えばコペンハーゲンサミットは失敗しました。重要な国の一部の国が地球規模の問題より、国益を重視しているからで、これも非常に近視眼的な見方ですね。

 結局のところ、それらの国々も地球の一員なのに、地球温暖化により、結局苦しむのは自分たちです。ですから視野が狭く短絡的で全体的なものの見方に欠けていると、私は言いたいのです。

 その原因は執着があり過ぎるからで、自国の利益だけを望んでいるからです。国益と地球全体の利益の関係は無視しています。 

 私たちは地球上に暮らすメンバーとしての広い視野で物事を見て、他者を思いやり、世界的なレベルで責任を果たさなければなりません。

 さてもう一つの要因、「穏やかな心がいかに大切か」ということです。最新の医学研究によると健康な身体は、幸せで健康な心と密接に結びついていることが明示されています。

 「健康な心」とは心が穏やかであるということで、ストレスが非常に大きく常に何かを心配したり恐怖がある状態は体にとても悪いですね。ですから、健康に良い大きな要素とは心の平和です。健全な心が重大な要因なのです。

 過剰な動揺や強いストレスがあると自然に血圧が上がります。いつも心配ばかりしている状態に陥り、体の消化機能が壊れてしまいます。また、日本は高度に発展を遂げていますが、特に若者たちや学生の多くがうつや孤独になり、時には自殺するケースもあると聞いています。

 これはすべて穏やかな心を持たないことが原因です。精神面の健康ケアがとても重要であり、これは宗教的な問題ではありません。

 私たち仏教の供用を科学的な面・哲学的な面・宗教的な面に分けています。先ほどのことは仏教の科学的な面の問題です。現代医学も感情面の状態を重要だと感じ始めているのです。これらの事柄は普遍的な問題であり、宗教的な問題ではありません。

 私たちは来世や天国・神様の話をしているのではありません。それは異なるテーマです。私たちは単に幸せな人生を望んでいる人間に過ぎないのです。幸せな人生を得るには内面の価値観や精神状態を無視できません。

 心の本質はニュートラルなものであるという可能性があります。このことを「光明=クリアライト」と呼んでいます。

 破壊的にかき乱された感情は、現れては消え、消えては現れるという繰り返しです。私たちの考え方が変容していく可能性があるということは、私たちの心は本質的にクリアライトに導かれるということです。

 クリアライトは肯定的な感情に一層近いものであり、否定的な破壊的な感情には合わないものなのです。

 哲学的に健全な基盤は、異なる考えがもたらす結果を明確に認識させ、私たちの考えがより良き方向へ変わる可能性をもたらすということです。
 
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 翌日21日には、長野市の西方寺ではダライ・ラマ法王を招いて阿弥陀仏説法像の開眼法要が行われました。チベットの仏師が一年がかりで制作した像です。

     

 西方寺では法要の後の400人の檀家を前に、仏教の教えを説きました。講和の後檀家の質問に答えて平和について語ります。

ダライ・ラマ法王

 今日直面しているほとんどの問題は、人間が創り出した問題です。論理的には私たちが作ってしまった問題ですから自分たちで解決し打ち勝つ能力が当然あるはずです。

 一方で自然災害は人間が管理できるものではありません。「違い」というものは必ず存在し、異なる利害・異なる見解・異なる意見はいつでもあるものです。

 過去において「違い」に直面した時には、必ず「こちら側と向こう側」という相対する立場をとったものです。

 ときには武力を行使しましたが、このことは地球上ですでに経験済みですね。どのような動機や目的があっても暴力の行使が問題であり、そうなると必ず予期せぬ結果が生まれます。

 このような事実から私たちは学ばなければなりません。肝要なのは対話することであり、これが私の信念です。

 この万物の世紀が死の世紀であってはならないのです。問題は常に存在するのですから。私たちは知的な哺乳動物の人間であり、問題はこの頭から生まれます。人間がいる限りそこには何らかの問題は存在するのです。

 問題を解決するには対話をもつことです、話しましょう。他者の考えを聞き、その利益を尊重することで問題は解決されます。

檀家の質問
 世界平和のために日本人がやらなければならない役割をどのようにお考えですか?

ダライ・ラマ法王
 の本は戦争によって非常に苦しみ、原子爆弾を経験した唯一の国です。論理的に言っても皆さんが平和運動をリードすべきなのです。

 日本では何年も戦争や原爆に対する熱心な運動が行われてきました。実際つらい経験をされたのですから思想的にもとても正しいと思います。

 今まさにそのエネルギーを内面の育成に向けるべき時が来ました。平和は「内なる平和」から達成されなければなりません。

 平和は宣言や文書や軍事力、ましてや象徴的な鳩からではなく、完全な内側から発せられなければなりません。

 外側だけではなく、心の中の武器解除も必要です。内面の平和を育み、内面の非武装化を推進すれば、本当の非武装化が実現します。

 私の世代は20世紀の人間ですよね。私たちはもう「さよなら」と言う準備ができているんです。皆さんのように若い方々は21世紀に属しています。

 今世紀をもっと平和で調和のとれた思いやりのある時代にするのは若い人たちの責任なのです。私たちは遠くから「さよなら」をしながら見ています。

 あるいは天国から世界の中を眺め若い世代が平和な道をたどっているのか、暴力的なほうほうをとっているのか、あなたがたを見守っていますよ。

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 今朝は、スペシャル番組の内容をそのまま起こしました。とても穏やかな分かり易いお話でした。

 ※写真は、SBCスペシャル番組「愛のこころ 平和なこころ」から使わせていただきました。

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